反転の巫女 ~「役立たずの巫女は移民船から降りろ」と追放されたけど、私だけが知る〈約束の惑星〉の真実を隠したまま去ります。なお、あなた方が向かう先は死の星です~
「セラフィナ、お前は星辰譜をまともに詠唱できぬ役立たずだ」
聖ヴェルナ神殿の大広間に、婚約者ユーリアスの声が朗々と響いた。
「婚約を破棄する。移民船の搭乗名簿からも除名だ。惑星に残って、朽ちるがいい」
数百の民衆が固唾を呑んで私を見つめている。中央祭壇の下、私は一人、白い巫女装束のまま立たされていた。
――ああ、やっと言ってくださったのね。
私は前世で、宇宙開発機構のシステム解析官だった。事故で死んで、この剣と魔法の惑星に転生した。そして知ってしまった。この世界の『魔法』が失われた古代科学であり、神殿と呼ばれる遺跡が、千年前に祖先を運んだ恒星間移民船――魔導方舟であることを。
だから神聖文字も、私にはただの文字列に見える。詩ではなく、航行ログの数値として。
「聞いているのか、役立たず」
ユーリアスが眉を吊り上げる。金髪碧眼の華やかな美貌に、生まれつきの選民意識を貼りつけた男。
その隣で、亜麻色の巻き髪の少女がくすりと笑った。真の聖女、ミレイユ。
「かわいそうなセラフィナ様。星の詩が、一言も歌えないんですもの」
民衆がどっと沸く。彼女の神託詩は美しい。うっとりするほど、旋律的で、感動的で――そして、一つの数値も含んでいない。
当然だ。彼女は神聖文字を、一文字も読めていないのだから。
私は静かに口を開いた。
「……確認します。第二次方舟の目的地、『約束の惑星ネオ・エデン』へ、本当に向かうのですね」
「無論だ。ミレイユの神託が示した楽園だ」
そう。ならば、もう何も言うまい。
私の頭の中には、正しいログの数値が刻まれている。あなた方が讃える約束の惑星の座標――そこに記録された、たった一行の警告文が。
【生存不可・大気組成崩壊・恒星寿命末期】
専門用語で言えば、死の星。詠唱で誤魔化せるといいですね。
「そうですか。……大気組成崩壊、恒星寿命末期。専門用語で言えば、死の星です。詠唱で誤魔化せるといいですね」
「何を言っている。またお前の妄言か」
「いいえ、何も。承知いたしました。では、失礼いたします」
私は深く一礼した。喚かない。縋らない。追放されるなら、真実を告げる義務もない。
「……なんですの、その態度」
ミレイユの声が、初めて少し掠れた。
「喚きも縋りもいたしません。追放されるなら、真実を告げる義務も、もうありませんので」
「ま、待ちなさいっ、その言い方……!」
私は背を向けた。最後に、ほんの少しだけ振り返る。
「愛も、地位も、もういりません。ただ――私が黙って持ち去るこの真実の意味を、あなた方はいずれ思い知る」
***
神殿の回廊を、私は一人で歩いていた。背後の熱狂は、もう遠い。
――愛も、地位も、もういらない。
私はこの世界に転生してから、ずっと『正確であること』を捨てなかった。神託を求められれば、美しく意訳することを拒み、常に数値を告げた。だから役立たずと蔑まれた。
馬鹿正直だと、自分でも思う。
でも、それでよかった。おかげで私の頭には、嘘のない数字だけが残っている。
「セラフィナ様っ!」
小さな足音が駆けてくる。栗色の髪を二つに結んだ見習い巫女、リコだった。そばかすの残る顔を、涙でぐしゃぐしゃにしている。
「ひどいです、あんなの! セラフィナ様の言うことは、いつも後で正しかったのに!」
「リコ。泣かないで」
「わたし、荷物に端末の複製データと保存食、忍ばせておきました。だって……だってセラフィナ様ですもん!」
幼い忠誠が、胸に沁みた。私はこの子の頭を、そっと撫でる。
「ありがとう。……一つだけ覚えておいて。もし空が騒がしくなったら、私を思い出しなさい」
「え……? それって、どういう……」
「行くわ。元気で」
私は門をくぐった。二度と振り返らないつもりで。
王都を出て、荒野の街道をどれほど歩いただろう。日が傾き、影が長く伸びた頃、私の足はもつれ始めた。追放の身に、馬も食料も許されはしない。
そのとき。
地響きのような足音とともに、巨大な影が私の前に立ち塞がった。
身の丈二メートル近い偉躯。黒鱗の混じる浅黒い肌に、金色の竜眼。額には伸びかけた小さな角。
竜人。噂に聞く、辺境守備の将軍。視線だけで新兵が失神するという――
「……」
男は無言だった。ただ黙って、私を見下ろしている。冷酷無比と評判の顔で。
「……竜人の将軍様。斬るなら、どうぞ。抵抗する気力もありませんので」
と思った瞬間。
男はばさりと、自分の分厚いマントを私の肩にかけた。
「……え」
