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パンドラの箱 ~黄昏に踊る鎮魂歌~  作者: るびん
Episode1:Believe in Esperanza
9/41

シーン8:10年早い未来 ~後編~

 あれから一週間。

 季節は、もう夏の香りを漂わせていた。すでに半袖の人もいれば、強くなってきた日差しから逃げる人もいる。

 しかし子供たちはそんな暑さだって楽しいと感じるのだろう、汗を拭う時間すら惜しむかのように友達とはしゃいで走り回っていた。それを見守る大人たちは、自分たちにもあんな頃があったなと微笑みを見せて。

 どんなことがあろうと、どんな悲しみがあろうと、どんな真実があろうと。

 季節は、巡るのだ。


「暑くなってきたなあ・・・」


 かくいう僕も、その額に汗を滲ませていた。足を止めて汗をぬぐい、まぶしいというものを越えて僕らを照らし出す初夏の陽射しに、思わず目を細める。

 すると、そんな風にしている僕に向かって文句を垂れる声一つ。


「だったら、こんなところで止めないでよ~。日陰に行こ?」

「はいはい、お姫様」

「うんうん。分かればいいのよ、麻人君」


 僕は楓の乗る車椅子を、慣れた手つきで運転して木陰へと押していく。

 そう、今僕らは病院の中庭にいるのだ。

 僕へ指図をしてご満悦の楓。誰がどう見ても生死の境を彷徨った風には見えない。ピンピンしすぎていて困るくらいだ。


「それにしても、あの時は驚いたなあ・・・」

「蓮理さんのこと?」

「うん・・・まったく、あの人は大した役者だよ」


 泣き叫ぶようにして僕に知らせた蓮理さん。それは、見事としか言いようの無いほど真に迫った演技だったのだ。

 その時のことを思い出したのだろう、楓はカラカラと笑った。


「あははっ!病室に飛び込んで来た時の麻人君の表情、すごかったものね」

「・・・忘れてよ」


 楓は腹を抱えるほど笑いながら言う。しかし、すぐにとても穏やかな微笑みを見せた。


「でもね、嬉しかった。そんなに心配してくれたんだ、って」

「あ、当たり前だろ・・・」


 思わず、頬を掻く。

 楓の怪我は、峠を越えてしまえば後は何の心配も無かった。頭を殴られていたことと、もみ合った時に足も怪我していたようなのでしばらく入院生活(おまけに車椅子)ではあるが。

 けれど、一ヶ月もしないうちに退院出来るとのこと。さすがに頑丈だ。


「・・・麻人君、また何か失礼なこと考えてるでしょ?」

「わわっ、暴れたら傷が開くよ!?」

「むぅ・・・」


 もうすっかりいつものやり取りだ。

 だけど、それにはどこか隙間があるようで。

 当然といえば当然だ。身近な人たちが命を奪われ、その犯人が僕らの担任の先生だったのだから。いくら図太い神経の持ち主である楓であったとしても、その心の傷はそう簡単に癒えるものではないだろう。


「・・・ホント、麻人君って考えてることがすぐに顔に出るよね」

「え?」

「今の麻人君、私に失礼なこと考えつつも、優しい顔してる」

「そ、そうかな・・・」


 その通りだった。

 今、僕は何とかして楓を笑わせようとしている。それには、いつものやり取りをするのが一番だから。

 だから僕は・・・自分も辛かったのだけど――


「無理、しないでね?」


 楓は、全てお見通しだった。


「山下君のこと・・・辛いんでしょ?」


 親友と呼べる、その雄一の死。何故あいつが殺されなければいけなかったのか、それがまだ分からない。他に殺された人たちとの接点が無いのだ。

 だから、もし何の関係も無く無常に殺されただけだったとしたならば・・・あまりにむごすぎる。


「・・・ごめん。せっかく私を気遣っていつものように振舞っててくれたのに、私ったら・・・」

「楓・・・」


 それきり、二人共黙り込んでしまった。会話の無い中、涼しい木陰の下で二人同じように病院の中庭を眺める。入院患者やその見舞いに来た人たちが僕らのように散歩をしたり、小さな子供にいたってははしゃぎ回っていた。

