第93話 虎と小型犬 Ⅰ
旧校舎の屋上。
立ち入り禁止でも無く、人気も無い。給水塔のせいで、他の塔からも死角。
一見、不良のたまり場となりそうな場所だが、不良の代わりに、もっとタチの悪い奴が住み着いている。
「何しにきやがった?」
俺が屋上に入った途端、上から男の声が聞こえた。
給水塔の上。そこには三年首席であり、昨年度の生徒会長。
由姫の兄である有栖川優馬が座っていた。
「いえ、少し話がしたくて」
彼がよくここでサボっているのは、知っていた。音楽を聴いていたのか、彼の右耳にはイヤフォンが刺さっていた。
「話? わざわざこんなトコでか?」
「誰もいないほうがいいでしょう? 本性を出したまま俺と喋れるほうがストレスがたまらないのでは?」
「相変わらず、イラつく喋り方をする奴だな。敬語は要らねぇって言ったのに、また戻ってやがるし」
優馬は舌打ちをしながら、目を細めた。
「この前の若葉祭のせいで、ほんの少しだが、OB会での俺の評価が落ちた」
「貴方の評価が落ちたわけではなく、由姫の評価が上がったと考えませんか?」
「同じだ。重富のおっさんの目には、妹に負けた兄として映っただろうぜ」
優馬は給水塔から飛び降りると、俺と向かい合った。
百九十センチを超える長身に、屈強な骨格。
こうして近くで見ると、やっぱりデカいな。俺も鍛えている方だが、生まれ持ったフィジカルの差は覆せない。
彼を虎とするなら、俺はせいぜい小型犬だ。
そのうえ、顔も良いし、成績も優秀と来ている。こりゃモテるわけだ。
「なにジロジロ見てんだ?」
「いや、虎と小型犬みたいだなと思って」
俺が率直な感想を言うと、優馬は、くはっと笑って
「なにが小型犬だ。喰ったら死ぬような毒を持っている奴がよく言うぜ」
と言った。
え。俺、そんな評価なの? 毒チワワ?
「もうすぐ予鈴ですけど、授業に行かなくていいんですか? 優等生って設定ですよね?」
「俺が行くのは海外の大学だからな。他の奴らみたいにセンター試験の対策をしても意味ねぇから、こうして自由学習が許可されてるんだよ」
「いや、学習してないでしょ」
「してるしてる。英語のリスニングだ」
そう言って優馬は、右耳につけていたイヤフォンを外すと、俺の耳に突っ込む。
アメリカ人の高音シャウトとエレキギターが鼓膜を貫いた。
「……ヘビメタは英語の勉強にはならんでしょ」
「お。お前、ヘビメタ聞く奴か?」
「いえ、メ〇リカとか有名どころは知ってますが、詳しくはないっすね」
「んだよ。つまんね」
優馬は小さく舌打ちをする。
「それで話ってのは何だ?」
「由姫のことです」
優馬はやっぱりかというげんなりした表情を浮かべた。
「ここ一週間くらい、家庭で何かあったりしました?」
「あ? ねぇよ。なんだ急に」
ふむ。彼の反応を見た感じ、優馬と由姫の間に何かがあったというわけではなさそうだ。
「すみません。質問を変えます。彼女が生徒会長になりたい理由を知っていますか?」
「俺に対する反骨心じゃねぇのか? アイツ、才能ねぇくせに負ける事を嫌うからな」
「俺もそう思っていたんです。だけど、ここ最近、更に意欲を増したようで……。去年、会長がやっていた書記を希望したり、俺に来年の生徒会演説を頼んだり……。あと、様子も少し変で……」
俺が真剣に考えていると、優馬は
「そんなにあんな奴の事が良いのか? 顔意外、なんのとりえもない奴だぞ」
と面倒くさそうに言った。
「は?」
お? 由姫の悪口を言ったな?
前までは手の内を晒したくなかったから、会話を最小限にしていたが、今は違う。
このクソ兄貴に少し、教えてやるか。彼女の良さってやつをよぉ。
俺はこほんと咳き込むと
「お言葉ですが、顔以外も良いですよ。まず性格。とにかく負けず嫌いなところが可愛い。あと強がるところ。子供扱いすると怒るところも、萌えポイント。仕事に関しても、たまにミスをしますが、効率は早いですし、なにより真面目なので周りからの評価もすごく高いです。次に料理の腕。今はそれほど上手いというわけではないですが、彼女の向上心の塊と完璧主義な性格が合わさって、数年後には格段の進歩を遂げていると考えられます。料理以外の家事は現時点で全部完璧なので、結婚したら良い奥さんになると思います。他にも……」
「お、おぅ……」
見ると優馬が冷や汗をかきながら、後ずさりをしていた。
やばい。ドン引きさせてしまった。
「お前、ヤバいクスリとかやってねぇよな?」
「酒もクスリもやってないですよ。シラフです」
「だよなぁ。ならもっとヤベェよ」
あ。たしかに。