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第二十一話

 宣誓を口にした身だ。たとえ特訓の後に最高に疲れて息を切らせようと、足が動かなかろうと、腹が痛かろうと母のワンボックスカーの助手席にて座っていなければならない。隣にはウィンガーの姿がある。気を抜いたらいつでも身体に触れてくるような男だと近藤が言っていたせいで、休憩する暇すら与えられなかった。

「怖い顔で見ないでよ~。ちゃんとした味方じゃないか」

「にやにやした顔で見ないで。気持ち悪い」

「ひどい! あんまりだ!」

 私達は今、例のマンションの入り口前で車を停めて帰ってくるのを待っている。時刻は午後十五時。佐伯という女の生活事情が分からないのは非常に不利であった。

 私はダメ元でウィンガーにその事を尋ねた。

「佐伯は今何してるの」

「多分アルバイトだろうね~。それも押し売りの! あれ、日本じゃ別の名前だったっけかな。まあいいや、もうじき帰ってくる頃じゃないかな~」

「よく存知で」

「得意分野だからねえ。ヒッヒッヒ」

 近藤と同じようなストーカーの香りが漂ってくるウィンガーという男は、本当に油断ならないと実感させられる。

「楽しいの、それ」

「え、何が」

 ウィンガーは私へ顔を向けた。

「情報収集。あまりおもしろくないと思うけど」

「いやいや! お主舐めてはいかんよ~」

 突然口調と声のトーンを変えた。いかにもわざとらしい。

「敵を調べるのは忍者の最大の役目だよ~。いやあ俺は忍者に憧れててね~。だからこういう忍者っぽい仕事するの大好きなんだよ~」

「憧れね」

「そう、憧れ! 夢とも言えるね~。戒ちゃんからはつまんなさそうに見えても、楽しんでるんだよ~」

 憧れで個人情報がバレバレになるというのも迷惑な話だ。だが、ウィンガーに目をつけられる佐伯が悪い、という論法も通ってしまう。さすがのウィンガーでも、日常生活において誰それ構わず調べることはしないだろう。

 ようやくこの男とも打ち解けてきたところで、私は窓からの景色を眺めた。家からここへは数十分であったが、あまり変わらないというのが外の感想だった。芸術的な、というには邪魔な物が多すぎる。だからといって、突然、太陽が二つあったり空が真っ赤だったりするような異世界に連れてかれるのは最悪な話だったので、ある意味この景色が正解なのかもしれない。

 野良猫が駐車場の中央を通りかかって、目の前にある車の下に隠れた。私も少し前までは、学校ではあの猫と同じであった。集団にはいる事を拒絶し、野良として生きてきた。誰からも首輪をつけられず、自分だけの力を信じて生きてきた。日差しから、太陽から隠れた。

 今では変なファミリーに囲まれている。全員が人間の姿をした別の生き物で、何よりも人間らしいファミリーだ。ファミリーといっても三人程度の規模だが。

 ファミリーの中で父親が、公史「君」と子供のように呼ばれているのは面白みがあった。変な違和感はあったが、父にはその呼び名がふさわしく思えた。

 退屈な時間は、外の景色を豪華な物へと変える程の力を持っている。芸術的ではないが、雲の形を見るだけでも面白いものだ。自然観察、というのを幼い頃強制的にやらされたことがある。非常につまらなかったが、今は、少しは楽しいと思えるかもしれない。待つというのは本当に苦手だ。

 同じように退屈そうにしているウィンガーは、マンションをずっと見ている。集中しているだろうが、構うことなくに声をかけてみた。

「佐伯って女、どう思う」

 私は、私と同じように暇そうにしているウィンガーに話しかけた。

「会った事はないんだけどね~。なんか、あまり良い印象ないなあ。だって同じ仲間をたぶらかして愉快な思いしてるんだろ~。はっきりいって、許されねえよ」

 伸びたような口調が止まった。厳しく、ウィンガーはそう言った。

「俺は女なら無条件で好きなんだけどね~。佐伯って女だけは、腹が立つね~」

 すぐに元の調子へと戻った。

 私と同じ意見だった。多分、彼も人並みの正義感だけが理由で嫌っている訳じゃないだろう。そう信じたい。近藤ファミリーに、人並みの正義感という言葉は似合わないからだ。

「私は、好きじゃない。地獄に落ちろと思う」

 理由を訊かれると渋ったが、ウィンガーは追求してこなかった。

 私は直感で人を嫌う。これは良くも悪くも、である。反対に、直感で人を認める事もある。これもまた、良くも悪くも。

 佐伯の場合、直感で人を嫌うにあたった。……多分、自分でも分からない理由が確かに存在して、私は直感という言葉以外で表すことができないのかもしれない。だから便宜的に直感と使うことにする。

