第十九話
何度目かのトンネルで、そろそろ三人のお腹の都合が分かり始める頃となってきた。絶景も何もない退屈な道のりは、空腹を思い出させていたのだった。
「ここからもう少し走るとパーキングエリアがあったな。そこで何か食べ物でもとらないか」
言い出したのは運転している公史だ。彼もまた代わり映えしない風景に飽き始めていたのだった。
「賛成するわ。ケルヴィンは?」
「うむ」
公史は先ほどまでケルヴィンと話していたことを反芻していた。
ケルヴィンは能力があるから、という理由で恋人を失うことになった。そこでケルヴィンは能力を無くしてしまえば、また元通りに仲が戻ると考え、そこで戒に頼ってきたという。
今こうして車を走らせているのは、恋人の元へ戻るためだという。もし成功すれば感動の場面が待っているが、その逆も然り。
移動してる最中、車内の会話はほぼなかった。普段なら近藤と公史は話し合っているが、会議を許さない空気が漂っていた。公史はウィンドーを開けるためにスイッチに指を触れさせたが、結局押さなかった。
「何を食べようか」
子供でも話せる簡単な話題を出したのは、意外にもケルヴィンだった。
「そうねえ。今はパスタの気分ね」
「イタリアンな店があればいいな。俺は美味しそうなのがありゃなんでもいい」
「あなたってもしかして、奥さんから『今日の夜何がいい』って聞かれて、なんでもいいって答えるタイプの人?」
「悪いか」
「その癖直した方がいいわよ」
「なんでさ」
「単に面倒くさいからよ。そういう人に限って何か出すとこれじゃないって言うんだから。そのうち怒られるわよ」
「別にいいだろうよ毎日言ってるわけじゃあるまいし。それに本当になんでもいい時はそう答えるしかないだろ」
「思考停止っていうのよ。自分が何を食べたいのかも分からないだなんて」
公史は、日常生活の話をここでするというのは斬新だと思った。口を開けば仕事、任務、雑務といった子供ではできない話題ばかりを話し合っていたからだ。あからさまに説教されているが、公史は嫌な顔はせず、笑って対応した。
「お前こそ、欲張りすぎな時もある」
「人間は欲があってなんぼよ」
ケルヴィンは窓の外を見ているが、先ほどまでの憂鬱そうな顔はなかった。口が若干、上がっているように見えた。
パーキングエリアに付くと、車の言うとおりに駐車場に車を停止させ、外へ出た。二時間程はもう乗っていたので、空気が心地よかった。
「和食だな」
ケルヴィンはスナックに目を向けて言った。
新城パーキングエリアには情報提供屋とショッピング、和食処しかなく、近藤の食べたがっていたイタリアンな料理屋はなかった。
「気分じゃないけど、仕方ないわね」
店内は典型的な和食屋の構成になっていて、テーブル席がいくつかある。店員に三名と告げると、丁寧な接客で四人席の机へ案内された。
どうやらここの店の得意とする料理は十割そばと書かれた品物らしく、メニュー表を見ても主張が大きいことが伺えた。店の前にも旗が出ていた。
団体客が少ないこのパーキングエリアは客席も少なく、至って静かな空気の中での食事となった。食べている最中は、最初こそ美味しいなと口々に言っていたが、そのうち食べることだけに集中し始め、蕎麦を啜る音だけが大きく響いていた。
途中、ケルヴィンが用を足しに席を離れた。
「後で少し話があるの。連続殺人事件のことよ」
近藤は顔を近づけ小声で言った。
「何かあったのか」
「まだ予測。だけど、もしかしたらって思って」
「分かった。ケルヴィンの前じゃだめな理由でもあるのか」
ケルヴィンが席を立ったことを見計らったのは確実であった。公史は理由が分からず尋ねた。
「うん。あるわ。だけど後で話してる時に分かると思う」
近藤が目を俺の背後にやった。彼が戻ってきたことを知らせる合図みたいにして、顔を離した。彼は内緒話をしていた事に気付かなかったらしく、何もきいてこなかった。
食事が終えると、公史は喫煙所にいくと申し出て近藤も付いていくことになった。ケルヴィンは律儀にも車の中で待ってくれる、とのことだった。
喫煙所にはいったが、結局二人とも煙草を出すことはなく話をし始めた。
「ドライブの最中、何考えてたんだ」
「ケルヴィンの話の最中、彼がコンサイバーを殺したっていうシーンがあったでしょ」
「そのことなら大丈夫だ。ギリギリ過剰防衛じゃないから、俺は処刑対象にするつもりはない」
「そういうことじゃないの。あなた、今回の事件の謎がどうして解けないか覚えてるわよね」
「当たり前だろう。コンサイバーがコンサイバーを殺すのは考えられない。仲間意識が強いっていうか――あれ」
公史は言葉にしてようやく気がついた。むしろなんで気付かなかったのだ、と自分を叱責するように頭を手で支えるように乗せた。
謎の一つであった、コンサイバーがコンサイバーを殺すという事案が発生しているではないか。
