第二十三話
起きた時、私は体全身が傷んでいた。自室のベッドが柔らかく、心地よく迎えてくれたことだけが救いで、少し体を横に動かすだけで様々な箇所が痛かった。
「大変だったな」
父さんが言った。病室のベッドで、看病する親のようだった。
「今は何時」
「夜の九時だ。お疲れ様だな、戒」
父さんはまだ申し訳なさそうな瞳を残したまま、私を見下ろしていた。
「巻き込んだ事なら別にいい。私の選んだ道だから」
「相変わらず察するのが上手だな。そこは母さんに似てる」
私は何も言わなかった。痛いからではない。父さんの返事を待った。
「やっぱり、子供が傷つくと不安になるもんなんだ。親っていう肩書の遺伝子みたいなものさ。それにこうなったのは俺の責任でもある。悪いなって思わせてくれよ。せめてもだ」
「ご勝手に」
私は聞きたい事が山ほどあった。今ここに父がいるのは、どういう成り行きでかは知らないがチャンスであると思った。脳が覚めてきて湧き出てきた記憶の中にある疑問を次々と聞いていった。
「ケルヴィンは嘘ついたの」
突拍子もなく、だった。父さんは少し躊躇ってから頷いた。
「あの男と別れた、との連絡を受けた事は確かだが、話があるからって呼び出されていたのは初耳だった。だからウィンガーも咄嗟に判断した作戦に運を任せたんだろうな」
父さんはウィンガーからほとんどの事を聞いてるのだと思った。
「大事な事聞き忘れてた。私はどうして意識を失っていたの」
剣を振ったきり、全く記憶がない。夢すらも見てない気がする。軽い浦島太郎状態を味わっている。
「能力を使った時、戒は無茶をしてたんだろうな。例えば、毎朝のトレーニングで体力を消耗してるのに能力を使ったら、そりゃ倒れるもんだ」
「じゃあ体が傷だらけっていうのは」
服で隠れているが、かすり傷が体に複数できているような気がしてならない。後、打撲の形跡もある。自分の腕にあったので、すぐに気づいた。
「ウィンガーが佐伯の部屋に着いた頃、昏倒してるお前を蹴る佐伯の姿があったらしい。その時に出来た傷なんじゃないか。……想像したくないな。本当にすまない」
あと、そう。あの女の能力は変身であった。コンサイバーを判別する能力ではなかったことが最大の疑問であった。
私はその時の様子を話し、答えを求めた。
「細胞レベルでの変身なら、能力者自身にその情報が伝わるんじゃないか。つまり、一般人に変身しようとする時とコンサイバーに変身しようとする時と、少し感覚が違うのかもしれないっていう話だ。えっと、まああくまでも仮説なんだけどな」
「正しく聞こえる」
「納得できるならいいんだが。まあとにもかくにも、その能力でコンサイバーを判別できるかどうかって言われたら、できる仮説を立てる事は出来て、現実に佐伯は判別していた」
「今佐伯は何してるの」
私を蹴り飛ばしていた姿から想像するに、狂乱していただろう。自分の生きがいを奪われたのだから、暴走するのは予想の範囲内だ。
「ウィンガーが眠らせてる。永久のじゃない。後少し立てば起きることだろうよ」
また眠気が襲ってきた。窓が開け放たれ、人間が感じる事のできる温度の中で、最大の心地良い温度が室内を満たして、私を安心させる。
「佐伯が起きたらどうするの」
「今佐伯は自分の家で寝てるのさ。だから起きても大丈夫だ」
「復讐とかいって襲ってこないといいけど」
「襲ってきたところで、お前は負けるのか」
そういえば、相手は人間になっているのである。しかも喧嘩も素人の女だろう。負ける要素はどこにもない。
「眠気には負ける」
頷くよりも、ひねった言葉を出す方が私らしくて、そう言った。父さんは笑って流した。
「戒、聞いておかなきゃならない事が一つあるんだ」
改まって父さんは言った。
「今回のように、戒を危険な目に合わせるような事がこれから先も続く。正直、父さんは不安なんだ。昨日は希望だって言ったけど、同時に不安でもある。だから戒の口から直接答えを聞こうと思って、ここに座ってるんだ。
――戒、この道を進む決意はあるか」
呆れた。もう既に巻き込む所まで巻き込んでおいて、いまさら過ぎる。だけど、父さんの気持ちも分からない事はない。だから今は無視しないでおいてやる。
「ある」
「そうか、そうか」
父は嬉しそうな顔も落ち込んだ顔もしなかった。真顔で、私の言った事を聞いているだけであった。
「戒は偉いな」
「何が」
「痛いのは辛いだろう。なのに生真面目にこの道を選ぶっていう。俺なら、多分怖くて選んでないな」
「別に」
「あ、そうだ。今日の夕食はここで食え。満足に歩けないだろうから持ってきてやる」
「……助かる」
こういう時でしか恩を売れないのだから、父さんには恩を売らしてあげることにする。
「じゃあ待ってろよ。おとなしくしてるんだぞ」
父さんは部屋を出て行った。残滓も何も残さずに。私はそれで良かった。
