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私が貴方を愛することはないが、貴方には私を愛して欲しいと思っている

作者: 浦 麗


「貴方を愛することはないが、貴方には私を愛して欲しいと思っている」


 こんなふざけたセリフを目の前の男に投げかけられたアデレードは、思わず「はぁ?」とレディらしからぬドスの利いた声を上げた。




 マクリーン侯爵家嫡男コンウェイとバントリー伯爵家次女アデレードの婚約が締結した。

 家同士の事業提携に伴うこの婚約の話し合いは主に家長のみで行われ、当人達の面会は書類等一切の体裁が調ってからと相成った。

 顔見知り程度の仲であったコンウェイとアデレードはまさに今日、初めてまともに対面を果たしたのだ。


 ところで、コンウェイ・マクリーンという男は社交界においてまぁまぁの有名人である。

 ふわりとした質感の艶やかな茶色の髪の毛に、ペリドットに似た温かみを感じさせる色のグリーンアイ。

 柔らかく垂れ下がった目尻は彼の素直さと人の好さを如実に表しているが、一転してビジネスの世界においては意志と押しの強い剛腕で鳴らしている。

 バントリー伯爵の事前調査でも人格、素行共に特に問題点は見付からず、見目が良く将来有望な青年との婚約にアデレードが反対する理由は特に無かった。


 かく言う彼女も貴族の間では少し名の知れた存在だ。

 波打つ豊かな赤毛は炎の如く一度見た者の目に鮮やかに焼き付き、対して濃いブルーの瞳は豪胆で物怖じしないアデレードの気性を写し取り常時氷のように硬く冷たく凍てついていた。

 見た目が派手できつい印象を持たれがちな彼女は、一部の紳士淑女の皆様に大変人気がある。

 具体例を挙げると、初対面の相手に突然跪かれ「踏んでください!」「罵ってください!」と懇願される等々。

 それはさておき。

 アデレードとコンウェイの初顔合わせは当初和やかな雰囲気で進んでいた。

 バントリー家の屋敷の一室にて、香り高い紅茶と舶来の珍しいお菓子を挟んで改めて挨拶を交わした両名は、まずはお互いの共通の知人を話題に上げるなどして世間話に興じた。

 そして、双方共に口が滑らかになったところで、さぁいよいよ此の度の婚約について語ろうかという時に飛び出したのが冒頭の暴論である。


 蝶よ花よと育てられた可愛らしくも打たれ弱いご令嬢であったなら、泣いて震えることしか出来なかったかもしれない。  

 だが、生憎と彼女は並み居る被虐趣味の御仁に五体投地でその手のプレイを直訴されても無視して通り過ぎることが出来る高潔にして鋼鉄の精神の持ち主である。

 とりあえずは聞き間違いの可能性も視野に入れて、アデレードは彼女の背後に控える侍女を振り仰いだ。


「ねぇ、パメラ。今、婚約者様が仰った事なんだけど貴方も伺っていて?」

「はい、お嬢様」

「私にはこう聞こえたの。“貴方を愛することはないが、貴方には私を愛して欲しい”と。ひょっとして私の耳は突発的不調に陥っているのかしら? 今朝、お兄様の下手くそなバイオリンの練習に付き合わされたものねぇ」

「僭越ながら、お嬢様のお耳は正常であるかと」

「よろしい、ならば戦争だ」


 言うや否や手近に有った砂糖壺を引っ掴むアデレードの腕を捕らえた侍女は懸命に彼女を諫めにかかる。


「いけません、お嬢様! このティーセットは奥様の一番のお気に入りの品です!」

「放してパメラ! 戦の極意は先手必勝なの!」

「投げるならあちらの趣味の悪い薔薇(?)の置き物でお願いします! アレは奥様が大奥様に旅行のお土産として押し付けられた不用品ですので」


 白熱する主従の攻防は、コンウェイの唇からこぼれた「フフッ」という軽快な笑い声により終止符が打たれた。

 砂糖壺という名の凶器を握り締めたまま怪訝な表情で仁王立ちするアデレードを見上げ、コンウェイは柔和な顔に笑みを浮かべる。


「流石はアデレード様だ。侮られたと見るや瞬時に攻撃態勢に入られるとは、素早い対応に惚れ惚れ致しました。それに貴方の侍女も、お客が傷付くより茶器の心配が先なんて、いやはや何とも小気味良い」


