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さあ! 仲間と共に冒険の旅へ出かけよう!  作者: 上見 士郎
旅立ち編
1/29

1


 日が落ちるまで、まだ余裕があった。

 粗末な露店がひしめき並ぶ大通り。

 舗装されていないむき出しの土の上を大勢の人間が行き来し、

立ち止まっては露店の商品に目を止める。

 活気ある喧騒と土埃とまだ強い日差し。

 そんな大通りの人々を注意深く観察する者がいたなら、

場の空気にそぐわない彼女の存在にすぐに気がついただろう。


 真新しい麻のマントで全身を覆い、フードを目深に被っている。

 背中には荷物で一杯になった背嚢(バックパック)を背負っていた。

 彼女は露店商が時折上げる威勢の良い呼び声におっかなびっくりしつつ、

物珍しそうに辺りを見回しながら歩いている。


 生まれ育った旧市街の洗練された古い街並と違い、

この新市街は無秩序で新しい建物が多い。けれども活気があった。


 彼女は自分が浮いている存在だと自覚しているのか

時々、我に返ったように平然を装っている。

 そしてフードの下に隠れてわかりづらいが、

彼女は実に楽しげな表情を浮かべていた。

 目に映るもの全てに興味があるようだ。

 嬉しさから、にやけた口元はだらしなく緩んでいる。

 まだ若い娘で美人なのに、なんとも台無しな面構え。


 名をドリスといった。


 だが、通りの人々や露店の商売人たちは自分の目的や関心事で手一杯で

誰もそんな彼女のことなど気に留めはしない。

 一人の雑貨屋の露店商人を除いては……。


「そこの嬢ちゃん! 今から旅に出るならうちの品が役に立つぜ!