 のどかで、平和。けれど、だからこそ事件の悲しみがいっそう増している気がして。


「よお、何を二人してボーっとしてるんだ?」

「お兄様・・・相変わらず空気を読めない方ですわね。よく警部になれたものですわ・・・」


 能天気な様子で僕らに声を掛けた島崎警部と、彼をたしなめるような物言いの蓮理さん。


「あ、どうも・・・」


 ペコリとお辞儀をする僕と楓。


「なんだなんだ、元気ないなあ?」

「お兄様!場をわきまえてください!」


 きっとこの二人はいつもこんな感じなんだろう、どうしてかそう思えた。

 しかし島崎警部は意外にも次のように言葉を続けた。


「・・・すまん。だが、今から沈んでいたら気が滅入ってしまうだろう?」

「どういうことですか?」

「高坂が全て話してくれたよ。裏も取れた」

「!」


 そこまで警部が言うと、蓮理さんが僕と楓にと缶ジュースを渡してくれた。

 そして警部と蓮理さんも僕らと同じように木陰に腰を下ろす。


「やはり、朝倉早紀と高坂昭典は交際関係にあった。さらに朝倉が高校を卒業後、結婚の約束までしていた」

「それが、どうして殺害なんて?」


 すると警部は一つ呼吸を置く。

 どうしたのだろう、それほど難しいことなのだろうか?


「実は、高坂昭典は存在しない」

「・・・・・・え?」


 警部の言葉はあまりに突拍子が無かった。それはそうだ、確かに高坂先生はいた。なのに、警部は間違いなく“存在しない”、と。


「存在しないって・・・え?」

「言い方が悪かったか。つまり、高坂昭典というのは偽名だ。彼の本当の名は、水井 久」

「水井・・・どこかで・・・」

「ああ、当然だ。何故なら彼は水井財閥の跡取りだからな」

「水井財閥って、あの!?」


 明治初期に事業に大成功し、一気に他の財閥を凌駕してしまったという、知らない者はいない大財閥。最盛期には政治にまで介入・・・いや、それどころか内閣までをも操作していたという噂もあったほどだ。


「高坂先生が、あの水井財閥の・・・?」

「ああ」

「でも、なんで名前を偽ってまで教師を?」


 そう尋ねると、島崎警部はもう情報の全てが頭に入っているのだろう、迷うことなく答える。


「それだがな、調べてみて初めて分かったことだが、水井財閥は代々、跡を継ぐものは偽名を用いて教師を経験しなくてはいけないらしい」

「それはおそらく、上に立つ者として、後の日本を支える礎となる若者たちを知ることが必要だからだと思われますわ」

「それに、人の心を動かす方法、様々な問題への対処法など、教師という立場で学ぶことは多い」

「なるほど・・・」


 確かに教師というものは様々な人を導き成長させる上で、もう数え切れないほどたくさんのことを学ぶ。それはきっと下手に帝王学や経済学を学ぶよりもよっぽど効率的で現実的なのだろう。


「ところが、そこで思いもかけないことが起こってしまったのですわ」

「高坂先生が朝倉先輩と恋仲に落ちてしまった、ということですね」

「そういうことだ」


 まさか水井財閥の現当主も、彼がそんなことに陥るとは露ほどにも思わなかっただろう。


「だけど、なんで先生は殺人なんて!?」


 少しだけ声を荒げて楓が言った。自分の将来を決めるきっかけになった、尊敬する人物。その人が道を違えてしまった理由・・・それがどうしても知りたいのだろう、彼女の表情は必死だった。


「・・・一言で言えば、守るためですわね」

「?」


 蓮理さんの言葉の意味はすぐには理解できない。余程のことなのだろう、さすがの蓮理さんも言葉の続きに躊躇していた。

 それを悟ったのか、すぐに島崎警部が話を続ける。


「実は、水井財閥は今現在非常に追い込まれているんだ」

「追い込まれている?」

「そう。あまりに財閥として確立しすぎてしまったんだな。財閥内の対立に始まり、経営の過剰な単純化による相次ぐプロジェクトの失敗。名門水井財閥といえども、もうあぐらをかいてはいられなくなっていたんだ」