 楽しげに肩を震わせるコンウェイをアデレードは氷の瞳で睨み付けた。


「貴方については世に出回る情報以外のことは存じ上げないけれども、冗談のセンスが皆無だというのはよく分かったわ」

「いやいや、決して冗談などではない」


 そこを間違ってもらっては困るとコンウェイは大きく手を横に振る。


「先程の発言は私の本心だ。私はアデレード様を愛しはしないが、貴方のような得難き女性の愛に浴する権利を心から欲している」

「……なるほど。私の婚約者様の冗談のレベルは最低最悪の底辺で、その上とんでもない欲張りでもあるのね」

「欲張り? ……ああ、ちょっと待ってくれ。まさか貴方は……」


 ここに来て初めてコンウェイの顔が不快そうにしかめられた。


「アデレード様は私がどこか余所のご令嬢に懸想しているなどと、あらぬ誤解をされているのではあるまいな?」

「何が誤解ですか。小説や劇の定番でしょう? お前を愛さないとのたまう男には必ず秘密の恋人がいるものです」

「勘違いも甚だしい! 私の身辺調査はお済みでしょう? そもそも私は恋人が居ながら他の誰かと婚約するような不誠実な人間ではない!」

「愛さない宣言は十分に不誠実な行いです」

「む……」


 正論でやり込められ黙ってしまったコンウェイをアデレードは上から下までじっくりと眺め回した。

 外見は優男であるにも関わらず、彼はなかなかどうして一筋縄ではいかない複雑怪奇な人間性を持つ変人のようだ。

 基本的に他人の心の内に大して興味の無いアデレードだが、伴侶となる男の内情を知らずして穏やかな結婚生活を望むことは出来まい。

 ため息を一つ吐き出し、彼女はコンウェイに問うた。


「恋人がいらっしゃらないのなら貴方は何故愛さないなんて仰るのですか? 思うに、私に不満が有る訳でもなさそうですし」

「無論、貴方に非難される点など有ろうはずもない。むしろ可憐であるより苛烈を好む私にとってアデレード様は理想の結婚相手だ」

「ならばどうして……?」

「私の事情を聞いてくださるのか?」

「面倒だけれども仕方がないでしょう。このままでは話が先に進みませんから」

「ありがたい。貴方の恩情に感謝しよう」


 胸に手を当て感じ入るコンウェイの様子に、アデレードは肩をすくめ一先ずソファに座り直した。ただし砂糖壺は手元から離さずに。

 彼女が腰を落ち着けるのを確認してからコンウェイは表情を引き締め、とある事実を告白した。


「アデレード様、実は私は極めて愛が重い男なのです」

「……はぁ、それはそれは」


 思い掛けない切り口にアデレードはつい間の抜けた相槌を返してしまった。

 だが、それを意に介さずコンウェイは真顔で先を続ける。

   

「私がひとたび貴方を愛すれば、私は貴方を常に側に置かずにはいられないでしょう。食事中でも仕事中でも貴方を膝に乗せ後ろから抱き締め愛を囁きたい。貴方のことなら黒子の位置からトイレの回数まで全てを熟知していたい」

「……」

「美しい貴方を私だけのものにしたい。故に貴方に好意を寄せたことのある男性は全員もれなく処す。そして、私の知り得ない貴方との思い出を持つ家族、友人達には何かしらの手段で記憶を失ってもらう」