 冷静に分析しているうちに、ウィンガーが声を出した。

「あれ、まさかケルヴィンかな」

 再び伸びたような口調は無くなる。驚いているみたいだった。

「確かケルヴィンは戒ちゃんの家にいたよね~」

 家を出る時、母がお弁当はいるかどうか聞いてきて、いらないと手を横に振った時に指の隙間からケルヴィンの姿が見えたのだった。

「玄関を出る頃には確かにいた。お前は見なかったの」

「車でお出迎えしにきただけだから見てないよ~。何してるんだろうね」

 私はケルヴィンを注意深く観察した。

 ほぼウィンガーと同じ時に、ケルヴィンの右手にナイフが握られている事が分かった。二人して声を出したのだ。

「ケルヴィン、まさか」

「間違いない、うんびっくりするほど間違いない。多分佐伯を殺すつもりだよ。もしくはその彼氏。でも、彼氏は別れたってケルヴィンが言ってたんだけどな、おかしいな」

「じゃあ、やっぱり佐伯を殺しにきたんじゃないの」

 そう、あの後すぐに佐伯は彼氏と別れたのだ。能力を持っているから、という理由で。

「恋人を殺すのかな」

 ウィンガーは恋という障害のせいで悩まされたが、時間をかけずに頷いた。

「間違いない。佐伯を殺すんだね。まいったね、こりゃ」

 私はドアを開けて外へ出ようとしたが、車にはロックがかかっていてすぐに出られなかった。

「ロックを解除して」

「待った」

 タイミングが悪く、佐伯の姿が見え始めた。ケルヴィンはマンションの中へ入り、入り口付近の死角へと隠れたみたいである。

「殺される!」

「ここは俺に任せて」

 すると、自分一人だけ表へ出て、佐伯の所へと近寄った。私はウィンドウを開けて、耳だけ立てて何を話しているのか聞くだけに集中した。

「やあ、お嬢さん。実はさっき自動販売機のスロットに当たって、ジュースが二本出たのさ。これは君にあげるためだって、気づいたのはたった今さ」

 佐伯は困惑しているようであった。当たり前だ。

「神様、そして僕、二人からのプレゼントということで受け取ってくれ」

「あ、ありがとうございます。……面白い人ですね」

「あの自動販売機に言ってくれ」

 まるで別人のように思えた。砕けたような口調は一切見られない。ウィンガーは人格を複数併せ持つエキスパードなのだろうか。それとも、昔の忍者は人格を上手く使い分けていたのだろうか。

「ところで今晩どうだい。素敵な店があるんだがね」

「それならご一緒、しようかな」

 二人の足音が車に近づいた。何を考えているのか分からないウィンガーのその行動に腹が立つ思いをしている。車に足音が近づいてくることは私を焦らせた。私は何をすればいいのか一切教えてもらってない。ナンパして車に誘い込んだらそこに女がいる。私はどういう表情を作ればよいのか、さっぱり分からなかった。

 後もう少しで車の所に来るというところで、ゆったりと歩く二人の足音ともう一つ、走りながら車に近づく足音が聞こえた。

 何が起きているのかさっぱりわからない! 事態は私を差し置いて進みすぎではないか。

 佐伯の小さな悲鳴と、床に落ちる物の音と、男の呻き声と、地面に人間が転がる音が聞こえた。

「どういうつもりだ」

 ケルヴィンの声でそう言った。

「これは、どういうことだ」

「やあやあ。この子の元彼かい? いやあ残念だね。この子は僕がもらっていく事にするよ。ディナーの招待に受け取ったのさ」

 ひっ、とまた佐伯の悲鳴が聞こえた。先ほどよりも切羽詰まったように、絞り出したような声だった。

 さすがの私もウィンドーから外を見られずにはいなかった。

 不思議な光景がそこにはあった。ナイフを手にして、佐伯を人質のように取っているウィンガー。その彼を睨むケルヴィン

 ほんと、何してんの。

「それ以上近づくならこの子を殺そう。大人しく引くのが賢明な判断だと思うけどねえ」

 ウィンガーは心底頭が悪いと思った。もしこれが本当にナンパで、修羅場の彼氏を撒くことができると思っているならば、日本でやるべきではない。

 それに、ケルヴィンはその女を殺しにきたのだ。ウィンガーは何を狙っているのだ。

「ケルヴィン……」

 私は横から見ているから分からないが、佐伯はケルヴィンに助けを求めるような視線を送っているのがわかる。

 少し愉快だった。ケルヴィンはあんたを助けない。

「ゲスが」

 ケルヴィンは言葉を放った。

 ――と同時に、なんとナイフをウィンガーの足元に向けて放ったのだ。

 見事にナイフはウィンガーの足元へ飛び、驚いた演技のような真似事をしたウィンガーは佐伯を放した。ケルヴィンは走りながらウィンガーに近づき、右腕でフックを決めた。顔の前で肘を曲げそれを受け止めたウィンガーだったが、ケルヴィンはその腕を掴み、力強く引っ張った。

