法を駆ける少女
最初は男で書いてたのですが、本気っぽくなってしまってコメディにならんので性別変えました。ランダムお題小説です。【テープレコーダ、エントランス、歯医者】
「沙希に折り入って話、というかお願いがあるんだけど……実は、最近気になる人が出来た」
突然そんな事を言い出した友人に対して、浅岸沙希は目を大きくして戸惑いながら、「へぇ」となんとか返した。
「え? それ今ここでしなきゃいけない話?」
大学の講義中、大教室の真ん中に座り、もちろん講義の内容なんてまともに聞いてなかったわけだが、教授がテスト範囲を発表し始めたタイミングでそんな事を言われるとは。それだけに、沙希は思わず戸惑ってしまった。
頭の中を整理して、それからようやくまともな返事を返す。
「それで、その気になる人ってのは?」
半ば社交辞令でそう聞くと、友人である亜矢は得意気に答えた。
「それがさ、この前歯医者に行った時にたまたま待合室にいた男の人なんだけど、これがまた良いのよ。なんて言うか、雰囲気? があってさ」
「その人と話でもしたの?」
「ううん。いきなり話しかけるのもあれでしょ? だからその時は何も話せなかったんだけど、後から気になっちゃって」
興奮気味に言う亜矢に若干呆れながら、沙希は黒板をちらりと見た。教授が話し続けているだけで板書が進んでいない事を確認し、沙希は再び視線を戻した。
「よくもまあ、見た目だけでそんなに盛り上がれるね。私には分からんわ。それに、歯医者の客? 患者? どっちで言うのか分かんないけど、それで来てた人ならもう会うことも無いんじゃない?」
「相手が私じゃなかったらね」
「や、その返しはどうよ」
「いいから聞いて。私の方が先に受付の人に呼ばれたんだけどさ、まずはそれを完全に無視。私いませんよ、みたいなね。ああいうところって受付の人ころころ変わるから、意外とバレないんだよね。で、次に呼ばれたその人の名前をしっかりキープしたわけ」
「色々言いたいことは全部置いとくとして、名前が分かったところでどうしようもないでしょ」
「普通はね。名前のチェックまでなら誰でもしてるし」
そうか? と沙希は思ったが、話の腰を折るのも面倒なので黙っている事にする。亜矢は構わず話を続けた。
「名前が分かれば動きようはあるのよ。携帯電話って知ってる?」
「何で知らない可能性がある質問なんだよ。これでしょ?」
「そう。その携帯電話。普段は殆ど使わないけど、携帯電話にはテープレコーダと同じ機能も付いてるんだよね。歯医者って次に来る日の確認を受付でするでしょ? だから私、自分の名前がもう一度呼ばれた時に携帯電話のレコーダ機能をオンにして受付付近に隠しておい……ちょっと、何その顔? 本当はその人が戻ってくるまで私が待合室にいれればいいんだけど、さすがにそれは怪しすぎだからさ。その点、携帯電話なら例え見つかっても落し物として届けられるだけだから」
「凄えな、アンタ」
「そうだね。咄嗟にしては機転が効いてたと思う」
「や、そこに対して凄いって言った訳じゃないんだけど」
「というわけでさ、そこまで来れば後は簡単。日取りと時間をその人と一緒にして、また会いましたねって声かけるだけ……の、はずだったんだけど」
「はずだったんだけど?」
「次の予約日に来ないんだよ、彼が。もう驚いたの何のって。始めは遅刻かな? くらいに思ってたんだけど、結局その日一日彼は現れなかった」
「ちょっと待って。あの、もし、その一日っていうのは一日中いたって事でしょうか?」
「あ、ちゃんと外から見張ったから大丈夫だよ」
「大丈夫の基準おかしいわ! 来なかったの天罰でしょ」
「ちょっ! ちゃんと応援する方向で聞いる? 何の為に話してると思ってんの?」
亜矢が捲くし立てるようにして言うので、沙希は目を瞑って両手を挙げて見せた。
お手上げという事だ。色々な意味で。
「そこで私は考えました。来なかった理由なんて一つしかない。予約日を変更したってこと。歯の病気って結局治療しなきゃ治らない類のものだから、このままキャンセルはありえない。それで私はどうしたと思う?」
