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反転の巫女 ~「役立たずの巫女は移民船から降りろ」と追放されたけど、私だけが知る〈約束の惑星〉の真実を隠したまま去ります。なお、あなた方が向かう先は死の星です~

作者: uta
掲載日:2026/09/12

「セラフィナ、お前は星辰譜をまともに詠唱できぬ役立たずだ」


聖ヴェルナ神殿の大広間に、婚約者ユーリアスの声が朗々と響いた。


「婚約を破棄する。移民船の搭乗名簿からも除名だ。惑星に残って、朽ちるがいい」


数百の民衆が固唾を呑んで私を見つめている。中央祭壇の下、私は一人、白い巫女装束のまま立たされていた。


――ああ、やっと言ってくださったのね。


私は前世で、宇宙開発機構のシステム解析官だった。事故で死んで、この剣と魔法の惑星に転生した。そして知ってしまった。この世界の『魔法』が失われた古代科学であり、神殿と呼ばれる遺跡が、千年前に祖先を運んだ恒星間移民船――魔導方舟であることを。


だから神聖文字も、私にはただの文字列に見える。詩ではなく、航行ログの数値として。


「聞いているのか、役立たず」


ユーリアスが眉を吊り上げる。金髪碧眼の華やかな美貌に、生まれつきの選民意識を貼りつけた男。


その隣で、亜麻色の巻き髪の少女がくすりと笑った。真の聖女、ミレイユ。


「かわいそうなセラフィナ様。星の詩が、一言も歌えないんですもの」


民衆がどっと沸く。彼女の神託詩は美しい。うっとりするほど、旋律的で、感動的で――そして、一つの数値も含んでいない。


当然だ。彼女は神聖文字を、一文字も読めていないのだから。


私は静かに口を開いた。


「……確認します。第二次方舟の目的地、『約束の惑星ネオ・エデン』へ、本当に向かうのですね」


「無論だ。ミレイユの神託が示した楽園だ」


そう。ならば、もう何も言うまい。


私の頭の中には、正しいログの数値が刻まれている。あなた方が讃える約束の惑星の座標――そこに記録された、たった一行の警告文が。


【生存不可・大気組成崩壊・恒星寿命末期】


専門用語で言えば、死の星。詠唱で誤魔化せるといいですね。


「そうですか。……大気組成崩壊、恒星寿命末期。専門用語で言えば、死の星です。詠唱で誤魔化せるといいですね」


「何を言っている。またお前の妄言か」


「いいえ、何も。承知いたしました。では、失礼いたします」


私は深く一礼した。喚かない。縋らない。追放されるなら、真実を告げる義務もない。


「……なんですの、その態度」


ミレイユの声が、初めて少し掠れた。


「喚きも縋りもいたしません。追放されるなら、真実を告げる義務も、もうありませんので」


「ま、待ちなさいっ、その言い方……!」


私は背を向けた。最後に、ほんの少しだけ振り返る。


「愛も、地位も、もういりません。ただ――私が黙って持ち去るこの真実の意味を、あなた方はいずれ思い知る」


***


神殿の回廊を、私は一人で歩いていた。背後の熱狂は、もう遠い。


――愛も、地位も、もういらない。


私はこの世界に転生してから、ずっと『正確であること』を捨てなかった。神託を求められれば、美しく意訳することを拒み、常に数値を告げた。だから役立たずと蔑まれた。


馬鹿正直だと、自分でも思う。


でも、それでよかった。おかげで私の頭には、嘘のない数字だけが残っている。


「セラフィナ様っ!」


小さな足音が駆けてくる。栗色の髪を二つに結んだ見習い巫女、リコだった。そばかすの残る顔を、涙でぐしゃぐしゃにしている。


「ひどいです、あんなの! セラフィナ様の言うことは、いつも後で正しかったのに!」


「リコ。泣かないで」


「わたし、荷物に端末の複製データと保存食、忍ばせておきました。だって……だってセラフィナ様ですもん!」


幼い忠誠が、胸に沁みた。私はこの子の頭を、そっと撫でる。


「ありがとう。……一つだけ覚えておいて。もし空が騒がしくなったら、私を思い出しなさい」


「え……? それって、どういう……」


「行くわ。元気で」


私は門をくぐった。二度と振り返らないつもりで。


王都を出て、荒野の街道をどれほど歩いただろう。日が傾き、影が長く伸びた頃、私の足はもつれ始めた。追放の身に、馬も食料も許されはしない。


そのとき。


地響きのような足音とともに、巨大な影が私の前に立ち塞がった。


身の丈二メートル近い偉躯。黒鱗の混じる浅黒い肌に、金色の竜眼。額には伸びかけた小さな角。


竜人。噂に聞く、辺境守備の将軍。視線だけで新兵が失神するという――


「……」


男は無言だった。ただ黙って、私を見下ろしている。冷酷無比と評判の顔で。


「……竜人の将軍様。斬るなら、どうぞ。抵抗する気力もありませんので」


と思った瞬間。


男はばさりと、自分の分厚いマントを私の肩にかけた。


