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第五話

 由夏と春人は、ゲームセンターで職務質問した警察官に連れられて、警察署の青少年を担当する部署にやって来た。


 二人が通されたのは、部署の奥に設けられた、白い天井と淡い黄緑色の壁、グレーのタイルの六畳程の広さの部屋だった。その入口の側にはパーテーションが立てられ、中央には丸いウッドテーブルとデスクチェアが置かれていた。


「二人とも座って」


 警察官が促すと、二人はデスクチェアを引いてそれに座った。


 由夏は幾分気落ちしていたのに対して、春人は落ち着き払っていた。


 警察官はデスクチェアに座ると、テーブルを挟んで二人に向き合った。


「取調室に連れて行かれると思ったかしら? 緊張しなくていいわよ。ちょっと、お話を聞かせてね」


 警察官は調書を作成するために二人に質問し始めた。まず二人に個人の情報を尋ねると、次に家庭のことに話が及んだ。


「長谷川さんのご家族は札幌にいらっしゃるの?」


「はい。今は父と二人で暮らしています。(わたくし)の両親は五年前に離婚いたしまして、親権は父が持っております」


「お父様は今、ご自宅に?」


「いいえ。父は昨日からロシアに出張中です。予定ですと、今日はユジノに……ユジノサハリンスクに滞在しているはずです」


 警察官の質問に答える由夏は、普段よりやや高い声で話していた。


 それを横で聞いていた春人は、その大人びた口調に聞き覚えがあった。「別の誰か」の話し方に。


 警察官は調書に由夏の供述を記入すると、顔を彼女に向けた。


「一応、ご自宅とお父様の携帯電話に電話をかけてみるけれど……ちなみにお母様は……」


「『彼女』のことは何も知りません」


 警察官が言い終わる前に、由夏はそれまでより低い声で淡々と返答した。


 母親のことを「彼女」と呼ぶ。日本語では不自然な表現をした由夏の事情を察したのか、警察官はそれ以上のことは控えた。


「伊藤さん、あなたが新宿に来ていることは、保護者の方はご存知なの?」


 警察官は視線を右に移すと、春人に問いかけた。


「はい。母が知っています。ただ、彼女が東京に来ていることは知りません」


「あたたたちは、いつからお知り合いなの?」


「五歳の時です。母も彼女のことをよく知っています」


「それで、あなたは長谷川さんがお父様の承諾なく……」


「違います! 彼には嘘をついていました。ですので、彼は何も関係ありません!」


 由夏は両手でテーブルをたたくと、大声を出して春人をかばおうとした。


「落ち着いて、由夏ちゃん」


 春人は右手を由夏の左肩に置くと、彼女を制した。


 由夏は春人の手の重さを肩に感じると、徐に両手を下ろした。


 春人は右手を戻すと警察官に向き直り、一度大きく息を吸った。


「僕は全部知っていました。彼女が家出して来たことを。ですから、僕にも責任があります」


 乾いた空気を伝って、由夏の耳に突き刺さる言葉。


 それが生じさせるめまいにも似た痛みに、彼女はまぶたを強く閉じた。


「……わかったわ。正直に話してくれて、ありがとう」


 警察官が置いた一拍が、神経過敏に陥っていた由夏には自省を促しているかに感じられた。


「それでは、あなたたちの保護者の方に連絡するから、少し待っていてね」


 警察官はそう告げると、部屋を出た。


 由夏と春人が残された部屋には、開け放たれたドアから外の雑音が流れ込んでいた。


 由夏は恐る恐る目を開けた。痺れる様な目の感覚の中にウッドテーブルの模様が認識され、由夏にはそれが、何かのキャラクターの顔に見えた。


「ふふっ……変なの……」


 由夏は鼻で笑うと、自らをあざけった。そして、春人に対して申し訳が立たないと自分を責めた。


 その時、テーブルを見つめる由夏の視界に、左からピンク色のウサギが現れた。


 〈あー、トートバッグの中は苦しかった。あれー、そこにいる美少女はもしかして由夏ちゃんかな?〉