私は起き上がらず、ただ目を瞑った。眠気は襲うのに、まるで眠れないという不思議な感覚だが、もう不思議な感覚には慣れてしまっていて何も思わない。
私は机の上にある剣を見た。こいつとは相棒になる。滅妄真、という名前。そこにはカイという文字が入っていて、私の戒と同じだ。私に使われるのがふさわしい、と言わんばかりについた名前だ。
「戒ー!!」
うるさい音と共に棒アイスを咥えた美奈が私の部屋に入ってきた。
「大丈夫か? 大丈夫か? 怪我はないか……ってたくさんしてるじゃないか! おい戒、死ぬんじゃないぜ!」
「私がこうなってること、誰に聞いたの」
「近藤だよ! 死にかけてるっていうから、もうびっくりした!」
「電話で?」
「電話で!」
あの悪戯好きは冗談の程度を間違えているらしい。特に美奈が相手だと、夜でも構わず私の家に特攻するのは簡単にわかることだろう。近藤はそれが分かっていて大袈裟に私の状態を伝えたのだ。恐れ入る。
「とにかく無事ならよかったぜ」
「無問題。そのアイスは誰からもらったの」
「家で食べてる最中に電話かかってきたからさ、誰からもらったとかはないんだけどさ」
美奈とはこういう性格の女だ。後先考えずに行動してしまうのが癖だ。
「ま、座って」
せっかくの友人の来訪を、私は無駄にしなかった。美奈の顔を見て、ちょうどよく聞きたい事が浮かびあがったからだ。
「能力、嫌じゃないの。消すのはいいって言ってたけど」
美奈はリンボから帰る最中、私を守るために能力を保持するといって能力の喪失を拒否した。私は、彼女にそれほどまで恩を受けている理由が分からず、そして彼女に恩を売った覚えがない。そこまでして私を守る必要はあるのだろうか。
「嫌じゃねーぜ。今まではあんなグロい腕とはおさらばしたいって思ってたぜ。だって学校の奴らに知られるのは嫌だからな。だけど、もしかしたらこの腕で戒を守れるかもしれねーんだ。なら持っておきてーぜ」
美奈は照れているように見えた。いつも変な方向で強気な彼女らしからぬ表情に困惑した。
「それより、私といる事が前提なの」
「え、そりゃどういう意味だよ」
「私を守るために能力を消さないでおくっていうことは。私といるからでしょ。良い事ないと思うんだけど。近藤とか、ウィンガーとか、個性的過ぎて私はついてけない」
「だから私がいるんだろ!」
美奈は胸を張って言った。
「これから戒は多分、近藤達と一緒に行動すると思ってるぜ。だけど、それじゃあ戒が混乱しちまうだろ! 大人ばかりでむさ苦しいだろ! そこで私の出番なんだぜ。大人ばっかしの中に私がいるって、すごいとおもう!」
「そうかな」
「ありがたいとおもうに決まってるぜ!」
「学校はどうするの」
私は高校は辞めるからいいにしろ、美奈はそうはいかないだろう。将来が約束されているからこその退学だ。美奈は私についてくるだけじゃ、お金がもらえるとは思えない。
「うーん。学校行きながらでもなんとかならないかなあ。っていうか、友達全員捨てちゃったから戒のいない学校いってもつまんないんだよなあ」
学校で、よく私に喧嘩のリベンジを申し込む奴らはどうしてるだろうか。私に負けたからといって何度も決闘を申し込む輩が何人もいるのだ。何度も相手しているのだが、そいつらは一向に強くなる気配を見せず退屈な試合となっている。
勝ち逃げ、と言われてないといいが。
「まあ、私なりになんとかしてみるぜ。学校はやめねえけど、頑張ってみるから心配すんな」
開けっ放しのドアから近藤の姿が見えた。
「ご飯よー。今日は目玉焼きとハンバーグ。これ食べて、明日に備えてスタミナつけておいてね」
「結構傷だらけだけど、明日も特訓とかやるの」
「やらないの?」
私が近藤の返しに即答しないでいると、美奈がすぐに割り込んできた。
「戒、明日くらい休めって! 焦っちゃだめだぜ」
美奈の言う通り、強さに焦りは禁物だ。起き上がる事すら難しい。というより、そんな状態で夕飯を持ってこられても困る。
「飯すら食べれなさそうじゃねーか!」
「困ったわね。……一日くらい抜くのもありかもしれないわ。戒ちゃん、明日は休みなさい。確かにみた感じ辛そうだし」
ありがたい、とは意地でも声に出さなかった。
なんとかして起き上がり、ベッドの横に置かれた丸テーブルの上にある箸を取ろうとしたら、突き刺すような痛みが全身に走った。テーブルの上に箸を落とした。
「本当に大変そうね。私が食べさせてあげようか」
「いい」と断固拒否の姿勢を見せた。
「あ、じゃあ私が!」
美奈にも断りを入れた。今は不意打ちで痛みがきたから持てなかっただけで一人でも食べれるが――
「いやそんな事言わずに。ほら、戒ちゃん。あーんって」
「戒! 私達が手伝ってやるからありがたく受け取れー!」
――帰れ。私は口に近づく丁度良い大きさに切られたハンバーグを見ながら思った。




