29
ドリスと吹雪は夫妻と共に遅くなった晩餐をご馳走になった。
使用人が気を効かせて人数分用意してくれていたのだ。
彼女はドリスがいつ戻ってきてもいいよう常に多めの食材を仕入れていたので、
彼女らの突然の来訪にも難なく対処出来た。
その席でドリスの母親は吹雪に対する非礼を深く詫びると共に
娘のことをよろしくお願いします、と頭を下げた。
吹雪がそれに真摯に応えた事は無論言うまでもない。
さらに夫妻の強い勧めで二人の宿泊も決まった。
宿の方にもあらかじめ、そうなりそうな事は伝えてあるので問題はない。
「それじゃ、久しぶりにお風呂頂いてこよっかなー」
四人で食後の団欒の一時を過ごす中、ドリスは大きく伸びをして立ち上がった。
「当分、ここのお風呂には入れないから、入り納めってことで。
吹雪ちゃんも良かったら一緒に入る?」
何故か一転してドリスの母親に気に入られてしまったらしい吹雪は、
彼女に身の上話などの質問攻めに合っていた。
ドリスに声をかけられ、慌てて首を振る。
「え? あたしはいいよ! もう昼間入ったし。
ドリスさんだって入ったじゃない」
「お風呂は何度入っても問題ないでしょ?」
「とにかく、あたしは遠慮しとくよ」
「そっかー。残念」
諦めて部屋を出て行こうとするドリスに吹雪がぼそりと言った。
「ドリスさん最初の頃、
あたしたちとお風呂入るの何となく恥ずかしがってた雰囲気だったのに、
何か吹っ切れた感じだよね」
ドリスは振り返って笑顔を見せた。
「確かにそうだったかもね。でもこういう仕事してる以上、
そんな事言ってられないって思ったんだよ」
夫妻は娘の発言に感心したように顔を見合わせた。
「そうそう、吹雪さんのお泊りする部屋、どうします?」
母親がふと思い出して口を開いた。
「客室で泊まって頂くのがいいのかしら。今のうちにご用意しなくちゃね」
「私の部屋でいいよ。ベッド広いし。今夜は一緒に寝よ、ね? 吹雪ちゃん」
「うん、いいよ」
あっさり承諾する吹雪。
その二人を見て、父親がとても言いにくそうに口ごもりながら
「その……なんだ……お前たちの関係をとやかく言うつもりはないが……
出来ればそういう事は……だな……なるべく自重して……」
「何言ってるの|? お父様!」
父親の言いたいことを察したドリスが顔を真っ赤にして絶叫した。
「違うから! そういうんじゃないから! 変な誤解しないで!」
「吹雪ちゃん、ホントにありがとね。
お父様とお母様に許して貰えたのも吹雪ちゃんのおかげだよ」
ドリスは吹雪と同じベッドで寝ながら、彼女に感謝した。
吹雪は彼女の隣で仰向けになったまま軽く首を振る。
「ううん。あたしは大したことなんてしてないよ。
それにドリスさんにはお父さんの仇討ち手伝って貰ったからね。
これでおあいこだよ」
ドリスは寝返りをうち、吹雪の横顔を眺めながら
「ねえ、吹雪ちゃんのお父さんてどんな人だったの?
吹雪ちゃんさえ良ければ聞かせて欲しいな」
ドリスの問いに吹雪はしばらく黙った後、父親の事を話し始めた。
父親との様々な思い出を懐かしそうに、どこか寂しげに語る。
それは彼女が完全にドリスに心を開いた証でもあった。
やがて、その声は小さくなっていき、
話の途中で彼女は小さな寝息を立て始めた。
やはり疲れていたのだろう。無理もなかった。
ドリスは吹雪の頬にかかる癖毛を優しい手つきでそっと払うと
「おやすみなさい。吹雪ちゃん……これからもよろしくね」
その頬に軽く口づけし、自身も眠りについた。
翌朝、疲れが溜まっていたのか吹雪はなかなか起きない。
無理に起こすのも可哀想だと思い、ドリスは彼女をそのままに、
両親との水入らずの時間を過ごした。
父親は店よりも娘との時間を優先したようだった。
昼近くになって吹雪は慌てて起き出し、用意されていた遅い朝食を頂く。
そしてドリスは吹雪と共に、
屋敷の前で両親との長くなるであろう別れの挨拶を交わした。
「くれぐれも身体に気をつけるのですよ。今度いらっしゃる時は、
吹雪さんは勿論のこと、他のお仲間の方もぜひお連れしなさい」
母親はドリスの身体をそっと抱いた。
「わかりました、お母様。お母様もどうかお元気で。
お兄様にもよろしくお伝え下さい」
ドリスのひとつ上の兄は、今は実家から離れ、
街外れにある学院で寄宿舎暮らしをしている。
「お前は生真面目な兄に似ず、昔から放浪癖のある困った娘だった」
父親がそんな事を言い出した。
「けどな、そんな困った娘だからこそ余計に可愛いんだ。
散々、お前を自由にさせてきた私からの最初にして最後の言いつけだ」
父親はドリスをしっかりと抱きしめ、強い口調でこう言った。
「いいか! 私たちより先に死ぬ事だけは何があっても絶対に許さん!