 由夏は呆気に取られた。そこにいたのは、先程のゲームセンターで獲ろうとしたぬいぐるみだった。


 〈ひどいよ、由夏ちゃん! 僕のこと捕まえておいて、連れてくるの忘れるなんてさ〉


 そうだったと由夏は思い出した。ぬいぐるみをシュートに落とした途端、警察官に声をかけられ、回収していなかったことを。


 〈春人が気付いてくれなかったら、捨てられちゃうかもしれなかったんだよ〉


 由夏はぬいぐるみの首根っこを持つ左手を目でたどった。


 白いジャケットの袖に包まれた左腕。


 トートバッグの青い持ち手がかかった左肩。


 そして、柄じゃないおふざけに気恥ずかしさを湛えながらも、優しい眼差しを向ける春人。


「どうしてなの……」


 尚も悲しみを湛えた表情で由夏が問いかけた。


「だって、昨日言ったでしょ。『何度だって乗り越えて見せる』ってさ」


 そう言うと、春人はぬいぐるみを由夏の顔に近付けた。


 〈挫けないで元気を出して。運はきっと開けるよ〉


 そして、右手でぬいぐるみの手を持つと、その口元に当ててクイッと持ち上げた。


「一緒に笑おう」


 ぬいぐるみの向こうの、春人の少し首を傾けた笑顔が、気張った由夏の気持ちを自然と和ませた。


「何だかどこかで見たことがある気がする」


 優しい眼差しになった由夏がつぶやいた。


「『モダン・タイムス』のラストシーン」


「『モダン・タイムス』……あー、パクったな! ちょっと感動しちゃったしょや!」


「パクったとは失礼だな。オマージュと言ってほしいな」


「うっさい、映画マニア! こうしてやる!」


 そう言うと、由夏は両手で春人の頬っぺたをつまんで引っ張った。


「い、いたいよ、ゆかちゃん、やめてよ」


 口ではそう言いつつも、春人は好きな様にさせた。由夏に笑顔が戻ったから。


「二人とも仲が良いのね」


 ふざけ合っていた由夏と春人に、さっきの警察官の声が聞こえたので、二人は慌てて姿勢を正し、春人はぬいぐるみをトートバッグに隠した。


 警察官はコーヒーカップが三つ乗ったトレーを両手に持って、パーテーションの脇で彼らを見ていた。


「怒ってないから安心して。それに、もう聴取は終わったから」


 そう言うと、警察官は二人に歩み寄り、テーブルにトレーを置いてコーヒーカップを並べた。


 由夏と春人は小声で礼を言うと頭を下げた。


 警察官はデスクチェアに座ると二人を見据え、内ポケットから名刺を出した。


「私の名刺を渡しておくわね。何かあったら連絡して」


 由夏と春人は「瀬高亜希子」と氏名が書かれた名刺を恭しく受け取った。


「長谷川さんのお父様とは連絡がつかなかったけれど、伊藤さんのお母様と連絡が取れたわ。すぐにこちらに来てくださるそうよ」


 綾子が来る。その事実に由夏は嫌でも緊張した。


 すると、警察官はどうにも腑に落ちないといった表情をして、「それで、伊藤さんのお母様だけど、長谷川さんが東京に来ていることをご存知だったわよ」と告げた。


 警察官が言ったことに、由夏と春人は驚愕した。そして、お互いの顔を見合わせたが、状況をつかみかねていた。


 〔言ったの?〕と、由夏は目で問いかけた。


 それに対して春人は、信を乞う様に首を横に振った。


 由夏と春人のアイコンタクトを見ていた警察官は、「私が長谷川さんのことを説明する前に『由夏ちゃんもいるんですよね?』って仰っていたから、間違いないと思うけれど」と言った。


 その言葉を聞いて、警察官に顔を向けた二人の驚きは更に増していた。


「詳しくは警察署で話して下さるそうだから、それまで待ちましょう」


 警察官はコーヒーを二人に勧めると、自分も一口飲んだ。


「それで、あなたたちに伺いたいの。さっき、ゲームセンターで『私たちは義理の兄と妹です』って言ってたでしょ? もしかしたら、そのことと長谷川さんが一人で東京に来たことに関係があるんじゃないかと思ってね」


