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それは不思議な少女だった。
見た目は吹雪よりもさらに年下、十歳前後に見える。
なのにやけに落ち着いていて貫禄さえ感じられた。
萌黄色の髪を肩口で縛って両サイドから前に垂らしている。
狩人が着るような厚手の服に身を包み、腰のベルトには
彼女の得物にしては大きめに見える立派な鞘の小刀を差している。
その柄頭には小振りな水晶石と先端に小さな金具のついた短い紐。
そして左手には黒いグローブ。
彼女が天動魔法の使い手であることがわかる。
水晶石の大きさから推測するに使える魔法は二、三種といったところか。
そして彼女の足元には背嚢と、それに括りつけられた鉄製の兜。
その兜もまた特徴的で、流線的な兜と一体化した長く鋭い一本のツノ。
そのツノは兜の前方斜めに突き出ており、
背の低い彼女が近接戦闘を行った際、
それが充分凶器となりうるであろうことを予想させる。
これが噂に聞く妖精族か。
ドリスは水を飲みながらこっそりと横目でその少女を観察した。
背が低く力で劣るものの、人間より若干長命で
俊敏さと魔法の才は人より優れた者が多いと聞く。
人と交わって暮らす者は少なく、
辺境の地に幾つかの集落を構えて独自のテリトリーを形成しているらしい。
彼女はそうした妖精族の中のアウトローなのだろう。
よもやマーセナリーの妖精族にお目にかかれるとは、
ドリスには思ってもいなかった。
店の者や客たちはさして気にしていない様子を見るに
極端に珍しくはないのかもしれない。
「彼女もまた、マルールの大規模な襲撃の噂を聞きつけて、
この街にやって来たマーセナリーの一人だ」
マスターが妖精族の娘をドリスに紹介した。
「遠路はるばるやって来たはええが、正式な街の防衛依頼は
原則四人以上のパーティで、しかも酒場のお墨付き以外はお断りと来たもんや」
肩をすくめる妖精族の娘。
「しゃあないから、ソロでやれる依頼でもこなそ思たら、
うちと似たような立場のマーセナリーが溢れててそれもままならへん。
他のパーティに加えて貰うしかあらへんとマスターに相談したら……」
「それなら自分で新しくパーティ立ち上げた方が良いだろうと思ってな。
無論、俺のお墨付きを得るには街の防衛依頼の前に、
簡単な依頼をこなして貰う必要があるがな」
彼女の言葉をマスターが引き継いだ。
それに対して、娘がやや呆れたように口を尖らせる。
「あんさん、さっきの少女に随分肩入れしとるようやし、
彼女とうちを組ませたいだけやろ」
「その通りだ」
全く悪びれもなくマスターは断言した。
「ある程度関係性の固まった古参パーティに中途参加するより、
新しいパーティを立ち上げた方が気後れしなくて良いと思うぞ。
俺の見たところお前さんはそれなりに腕が立ちそうだし、
人格的にも信頼出来そうだ。
お前さんがリーダーをやってくれるパーティなら安心してあいつを任せられる」
「うちもえらい買いかぶられたもんやな」
妖精族の娘は苦々しげにかぶりを振った。
「リーダーの器なんかやあらへんで、うちは」
「まあそう言うなって。俺は人を見る目は確かだぜ。
パーティ結成の際には、俺がこの店をあげて全面的にバックアップする。
悪い話じゃないと思うぜ?」
マスターと妖精族の娘が押し問答を続けている間、
カウンターの後ろでは、店員たちが入れ代わり立ち代わり
注文を厨房に伝え、料理や酒を運んでいる。
そんな店員の一人がマスターに不満げに声をかける。
「おやっさん、忙しいんですから少しは店の方、手伝って下さいよ」
マスターを除いて唯一の男性店員、吹雪に最初に声をかけてきた青年だ。
「女将さんはどうしたんですか? 厨房の方にも居ないようだし」
そんな青年にマスターは呑気に答えた。
「ああ、あいつなら多分、吹雪の世話でも焼いてんだろ。
それよりマーディ、ちょっとこっちに来い」
「忙しいって言ってんのに……。なんです?」
マーディと呼ばれた青年はぶつぶつ文句を言いながらも、
カウンター内のマスターの隣へ。
「実はこいつもお前さんと同じようにこの街に来たはいいが、
仕事に溢れたマーセナリーでな。
一文無しで路頭に迷いかけていた所を、俺がこうして拾ってやってるという訳だ」
「恩着せがましく言わないで欲しいなあ……」
マーディはマスターに非難の目を向ける。
「人手が足りないからって、散々こき使っておいて。しかも無給金で……」
「うるせえ! 飯と寝床提供してやってるだけでも有難いと思え!