「俺は疲れてる」
「そうでしょうね。そもそもこの日本で清掃員に自分から話を掛けにいく時点で変な話なのよ。道を尋ねるなら一般人でもいいわ。抵抗があるなら、職員でもいいし、というよりよほどの機械音痴な若者じゃなければ携帯操作で調べることだってできる。可愛さを気取って機械音痴を演じてるなら大したものだけれど」
「納得だ。これからケルヴィンが会いにいく女が怪しいってこったな」
「そういうこと。もし女が東京にいるなら様子を見るわよ」
公史は念のため煙草を一つ吸って喫煙所から出ることにした。喫煙所にいくといいながら煙草の匂いをつけずに帰るのは、確実に怪しまれるだろう。
「俺煙草苦手なんだ。吸ってくれないか」
「やあよ。ヤニ臭いなんて言われたくないもの」
自動販売機から煙草を購入して、我慢しながら煙草を吸うと車に戻った。煙草は苦手なのだ。
「待たせたな」
ケルヴィンは窓にもたれかかるようにして寝ていた。食後で、車の温度は心地よく、確かに睡眠を取るには打ってつけの状況であった。
車はパーキングエリアを出発し、再び変わらない風景を走ることとなった。
左手側にうつる富士山を眺めながら運転していくと、あまり時間を経ずして新東名高速道路から東名高速道路へと切り替わった。神奈川、東京を結ぶ高速道路はさすがの休日で混み入っていた。何も変わらない背景ではなく止まってしまった背景になり、うんざりしながら渋滞に巻き込まれた。
「これだから都会の高速は嫌いなんだ」
近藤に話しかけたのだが、早々に退屈を察したのか目を閉じて寝ていた。なんとも幸せそうな顔が、公史を複雑な気分にさせた。
予定時間よりも一時間程遅れて東京に着いた頃には、既に夕方になっていた。公史は車に常備しているコーヒーを飲んで運転していたが、さすがに集中力が切れて眠気がある。
ケルヴィンは車から降り、ドアを閉めた。
「ありがとう。恩をどう返せばいいか分からないが、いつか返してやりたい」
「私達にはいいのよ。戒ちゃんに聞かせてあげたかったわね、その言葉」
ケルヴィンは頷いた。向こう側にいた車が発車し、ケルヴィンは邪魔にならないように退いた。
「戒にも伝えておいてほしい。あの言葉を」
「もちろんだ。元気でな」
駅とは反対方向の道をケルヴィンは歩き始めた。良いクライマックスで、公史はこのまま帰るべきだと思ったが、近藤はドアを開けて表へ出た。
「ちょっと考え過ぎなんじゃないか。偶然かもしれない。俺はこのまま帰ってもいいと思うんだが」
「ただ帰りたいだけでしょ」
「うん、まあ」
近藤は意外な事に「それもいいかもね」と言った。
「今戒ちゃんの家は人が少ないから、万が一危険が迫ったところで助けてくれる人はいないし、あなたはむしろ帰った方がいいかも。二人で行動するのもいいけど、あなたの奥さんに何を思われるか分からないし」
莢江は近藤との交流を認めていたし、嫌な顔を一切しなかったが、一日中一緒となると嫉妬が生まれるかもしれない。
「帰って戒ちゃんの様子を見てきて。私はなにかあったら連絡するわ」
「了解。上手くやれよ。それと、あまりプライベートに突っ込みすぎるなよ」
「当たり前じゃない」
じゃね、と手を振って近藤は車から遠ざかった。公史はボックスにしまわれたコーヒーを飲んで、再び車を走らせた。
渋滞で公史がイライラしていると、携帯が鳴った。近藤からの着信だとすぐに察しがついた。公史は着信を車と接続し、備え付けのマイクに向かって声を出した。片手運転をする必要がなく、彼はこのシステムを重宝していた。
「連絡が早くて助かる」
二人は別れてまだ一時間しか経っていなかった。
「今すぐ戻ってこれそうかしら」
「どういうことだ」
「どうやら彼女、東京じゃなくて岐阜の方にいるみたいなのよ。ケルヴィンは別に大丈夫っていってるんだけど」
公史は演技がかった残念そうな口調で返した。
「申し訳ないな今は高速道路でな、しかも渋滞してて無理なんだ。いやあ本当に悪いと思ってる」
「じゃあのらりくらり散歩してるから、高速道路が出たら周回して戻ってきなさい。最悪ビジネスホテルに泊まることも考えておくわ」
コーヒーの効果はまだ続いているが、公史は既に切れている事を疑った。
「ケルヴィンはお前がついてきたことに何か言わなかったのか」
「言ったわよ。だけど私は、心配だからついてきたってことにしたわ」
「過保護な親みたいだって言われなかったか」
「似たような事を言われたわ」
サイドミラーに映る光景を見て、公史はマイクに向かって告げた。
「そっちに着くにはまだ時間がかかりそうだ。夜になる事を想定して、二人で夜食でも取ってくるといい。まったくよ、今日も夜中帰りだ」
「夜の男って言葉がお似合いね」
通話を切ると、公史は座席に深くもたれかかった。何もかもやる気を失ったようにハンドルに突っ伏し、ちくしょう、と呟いた。