そして、また沈黙。数十分は歩いただろうか。私が困惑のまま隣を歩き続けると、男はようやく、絞り出すように言った。
「……腹は」
「……は?」
「腹は、減っているか」
威嚇のような低音。だが、その言葉の中身は、間違いなく――心配だった。
***
焚き火のはぜる音だけが、夜の荒野に響いていた。
将軍――ガルヴィス・ドラクレアは、串に刺した肉を無言で私に差し出した。ぶっきらぼうに、けれど一番良い部分を。
「食え。一番良いところだ」
「ありがとうございます。……なぜ、私を拾ったのですか」
ガルヴィスは火を見つめたまま、しばらく黙り、それから低く言った。
「……お前は、嘘をつかん顔をしている」
意外な言葉だった。私はつい、口元を緩める。
「……私、神殿では役立たずと呼ばれていました。星の詩が歌えない、と」
「詩など、どうでもいい」
即答だった。こんなにあっさり言われたのは、初めてだ。
彼は懐から、古びた金属片を取り出す。表面に刻まれた文字――それは神聖文字。いや、私の目には、こう見える。【格納庫アクセスキー・竜語認証限定】
「これは、一族が代々守る、開かずの扉の鍵だ。中身は、誰も知らん」
「それは……! 【格納庫アクセスキー・竜語認証限定】……将軍、一つ、頼みがあります」
「……言え」
私は膝を進めた。菫色の瞳に、久しく忘れていた熱が灯る。
「その扉、私に開かせてください。中にあるのは、旧型の小型方舟――第零号機。この惑星で唯一、正しい座標を積んで飛べる船です」
「……お前に、何がわかる」
「全部です。約束の惑星は、死の星。あの計画は、数万の民を全員、墓場へ運ぶものです。私以外、誰も、あの文字を読めないから」
沈黙。
ガルヴィスの金色の竜眼が、まっすぐ私を射抜いた。それから、彼は静かに立ち上がる。
「……信じよう」
「え」
「お前の言葉を、最後まで聞いた者は、俺が初めてか」
「……はい。この世界に来て、初めてです」
この世界に転生して初めて、誰かが私の真実を、疑わずに受け取ってくれた。
ガルヴィスは背を向け、ぼそりと付け加えた。その耳の後ろの角が、なぜか、ほんのり赤い。
「……行くぞ。扉まで、案内する」
***
王都の空が、ざわめいていた。
第二次方舟の出航準備は、大詰めを迎えていた。数万の民が、約束の惑星への希望を胸に、巨大な神殿=方舟へと乗り込んでいく。
その中央制御室で、異変は起きていた。
「神官長! 大気解析値が……また異常値です!」
「なんだと。ミレイユ! お前の神託は、正しかったのだろうな!」
祭壇の上で、聖女ミレイユの美声が震えていた。
「そ、そんな……わたくしの詩は、いつも民を導いて……」
「座標を出せ! 正確な数値をだ!」
「数値……? わ、わたくしは聖女ですわ! 数値なんて、そんな無粋なもの――」
「無粋だと!? ……まさか、お前は、一度も」
ミレイユの顔から、血の気が引いていく。
彼女は一度も、数値を告げたことがなかった。ただ美しく歌っただけ。星がきらめく、楽園が待つ、と。詩には、一つの座標も、含まれていなかった。
ユーリアスの声が裏返った。彼の脳裏に、忘れていた記憶が蘇る。
――地味で、正確で、いつも数字ばかり告げていた、あの女。
『大気組成崩壊。恒星寿命末期。この座標へ向かえば、全員死にます』
そう淡々と警告したセラフィナを、彼は『役立たずの嫉妬』と切り捨てた。
「星辰譜を、本当に読めていたのは……最初から……あの女だけだったのか」
ユーリアスの膝が、がくりと折れた。
そのとき、制御室の扉が勢いよく開いた。
見習い巫女のリコが、息を切らして飛び込んでくる。
「みんな、船から降りて! この船が向かう先は、死の星なんです! セラフィナ様が、ずっと言ってたのに!」
「小娘が、黙れ!」
「黙りません! セラフィナ様の言うことは、いつも後で正しかった! 今度も、絶対にそうです!」
民衆がどよめく。星図の座標は、なおも定まらず、明滅を続けていた。
まるで、審判の時を告げる鐘のように。
***
崩れかけた神殿の空を、一条の光が裂いた。
旧型の小型方舟――第零号機。銀灰色の船体が、混乱する王都の広場に、静かに降り立つ。
ハッチが開く。
現れたのは、白い巫女装束の女性。背後に、竜人将軍ガルヴィスを従えて。
「セ、セラフィナ……!?」
ユーリアスが、床にへたり込んだまま呻いた。
セラフィナは、群衆を見渡した。数万の、怯えた瞳を。そして、静かに口を開く。
「大気解析の異常。座標の破綻。おそらく、皆さんもう気づいていますね」
彼女は端末に触れた。空中に、巨大な星図が展開される。今度は、明確に。誤魔化しようもなく。
「約束の惑星ネオ・エデン。ミレイユ様が讃えた楽園。その正体は――これです」