それに繁盛時以外は自由だろうが」
「なるほどな。そのあんちゃんも、あの少女の為の生贄かいな」
妖精族の娘がさも可笑しそうに笑う。
生暖かい視線をマスターに向けて、言葉を続けた。
「あんさん、よほどあの少女、吹雪はん言うたか……。
あの子のことが気がかりなんやな。ここまで来ると親バカやでホンマ。
そこまで遠まわしな根回しするくらいなら、いっそのことマーセナリーなんて
やめさせて、ここで働かせた方がええんちゃうか? 危険もないし……。
あの子身寄りのない孤児なんやろ?」
「それは出来ん」
マスターはきっぱりと断言した。
「なんでや?」
「例え危険でも俺はあいつにはやりたいことをやらせてやりたい」
「ここだけの話、おやっさんも女将さんも吹雪ちゃんを養女にしたいって
彼女に伝えたこともあるらしいんだ」
しんみりしながらマーディが口を添える。
「けど、彼女は嬉しそうに申し訳なさそうにしながらも、
決して首を縦に振らなかったそうだよ。
自分の夢は例えどんなに苦しくても立派なマーセナリーになって、
自由に旅をしてみたい。広い世界を見てみたいと……。
もし自分が養女になってしまったら、
二人に今よりもっと心配かけさせることになるから、それは受けられないって」
それを聞きながらドリスは胸がつまるような想いに駆られていた。
「なんでお前がそんなこと知ってんだ!?」
仰天したマスターが鬼のような形相でマーディに詰め寄る。
「人の口に戸は立てられないって言うでしょ。
ていうか、怖いからあんま迫らないで下さいよ」
ぬけぬけと答えるマーディ。
「その前からおやっさんには吹雪ちゃんの為にパーティ結成したいから
加わらないかって誘われてたけど、正直その話を聞くまでは乗り気じゃなかった。
だってそうだろ? これから共に戦わなきゃならない仲間が
半人前のマーセナリー見習いの年端もいかない少女だなんて不安でしかないからね。
だけどそれ聞いて考えが変わったよ」
マーディは真剣な眼差しでどこか遠くを見つめている。
「ともあれ、俺はパーティに参加させて貰う」
「とまあ、人柄は申し分ないが、俺の見たところ、
腕の方はあまり頼りになりそうもない。
こいつらにはお前さんの力がどうしても必要なんだ」
マスターに水を向けられて、妖精族の娘が考え込む。
「ちょっとおやっさん、そりゃあんまりじゃないですか!?」
マーディの抗議の声を無視するマスターに娘は言った。
「街の防衛任務には最低四人必要なんやろ? 四人目に当てはあるんか?」
「残念ながらまだない。だが、この街には他にも幾つか雇戦士の酒場がある。
なんとかそれらを当たって探し出してみるつもりだ」
「出来れば四人目は地護魔法が使える人材が欲しいんやわ。
うちも一応、地護魔法の蘆薈だけは使えるけど、うちの十八番は天動魔法や。
うち一人でフォローするには限界がある」
魔法を使える者自体そう珍しくはないが、
妖精族といえど地護魔法と天動魔法どちらも扱える者はかなり稀な存在である。
それだけでもこの妖精族の娘が、
それなりに腕の立つマーセナリーであることを端的に表していた。
「なかなかに難しい注文だが、確かにお前さんの言う通りだ。
やはり俺が見込んだだけのことはあるな。なんとか善処しよう。
少し時間がかかるかも知れんが、それまで待っていて貰えないか?」
マスターはマーディと娘の二人に向けてそう言った。
「俺は構わないですけど」
「何言うてはるん。
四人目ならさっきからそこでうちらの会話聞いてるやろ?」
娘の言葉を受けて、男二人の視線がドリスに注がれた。
「この人、地護魔法使えるソロのマーセナリーなのかい?