「……」

「あと、我が屋敷の使用人達の目をくり抜いておかねばな。貴方の姿を見る恩恵に与るのはこの世に私一人だけでいい」

「……」  


 よく悲鳴を上げずに無言を貫き通したものだと、アデレードは自分で自分の根性を褒め称えた。

 これまで図らずも一定数の変態と相対してきた彼女だが、コンウェイはその中でも深刻度が群を抜いている。おまけに殺人鬼の素質まで備えているのだから始末に負えない。

 温厚そうな容姿の裏にヤバい本性を隠し持っていた彼にアデレードは舌打ちを堪えた。バントリー家による調べを掻い潜られたことも地味に腹立たしい。

 今すぐにでも婚約破棄したい。……が、これは両家の事業が絡む大切な契約でもある。

 果たして本当にコンウェイと縁を結んでも良いのか、そして彼がどれほどの危険人物なのかを見極めるべくアデレードは口を開いた。


「あのね、婚約者様」

「何だ?」

「私の自惚れでなければ、愛さないという言葉に反して貴方は随分と私を気に入ってくださっているようなのですが」

「そうだな。元から好ましく感じていたが実際にお会いして分かった。貴方は途轍もなく魅力的な女性だ。こうしている間も益々好きになってしまいそうで困っている」

「それはどうも」

「……だからこそ、愛さぬと決めた」

「どういうことでしょうか?」


 悩ましげに眉間に皺を寄せコンウェイが言う。


「さっき私が告げたような激重の愛に包まれることを貴方は良しとしないでしょう。愛を理由に他者を傷付けることも」

「……それで、愛さぬと?」

「はい。貴方の意に反することを私はしたくない」


 煩悶するコンウェイをアデレードは少しだけ見直した。

 あの唾棄すべき「愛することはない」という宣告は、彼が彼女の心情を慮るが故に紡がれたものだったのだ。後半部分だけは意味不明かつ余計だが。

 中身が化け物であろうとも理性があるのならあるいは……、と腕組みし考え始めたアデレードにコンウェイが真摯に訴える。


「私はアデレード様を妻にしたいが、貴方に幸せであって欲しいとも願っている。だから私は貴方と結婚はするが愛さずに、たまにうなじの匂いを嗅いで至高の喜びに浸るに留めるとしよう」

「おまわりさん、コイツです」

「ちょっ、通報はやめてくれ。分かった、残り香で我慢するから」

「私の半径二メートル以内での呼吸を禁じます」

「なんと手厳しい……!」


 前言撤回。怪物と人類が分かり合う道など最初から何処にも無かった。

 やはり成すべきは婚約破棄の一択のみ。

 アデレードは己が未来の為に進軍を開始した。ただし、狙いは話が通じなそうなコンウェイではない。マクリーン家だ。


「婚約者様にお尋ねします。愛さないのであれば私共は白い結婚になるということでよろしいですか?」


 この疑問にコンウェイは両手で顔を覆い俯き、指の隙間から無念の呻き声を漏らす。


「……仕方があるまい。初夜を迎えるとなれば私は貴方を三日三晩抱き潰す自信があるのだ。いや三日と言わず四日、う~ん五日……? とにかく、初夜についてこうして言及するだけで私は勃……」