座標の隣に、赤い警告文が浮かび上がった。
【生存不可・大気組成崩壊・恒星寿命末期】
悲鳴が広がる。
「そんな……わたくしは、ただ、美しく……」ミレイユが後ずさる。「そ、そうよ、悪いのは正しく伝えなかったセラフィナよ! この女が、隠していたのよ!」
「隠していた?」
セラフィナは、冷ややかに微笑んだ。
「私は公開の場で、はっきり警告しました。『この座標へ向かえば全員死ぬ』と。それを『役立たずの嫉妬』と切り捨てたのは、どなたでしたか」
「そ、それは……」
「……私だ」ユーリアスが、掠れた声で呻いた。「私が、切り捨てた」
ミレイユが、言葉を失う。
「私は追放された身。本来なら、真実を告げる義務など、もうありません」
静かな声が、広場を支配する。喚かず、怒鳴らず。ただ、事実だけが刃となって。
「愛も地位も、あなた方はすべて奪いました。ですが――私は、私怨で人を殺しはしない」
セラフィナは星図を切り替えた。新たな座標が輝く。
【第二候補星・大気安定・生存可能・搭乗者生存率98.7%】
「本当に人類が生き延びられる星の座標です。私しか、解読していませんでした。第零号機の航行ログに、全員を導く設定を組み込みました」
彼女はガルヴィスを振り返る。
「……船は動く。俺が起動させた。全員、乗れる」
竜人の将軍が、無言で、けれど確かに頷いた。彼の竜語認証が、この船を起動させたのだ。
「苦情は受け付けません」
セラフィナは、そう言い切ってから――ほんの少し、声を和らげた。
「……ただし、希望なら。まだ、間に合います」
民衆が、堰を切ったように第零号機へ向かう。リコが人波を縫って駆け寄り、彼女に飛びついた。
「ほら! やっぱり、セラフィナ様が正しかった!」
床に泣き崩れたユーリアスが、譫言のように繰り返す。
「違う……違うんだ……私は、ただ、美しい神託を……」
セラフィナは、彼を一瞥もせず告げた。
「美しい詩は、一人の命も運べません。それだけのことです」
二人が讃えた『約束の惑星』は、死の星だった。その事実だけが、静かに彼らの上に降り積もっていく。
***
第二候補星への航路は、安定していた。
数万の民を乗せた方舟の群れが、正しい座標へと針路を取る。もう、座標は明滅しない。誤魔化しの詩も、必要ない。ただ、正確な数値だけが、人々を生へと導いていく。
第零号機の操縦室で、セラフィナは深く息を吐いた。
「終わったな」ガルヴィスが、ぼそりと言う。
「ええ。……あなたのおかげです」
「俺は、扉を開けただけだ」
「その扉が、全員を救ったんです」
セラフィナが微笑むと、竜人の将軍は視線を逸らした。額の角が、また、ほんのり赤い。
「……お前は、これから、どうする。地位も、神殿も、失ったままだぞ」
「いりません、あんなもの。私が欲しかったのは、真実を真実として受け取ってくれる、たった一人だけでしたから」
ガルヴィスが、ぐっと詰まる。
「あなたが、私の言葉を最後まで聞いてくれた。それで、十分です」
「……そ、そうか。……いや、あー……」
また威嚇のような低音になりかけて、口を閉じてしまわれた。……その不器用さが、なぜか愛おしい。
――さて。
セラフィナは、ふと操縦席の端末に目を留めた。第零号機の、深層ログ。誰も触れたことのない、最も古い記録階層。
「……ガルヴィス。この深層ログ、誰も触れたことのない記録階層です。少し、見てみます」
「……好きにしろ」
何気なく、彼女はそこに手を伸ばす。
刹那。
膨大な神聖文字が、滝のように流れ出した。彼女の菫色の瞳が、ゆっくりと見開かれていく。
「……これは」
「どうした」
前世の解析官としての本能が、警鐘を鳴らす。
この惑星は――祖先が『辿り着いた』入植惑星ではなかった。
「【第一次移住・完了。当該惑星は「捨てられた地」に非ず。当該惑星には〈対象〉が封印されている。方舟計画はその監視を兼ねる。真実の開示は、解読者一名に限り許可する――】」
「封印……? 監視だと」
セラフィナは、震える指で、その一行をなぞった。
「私たちは、逃げてきたのではなかった。この惑星に、何かを閉じ込めるために――送り込まれたんです」
ガルヴィスの金色の竜眼が、鋭く細まる。
「……では、俺の一族が守っていた扉は」
「その〈対象〉の、鍵だったのかもしれません。……ガルヴィス」
「……ん」
彼女の声は、静かだった。けれどその奥に、新たな決意が灯りはじめていた。
「まだ、終わっていなかったみたいです。……本当の物語は、たぶん、ここからです」
窓の外、遠ざかっていく古い惑星が、封印された秘密を抱えたまま、静かに青く光っていた。




