今度はドンキでやらされて……そしたら大学生風の男に尾行(つ)けられた……
翌週の火曜日、午前十時。
スマホが鳴り響いた。
画面に映る番号は、あの男だった。
胸の奥で鉛のような重みが生まれる。
この電話が俺に平穏をもたらすものでないことは、痛いほど分かっていた。
指が震えながらも、拒否するという選択肢はない。
通話ボタンを押すと、男の冷たい声が耳に突き刺さった。
『今日はMEGAドン・キホーテ仙台台原店の二階、とんかつ福助の前で、昼過ぎにさだまさしの[関白宣言]をアカペラで歌え』
鼓動が一段と速くなる。
また、こんなことをやらされるのか。
憂鬱だった。悔しさもあった。しかし、拒めばどうなるかは分かっている。
俺は仕方なく、前回と同じようにイオンタウン仙台泉大沢に向かった。ここで、自分が絶対に着たくない服と帽子を買う。変装のためだ。誰かに顔を覚えられることを、少しでも防ぐために。
自転車を走らせながら、熱い風が頬を撫でる。ペダルを漕ぐ足が重い。
俺は、一体何をやっているのだろう。
心の中で自嘲する。もう、こんな人生にうんざりしていた。
目的地のMEGAドン・キホーテ仙台台原店に到着すると、スマホが再び震えた。
『準備はできたな? さっさと歌え』
心のどこかで諦めがついていたのかもしれない。俺はとんかつ福助の前に立ち、深く息を吸った。そして——
「お前を嫁にもらう前に 言っておきたいことがある……!」
喉の奥から声を絞り出した。
ざわめきが広がる。
視線が、突き刺さる。
客たちは驚いた表情を浮かべる者、呆れたように笑う者、困惑する者と、様々だった。中には手拍子をしてくれる者までいた。
どうせやるなら、楽しんでやるしかない。
そう開き直ると、逆に気持ちが乗ってきた。変な節回しまで加えてノリノリで歌い続ける。もう、何もかもどうでもよくなっていた。
しかし、その時だった。
視界の隅に、店の警備員が走ってくるのが見えた。
ヤバい!
俺は歌うのを止め、一目散に逃げ出した。
この店には何度も来たことがある。逃げ切れる経路は頭に入っていた。
自転車に飛び乗り、全力でペダルを漕ぐ。
MEGAドン・キホーテを抜け、向かったのは東北労災病院。
中に駆け込みトイレに入り、ナップザックから普段の服を取り出して着替えた。
鏡に映る自分の姿を見て、ほっと息を吐く。これで、もう大丈夫だろう。
店内での迷惑行為は一度きり。業務妨害で逮捕されるほどのものではない。
店の外に出てしまえば、それ以上追ってくることはない。
気を取り直し、自転車に乗る。
鼻歌を歌いながら、アパートへと戻る。
鍵穴に鍵を差し込んだ、その瞬間——
「おい、おっさん」
背後から、低く鋭い声がした。
ギクッとし、ゆっくりと振り返る。
そこには、鬼の形相をした大学生くらいの男が立っていた。
「……誰だ?」
おどおどしながら問うと、男は抑えた声で言った。
「あんた、この前、仙台白百合学園の女子高生ナンパしただろ? 俺はあの子の彼氏だ」
脳内が真っ白になった。
「……は?」
男は続ける。
「あの時、彼女を迎えに行くため、学校の正門近くにいたんだよ。お前の顔をしっかり覚えてた。……で、今日偶然MEGAドン・キホーテ仙台台原店に買い物に行ったら、あんたがアカペラしてるのを見ちまったんだ。まさかと思って、後をつけた」
心臓が跳ねる。
「迷惑系YouTuberか? 彼女に謝れ」
「……申し訳なかった」
頭を下げた。しかし、男の怒りは収まらない。
「俺じゃなくて、彼女に謝れって言ってんだ! 全然反省してねぇな!」
「……後日、改めてお詫びさせていただきます」
興奮しないよう、冷静に答えた。
その時、スマホが鳴った。
男は睨みつける。
「……誰だ?」
「ちょっと、失礼」
慌てて電話に出ると、男がさらに激昂する。
「俺の話を無視する気か!?」
そう叫び、俺のスマホに手を伸ばしてきた。
もみ合いになった。
その弾みで、スマホのスピーカーホンが作動した。
『……取り込み中か?』
電話の主——あの男の声が響く。
「違います!」
即答する。
電話の向こうで、クククッと笑い声が漏れる。
『今日も笑わせてもらったよ』
女子高生の彼氏は一瞬、表情を硬直させた。そして察したように、俺から手を離した。
『次の指示はまた後日な。……従わないなら、お前が拾った金を着服したって警察に通報するからな。立場を弁えろよ』
電話は一方的に切れた。
呼吸の間があった後。
「……誰かに脅されてるのか?」
女子高生の彼氏が、低く呟いた。
その言葉が引き金となった。
堰を切ったように、俺の目から涙が溢れ出した。
嗚咽を堪えることもできず、その場に崩れ落ちた。
明日は22時00分投稿予定です