第86話 俺の家に美少女が2人いる Ⅶ
「………………………………」
俺の部屋の散策が終わり、勉強が再開された。
静かだが、さっきまでの集中していた状況とは違う。
どんよりとした空気が、俺達三人の中に漂っていた。
ムードメーカーだったカエデも、気まずそうに黙り込んでいる。軽い気持ちで悪戯したら、大騒ぎになってしまった、みたいな状態だ。
「…………………………………………」
誰か俺を殺してくれ。
もしくは、この重い空気を誰か変えてくれ。
その祈りが通じたのか
「ワン! ワン!」
居間の大窓の外から、犬の鳴き声が聞こえてきた。
「貴方、犬を飼っているの?」
「いや、飼ってない。この鳴き声はショコラだな」
カーテンを開くと、そこには俺の家の庭で走り回るダックスフンドがいた。
赤の首輪に黒と茶色の毛並み。俺達に気づくと、舌を大きく出しながら、肉球でガラスをバンバンと叩き始めた。
「しょうがないな。おやつか?」
俺が大窓を開くと、遠慮なしに中に入ってきた。
「わ……」
「人慣れしてるっすねー」
初対面である由姫とカエデにも警戒することなく、ダックスフンドは尻尾をぶんぶん振りながら、周りを走り始めた。
「ショコラって言って、隣の中州さん夫婦のワンちゃんだよ。室内で飼ってるんだけど、たまに逃げ出すんだ」
「逃げ出すって……。ちょっと無責任じゃ……」
「まあ、二人とも高齢だからな……。それに、遠くには行ったりしないから、平気だよ。せいぜい、こうやって近所におやつをねだりに来たりするだけだから」
「そう。賢いのね……」
おやつという言葉に反応したのか、ショコラは俺と由姫の間で止まると、ものすごい勢いで尻尾を振り始めた。
由姫は撫でようとしたが、途中で手を止め
「か、噛まないわよね?」
と不安そうな顔で言った。
「大丈夫。噛まないよ」
猫には噛まれようが引っかかれようが、気にしない彼女だが、犬は少し怖いらしい。
とはいえ、犬が嫌いというわけでも無い。噛まないのを確認すると、由姫は犬の下からゆっくりと手を差し入れ、頭を撫で始めた。
「へっへっへっへ」
ショコラはそれが気持ちよかったのか、こっちも撫でろと言わんばかりにごろんと寝転んで、お腹を差し出した。
「へそ天だー!」
由姫は俺達が近くにいるのも忘れて、猫カフェに行った時と同じ、メロメロモードに入ってしまったようだった。
ちなみにメロメロモードかどうかの見分け方は簡単だ。メロメロモードになると、声のキーが三つほど上がる。
「ね、ねぇ、まさやんまさやん」
カエデが俺の服をくいくいと引っ張った。
「有栖川さんって、動物を前にすると、いつもこんな感じなんすか?」
「あぁ。こうなるのは、猫だけだと思ったんだけど、犬でもなるんだな。初めて知ったよ」
「へー。可愛いっすね。普段ツンツンクールな人が、こんなデレデレな姿を見せるのは」
「だろ?」
あ、でも、そろそろ止めた方がいいな。
これ以上撫でると、大変な事になる。
「有栖川。そろそろストップだ。その子はあんまり撫ですぎるのは駄目なんだ?」
「え。どうして? こんなに喜んでいるのに」
ショコラはへそ天をしたまま、嬉しそうに長い胴をくねらせる。
「あと少しだけやらせて! もう少しでこの子に気に入られる気がするから」
いや、もう気に入ってるって。尻尾ガン振りしてるじゃん。
「撫ですぎると駄目って何なの? 心臓とか悪かったりするの?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
俺は頭をポリポリ掻きながら、真実を口にした。
「その子、うれしょんする癖があるから」
「え……」
ぴゅっという水が発射される音がした。
遅かった。
リビングの中、由姫の悲鳴が響き渡った。




