第5話:サグラダ・ファミリアと、ばーばんの謎のジュース
十六歳になり、私はアルバイトを始めた。
家にいるのが、ただひたすらに息苦しかったのだ。
毎日毎日、ワインを片手に聞かされる母の愚痴。
パチンコで作った借金が原因なのか、頻繁に繰り返される母としんちゃんのよくわからない怒鳴り合い。
家に帰りたくない。
その一心で、私は高校の授業が終わるとそのままバイトへ向かい、夜遅くまで働き詰めた。
バイトが終わった後、深夜の駐車場で仲間たちと座って話す時間だけが、私の心を満たしてくれた。
家にいるのは、朝の六時、学校に行くまでのわずかな時間だけだった。体は限界まで疲れていたが、心は不思議と安定していた。
進学先には、大阪府内で一番偏差値の高い工業高校を選んだ。
母は最初渋ったが、偏差値が高く有名な学校だと知ると手のひらを返して賛成した。
私がそこを選んだ理由は、「コンクリートを作って、圧力試験ができるから」だ。当時、アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアを見て激しく感動した私は、人が魂を懸けて作ったものの「美しさ」の虜になっていた。宗教建築のような、誰かが心を込めて作った美しい世界。
それに触れたくて、私は建築を学ぶ道を選び、同時にあの家から物理的に距離を置いたのだ。
ある日、母にこっそりと呼び出された。
母はお金の話をする時、決まって私にだけ、こっそりと話を持ちかけてくる。
「しんちゃんのお母さんがね、お金を借りて壺を買ったの。それがしんちゃん名義になってて……毎月返してるんだけど、なかなか追いつかなくて」
今思えば、そんな借金の仕組みなどあり得ない、ただの嘘だ。しかし、当時の私はそんなことには気づかない。
「うちはお金がないから、もう少し増やして返せたらラクになるんだけどね」
涙ながらに語る母を見て、私は自分がどう答えるべきか、完璧に理解していた。
「大丈夫だよ、お母さん。私が働いて半分返すよ」
私はしっかり者の、いい子でいなければならない。母は私がそう言うとわかっていたはずなのに、驚いたように涙を拭い
「あんたがいてよかった」
と私の手を強く握った。
私は自分の定期代をバイト代から出し、さらに毎月五万円を母に渡し続けた。褒められることが嬉しくて、ただ必死に働いた。
しかし、家の中の空気はさらに悪化していった。
ある夜、深夜にバイトから帰り、みんなが寝静まった真っ暗なリビングで、誰にも迷惑をかけないよう音を消してゲームをしていた時のことだ。
突然、バン!とドアが開き、しんちゃんが鬼の形相で立っていた。
「何時だと思ってるんだ!」
理不尽な怒鳴り声だった。
自分の借金すらまともに返せず、私に肩代わりさせているこの男が、なぜ私を怒鳴るのか。
その日、私の中で何かがぷつりと切れた。
荷物をまとめ、家を飛び出し、「ばーばん(祖母)」の家に向かった。
小さい頃、うまく「おばあちゃん」と呼べなかった私に合わせて、自分のことを「ばーばん」と呼んでくれた、世界で唯一の私の味方。
母のように異常な潔癖症ではないばーばんの家は、物が溢れていたけれど、私にとっては本当の家だった。二人で餃子を作ったり、健康オタクのばーばんが作る不味い謎のジュースを飲まされたりする日々は、本当に楽しかった。
しかし、数ヶ月後。
母がばーばんの家にやってきた。
母は突然、床に手をついて土下座をし、涙を流しながら訴えた。
「二度とあんたにはしんちゃんを関わらせない。だから帰ってきて欲しい」
今思い出せば、あれは完全なパフォーマンスだった。
なぜなら、しんちゃんが私を理不尽に怒鳴りつけたあの夜、母は起きていたのに、ただ黙って見ているだけだったのだから。
それでも私は迷った末に、「必要とされたい」という呪いのような感情に負け、ばーばんに別れを告げて元の家へと戻ってしまった。
私の家出は、親戚中で「しんちゃんが悪い」という話になっていたらしい。帰宅した私に、しんちゃんは機嫌を取るようにニコニコと笑いかけてきた。
「すまなかったな。もうしないから」
この時、私は気づくべきだったのだ。
この男の持つ、理不尽な暴力性の矛先に。
そして、私に怒りをぶつけられなくなった彼が、見えないところで「誰」をその身代わりにしていたのかということに。
ここから基本的に
月曜朝と木曜夜更新になります。
書きためたものが
7話までは完成しています。
記憶を辿り
私の記憶と言う映画をひとりで映画館でみる
私の記憶とはそういうものです。




