第十五話
「戒、私からもお願いだ……。この能力を消してくれ」
美奈の目には涙が溜まっていた。
「黙っててごめん。私、本当ダメな奴だよな。親友を今まで裏切ってたんだぜ。
戒が辛そうになってるのを見て、私も辛かった。本当にごめん」
許しをせがむような言い方をしなかった。許さないで欲しい、とも見えた。彼女は私に背中を向けて離れたからだ。私から言葉を求めていないことはすぐに分かった。
「責任感の強い友達ね」
近藤は淡々と感想を述べた。美奈にもその声は聞こえるだろうに、何も反応をしなかった。
美奈の口から、嘘は嫌いだという言葉を聞いたことがある。裏切りも嘘も同じだろう。あれは、彼女は自分に言っていたのだろうか。
私は裏切られていた事に何も感じなかった。彼女のグロテスクに変形した腕を見せられたところで、彼女を変に扱うことはないだろう。しかし彼女は恐れた。「私がこの能力を持っている事を知ってて、だから私の側にいたの」
美奈に語りかけた。彼女は頷いた。
一年前から既に、近藤は噂を広めていたらしい。友達を全て捨ててまでして私に付いた美奈の心理は実に人間らしいものであった。
「能力消してくれなんて、都合良すぎるよな」
私は二度と触れないと誓った剣に近づいた。その様子を他の三人は黙って見ていた。
私は迷いを消し、剣を握った。
私の世界に緊張が走り、静電気を浴びたかのように体に感覚が流れこむ。
「戒! 無理しちゃいけない!」
美奈がそう叫び、私の体を剣から離そうとする。私は両手で剣を握り、離れないように力を込めた。
次から次へと流れこむ。次第に美奈の声が聞こえなくなる。
見たことのない景色。
聞いたことのない声。
そして、感じたことのない感覚が群をなして私を襲い、脳を侵す。私は恐れなかった。
限界が近づいていることに気づいた。目の前がぼんやりと、フェードアウトするように暗くなり始める。苦痛が無くなってきて、私は宙に浮く気分でいる。美奈に体を支えられる重みすらない。
脳に爆発音が響き大きな衝撃を食らったかと思えば、私は意識を失った。
最後に青い服を着た男が見えたことを私は覚えている。
目を覚ますと、見慣れない天井があった。不規則に線が並び、線を追っても終わりがなく後ろの方まで続いている。背中から感じる柔らかさは、ここがベッドの上であることを私に教えてくれた。律儀に枕まである。
「戒!」
声が頭に響いた。開きかけた目は細くなった。
「あ、ごめん……。大丈夫か?」
美奈は私の顔を覗きこんでいた。
「少し頭痛がする。それに、まるで体が自分のじゃないみたいに軽い」
頭痛はするが、体は軽いといった滅多にない状況だった。腕を動かしても、薬を飲んだかのように軽い。美奈が手を握っていることに気付かなかったのはそのせいだろうか。
「無事そうならよかったぜ……なあ、戒、私のために剣を握ってくれたのか?」
私は意識を失う前、何をしていたのかを思い出した。
「分からない」
あの時、私は美奈の能力を消してやりたいと思う気持ちがあって剣を握った事は覚えているが、理由は他にもあった。
美奈の涙が、コンサイバー全員の涙に見えたのだった。
美奈は私の分からない、という言葉を照れ隠しであると受け取った。
「ありがとな」
「美奈、能力を消すのはいいが一つ条件がある」
「なんだ?」
美奈は真剣な顔つきになった。条件と聞いて、嫌がる素振りはみせない。彼女は裏切りの事を本気で悔やんでいるようだった。
「能力を消しても、私の側を離れないこと」
美奈は驚いて顔つきをいつもの美奈に戻した。
「で、でも裏切り者で、親友を利用しようとしてんだぜ。馬鹿な私でも罪だってことは分かる……」
「一人が寂しい事って私に言ったのは美奈。忘れた?」
美奈が私の右腕になろうと躍起になって言った言葉だった。一人じゃ絶対寂しいし、何もできない。今思えば、本当であった。寂しいと感じるかは別として、一匹狼だった頃は物足りなさがあった。美奈と冴が来てから無くなったが。
「覚えててくれたのか」
感情の上下が激しい美奈はまた涙ぐんだ。
音を立てて扉が開き、近藤の姿が目に入った。扉は右側にあるらしい。今更になって辺りを見渡してみると、同じようなベッドが二、三台あった。多分ここは病院だ。
「調子はどう?」
近藤にしては月並みな台詞だと感じた。
「頭痛さえなんとかなれば後はいい。ところで、ここはどこ」
「まだリンボよ。一応あれから一日経ってるけど、帰れそうなら帰るわよ。さすがにお腹空いてきちゃったし」
まだ島の中にいる、と聞いて納得するのは早かった。病院だが、静けさが充満している。
近藤は剣を差し出した。
「触ってみて」
私はすぐには触れなかったが、間を置いて呼吸を整えると柄を強く握った。