 警察官の問いかけに、由夏は一口飲み終えたブラックコーヒーのカップをテーブルに置き、春人は砂糖を溶かすマドラーの手を止めた。


「あっ、これは事情聴取じゃないから安心して。ただ、私も警察官として色んな子たちのことを見てきたわ。悩みを抱えている子たちを。だから、もし、あたたたちもそうなら……もちろん、話したくなければ話さなくていいわよ」


 二人は暫し考え込んだ。


 由夏は徐に春人に顔を向けた。すると、彼と目が合った。


 春人は由夏の目を見ながら首を縦に振った。


 そして、由夏も春人の目を見ながら同じ仕草をした。


「僕たちが五歳の時、彼女が東京から札幌に引っ越して来ました。母親同士が神奈川県出身で、中学時代からの友人でした。それで、家族ぐるみの付き合いをする様になりました」


 まず春人が話し出した。


「僕たちは同じ学校や塾に通ったことはありませんでした。会うのは月に数回だけでしたが、僕たちは一番の親友になりました」


「道理で仲が良いわけね」と、警察官が微笑みながら言った。


 すると、それまで自分の手を見つめながら静聴していた由夏が顔を上げた。


「ただ、その頃から私の両親の夫婦仲は次第に冷めていったのです。口論や暴力はなかったのですが、会話もしない、目も合わさない、用件があれば私を介して伝える。そんな有り様でした」


 由夏は一端、話し終えるとコーヒーを飲んだ。そして、ゆっくりと震える息を吐いた。


「そして、私たちが知らぬ間に、私の母と彼のお父様は……『男女の関係』になっていたのです」


 五年間の秘密は、絞り出す様な由夏の言葉で終りをとげた。


 ついにその時が来た。そう思いながら、春人は由夏に顔を向けた。


 由夏は表情では冷静さを保っていた。けれど、テーブルの下の両手は、震えを抑える様に強く握られていた。


 怒りか、悲しみか。必死に何かを堪えようとする由夏の姿が、春人の目に映った。


「そのことが知れると、僕たちの両親は離婚しました。僕は母と一緒に横浜に移り住み、彼女はお父様と札幌で暮らし続けました。それが五年前のことです」


 由夏に目を呉れながら、春人は話した。


「僕たちは横浜と札幌……離れ離れにはなりましたが、友情は変わりませんでした。ただ、後ろめたいものを抱えているんです。今もって」


「それは、どういうことかしら」と、警察官が尋ねた。


「全部……全部、「あの女」が悪いんです。彼とお母様から幸せを奪った……」


 由夏はうつむいて両腕を腿に突っ張り、両手をいっぱいに開きながら吐露した。


「違うよ! 由夏ちゃんと弘さんが苦しんだのも、みんな『あいつ』のせいなんだわ!」


 春人はコーヒーが溢れるほど強く左拳をテーブルに打ち付けて声を上げた。


「二人とも落ち着いて」


 警察官が右手を差し出して彼らをなだめた。


 由夏と春人は我に返ると、気まずく姿勢を正した。


「すみませんでした」


 春人がそう言うと、二人は頭を下げた。


「気にしないでいいわよ。慣れてるから」


 その物言いに、由夏は関心を持った。


「……その、よくいるんですか? 補導されても反抗的な人が」


 由夏は恐る恐る尋ねた。


「それは様々よ。大人しくなる子もいれば、荒々しい言動をする子もね。でも、みんな多かれ少なかれ悲しいものを抱えている」


 そう言うと、警察官は両腕をテーブルに置き、由夏と春人に顔を近付けた。


「実はね、私にもあなたたち位の年の子供がいるの。正直、あなたたちを見てると、私の子供にだぶるのよ」


「そうなんですか?」と、由夏が興味を示した。


「上の息子なんか、この前、家に訪ねてきた女の子に一目惚れしちゃってね。それで、せっかくその女の子と仲良くなったのにケンカして、もう顔も見たくないとか言ってね。かと思えば、また会いたいよって言い出したり」


