インターミッション
私は夢を見ている。
幻想的にすら思える、美しい日の夢を。
夕暮れの六月。北海道・支笏湖の湖畔。
私の家族と、春人君の家族が一緒にキャンプに訪れた日。
私の目の前には、麦わら帽子を被り、白いワンピースを着た八歳の「幼い私」がいる。
「幼い私」は、私に気付くことなく、花を眺めたりしながら一人で林の方へ歩いて行く。
しばらく歩くと、「幼い私」は可愛らしい生き物と対面する。キタキツネだ。
「幼い私」は好奇心で輝いた瞳をキタキツネに向けている。そして、ポケットからクッキーを取り出すと、キタキツネに食べさせようと手を差し出す。
野生のキタキツネに触るなど、毒蛇に手を差し出す事と同じなのに、「幼い私」はそれをまだ知らない。
その光景を、私は肝を冷やしながら見ることしかできない。
徐々に近づく手と口。
その時だ。
「だめだよ! 由夏ちゃん、すぐにキツネから離れて!」
背後から聞こえた叫び声に、「私達」は同時に振り向く。
必死の形相でこちらに向かって走って来る、黒のトレーナー姿の一人の男の子。
その幼い男の子の姿に、私は胸が愛しさでいっぱいになる。
「どうしたの? 春人君ったら。キタキツネがいたから、クッキーあげようとしただけだよ」
「幼い私」が春人君に向かって声を張り上げる。
そうするうちに、キタキツネは林の中に逃げて行く。
やがて「幼い私」の元にたどり着くと、春人君は左手で彼女の右腕をつかむ。
「何? どうしたのよ?」
大人しい春人君には似つかない荒い言動。
「いいから、おいで!」
春人君は有無を言わさず「幼い私」を強引に引っ張って行く。
彼らは藤色に輝く湖に向かってひたすら走る。
私も彼らを追って走り出す。
私が彼らを追いかけているうちに、目から止めどなく溢れて出る涙。その涙で、夕陽が滲む。
そして、私は願った。
『その手を離さないで。そして、連れて行って……ずっと遠くに。誰も追いかけて来られないくらい遠いに……お願い! 春人君!』
ーーーーーー
私は泣きながら目を覚ました。
馴れないベッドの感触。
濡れた枕。
窓から射し込む人工の光。
ここが春人君の家の客間だと思い出すのに、どれくらいかかっただろう。
ようやく冷静になると、私は起き上がって常夜灯を点ける。
淡い橙色の明かりの中で、目元に手を当てる。
涙の跡が出来ているのがすぐにわかった。
私は立ち上がって、ゆっくりとドアを開けると、静かに廊下を進んで洗面台がある脱衣室に向かう。
脱衣室に入ると、湿り気を帯びた空気と石鹸の香りを感じながら奥に進む。
私は洗面台の明かりを点けると、蛇口をひねり水を出す。
両手に水を受けて、数回、顔に浴びせかけた。
顔を洗い終えると、近くに置かれたタオルを取って顔を拭く。
タオルに覆われた暗い視界の中、私はある事を思い、動きを止める。
そして、ゆっくりと両手でタオルを下ろし、解放された視界を洗面台の鏡に向ける。
そこに明瞭に映る自分の顔を見つめる。
「……美人ですこと……」
思った事を、嫌悪感を込めて口にした。
第七話に続く。