夏と車椅子
再び目を覚ました翌日、王太子殿下が私の見舞いにやって来た。
「ルーナ嬢、入ってもいいだろうか。」
「・・・・」
大陸の東の国では、沈黙は肯定ととるらしいが、この国では当然違う。
黙ってれば諦めて帰ると思っていたが、30分程経っても、殿下は帰っていなかった。
アリアに扉を開けて貰い、殿下を招き入れた。
◆◇◆
彼女の兄から、彼女が目を覚ましたと聞いたのは、ほんの2日前の事だった。本当は1週間ほど前に目を覚ましていたらしいが、また眠ってしまったのだとか。
嫌々乍ではあるが、見舞いに行く事にした。
ノックをして30分程経っただろうか、ルーナ嬢の侍女が扉を開けた。彼女の事だ、きっと暴れて部屋の中はガラスの欠片やクッションの破れた布の散らかった惨状だろうと予想していた…だが、
予想外にも、部屋は綺麗に整っており、彼女の顔に今迄のような傲慢な笑みや、怒りの顔は無く、スッキリとした薄い笑み顔で目を閉じていた。
其の状況に、俺は驚くしか無かった。
彼女は、侍女に無理にでも体を起こされないと起きあがれない程弱っていた。コレは、膨大な魔力を無くした結果なのだろうか。それとも、只弱っているだけなのか。
声の出ない彼女からは、一切の怒りや焦りを感じなかった。
「ルーナ、魔力が枯れたとの事だが、大事無いか。」
起き上がった時の無表情から、口角だけが、少し上がった。目は相変わらず虚ろで、そこには誰の姿も映されず、光の消えた瞳だった。
部屋を出たと思っていた侍女が、紙とペンを持って戻ってきた。どうやら筆談をするらしい。
つらつらと紙に何かを書き始めると、其処には、
『殿下の事ですから、私の魔力量を買って婚約してくださったのでしょう。ですから、魔力が枯れ、未だに半分も戻っていない私は、国にとっても殿下にとっても使えなくなったゴミ以外の何者でもありません。ですので、コレを機に、婚約破棄を致しましょう。』
そう、書かれていた。今迄、散々下の者を蔑んできた彼女が、魔力を枯らして全くの別人の如く変わってしまった。
僕としては有難い事だが、はっきり言って、何故こんなに変わったのかとても興味が湧く。
色々考えていると、膝を指で突つかれた。
彼女は、新しい紙に
『書類は後日此方から御送り致しますので、本日はお引き取りください。特に情も無く、何方かと言うと嫌っている様な婚約者の見舞いに来て頂き有難う御座いました。御気を付けてお帰り下さい。』
半強制的に屋敷から出され、王城へ帰った。
また、彼女の元を訪ねようと初めて思った。其んな日だった。
◆◇◆
殿下に御帰り頂いた後、サンドイッチとスープが出されたが、余り食欲が湧かず、2口程度でやめてしまった。
約束通り、後日婚約破棄の書類を送ると、帰ってきたのは殿下の分のサインが無い、送った時の儘の姿の書類だった。
何故、破棄をしないのだろう。何故、あんなに嫌っていた私の婚約を、嬉々として続けるのだろう。
添えられた手紙には、『ルーナ嬢には申し訳ないが興味が湧いてしまってね、婚約は継続するよ。体調には気を付けて。』というメッセージがあった。
あれから、度々殿下が訪れるが、最近では、雑談をする時間が増えた様に感じる。
殿下に、何かしたい事や欲しい物は無いのかと問われ、
「叶うのならば、図書室へ行けたら良いと思います。」强嘘では無い。屋敷内だけでも行動範囲が増えるのはいい事だ。すると殿下が…
「そうか…では、次は贈り物を持って来るとしよう。流石に2ヶ月もベッドの上は退屈だものな。」と、笑っていた。
◆◇◆
5日後、殿下が持ってきた贈り物は、椅子に車輪の付いた「車椅子」だった。
人に押してもらう事になるが、其れでも行動範囲が広がるのは嬉しい限りだ。
「有難う御座います、殿下。」久しぶりに動かした顔の筋肉は、自分でも驚く程に硬く、正直笑えていたか私ですら分からない。