「面白いですね」


「由夏ちゃん、失礼だよ」


 春人は内心では面白いと思いつつも、由夏に注意した。


「いいのよ、笑ってやって」


 そう言うと、警察官は繁々と二人を見つめた。


「たった数十分話を聞いただけで、他人の人生を知ることなんてできないけれど……」


 警察官は春人に顔を向けた。


「苦しかったね」


 そして、由夏に顔を向けた。


「悲しかったね」


 意表を突くその言葉に、由夏と春人は戸惑った。ただ、しばらくすると自然と心が和むのを彼らは感じた。


「ずっと隠してきたことでした。でも、誰かに打ち明けたいとも思っていたんです。お陰で、一歩前に進めた気がします。ありがとうございました」


「お礼を言われる様はことはしていないわ。ただ、あなたたちの味方になってあげたいと思ったの。一人の母親としてね」


 由夏と春人は、噛み締める様にその言葉を聞いていた。


 その時、部屋の入口に若い男性の警察官が来て、女性の警察官を呼んだ。


「別の仕事の用で行かないと。もうすぐ伊藤さんのお母様も来てくださるから、待っていてね」


 警察官がいなくなると、由夏と春人が室内に残された。


 人目を気にしなくてよくなると、二人は緊張の糸が切れた。由夏は脚と腕を組み、春人は肘をテーブルに突いてコーヒーを口にした。


 二人は敢えて言葉を交わさなかった。それは、お互いのことを気遣ってのことだった。


「……春人君……」


 数分経って、由夏がつぶやいた。


「……うん……」


 春人は小さく返事をすると、ゆっくりと由夏と同じ姿勢を取った。


 二人とも前を向いたまま、お互いのセンシティブに思いを馳せた。


「……ごめんね、お父様のこと『あいつ』なんて呼ばせちゃって」と、由夏は詫びた。


 春人は由夏を一瞥すると「僕の方こそ、お母様のこと『あの女』なんて呼ばせちゃって、ごめんね」と詫びた。


 ーーーーーー


「お母様が到着されたそうよ。今、ここまでお連れするからね」


 女性の警察官がドアの側から由夏と春人に声をかけた。


「はい、わかりました」と春人は返事をした。


 警察官が綾子を連れに行くのを見届けた春人は、何気なく由夏に視線を送った。


 由夏は目を見張りながら、両手でメガネの赤いつるを押さえていた。何かを隠す様に。


「どうしたの? どこか痛いの?」


 戸惑いながらも春人は由夏を案じた。


「大丈夫、そうじゃないから」


 その返事は淡々としていた。


「やっぱり、母さんのこと、気後れしてるの? 大丈夫だよ。ちょっともめちゃったけど、僕もいるしさ。それに母さん、由夏ちゃんのこと……」


「わかってる。だからつらいの」


「由夏ちゃん……」


 春人はそれ以上、何も言えなかった。






 気配。


 声。


 足音。


 テレメトリーの様に思考に飛び込んでくるそれらが、由夏の鼓動を速めた。


「こちらです」


 警察官に案内され、綾子が部屋に入ってきた。


 体が強張る由夏。


「母さん……ごめんなさい」


 春人の声がしたので、由夏は立ち上がった。


「由夏ちゃん……」


 由夏の目の前には、白いセーターを着た綾子がいた。


「綾子さん、申し訳ありませんでした」


 由夏は綾子に向かって深く頭を下げた。


 綾子は黙って由夏の頭を撫でた。







「ご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございませんでした」


 綾子が警察官にお詫びを言う姿を、由夏と春人は罪悪感を感じながら見ていた。


「一点、伺いたいのですが、長谷川さんが東京に来ていることはご存知だったのですか?」


「はい。実は彼女のお父様から、娘が春人に会いに東京に行くと先日、連絡がありまして」


「そうでしたか」


「ただ、私たちの過去のこともございまして、子供たちには知らないふりをしておりました。今回の件は、私の監督不行き届きです」


 警察官は由夏と春人を呼び寄せた。


「確認したところ、長谷川さんへの捜索願も出されていませんでしたし、伊藤さんのお母様が責任を持って彼女を預かると誓約して下さったので、今回は口頭での厳重注意とします。今後は二度とこういったことのない様に」