何も起こらなかった。脳には何も流れ込まずに、ただ剣の重みを実感するだけだ。内心だけに留まらず、溜息が出るほど安堵した。
「ケルヴィンが待ってるけど、まだ頭痛がするなら日本に帰ってからにしましょ。あまり長い間ここには入れないわ。滅妄真が無くなっていることに気づかれるのは時間の問題。急いで脱出するわよ」
私は起き上がり、横に開く扉から表へ出た。ここは二階で、外にでるまでに階段を下りなければならず、一段降りるごとに頭に響いた。
外にはケルヴィンとウィンガーが待っており、ウィンガーは拍手をした。
「レディ、あんたはえらいよ~! 俺、てっきりまた逃げ出すかと思ったら、本当にやり遂げた! 立派だ。誇っていい」
ケルヴィンも首を縦に振った。剣を触るだけでここまで褒められるということは、やはり相応の刺激だったという訳だ。だが、まだ自分自身を褒めることはできない。この苦痛は始まりでしかないと分かっていた。
「じゃあ逃げるわよ。フェリーは?」
「ありますぜ! ひゃ~、またハラハラドキドキタイムかあ」
私は剣をどこにしまえばいいのか分からず、手で持ちながら歩いていると後ろを歩くケルヴィンに突っ込みを入れられた。
「鞘はないのか」
言葉に反応したのは近藤だった。
「あ、ごめんごめん渡し忘れてた。はいこれ、ベルトもあるわよ」
先ほどよりも見栄えよく歩く事ができているとだろう。ベルトで剣を腰に固定し、剣士のように歩くことができた。多分、男ならこういうのをかっこいいと思えるだろうが、歩きづらいし少し重いしで迷惑であった。
「日本に持ち帰れない。これじゃ飛行機に乗れないんじゃない」
飛行機は厳重な荷物検査の元行われる。日本へ戻る際、この剣は必ずいつか引っ掛かるだろう。その対策をどうするのか、私には興味があった。
「大丈夫。飛行機の中には持っていけないけど、スーツケースの中に閉まって送り込めば平気よ。何かしら申請を求められたらその時は適当に見繕っておけばいいわ。その時は偽名を使わないとね」
よく考えれば、日本の刀なのに日本に持っていけないというのは捻くれた話であった。それくらいの愛国心は航空会社はあるという訳だ。
ボートに乗り込むと、潮の香りが懐かしく良い香りのように思えた。少し頭痛を緩和した。
「戒ちゃん、ケルヴィンと美奈ちゃんの能力を消した後、少し手伝って欲しいことがあるのよ」
「なんだ」
「どうやらコンサイバーの中で、同じコンサイバーを煽ってる人、もしくは人たちがいるみたいなの。最近話題の連続殺人事件は知ってるでしょ。この前も話したし」
苅田とかいう男がよく知っていたあの事件だ。
「どうしてコンサイバーの仕業だって?」
「根拠はあるわ。だけど、ちょっと特殊な情報だから話せない。でも私が言うことって、もう全部裏を取ってあるって考えてもいいわ。信憑性は百パーセント」
近藤は信じて下さい、とお願いした後、今度の事件を彼女の主観を交えず長々と語り始めた。ボートの音が静かなので、聞き取りやすい。
「今度の事件、何やらおかしいのよね。コンサイバーがコンサイバーを殺してるのよ」
「どういうこと」
「それが分からないのよね。事件の被害者は全員コンサイバー。犯人は確実に殺害の意志を持って犯罪をしてるんだけど、元々私達コンサイバーは仲間意識が強いの。同じ仲間だからね。だから尚更不思議ってこと。で、犯人は毎回違う。これがまた不思議よね。戒ちゃんにはこの事件の解決に付き合って欲しいのよ」
「私は頭をつかうのは好きじゃない」
勝手に解決すればいい、という気分であった。
「あなたの力が必要なの」
だろうと思った、と言いたい気分だった。直感が当たるのは珍しくない。
「コンサイバーを煽っているっていうのは?」
「まだ仮説の段階なんだけどね、多分一連の事件で認知されているコンサイバーは、ある意味全員が被害者なんじゃないかって考えてる。つまり、本当の容疑者がいるって。コンサイバー同士を殺害させている存在がいるんじゃないかってね。
コンサイバーが同種だと気づくには相応の能力か感覚が必要。まず人間にコンサイバーだって気づく事はできないから、一般人を容疑者にはできないわ」
「例の組織じゃないの」
「違う。これも根拠はあるんだけど秘密」
秘密にしてくれるのはむしろ助かった。これ以上情報量を与えられては、潮の香りで緩和された頭痛がまた酷くなる。
「私は容疑者の能力は、コンサイバーを判別する能力、もしくはコンサイバーを煽る能力だと思ってるわ。どちらにせよ能力を消せば解決する事件だから、やっぱりあなたの力が必要よ」
フェリーは広大な海を次へ次へと進んでいった。しかし、まだ陸につくには時間がかかるだろう。話を終えた私は寝そべった。
剣を握った時に見えた青い服の男は誰だろうか。顔は覚えているが、誰であるかは名前すら想像がつかなかった。