それだけは深く肝に命じておけ」
「お父様……」
ドリスは泣きながら父親を強く抱きしめ返した。
「はい。お父様。お約束します。
娘の勝手な我儘を聞いてくれてありがとう……」
目に涙を浮かべ、それでも決して笑顔を絶やさない両親に見送られ、
ドリスと吹雪は屋敷を後にした。
「良いお父さんとお母さんだね」
思わず貰い泣きした吹雪が、涙を拭きながらドリスに話しかける。
「そうね……」
その隣を歩きながら彼女は素直に肯定した。
「……私も吹雪ちゃんも親不孝者だね」
「え? 何であたしまで!?」
「吹雪ちゃんは自覚してない分、余計タチが悪いね」
ドリスは泣きはらした目で悪戯っぽく微笑んだ。
その後、新市街に戻った二人はそのまま宿には帰らず、
吹雪の所用にドリスが付き合う形で多忙な時間を過ごした。
一つは持ち家のある吹雪の税の支払い。
税務局でこれまでの分は支払っておき、
その先の当面の分は翡翠亭に預けて代払して貰うつもりだ。
そしてその持ち家に立ち寄って、長旅の準備と簡単な家の掃除。
小さな家だったのでドリスの手伝いでこれは割と早く終わった。
吹雪は父親の形見の折れた木刀を家に置いて行く事にした。
必ず戻ってくるという願掛けも兼ねている。
そして最後は二人で買い物である。
長旅に必要になりそうな物以外に、吹雪の新しい武器も購入した。
そんなこんなで二人が翡翠亭に帰り着く頃にはすっかり夜になっていた。
そして一夜が明けた。
四人は少し遅めに翡翠亭を出発した。
次の目的地はすでに決まっている。
昨晩、翡翠亭で話し合った際、候補に上がった街は、
南にある海の街ヴァンターリョ、東南の鉱山の街トラペツィオの二つ。
どちらも一番近い湖の町クレシェンテに次いでここから近い。
クレシェンテは一度行ったという理由のみで却下された。
ヴァンターリョ、トラペツィオ共に
川の街エミスフェーロとの距離はほぼ同じである。
海を見たいと主張する吹雪と、山に登りたいと主張するドリスが、
珍しくも激しく対立した結果、海、山の順番でどちらも回る事になった。
今の季節は夏である。夏は海、秋に山というのが定番であると
カナタが裁可を下したのだ。
それとヴァンターリョを優先させた理由はもう一つあった。
四人は新市街を南下し、街外れの川縁にある舟着場に着いた。
桟橋に並ぶのはいずれも同じ大きさの艪櫂舟。
十人前後は乗れそうな長さがあった。
それを見てドリスと吹雪は嬉しさを抑えきれない様子だ。
二人とも川辺育ちだ。舟くらいは知っている。
新市街と旧市街を結ぶ橋の少なさを補う為の渡し舟には、
吹雪ですら乗ったことがある。
しかし、今回のそれはそんな短い時間での舟乗りではない。
舟を乗り継いで、河口にあるヴァンターリョまで旅をするのだ。
舟賃がかかる事と舟酔の心配こそあれ、徒歩で旅をするよりずっと楽で早い。
二人に初めての舟旅を体験させてあげたかったとカナタが思ったのもある。
「途中、何度か宿場村で舟を乗り換えるから、舟酔が酷かったり、
舟に飽きたら歩きに変えるのも悪くないね」
マーディが舟旅に関しての解説を始める。
「それと、万が一川に落ちた場合に備えて、
重い武器や鎧はちゃんと外しておかないと駄目だからね。
泳ぎに関しては皆、大丈夫かい?」
三人とも問題ないと頷いた。
「うちも鎖帷子は脱いである。泳ぎに関しても特に問題なしや」
自信満々に答えるカナタ。
「にしても、吹雪……」
吹雪は早くも装備を外し始めている。
「ん?」
「あんさん、何でまた木刀なんや。他にもっとマシな武器買えたやろ?」
吹雪が昨日ドリスとの買い物の際、購入したのは、
以前使っていた物とほとんど同じ鍔付きの木刀であった。
吹雪は肩口のホルダーから抜いた木刀を掲げて、悪気なく微笑んだ。
「だってリーチある割に軽くて扱いやすいんだもん。使い慣れてるし。
……あと安いし」
「せやけど、またすぐ折れてまうでそんなの。威力もそんなあらへんし」
「大丈夫、大丈夫。カナタさんの魔法がかかれば、その問題点は全部解決するよ」
「うちの魔法頼みかーい!」
「まあまあ、そんな目くじら立てないで、ね?」
ドリスが困ったように笑いながら仲裁に入った。
「ほな、一生うちから離れられんようにしたるさかい」
吹雪にいやらしい目を向け、ヒヒヒと笑う。
「カナタさんて……」
吹雪はカナタの視線から身を隠すように、ドリスの背後に隠れた。
「時々、すごく反応に困ること言う気がするよ」
「今さらだな!」
「今さらだね!」
マーディとドリスが同時に突っ込んだ。
「しかも気がするだけかよ! 明らかに下品な事言ってるだろ!」
「なんやと!」
カナタはマーディに食ってかかった。
「おーい! 舟が出るぞー!」
船頭による船出の合図。
四人は他の数人の乗客と共に、一艘の艪櫂舟に乗り込んだ。
舟はゆっくりと岸を離れていく。
船尾では船頭が力強く艪を漕ぎ、
少しずつエミスフェーロの街並から遠ざかる。
川の流れは穏やかだ。川面は陽光を反射してキラキラと輝いている。
新市街南側は田園地帯。旧市街南側は牧草地帯。
左右それらの緑豊かな景色が後ろへと流れていく。
ドリスは船べりに手をついて座り、後方に小さくなっていく街並を眺めていた。
感慨深げに呟く。
「お父様、お母様、行ってきます」
その隣で吹雪も顔に水しぶきを浴びながら街を見つめている。
彼女らの後ろではカナタとマーディが、二人の様子を微笑ましく見守っていた。
ドリスと吹雪はふいに顔を見合わせ、笑い合う。
そして、二人は前を見つめた。
舟の進む先へと。
そこにはまだ見ぬ世界が広がっている。
さあ! 仲間と共に冒険の旅へ出かけよう!
第一部 完