「……え」


そして、また沈黙。数十分は歩いただろうか。私が困惑のまま隣を歩き続けると、男はようやく、絞り出すように言った。


「……腹は」


「……は?」


「腹は、減っているか」


威嚇のような低音。だが、その言葉の中身は、間違いなく――心配だった。


***


焚き火のはぜる音だけが、夜の荒野に響いていた。


将軍――ガルヴィス・ドラクレアは、串に刺した肉を無言で私に差し出した。ぶっきらぼうに、けれど一番良い部分を。


「食え。一番良いところだ」


「ありがとうございます。……なぜ、私を拾ったのですか」


ガルヴィスは火を見つめたまま、しばらく黙り、それから低く言った。


「……お前は、嘘をつかん顔をしている」


意外な言葉だった。私はつい、口元を緩める。


「……私、神殿では役立たずと呼ばれていました。星の詩が歌えない、と」


「詩など、どうでもいい」


即答だった。こんなにあっさり言われたのは、初めてだ。


彼は懐から、古びた金属片を取り出す。表面に刻まれた文字――それは神聖文字。いや、私の目には、こう見える。【格納庫アクセスキー・竜語認証限定】


「これは、一族が代々守る、開かずの扉の鍵だ。中身は、誰も知らん」


「それは……! 【格納庫アクセスキー・竜語認証限定】……将軍、一つ、頼みがあります」


「……言え」


私は膝を進めた。菫色の瞳に、久しく忘れていた熱が灯る。


「その扉、私に開かせてください。中にあるのは、旧型の小型方舟――第零号機。この惑星で唯一、正しい座標を積んで飛べる船です」


「……お前に、何がわかる」


「全部です。約束の惑星は、死の星。あの計画は、数万の民を全員、墓場へ運ぶものです。私以外、誰も、あの文字を読めないから」


沈黙。


ガルヴィスの金色の竜眼が、まっすぐ私を射抜いた。それから、彼は静かに立ち上がる。


「……信じよう」


「え」


「お前の言葉を、最後まで聞いた者は、俺が初めてか」


「……はい。この世界に来て、初めてです」


この世界に転生して初めて、誰かが私の真実を、疑わずに受け取ってくれた。


ガルヴィスは背を向け、ぼそりと付け加えた。その耳の後ろの角が、なぜか、ほんのり赤い。


「……行くぞ。扉まで、案内する」


***


王都の空が、ざわめいていた。


第二次方舟の出航準備は、大詰めを迎えていた。数万の民が、約束の惑星への希望を胸に、巨大な神殿=方舟へと乗り込んでいく。


その中央制御室で、異変は起きていた。


「神官長! 大気解析値が……また異常値です!」


「なんだと。ミレイユ! お前の神託は、正しかったのだろうな!」


祭壇の上で、聖女ミレイユの美声が震えていた。


「そ、そんな……わたくしの詩は、いつも民を導いて……」


「座標を出せ! 正確な数値をだ!」


「数値……? わ、わたくしは聖女ですわ! 数値なんて、そんな無粋なもの――」


「無粋だと!? ……まさか、お前は、一度も」


ミレイユの顔から、血の気が引いていく。


彼女は一度も、数値を告げたことがなかった。ただ美しく歌っただけ。星がきらめく、楽園が待つ、と。詩には、一つの座標も、含まれていなかった。


ユーリアスの声が裏返った。彼の脳裏に、忘れていた記憶が蘇る。


――地味で、正確で、いつも数字ばかり告げていた、あの女。


『大気組成崩壊。恒星寿命末期。この座標へ向かえば、全員死にます』


そう淡々と警告したセラフィナを、彼は『役立たずの嫉妬』と切り捨てた。


「星辰譜を、本当に読めていたのは……最初から……あの女だけだったのか」


ユーリアスの膝が、がくりと折れた。


そのとき、制御室の扉が勢いよく開いた。


見習い巫女のリコが、息を切らして飛び込んでくる。


「みんな、船から降りて! この船が向かう先は、死の星なんです! セラフィナ様が、ずっと言ってたのに!」


「小娘が、黙れ!」


「黙りません! セラフィナ様の言うことは、いつも後で正しかった! 今度も、絶対にそうです!」


民衆がどよめく。星図の座標は、なおも定まらず、明滅を続けていた。


まるで、審判の時を告げる鐘のように。


***


崩れかけた神殿の空を、一条の光が裂いた。


旧型の小型方舟――第零号機。銀灰色の船体が、混乱する王都の広場に、静かに降り立つ。


ハッチが開く。


現れたのは、白い巫女装束の女性。背後に、竜人将軍ガルヴィスを従えて。


「セ、セラフィナ……!?」


ユーリアスが、床にへたり込んだまま呻いた。


セラフィナは、群衆を見渡した。数万の、怯えた瞳を。そして、静かに口を開く。


「大気解析の異常。座標の破綻。おそらく、皆さんもう気づいていますね」


彼女は端末に触れた。空中に、巨大な星図が展開される。今度は、明確に。誤魔化しようもなく。


「約束の惑星ネオ・エデン。ミレイユ様が讃えた楽園。その正体は――これです」