てっきり吹雪ちゃんの個人的な友人かと……。だったら話は早いじゃないですか」
早く言ってくれよとマスターに言わんばかりのマーディ。
しかし、マスターと当のドリスは浮かない顔のままだ。
「確かに地護魔法は使えるようだが……」
マスターの目は厳しい。ドリスにもわかっていた。
自分がマーセナリーとしての経験もなく、
そしてもっとも大事なその覚悟もないことも。
「お腹すいたー!」
気まずい空気を払拭する能天気な声と共に、吹雪がようやく戻ってきた。
薄手の革鎧など身なりはみすぼらしいままだが、
風呂に入ったおかげで、髪はきちんと整えられて乾かされ
小ざっぱりした印象になっている。
「マスター、鞘形弩は裏の工房に置いといたよ。よろしくね」
言いながらドリスと少女の間のカウンター席につく吹雪。
「おう。一晩借りとくぞ」
「ドリスさん、ごめんね。待たせちゃって。女将さんたら、
ご飯も作らないであたしをお風呂に入れるのに躍起になっちゃって」
「ううん、ご馳走してくれるだけでもありがたいよ」
この子は本当にこの店の夫婦に愛されているのだとドリスは実感した。
「あいよ。待たせたね!」
女将ともう一人の女性店員がカウンター裏の通用口から現れた。
それぞれ両手に深底の大きめな器とそれより少し小さめの深底の器。
大小二つの器を各々吹雪とドリスの目の前に置く。
大きな木の器には、細切れにして油で炒めたであろう鶏肉と
刻みネギ、刻み海苔が白米を覆い隠すほど大量の山盛りになっていた。
小さな器には魚介類で出汁を取ったであろう汁物。
具は良く煮込まれたぶつ切りの野菜がこれでもかというくらいに凝縮されていて、
汁の色すらわからない。
それらから立ち上る湯気が食欲を誘う匂いと共に二人の鼻腔を刺激する。
「今日はいつもよりさらに大盛りにしといたよ。お連れさんの分もね」
「ありがとう、女将さん。さあ、ドリスさん。これがあたしからのお礼。
この店自慢の鶏丼だよ。遠慮なく食べてね」
吹雪は添えられていた箸を手に取ってドリスに微笑んだ。
「それじゃ頂きます!」
「まだ熱いから気をつけて食べるんだよ」
女将の忠告もなんのその、吹雪は鶏肉とご飯を豪快に口の中へ。
「頂きます」
ドリスもそれよりは、やや上品に口にした。
旧市街育ちの彼女にとってはあまり食べ慣れないものだった。
だが
思わず目を見張った。
「美味しい……」
油で炒めた鶏肉にこんなおいしい食べ方があったのかと、
彼女は驚嘆せずにはいられなかった。
吹雪がアツアツの鶏丼をはふはふと咀嚼しながら、
ドリスに笑いかける。
「おいしいね!」
その曇りのない満面の笑顔を見た瞬間、ドリスの中で何かが弾けた。
彼女はいきなり椅子から立ち上がり、
吹雪を暖かく見守っていたマスター、女将、マーディ、そして妖精族の少女
四人に向かって頭を下げた。
「お願いします! 私もマーセナリーとしてパーティに加えて頂けませんか?」
吹雪を含め、突然のことに驚き見守る面々。
妖精族の娘だけが、我が意を得たりとしたり顔をしている。
「私は自由と見知らぬ世界に憧れて家を飛び出してきただけの世間知らずです。
吹雪ちゃん含め、
皆さんに比べると経験皆無の未熟者ですが、どうかお願いします!」
地護魔法は嫁入り教育の一環と家の仕事の関係から、
親の意向に従い魔法学校で習った。
それがきっかけで自由なマーセナリーに憧れるようになり、
身体を鍛える目的も兼ねて護身術や乗馬術にも力を入れてきた。
マルールと対峙して己の不甲斐なさに自信を失いかけたが、
やはり、マーセナリーになりたいという気持ちは変わらなかった。
微力でもいい。
この子の力になりたいという想いに突き動かされての行動だったが、
さすがにそればかりは恥ずかしくて口に出せなかった。
けれどその想いは恐らく本人の吹雪を除いて皆に伝わっている。
しばらく呆然としていたマスターだが、軽く肩をすくめて苦笑いした
「謙虚な心がけの奴は嫌いじゃない。顔を上げな。お前さん名前は?」
ゆっくりと顔を上げドリスは答えた。
「ドリスです」
「カナタ。マーディ。お前さんたちはどう思う?」
「どう思う言われてもな。うちは最初から異論なんかあらへん」
「もう、この期に及んで四の五の言ってられないですから。
いいんじゃないですかね」
二人の言葉を聞いてマスターは大きく頷いた。
「なら決まりだ。これでめでたくパーティ結成というわけだな」
「ありがとうございます、皆さん!」
再び頭を下げるドリス。
一番の当事者である吹雪だけが、
ただ一人ぽかんと口を大きく開いて話についていけないでいた。