ちょっと覗いていかないか?」


 声をかけられたドリスは、

それが自分のことだと理解するのにしばらく時間を必要とした。

 立ち止まって商人の親父を惚けたように見つめる。


「そうそう、あんたのことだよ。

急ぎじゃないなら見ていきなよ。損はさせないぜ」

 親父は自信満々に笑みを浮かべた。


 彼女はその笑みに誘われるように露店の前にふらふらと歩み寄った。

 その僅かな距離で道行く人とぶつかりそうになる。

 相手にぺこぺこ頭を下げながら、彼女は商人の親父の前に立った。


「嬢ちゃん、言っちゃ悪いがあんまり旅慣れてない様子だね」


 親父の一言にドリスはあからさまにムッとした顔をした。


「ま、そんな怖い顔すんなって。俺は嬢ちゃんの為を思って声かけたんだぜ」

 悪びれた様子もなく、親父は愛想のいい笑顔をつくった。


「能書きはいらないわ。私に何を売りつけたいんですか?」


 ドリスの手厳しい言葉に親父は一瞬意外そうな顔をした。

が、すぐにそれを打ち消し満足そうに頷く。


「嬢ちゃん、これは持ってるかい?」

 親父は縦長の小さな木箱を取り出した。紐を解き蓋を開ける。

 中には羊皮紙で出来た一枚の札が入っていた。

 何やら複雑な文字がびっしりと書き込まれ、

札の上部には小さな宝石が取り付けられている。


「それは?」

「エンチャントウェポンの魔札さ」

 親父は箱から札を取り出し、

もう片方の手で脇に飾られていた小刀を手に取った。

 小刀の柄に札を巻きつけ、札についていた紐でくくりつける。


「この状態でコマンドワードを念じると、武器に魔法の力が宿るのさ。

武器の威力が増すのはもちろんだが、肝心なのはそれだけじゃない」


「物理的に傷を負わせることの出来ない死霊や亡霊の類にも

効果のある打撃になるわけですね」

 親父の言葉はドリスが引き継いだ。


「良く知ってるじゃないか」

「これでも一応、魔法は習得していますから。

地護(じご)魔法なので、それとは系統が違うけれど」

 得意げにドリスはマントを軽く開いて見せた。

 首飾り、胸のブローチ、右の腕輪、両手の指輪に魔宝石が輝いている。


「そいつはたいしたもんだ。それじゃこれは必要なかったな。

地護魔法なら基本の癒し魔法で死霊系にはダメージを与えられるだろうし」


「そうでもないです。『蘆薈(ろかい)』は発動に時間がかかるから。

そういう魔札もあるに越したことはないわ。ちなみにそれは何回使えるの?」


「一回きりさ。使い捨てってやつだ。効果はおよそ刻一つ(三十分)。

市場に出回ってる物はほとんどそうさ」

 親父は大事そうに札を木箱に戻しながら解説する。

「魔法の使えない旅人なら、常に最低でも一枚は持っていたい代物だろうさ」


 ドリスは興味深そうに札を見つめている。

「武器を持ってない場合は役に立たなくないですか?」


「そんなことはないさ。

手首に巻き付ければ殴って死霊を撃退出来るからな。

無論、そうした使い方をするにはある程度の心得は必要だろうが」


「なるほど。私、武器は無いけど護身術は覚えてるの。

私にも使えそうかも、それ。値段はいくらです?」


「千二百グラン」

「高い!」

 親父の一言にドリスは即座に反応した。

「使い捨てでそれは高いですよ!」


「魔法の使える嬢ちゃんには必須ってほどのもんでもないだろ。

それよりさっき武器持ってないって言ってたな?」

 親父はそそくさと札の入った箱をしまい込み、

代わりに先程の小刀よりさらに小振りな短刀を取り出した。

 もはや札を売るつもりは微塵もないらしい。


「まさか刃物の一本も持ってないとは言わないよな?」

 非難めいたその言葉にドリスは少し狼狽える。


「魔法あるし、護身術もあるし、武器なんて必要ありません」


「嬢ちゃん、馬鹿言っちゃいけねえよ。

旅人なら刃物の一本くらい持っていて当たり前だよ。

武器として使うだけのもんじゃない。使いどころは幾らでもある」

 親父は短刀を鞘から抜いてみせた。

 ずっしりとした厚みのある刀身は両刃で、刃先は僅かに反っている。

 そして何より目を引くのは刃の片側の下半分。

ギザギザのノコギリ状になっていた。


「両刃の短刀だ。珍しいだろ。そしてこの部分」

 親父はノコギリ状の部分を軽く指でなぞった。

