記憶違い
三題噺もどき―よんひゃくごじゅうさん。
ぼうっとしていたところに、誰かが私を呼んだ。
あだ名というわけでもないけれど。
私の名前を短くした、親しみのある呼び名。
「!!!」
びくりと体が跳ねたのと同時に、頭をぐるりと回す。
声の聞こえた方を見てみると、そこには見慣れた顔があった。
手を上げながら、こっちへおいでと呼んでいる。
「はーい!」
かがんでいた状態から立ち上がり、くるりと体をそちらへと向ける。
低い草原の上をきもち駆け足で進んでいく。
少し肌が覗いていた足首あたりに、草が触れて、ほんの少しかゆかった。
「おかーさん」
こちらがたどり着く少し前に、かがんで視線を合わせて待ち構えてくれた相手を呼ぶ。
手を広げて、迎え入れてくれる形に、思わず歩調が速くなる。
辿り着いた寸前、ぶつかる形になってしまった。
「―っぶ!」
変な声が出た。
それに少しだけ、何かがキュウとなって、頬のあたりが熱くなる。
けれど、それも一瞬のことで。
すぐに、顔をあげ、見慣れた相手と視線を合わせる。
「―っわ」
すると、頭にかぶっていた帽子を取られ、いつの間に持っていたのか、私のお気にいりのタオルで顔を拭かれる。主に額のあたり。
気付かなかったが、かなり汗をかいていたらしい。
見かねて吹いてくれたのだろう。
「あのね、」
それもお構いなしに、口が動く。
つい先ほどいた場所で見つけたものを見せようと思って。
あそこにこんなものがあったんだ―と、手を差し出したところ。
「あれ?」
そこに何もないことに気づいた。
いつの間に落としたんだろう。
ついさっきまで持っていたはずなのに。
「―ん」
もう一度帽子をかぶせられ、少し暗くなった視界の中で。
くるりと後ろを振り帰る。
落としたのなら、そのあたりにあるはずだと、思って―。
「あそこに―」
あったのだと。
指をさして、もう片方の手で服の裾を握って。
いっしょに来てくれとねだってみた。
「――」
けれどもう、それは出来ないと言われてしまった。
時間が遅いから、もう帰らなくてはいけないらしい。
これから、帰ってご飯を食べて風呂に入って。
いっしょに絵本を読んであげるから―そう、諭された。
「――」
まだ少し、心残りはあったけど。
確かに少し空腹ではあるし、疲れてもいるような気もする。
なにより。
もうすでに、相手は立ち上がって、帰る方向へと足を向けている。
「うん」
また今度こようね。
と、そう言われて、心残りも晴れて。
ひかれた手について、歩いていく。
あそこで見つけたものは忘れられないと言い聞かせながら。
また来た時に、次こそはと言い聞かせながら。
「こんどね」
手をひかれ、歩いたままに、あれこれと話をする。
相槌を打ちながら、声に耳を向けてくれる相手の。
顔が少し遠くて、影になっている。
「――」
それに、少しだけ。
本当に、少しだけ。
なんとなく。
違和感が生まれた。
「――」
ピタリと足が止まって。
今、生まれたこれは何だろうと、頭をひねる。
ぞわぞわと、何かがなでるようなこの違和感は何だろう。
これは。
これ、は。
「――」
この人は。
この。
ひとは。
「――」
ほんとに。
―私の母だっただろうか。
「――!」
ぐっ―!!!!
と、腕が思いきりひかれる。
肩がずきりと痛んだ。
腕を掴まれているあたりが、ぎちりと痛んだ。
「――」
違う。
この人は。
私の母ではない。
私の。
私の知っている。
あの人は。
こんな
――!!」
びくりと体が跳ねた。
うたた寝をしていたようだ。
体が跳ねたと言うよりは、頭が落ちたのだろう。
腕が頬杖の形で止まっている。首も痛い。
「……」
冷たい風が頬を撫で、ぼやけた思考を起こしていく。
突風でも吹いたのか、部屋の中がやけに散らばっている。
開いた窓からかなり強い風が吹き込んだらしい。
「……」
なんだか。
嫌なものを見た気がする。
何かは覚えていないけれど。
見たくもないモノを。
お題:違和感・突風・忘れられない