「さっぱり。もう全く理解の外」
「正解は、妹のふりして電話をかけたでした。先日は兄がすいません。急に予定日を変更してもらって、とか何とか切り出してね。それで、もう一度次の予約日を確認させてくださいって言ったわけ。こういうのは余計なことを言い過ぎないのがコツね。それで次の予約日を手に入れた」
「微塵もブレないな、アンタ」
もはや尊敬に値する。話があらぬ方向に進んでいくので、沙希は黒板を見るのも忘れて聞き入ってしまった。
「で、次の日に行ったらちゃんと彼はいた。でもね、また問題発生」
「え? また何か問題? っていうか、既にアンタが大問題だけど」
それがねえ、と亜矢は口をすぼめて、それから小さくため息をついた。
「色々と考えすぎて、次に会った時は緊張しちゃってさ。声どころか、目が合おうもんなら卒倒しちゃうぐらいの純愛ぶりよ」
「へえ。今更それを純愛とか呼んじゃうんだ」
「しかも、その日で私の治療は最後。最初と同じ手口で彼の診察日を調べるのが精一杯だった。こうなったら、最後は結局古典的な手に頼るしかないよね」
「まさか、診察の後につけたの?」
沙希の問いに、亜矢は「まさか」と首を横に振った。胸を撫で下ろす思いで息をついた直後、亜矢はこう続けた。
「その日は大人しく帰ったよ」
「うっわぁ」嘆いて、沙希は目を細める。「それ完全に予備軍から一軍入りしてるわ」
「大丈夫、大丈夫」
「アンタの大丈夫はもう当てにならないから。それ犯罪ギリギ……犯罪だよ」
「バレたらね。でも、人って案外他人を意識しないものだよ。普段見てるのは足元とか、進む方向とか。もちろん、待合室にいた人が同じ道を歩いてたら誰だって気に止めるだろうけど、それ考えて日を改めたしね。ようは相手の識別空間に入らなきゃいいわけだから。普段でも好みの人が歩いて来たら目をやったりするけど、それが20、30メートル離れてたら意識にすら入れないでしょ?」
「プロの意見ですね」
「ありがとう」
「褒めてない」
「まあ、そんなわけで私はその人の後をつけた。電車だけでバスに乗らなかったのは幸いだったかな。それで辿り着いたのが、」
そっと、亜矢は顔を近づけて駅名を耳打ちする。
「え? めちゃくちゃ近いじゃん」
「そう。彼意外と近くに住んでたんだよ。私の家からでも六駅ぐらいしか離れてない。その駅の東口から出て、古びたシーソーと砂場のある公園を横切って、道なりに進んだ先にある長い階段を上る」
亜矢の細かな状景描写を聞きながら、沙希は、あれ? と懸念を抱く。思わず話に聞き入っていたが、亜矢の説明が進むに連れ、懸念が不安へと変わっていった。
「階段を上った先は住宅街ね。二つ目の十字路を右に曲がって、ちょっと進むと自動販売機が二台設置された公園があるでしょ?」
ある。よく知っている公園だ。
ここに来て、沙紀はこの話の着地点がようやく見えた。
「あのさ! まさかお願いって!」
沙希が言いかけた言葉を、亜矢が片手を広げて遮った。出鼻を挫かれ、沙希は言葉を飲み込む。それを見ると、亜矢は唇を吊り上げて更に続けた。
「その公園の前の道を真っ直ぐに進むと、茶色い外壁の綺麗なマンションに辿り着く。彼はそこに入って行った。入り口がオートロックの自動ドアになっててさ、次に来る人を待つって手もあったけど、もっと手っ取り早い方法でいったわ」
「……今度は何した?」
「沙紀が思ってるより簡単な事だよ。マンションって大抵エントランスにインターフォン付いてるじゃん? 適当な部屋番号押してこう言っただけ。〝どーもー! 宅急便でーす!〟」
「配達員は〝どーもー!〟とか言わねーよ!」
「まあまあ。とにかく、そのマンションの503号室が彼の家だった。どう? これで分かった?」
亜矢は言い切った満足感をいっぱいに顔に出し、沙希は引きつった笑みを浮かべた。眉をひくひくと動かしながら、答えの見えた質問をする。
「その彼の名前は?」
「浅岸陽介。アナタのお兄さん」
ここまで読んで下さってありがとうございました。