「うぉっとっとっと!」

 咄嗟に猫背になったウィンガーのその背中に、ケルヴィンは肘打ちを決めて、ノックダウン。多分意識はあるが、ウィンガーは地面に伏せたままだった。

 段々と何がしたいのか分かってきた。今までの演技の理由も含め。

「ケルヴィン、強い」

 佐伯はそう言った。

 ケルヴィンは応えず、佐伯を通り過ぎようとした。アクシデントの発生で、佐伯を殺す気が失せたのだろうか。なんにせよ、面倒な事にならずに済んだことは僥倖だった。

「待って」

 佐伯はまた声を出した。面倒くさい女だということはすぐに分かった。

「またもう一度やり直そう」

 ケルヴィンの足が止まった。私は呆れた。

「お前は私を裏切った。恋人ごっこはもうやめだ」

「もう二度と、嘘なんてつかないし他の男にも目を向けない。だから――」

 車のドアが開き、ウィンガーが乗り込んだ。倒れたのはやはり演技だったらしい。

「間抜けな演技だった」

「迫真だったろ~。それよりどうよ、あの二人、上手くいくんじゃないかな~」

 私は三流の恋愛映画を見る気分のまま、二人の鑑賞を再開した。

「本当に私を裏切らないか」

 そうえいば、近藤の話で、ケルヴィンは佐伯の前では口調を変えているという話があった。今は元の口調に戻っているが、佐伯はその事を気にしている様子はなかった。

「うん、約束する」

 ケルヴィンは佐伯の方へ向き直った。私はケルヴィンにまで腹が立ってきた。この男、あまりにも単純すぎる。

 私は全ての思いを溜息として吐き出した。子供の見世物だ。

「ケルヴィンにとって佐伯ってそれくらいの人だったんじゃないかな~」

 ウィンガーは、まだ二人の様子を見ながらそういっている。早く車を出さないかな、と私はむしゃくしゃしている。

「ケルヴィンは熱い情熱を秘めてる男だからね~。こういうのに弱いんだろうねぇ」

 車にエンジンがかかった。私はようやく気持ち悪い空間から抜け出せるのかと安堵した。

「なんにせよ、作戦成功。佐伯って女は嫌いだけど、やっぱりケルヴィンはあの女に尽くすと思って、そう仕向けたのさ~。佐伯は能力者を煽ってきた容疑者だけど、いっぺん怖い思いさせてやったからもうしないだろうしね~。多分、あのお誘い、俺がコンサイバーだって知ったから乗ったんだろうな~」

 ふと、二人を見た。

「ウィンガー!」

 私は咄嗟に声をあげた。そして二人を見るように指した。アクセルペダルを踏む前に。


「どういう……ことだ、菜々。裏切らないって……」

 倒れるケルヴィンの前で屈んで、勝ち誇ったような笑みを佐伯は浮かべた。その口から言う言葉は、卑劣だった。

「『私、あの人とは別れたの。だからもう一度話がしたいから、私の家まできて』……。それ言ったの、昨日よね。今日言ったわけじゃないわぁ。だから裏切ってないし、これからも裏切る事はできない。なぜなら、あなたはもう死ぬのよ」

「残念だあ元カレ君」

 出てきたのは、腕を槍のように変形させた男であった。フェンシングに使う道具のように先端は細い。先端には血が滴っている。

「これは菜々からの命令だからなあ、俺を恨むなよ」

「待て、ま、て」

 ケルヴィンは助けを求めるように辺りを見渡す。


 私達は、一斉にドアを開けて外に飛び出した。ウィンガーは二本の小刃を男の脇腹に向けて投げ、風に乗るように飛んだその小刀は見事に命中した。佐伯とその男は突然現れた二人に驚き、ケルヴィンから距離を取った。男は脇腹を押さえている。

「なんなのよ!」

 佐伯は男の背後に隠れた。

「あ、あなたさっきの」

 ウィンガーを見るなり、佐伯は言った。

「ごめんねえお嬢さん。俺ぁちょっくら特殊なコンサイバーでねえ。そこらへんのとは違うのよ。とりあえずそうだなあ、二人ともころっとさせてもらおうかあ!」

 ウィンガーは再び取り出した小刀を、二人喉元狙って投げた。ウィンガーはどうやら二人を殺す気のようだった。

 しかし、驚くべき出来事が起きた。

「菜々、お前ッ?!」

 男は佐伯の盾になった。だが、それは彼の意図したことではない。佐伯は男を盾にしたのだった。男の喉と胸にナイフが刺さり、地面に横たわった。血が溢れ出した。

 佐伯は後ろを向いて逃げ出した。

「戒ちゃん、追って! あの女、逃がしちゃいけないよ!」

 返事をする前に私は女を追い始めた。筋肉痛で足が動きづらいが、気にしている暇はなかった。

 あの女にはいっぺん、苦しんでもらわなければ困る。

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