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第1部 第1話:封鎖駅の条霊

これは、きっと、“約束”が現実を動かす世界。


月曜の深夜、最終列車が出たはずのホームに、場違いなアナウンスだけが残っていた。


「本日、日曜は運休いたします。ご利用のお客さまは——」


……月曜よ。電子掲示も、駅務室のカレンダーも、ちゃんと月曜。


なのに声だけが、昔の日曜へ滑っていく。


私はバインダーを抱え、駅長室のドアを二度ノックした。


「条霊監査室・書記官見習い、みなとユイです。議事を開始します」


志摩しま課長が顎で外を示す。


目の下に疲れはあるのに、視線は冴えていた。


「時刻表が拗ねてる。“日曜は休み”で固定。乗客は帰れない」


「“但し書き”は?」


「ある。“災害時を除く”。ただ、今それを誰が定義する?」


(じゃあ、今ここで定義しましょう。言葉で、安心させながら)


私はホームの柱に付箋を四枚。


風の向きに合わせて角度を揃え、白線と同じ高さに視線を落とす。


見えない相手に、まずは礼儀を——それが監査室の初手。


「駅規則・運行時刻の条霊さん。あなたの“日曜は休み”を尊重します。


けれど——但し書き“災害時”の適用を、確認させてください」


紙が擦れるような気配が、電灯の陰から滲んだ。


吊り下げ時計の振り子が、一拍だけ長く揺れる。


『規則は守られるべきだ。日曜は、休み』


「はい。ですが——“帰宅困難”は災害です」


私はバインダーを開く。


文案は、命令形ではなく許可形。


声を落とし、ゆっくり、安心する速度で読み上げた。


「本件、乗客の安全な帰宅を目的に、臨時運行を許可します。


速度を落とし、作業の妨げとなる観覧行為を制限します」


線路脇の砂利が、かすかに鳴った。


電子掲示の数字がにじみ、空気の重さが半枚、剝がれる。


『……臨時運行を、許可する。


ただし、人を集めるな。安全監視を増やせ』


志摩課長が短く息を吐き、駅長に指示を飛ばす。


「回せる警備は全部回す。広報は?」


インカムの向こう、葉月はづき広報官の明るい声。


「“帰宅支援”の統一文言を出します。


怖がりたい人は駅前の特設区画へ。


現場は無観客で」


私は合意を議事録に写し、末尾に小さく付け足す。


——但し書きの適用範囲を、帰宅困難へ準用。


遠慮がちに、列車のライトがのぞいた。


金属のきしみ。小さな笑い。泣き声の手前の息。


世界が、ほんの少し、更新される音がした。


ホームの端で古い時刻表が風にめくれ、紙の裏から声が囁く。


『次の“災害”の定義も、相談に乗ろう』


「ありがとうございます。また議事を開きます」


十二歳の背丈でも、言葉は届く。


今日はそれを、確かに見た。


———


臨時便は動き出した。


それでも、構内に人は滞留したまま。


掲示板の影がざわつき、古いフォントの注意書きが息を吹き返す。


『構内立ち入りは、営業時間内に限る』


私は危機管理課の回線を開き、駅長・警備会社・志摩課長をスピーカーフォンで束ねた。


三度の電子音。


久遠くおん監査官の落ち着いた声が乗る。


『条文案は送った。命令は避け、目的と許可を先に書け。


運用条件は最後だ』


「了解。読み上げます」


私は“議事録の声”に切り替え、言葉を積む。


「本件、帰宅困難の解消を目的に、構内開放の臨時延長を許可します。


安全監視を増員し、混雑時は一時退避所として運用します。


撮影は指定区画に限ります」


掲示板の影はしぼみ、改札が静かに開く。


床に寝転んでいた不安が、椅子に座った安堵へ形を変えた。


葉月がキーを叩く。


「広報ライン一本化。“帰るための開放です”を冒頭に。


煽る単語は排除。代わりに具体的手順を置く」


私は合意文をもう一度、条霊に読み直す。


返事は短い、けれど柔らかい。


『許可。——ただし、仮眠は二時間まで』


「受理します」


志摩課長が親指を立てた。


「ユイ、次は忘れ物センターだ。台帳が“人も忘れ物だ”と言い出してる」


(所有と占有。古い条文の癖。言葉で外せば戻る)


私はペンを耳にかけ、薄暗い通路を小走りに進んだ。


ガラス戸の向こう、傘と鞄とぬいぐるみが山のように積まれている。


———


忘れ物センターは、埃と洗剤の匂いが半分ずつ。


カウンターの紙札は、角がめくれて波打っていた。


私が近づく前に、台帳は勝手に開く。


薄紙が吸う音、紙縁のざらつき——その奥から滲む声。


『拾得物は、所有者が現れるまで保管する。


現れぬ場合、所有は保管人に帰す』


「その条文、改定前です」


私は余白に付箋を立て、新しい言葉の骨を描く。


「保管人は所有の意思を持たない。


持ち主が現れるまでの代理占有にとどめる」


ぬいぐるみが、小さく鳴いた。


ビー玉の目が、ほんの少しだけ濡れて見える。


『……おうち』


(返そう。返すための道筋を、先に敷く)


私は運用規程に通知の強化を追記し、葉月へ短文を飛ばす。


「“持ち主さがし週間”、今夜から。


優しいハッシュタグを三つ。


写真は指定区画で、個人情報はマスキング」


台帳の頁が一枚、白くなった。


所有の主張が音もなく抜けていく。


ほどなくして、中年の男性が息を切らして駆け込んだ。


「それ……それは、私の鞄で」


私は本人確認を終え、鞄を渡す。


彼は抱きしめるように受け取り、ぎこちない笑顔で何度も頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に、助かりました」


「規則が、あなたに返しただけです」


私は笑い、議事録に一行だけ足す。


——約束は、人に返すためにある。


———


線路際。


毎晩、花が新しく置かれる場所がある。


夜になると、そこだけ空気が錆びる。


私は簡易の議事卓を置き、手帳を開いた。


「議長、私。議題、“ここで立ち止まらないための新しい言い方”」


白線の内側に、うめきとも吐息ともつかない気配。


文面を命令形から依頼形へ切り替え、目的を先に置く。


「“立ち入りを禁止する”ではなく、どうか立ち止まらないでください。


“危険です”ではなく、あなたを守りたいから、ここを離れてください。


“通過せよ”ではなく、進んでください。あなたが生きて帰れるように」


白線が柔らかく光り、錆の空気が一呼吸ぶん薄くなる。


志摩課長が花束の位置をわずかにずらし、私は最後に一行を足した。


「あなたの痛みを忘れません。けれど、ここで増やしません」


風が止まり、花がまっすぐ立つ。


線路の継ぎ目が、そっと固まった。


(議事録は刃にも盾にもなる。


刺すか守るかは、言い方と目的が決める)


———


夜の終わり、私は売店で硬いプリンを買った。


スプーンがなかなか刺さらない。


でも、卵の味が濃くて、妙にほっとする。


十二歳にできることは小さい。


けれど、世界は確かに一度、こちらを向いた。


「また議事を開きます。——そのときも、お願いしますね」


ホームの向こう、風にめくられた古い時刻表が、かすかに頷いた気がした。

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