座標の隣に、赤い警告文が浮かび上がった。


【生存不可・大気組成崩壊・恒星寿命末期】


悲鳴が広がる。


「そんな……わたくしは、ただ、美しく……」ミレイユが後ずさる。「そ、そうよ、悪いのは正しく伝えなかったセラフィナよ! この女が、隠していたのよ!」


「隠していた?」


セラフィナは、冷ややかに微笑んだ。


「私は公開の場で、はっきり警告しました。『この座標へ向かえば全員死ぬ』と。それを『役立たずの嫉妬』と切り捨てたのは、どなたでしたか」


「そ、それは……」


「……私だ」ユーリアスが、掠れた声で呻いた。「私が、切り捨てた」


ミレイユが、言葉を失う。


「私は追放された身。本来なら、真実を告げる義務など、もうありません」


静かな声が、広場を支配する。喚かず、怒鳴らず。ただ、事実だけが刃となって。


「愛も地位も、あなた方はすべて奪いました。ですが――私は、私怨で人を殺しはしない」


セラフィナは星図を切り替えた。新たな座標が輝く。


【第二候補星・大気安定・生存可能・搭乗者生存率98.7%】


「本当に人類が生き延びられる星の座標です。私しか、解読していませんでした。第零号機の航行ログに、全員を導く設定を組み込みました」


彼女はガルヴィスを振り返る。


「……船は動く。俺が起動させた。全員、乗れる」


竜人の将軍が、無言で、けれど確かに頷いた。彼の竜語認証が、この船を起動させたのだ。


「苦情は受け付けません」


セラフィナは、そう言い切ってから――ほんの少し、声を和らげた。


「……ただし、希望なら。まだ、間に合います」


民衆が、堰を切ったように第零号機へ向かう。リコが人波を縫って駆け寄り、彼女に飛びついた。


「ほら! やっぱり、セラフィナ様が正しかった!」


床に泣き崩れたユーリアスが、譫言のように繰り返す。


「違う……違うんだ……私は、ただ、美しい神託を……」


セラフィナは、彼を一瞥もせず告げた。


「美しい詩は、一人の命も運べません。それだけのことです」


二人が讃えた『約束の惑星』は、死の星だった。その事実だけが、静かに彼らの上に降り積もっていく。


***


第二候補星への航路は、安定していた。


数万の民を乗せた方舟の群れが、正しい座標へと針路を取る。もう、座標は明滅しない。誤魔化しの詩も、必要ない。ただ、正確な数値だけが、人々を生へと導いていく。


第零号機の操縦室で、セラフィナは深く息を吐いた。


「終わったな」ガルヴィスが、ぼそりと言う。


「ええ。……あなたのおかげです」


「俺は、扉を開けただけだ」


「その扉が、全員を救ったんです」


セラフィナが微笑むと、竜人の将軍は視線を逸らした。額の角が、また、ほんのり赤い。


「……お前は、これから、どうする。地位も、神殿も、失ったままだぞ」


「いりません、あんなもの。私が欲しかったのは、真実を真実として受け取ってくれる、たった一人だけでしたから」


ガルヴィスが、ぐっと詰まる。


「あなたが、私の言葉を最後まで聞いてくれた。それで、十分です」


「……そ、そうか。……いや、あー……」


また威嚇のような低音になりかけて、口を閉じてしまわれた。……その不器用さが、なぜか愛おしい。


――さて。


セラフィナは、ふと操縦席の端末に目を留めた。第零号機の、深層ログ。誰も触れたことのない、最も古い記録階層。


「……ガルヴィス。この深層ログ、誰も触れたことのない記録階層です。少し、見てみます」


「……好きにしろ」


何気なく、彼女はそこに手を伸ばす。


刹那。


膨大な神聖文字が、滝のように流れ出した。彼女の菫色の瞳が、ゆっくりと見開かれていく。


「……これは」


「どうした」


前世の解析官としての本能が、警鐘を鳴らす。


この惑星は――祖先が『辿り着いた』入植惑星ではなかった。


「【第一次移住・完了。当該惑星は「捨てられた地」に非ず。当該惑星には〈対象〉が封印されている。方舟計画はその監視を兼ねる。真実の開示は、解読者一名に限り許可する――】」


「封印……? 監視だと」


セラフィナは、震える指で、その一行をなぞった。


「私たちは、逃げてきたのではなかった。この惑星に、何かを閉じ込めるために――送り込まれたんです」


ガルヴィスの金色の竜眼が、鋭く細まる。


「……では、俺の一族が守っていた扉は」


「その〈対象〉の、鍵だったのかもしれません。……ガルヴィス」


「……ん」


彼女の声は、静かだった。けれどその奥に、新たな決意が灯りはじめていた。


「まだ、終わっていなかったみたいです。……本当の物語は、たぶん、ここからです」


窓の外、遠ざかっていく古い惑星が、封印された秘密を抱えたまま、静かに青く光っていた。

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