「死んでください」

「貴方の頼みなら何でも叶えて差し上げたいが、それだけは無理な相談だ。私の肩には領民数千人の生活が懸かっているのだから」

「おのれ小癪な、人の命を盾に取るなど……!」


 ギリリと歯噛みしつつハッと我に返ったアデレードは即座に会話の軌道を修正した。


「今のセクハラ発言については後ほど抗議するとして。……で、白い結婚となれば当然子どもには恵まれません。そんな事を現侯爵夫妻はお許しになるのですか?」


 貴族にとって子孫繁栄は至上命題。跡取り息子のご乱心を知れば彼の両親も黙ってはいないはず。

 上手くやればあちらから婚約解消の申し出を引き出せるかもしれない。

 だが、アデレードの思惑とは裏腹にコンウェイは余裕の表情で首を縦に振った。


「父も母も承知の上だ。二人は私達の結婚を歓迎している」

「なっ……?! そんな馬鹿な!」

「嘘ではない。なぁ、ヒューゴ」


 コンウェイは後ろに控えていたマクリーン家の執事のヒューゴを振り返った。

 名指しされた彼は一歩進み出ると、敬愛するはずの坊ちゃんに目尻の皺を深めてチラリと悲しい生き物を見る眼差しを向けてから、ある種の諦観を込めてアデレードに頷いた。


「旦那様方はコンウェイ様のお考えを受け入れておられます。息子を犯罪者にする訳にはいかない、と」

「犯罪者って……」


 アデレードが横目でコンウェイを窺うと、彼は自慢げに胸を張り答えた。


「私がアデレード様を愛した場合に起こり得るあれこれについて、父上達に懇切丁寧にご説明申し上げたのだ」

「イカレたご子息と違いご両親には常識があったばかりに卑劣な脅しに屈してしまわれたのですね」

「どうだい、貴方にとって良い義両親になりそうな分別ある人達だろう? お陰で私との結婚にも前向きになってきたんじゃないかな?」

「我が子が狂人であると察した時点で御することが出来なかった詰めが甘い方々を義両親とするのはちょっと……」

「ハハッ、容赦がないなぁ」


 背をのけ反らせ、からからと笑ってからコンウェイは探るような目付きでアデレードを見て言った。


「さてはアデレード様、私との婚約の解消を目論んでいますね?」

「当たり前でしょう」


 隠すような事でもないので正直に返答するアデレードに、コンウェイは愉快そうにヒョイと片眉を吊り上げ指摘した。


「残念ながら成功の見込みは薄いでしょう。先程述べた通り、我が家の両親からこの婚約に異を唱えることはない」

「……」

「しかも世間での私の評判は上々だ。こんな事もあろうかと徹底して完璧な外面作りに努めてきたからね。そして、爵位でも勝る私を相手に深手を負わずに婚約破棄をするなんて芸当は到底不可能だ」

「頭の良い馬鹿ほど厄介なものはありませんね」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「褒めてない。全然褒めてない」

「そして最後に、バントリー家と当家の事業はもう動き出している。人も資金もかなりの数と額を注ぎ込んでいるんだ。万が一にもこれが破綻したとなればマクリーン商会はもちろん、君の所の従業員も含めた数百名が路頭に迷うだろう」

「……本っ当に忌々しい!」


 手にした砂糖壺を怒りのままに振り被ったアデレードは、それでも思い直してそっとそれを脇に避ける。

 代わりにスタスタと戸棚へ歩み寄ると毒々しい色合いの薔薇(?)の置き物を取り上げ力任せに床に叩き付けた。ビクともしない薔薇(?)にパメラが呪われた品ではと恐れおののき目を見張る。

 一方、髪を振り乱したアデレードは荒れた息を整えるとコンウェイを見下ろし吐き捨てた。


「いいわ、貴方の勝ちを認めてあげる。ただし、私は全面降伏はしないわよ、絶対に」

「……と、いうと?」


 コンウェイとアデレードの視線がカチリと交わる。

 柔らかいながらも強靭な光を帯びる緑色から目を逸らさずに、彼女は失礼を承知で婚約者の眼前に人差し指を突き付け言い放った。


「私が貴方を愛することはない、大いに結構! この点については諸手を挙げて賛成致します。ですが、貴方には私を愛して欲しいと思っている、こちらは却下です。断固として拒否します。私が貴方を愛しく思う日は今後一生、金輪際訪れることはありません!」

「……何……だと……?」


 驚き狼狽えるコンウェイは必死の形相で抵抗する。


「そんな、あんまりだ! 愛し愛される家庭を築くという幼い頃からの夢の半分を私は泣く泣く諦めたというのに……」

「知ったことか」

「ちょっとくらい愛してくれてもいいではないですか、減るもんじゃなし」

「お黙り。……パメラ、お客様のお帰りよ」


 命じられた侍女がすぐさま扉を開ける。

 これ以上の問答は無用とばかりにドアの方を顎でしゃくるアデレードに、コンウェイはやれやれとかぶりを振った。


「分かったよ、アデレード様。今日のところは大人しく退散する。続きはまた後日……」

「二度と来るな」

「では、今度はマクリーン家にご招待させていただくよ。……あ、そうだ。これから私のことは是非ともコンウェイ、もしくはコニーと呼ん……」

「貴方の呼称は婚約者様かゴミ虫野郎の二つに一つです」

「その二択……?」

「はい」


 暫しの逡巡の後、コンウェイは質問した。


「ちなみにアデレード様、貴方にとって婚約者は私一人ということで相違ないか?」

「何を世迷言を」

「ならば、ゴミ虫野郎と思しき人間は?」

「貴方の他にも数名いらっしゃいますね」

「そうか、じゃあ婚約者様にしよう。私は貴方の唯一無二でありたい」


 優秀な侍女のはずのパメラがつい無意識に「選択の理由、それなの……?」と呟くのをアデレードは黙認した。

 彼女の淑女の仮面だって当の昔に剥がれ落ちてしまっているのだから、使用人だけ咎め立てするのも可笑しかろう。

 ドッと襲ってくる疲労感に崩れ落ちそうになる膝を気力で支えるアデレードに、コンウェイがにこやかに手を振った。


「それではさようなら。またね、アデレード様。いや、アディ!」

「やっぱり死んでください、ゴミ虫野郎」 


ご覧いただきありがとうございましたm(_ _)m

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