02 念のために聞きますが
そうして、少年は知識を積み重ねながらやがて若者となり、青年となって理術士の試験に合格し、理術局理構課に所属することになる。
父親が理術局員であるということで、入局時には少々話題になったものだ。だが、ジェズルの理構課と父の理務課は階が異なり、また、業務中に行き合っても父子は身内の情を全く見せなかったものだから、知らない者には「姓が同じで顔立ちも似ているが、偶然だろう」と思われるくらいだった。
ジェズルにとって父の仕事は、自分が理術士になるきっかけではあったが、それはあくまでも私的な話。仕事上では「同じ職場の先輩」として礼節を尽くす相手、という認識だ。なお父の方は、息子が本当に理術士になったことを誇りにこそ思っているが、職場で馴れ馴れしくすれば互いのためにならないと理性的に判断しているようだった。
つまり、ジェズルの理性的な価値観は父親譲りで、両者を知る者からすると「たとえ姓が違って顔立ちが似ていなくても、血のつながりがあると当てられる」くらいよく似ていたと言える。
「ジェズル殿」
ある日、ジェズルが街でのひと仕事を終えて理術局に帰ってきたときのことだった。着任したばかりの頃から世話になっている彼付きの理報官アーニアが彼を呼び止めた。
「少し時間をよろしいか」
「もちろんです」
何だろうかと思った。
理術士と理報官は日々一緒に仕事をしている。業務上のことはもちろん、ちょっとした雑談や私事の話をすることもあるのだから、何であれそのときに言えばいいことだ。
(わざわざ時間を作って、ということは)
(……推測はつくか)
このとき、ジェズルは二十歳を回った頃。汎理術士として二年、派手な活躍はないが堅実な理術が評価されており、ゆくゆくは理術監へ、などと同僚からも上からも、冗談混じりに言われはじめていた。
当人はそれを鼻にかけるようなこともなく、ただ望まれる術を行いながら新しい理術の考案や既存のものの改善などにも着手し、「自分にできること」を行うのに余念がなかった。
理報官アーニアは三十台半ばほどの男性で、理報課の中堅というところだ。ここ二年、新人のジェズルの指導を兼ねて、彼と仕事をしていた。
「まあ、君のことだ。察したとは思うが」
汎理術士に専用の執務室などはない。その代わり複数の小さな部屋があって、業務上の相談や面談などに使えることになっている。そこに「使用中」の札を下げて戸を閉めると、アーニアはそう口火を切った。
「配置換えが決まった」
「アーニア殿は別の新人に付くのですか?」
「ああ」
答えてアーニアは苦笑した。
「不安そうな顔ひとつしないな、少し寂しいぞ」
「すみません。ですが、近い内に有り得ることと思っていたので、もう心の整理はついているんです」
ジェズルも少し笑みを浮かべて返した。
「『理術士』だな」
アーニアもまた笑ったが、今度は安堵の表情が見えた。
「知っての通り、理術士と理報官は長い付き合いになる。もちろん直接ついている理報官が最も強い絆を育むだろうが、私も理術局の理報官であることは変わりない。何かあればいつでも頼ってくれ」
「有難うございます。本当に心強いです。……とは言え、今日明日ではないでしょう?」
「はは、そうだな。引き継ぎもあるし、数月は先だ。別れを惜しむにはまだ早かったな」
第一報のつもりが別れの挨拶のようになった、とアーニアは笑った。
「後任だが、ジェズル殿と同年代の男だ。実際、それくらいがいちばん上手くいくんだよな。年齢差があると、師弟のようになってしまいがちだから」
理術士と理報官のどちらが年上でも、「導く」「従う」という形が長く続くと、上下関係に近いものができてしまう。ともすれば世間では理術士が「上」と見られるが、彼ら自身がその意識を持つのはよろしくないとされていた。
年上の理術士が「親」や「師匠」になれば、年下の理報官は「徒弟」として唯々諾々と従うのがよいのだと誤解する。逆に理報官が「師匠」役だと、外では逆に扱われることが関係性にヒビを入れかねない。そうしたことからも、感性が近く上下の生まれにくい同年代や同性が望ましいとされていた。
もちろん、なかには年齢差や性差があっても上手く機能している組もある。あくまでも傾向による話だった。
「しかし、同年代の理報官は在籍していなかったと思いますが」
一覧を思い出しながらジェズルは首をかしげる。
「こちらも新人ですか?」
「新人と言えば新人だが、三年の経験者でもある」
「はい?」
「その彼も配置換えって訳だ。王国報宣庁の渉外課から、理術局の理報課に、な」
「報宣庁? 広報ですか?」
ジェズルは目を見開いた。眼鏡の位置がずれる。
「理報官の試験は……」
「当然、通過している」
「それは、すごいですね」
理報官の試験は理術士より難しい、などと言われていた。内容が全く異なるのだから単純に難易度の比較はできないが、理術士になるには最低限の素養――弱い魔力――が必要であるのに対し、理報官には必要ない。そういう意味では理術士よりも競争率が高く、実際、試験も簡単ではない。
それを通ったと言うのか。
報宣庁という国の権威に関わる仕事をしながら、理報官を目指して努力してきた者たちを退けて。
「優秀ではあるはずだ」
ジェズルの感嘆に、アーニアは何か含みのあるような言い方をした。
「何です?」
素直に尋ねると、相手は少し迷うような顔を見せ、それから息を吐いた。
「どうせ噂は出回るな。それなら概要くらいは先に知っておく方がいいだろう」
「それはつまり」
ジェズルは言葉を探した。
「報宣庁にいづらくなった結果、と?」
婉曲に言うなら「失態によって国の広報を担わせるに相応しくないと判断されたのか」。端的に言うなら「何かやらかして追われたのか」だ。
「仮にも理術局が受け入れると決めた人物だ。何か事情はあるんだろうが」
アーニアはまだ濁した。ずいぶん言いづらいようだとジェズルも推察できる。となると。
「……男女関係ですか?」
「……そうなる」
世間で言うところの「女性問題」という類。ジェズルは口を開けてしまったが、意志の力で閉ざした。
アーニアが前置きしたくなるのもよく判る。理術士には強い倫理観が求められるものであり、理術士に近くある理報官もそれは同様なのだ。
「あの、念のために聞きますが」
こほん、とジェズルは咳払いをした。
「何でも言ってくれ」
嘆息して、アーニアは手招くようにする。
「私は、理術士として以外の役割で、彼に向き合う必要が?」
かなり遠回しに言った。だがアーニアには通じるはずだ。
「その必要はない……と考えている」
理報官は何とも言えない表情をした。
「お前たちは共に成長することを期待されている。お前が彼の規範になるべく心がける必要はない……はずだ」
着任三年目で教育やら更生やらを任される訳ではない――と確信するには、アーニアの返事は曖昧すぎた。
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