「ここを使えば太い枝や骨なども簡単に切断可能だ。

これ一本ありゃ、なんでも出来るぜ」


 ドリスはその短刀に完全に魅了されていた。目が輝いている。

「おいくら?」


「嬢ちゃんの門出祝いの特別サービスだ。千七百グラン」

「千三百にまけて下さい!」

 瞬時に値切る。


「おいおい、いくらなんでもそいつぁ無茶だ。いいとこ千六百だ」

「なら千四百。お願い。今、私、無職で家もないの。

ここであまりお金使う訳にはいかないんです」

 ドリスは恥も外聞もかなぐり捨てて懇願した。


「嬢ちゃん見た感じ、対岸の旧市街育ちだろ。家出か何かか?」

「ええ、まあ……」


「うーん。嬢ちゃんが大変なのは同情するが、

こっちも生活がかかってるんでな……」

 親父は困ったように顎に手を当て空を仰いだ。

「千五百が限界だ。悪いがそれ以上はまからねえ」


「わかりました。それじゃ何かオマケ付けて貰えれば、その値段で買います」


 ドリスのその言葉に親父は舌を巻いた。

「嬢ちゃんには負けたよ」

 脇にあった拳大の研磨石を手に取る。

「こいつは百五十グランの研磨石だ。これをオマケにつけて千五百五十でどうだ。

長く使えば、刃研ぎは欠かせない。どのみち砥石は絶対に必要になるだろう」


 ドリスはしばらく考えた後、頷いた。

「ありがとう。それで買います」

「商談成立だな」

 二人は顔を見合わせ笑顔になった。


 代金を受け取りながら、親父はしげしげとドリスを眺めた。

「嬢ちゃん、意外としっかりしてるな。最初はいいカモだと思ったんだが」


 ドリスは短刀と研磨石を受け取って複雑な表情をする。


「おっといけねえ、つい口が滑っちまった。ところで今後の当てはあるのかい?」

 親父は慌てて話題を逸らした。


「地護魔法の特技を活かしてマーセナリー(雇戦士)になろうと考えてます。

雇戦士の酒場で、どこかのパーティに加えて貰おうかなと」

 受け取った短刀を鞘から抜いてうっとり眺めている。

よほど気に入ったようだ。


 そんな彼女の言葉に親父はやや渋い顔をした。

「今は確かにマーセナリーなら食いっぱぐれはなさそうだが……」

 多少金銭感覚がしっかりしてるとは言え、

果たしてこんな旧市街育ちのお嬢様がやっていけるのだろうか。

 詳しい事情はわからないが、大方世間知らずのお嬢様が

自由に憧れて呑気に家を飛び出してきたといったところだろう。


 親父はそう思ったが、水を差すのも無粋だと口には出さなかった。


 ドリスは背嚢の側面にあるホルダーに鞘ごと短刀を差していたので、

親父の微妙な反応には気付かなかったようだ。

 研磨石も背嚢に収め、満足げな表情で再び背負う。

 背嚢のサイドホルダーに短刀が差してあるだけで、

彼女は自分がいっぱしの旅人になれたような気分に浸っていた。


 突然、どこからか激しく鐘を打ち鳴らす音が聞こえてきた。

 仰天したドリスが思わず辺りを見回す。


 遠く対岸の旧市街でも幾度か耳にしてきた鐘の音だ。

 実際に打ち鳴らされている新市街で間近に聞くと、

その緊迫感はより一層強いものに感じられた。


「またか……。まあ、ここは安全だろうが、

街の入口付近には近寄らない方がいいだろうな」

 商人の親父はうんざりしながら、ドリスにそう告げた。


「ここから一番近い街の入口ってどっちですか?」


「この通りをそのまま進んで突き当たりを右だ」

 彼女がそう聞いてきたのは自分の忠告に従う為だと思い

親父は答えたが、それは違っていた。


「ありがとう! ちょっと行ってみます!」

 ドリスは礼を言うと一目散に駆け出していた。


「おい!? 正気か? やめときな!」

 慌てて彼女の後ろ姿に声をかける。

 鐘の音にざわめく人々の喧騒に紛れ、その声は届かなかった。


 立ち止まって不安げに街の入口方面に視線を向ける大通りの人々。

 その人ごみを掻い潜り、ドリスの姿は見えなくなった。




 鐘の音がますます大きく聞こえてくる。

 街の入口に近づいている証だ。

 耳を凝らし街中を走り続けるドリス。

 マントの一部であるフードはすでに被っていない。


 長く美しい艶やかな黒髪が露わになっていた。

 その手入れの行き届いた美しい黒髪だけを見ても、

彼女が恵まれた環境で育ってきたことが窺い知れる。

 