「はい、わかりました」


 由夏と春人は改めて頭を下げた。


「それでは、お帰りの際はお気をつけて」


「お世話になりました」


 綾子がそう言うと、三人は退室した。


「外に出たら、お話ししましょう」


 部署を出て階段を降りながら、綾子が由夏と春人に告げた。


 由夏と春人は、気まずく返事をした。


 それから警察署を出るまで、ほんの数分の時間が由夏と春人には長く感じられた。


 そして、三人が警察署を出て春の夜風に包まれた瞬間。


「あー、恐かった。警察署なんてもう来たくないよ」


 綾子が両手を膝に突いて声を上げた。


「それにしても、警察から電話がかかってくるなんて思ってもいなかったよ。ましてや春くんと由夏ちゃんのことでなんて」


 由夏と春人は、綾子の様子に拍子抜けしてしまった。


 綾子は姿勢を起こすと由夏に近づいた。


「それにしても、由夏ちゃん」


「は、はい」と、緊張する由夏。


 その姿を綾子は目を細めて暫し見つめた。そして、由夏に抱き付いた。


 綾子の行動に、由夏は体を強張らせた。


「ちっちゃいおしゃまさんだったのに、私より背が高くなって……」


 耳元に囁かれる上ずった綾子の声と共に、セーターから漂う洗剤の香りを由夏は感じ取った。


 その声と香りは、札幌の地下鉄の駅で初めて綾子に会った時のことを由夏に思い出させた。


 幼い日の記憶が蘇るのと共に、由夏は綾子の背に両手を回した。


 抱擁する綾子と由夏を、春人は少し離れて見守っていた。そして、胸が空気ではない物で満たされるのを感じた春人は、両手を腰に当てて顔を月に向けた。


 やや時が経つと、綾子は由夏から体を離して春人を近くに来させた。


「由夏ちゃんはどこかのホテルに泊まっているの?」


「はい、この近くのホテルに泊まっています」


「すぐにチェックアウトしなさい」


 綾子は優しくも毅然と命じた。


「由夏ちゃんを預かる以上、もう、一人で外泊させる訳にはいかない。それはわかるわね?」


「はい」


「それに、五年ぶりに会えたんだから、少しでも長く一緒にいたいでしょ? は・る・と・く・ん・と」


 そのからかいに、由夏と春人は顔を見合わせて赤くなってしまった。


「さあ、ホテルに荷物取りに行きましょ」


 由夏はごまかす様に歩き出した。


 三人はホテルに向かって歩いていた。すると、午前に由夏と春人が待ち合わせした"LOVE"のモニュメントの前に差し掛かった。


 由夏と春人は、夜の帳の中でライトラップされたモニュメントに、目まぐるしかった一日を思い起こした。


「あっ、これだ! この"LOVE"のモニュメントは有名なのよ。この中を一緒に通り抜けると、結ばれるって伝説があるの」


 綾子はモニュメントを見てはしゃぎ出した。


 モニュメントの"V"と"E"の間には人が通り抜けられる隙間があった。綾子が言っていたのはこの隙間のことだろう。


「春くん、由夏ちゃん。三人で潜って見ようよ」


「えっ、でも母さん。ここって恋人が通り抜ける場所でしょ?」


 春人の指摘に、綾子ははしゃぐのを止めて静かになった。そして、由夏と春人、それぞれの顔を見ながら口を開いた。


「恋人としてじゃないよ。家族としての愛で結ばれようって意味だよ」


「綾子……さん」


 万感胸に迫る由夏。


「そうだね……ありがとう」


 春人は綾子に感謝した。


「手を繋ごう。それで並んで潜るの」


 綾子が提案すると、三人はゆっくりと手を繋いだ。そして、前から春人、綾子、由夏の順に一列になってモニュメントを潜り始めた。


「頭、気を付けてね」と、春人が注意を促した。


 小柄な綾子は難なく潜れそうだった。


 最後に、由夏が綾子に手を引かれて潜ろうとした時、ふいに由夏は幼い日のことを思い出した。初めて二人に会った日、水溜まりを渡るために、綾子に肩車されたことを。


 モニュメントを潜るために、ほんの数メートルの距離、手を引かれて歩く。ただそれだけのこと。ただそれだけのことが、由夏にとっては幸せだった。


 三人がモニュメントを通り抜けるのはあっという間だった。


 けれど、そこには紛れもない家族の笑顔があった。


 三人の頭上では、高層ビルの窓明かりが彼らを見守る様に輝いていた。


第六話に続く。


尚、作中の事情聴取はあくまでフィクションとしての表現であり、実際の警察官の職務執行とは異なることをご承知置き下さい。

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