 ドリスの耳に幾つもの鋭い鏑矢(かぶらや)の音が聞こえ始めた。

 同時に狼煙らしき煙も方々から立ち昇る。

 すべて街の外周付近のようだ。


「連中が襲ってきたのは入口だけじゃない?」

 立ち止まり、辺りの空を見回しながらドリスは呟いた。


 それと同時に鐘の叩き方が変わった。


 今までは激しいながらも一拍置くようなリズミカルな叩き方だったのだが、

間髪入れず連続で打ち鳴らす、さらに激しい叩き方に変わったのだ。

 叩き方の規則性の意味を知らない者ですら、

それがより危険な状況に変わったと容易に察しがつくだろう。

 直接関わりのない旧市街育ちとはいえ、彼女は勿論その意味を知っていた。


 不安に押しつぶされそうになる心を無理やり奮い立たせ、前を見据える。


 立ち止まって成り行きを見守っていた街の人々は、

街の奥へと一斉に逃げ出し始めた。


 その人波に逆らってドリスは尚も前へと進み続ける。

 さすがに走るのはやめていたが、引き返すつもりはないようだった。


 しばらく進むと、逃げる人の姿もめっきり見なくなっていた。

 かなり街の入口に近づいたのだろう。

 激しい鐘の音もいつの間にか途絶えている。


 不気味な静けさが辺りを支配する。


 木や土壁の質素な家々が立ち並ぶ狭い通り。

 争うような人の声が聞こえた気がした。


 ドリスはなんとなくその声が気になり、必死に耳をそばだて出処を探る。

 何かがぶつかり合う音が確かに聞こえた。

 その物音を辿る。


 間違いない。

 鈍器で何かを激しく打ち鳴らす音だ。


 彼女は早鐘のように高鳴る鼓動を抑え、尚も音に近づいた。

 嫌な予感が募る。

 全身に冷や汗が吹き出す。


 それでもドリスは歩を止める事が出来なかった。

 引き返す事も出来なかった。


 割と道幅のある路地裏に差し掛かった時、

 それまで聞こえていた音が唐突に聞こえなくなった。


 それが逆により一層、不安を煽る。


 しばらくして斜め右前方の家の影から、よろよろと人影が現れた。

 硬質の革鎧らしきものに身を包んだ男だった。


 男の出で立ちよりもドリスの目を引いたのは、

胸を押さえるその男の半身を染めるドス黒い血。


 それがわかる程の距離。間近ではないがそう遠くもない。


 男はドリスに気づくことなく、

おぼつかない足取りでその正面の木塀に寄りかかった後、

ずるずると座り込んで、そして動かなくなった。


 木塀にはべったりとその男の血がこびり付いている。

 目の前で起こった事が理解できず、ドリスは棒立ちのままだった。


 男が現れたのと同じ家の影から、

彼を追うように巨大な何かがのっそりと現れた。


 全身茶色の長い毛で覆われた奇妙な生物だった。

 どこからが頭で、どこまでが胴体なのか判別がつかない。

 二足で立っているのはかろうしで識別できる。

 大の大人よりもさらに背が高く、細長い小山のような印象だ。

 熊のように見えなくもないが、大きく異なるのは頭の部分である。


 それが頭部だとわかるのは、天辺の長い毛の中からカタツムリのように飛び出す

触覚にも似た二つの目が蠢いているからだ。

 しかし、それ以外は口も鼻もわからない。


 さらに熊とは決定的な違いがあった。


 怪物はドリスに対して左側面を向けていた。

 なのに身体の側面に二本の長い腕が見える。

 二本の短い足に加え、四本の腕を持っているのだ。

 背中よりに生えた方の腕には、太い木の枝で出来た棍棒が握られている。


「あれが……森の憎悪マルール……」

 ドリスは呆然としながら呟いた。


 男の死体を見下ろしているのだろう。

 触覚のような双眸が下を向いている。


 今ならまだ逃げられるはずだ。

 なのに彼女の身体は硬直したまま動けなかった。


 マルールが動いた。

 不気味な双眼を蠢かせ、こちらを見ている。 


 マルールはドリスに身体を向け、いきなり前方に倒れ込んだ。

 毛に覆われて分かりづらかった二本の前腕を大きく左右に広げ、

四つん這いになる。

 そして四つん這いになったことで背中側のもう一対の腕もはっきりとする。

 左手の簡素な棍棒だけでなく、右手にも武器が握られていた。

大型の獣の骨を削って尖らせた鋭器。それは血に塗れていた。


 恐ろしいのは四本の腕だけではなかった。


 四つん這いになったことで、ドリスの正面に露わになった大きな口。

 その口は怪物の頭頂部にあったのだ。

 大きく開いた口には人間の歯と全く同じで、しかしより巨大な臼歯が

綺麗に上下横並びにびっしり生えている。


 その口の下では、体勢に合わせて角度を変えた双眸がドリスを見据えている。

 口と目の位置が通常の生き物とは上下逆だった。


 蛇に睨まれた蛙のごとく、ドリスは動けなかった。


 怪物が這うようにゆっくりと近づいてくる。

 けれども足が震えて言うことを聞かない。

 思考も停止していた。


 だから


 家の屋根から一人の少女が怪物に向かって飛び降りていくのも、

まるでスローモーションのようにぼんやりと認識していた。

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