 世間一般には不況は終わったと言われている。

 しかし、それは必ずしも全てに当てはまるわけではない。いやむしろ、昔からある伝統に縛られがちな財閥等は全くもって。


「そっか、現代は大企業の倒産だってありえるものね。財閥だって今までのつもりでいたらいつ破産するかも分からない・・・」

「そうだ。そこで水井財閥の現当主は一つの手を打つことにした」

「古くからある名門だけが思いつくと言っても過言ではない、昔ならともかく現代では信じられないようなカビの生えた政策・・・もうお分かりかしら?」


 その時僕の頭には、何度も何度も歴史という世界で繰り広げられてきた、個人の感情など全く無視した悲劇を生むだけの化石のような政策が浮かんだ。


「政略結婚・・・!?」


 僕と楓の声が被った。


「そういうことですわ」


 抑揚の無い声で答える蓮理さん。おそらくその馬鹿げた行為に相当の怒りを覚えているのだろう。


「そんな・・・それじゃあ先生と朝倉先輩の関係はどうなるんですか?」


 分かっている。

 こういう場合、カビだらけの財閥の取る道は因数分解よりも簡単だ。

 それでも、尋ねざるを得ないのだけれども。


「・・・決まっている。別れるしかなかったのさ」


 あの島崎警部ですら、やりきれないような声だった。

 別れるしかない、というよりも別れさせられる、だろう。


「でも、何故殺害を?別れるだけでよかったじゃないですか?」


 確かにそうだ。慰謝料だろうがなんだろうがは、いくら危機的状況にあろうとも個人の金額くらいならどうって事は無かっただろう。

 しかしその道を取らず、殺害という最悪の道を選んでしまった。


「それについて、彼はこう言っていたよ」


 島崎警部は、遠い目をして語り始めた。




「口論になったんです」

「口論?」

「はい。別れ話を切り出すと、早紀は怒りました。当然ですよね、結果として私は彼女の心を弄んだ事になるのですから」

「それで殺した、と?」

「殺す気はありませんでした。いくら財閥のためとはいっても、間違いなく本気で愛した女性です。そんなこと、天地がひっくり返ったって出来るはずがありません」

「では、何故?」

「・・・彼女が言ったんです。“子供が出来た”、と」

「なんだって?」

「実際、私たちはいつ子供が出来てもおかしくない関係にありました」

「だから、困って殺したのか?」

「気が動転してしまったんです。だから、早紀の行動に冷静に対処できなかった・・・っ!」

「行動に対処・・・どういうことだ?」

「彼女は、分かっていたんでしょう。たとえ自分のお腹の中に私の子供がいたとしても、私と結ばれることは出来ないと。だったら・・・・・・」

「まさか・・・!」

「ええ、先に彼女が私を殺そうとしたんです・・・いえ、正確に言えば、一緒に死のうとした」

「・・・・・・・・・」

「普段の私ならば、なんとか止めることが出来たでしょう。しかし、先ほど言ったとおり、その時の私の精神状態でそれは難しいことでした。・・・気がつくと、階下から悲鳴が聞こえてきていました」

「それは、罪を少しでも軽くしようとするための嘘じゃないな?」

「馬鹿にしないで下さい、私は早紀を本気で愛していたんです」

「分かった」




 ことのあらましを一通り話し終えた警部は、手にしていた缶コーヒーを飲んで一息ついた。

 僕と楓はというと、うつむいたままでいることしか出来なくて。

 蓮理さんただ一人が、いつもと変わらない様子を見せている。


「これで、一応の解決を迎えたわけですわね」


 そう、まるで抑揚の無い、どこか他人事のように言った。


「蓮理さん・・・そんな言い方・・・」


 いくら一課の警部を兄に持ち、こういった事件に慣れているとはいえ、身近な人間が関わったことなどさすがにほとんど経験が無いはずだ。なのに、どうしてここまで冷静でいられるのだろう?

 するとその僕の疑問に気付いたのか、彼女はその口を開いた。


「確かに悲しい事件でしたわ。けれど、一つだけ救いがあることも確かですのよ」

「?」


 僕と楓はそろって首を傾げる。

 どこか優しい笑顔を向けた蓮理さんの言葉はよく分からない。

 目を細めたまま、彼女は続ける・・・穏やかな口調で。


「それは、本当に悪い人などいなかったということですわ。もちろん、多くの人を殺害してしまったことは許されることではありません。ですけれど、その根底には愛がありました。きっと、事故とはいえ愛する人を手にかけてしまった、耐え難い悲しみが生んだ事件だったのでしょう・・・」


 ――そうだ。

 先生が朝倉先輩を愛していたことは、嘘偽りの無い真実なのだ。


「・・・人間ってのは弱い生き物だ。人の命を・・・とくに大切な人の命を奪ってしまった者の心は簡単にタガが外れてしまう」


 島崎警部が続ける。


「愛した人の命を奪ってしまったんだ。もうそうなったら、その原因となった財閥を守るためなら人の心を捨てることも厭わなくなって不思議は無いだろう」


 それほど、先生の心は悲しみで覆いつくされていたのだ。何もかも・・・人の心を捨ててでも財閥を守ることでその悲しみを隠すかのように。それは、許されることでは無いのだけれど――


「そうだ、証言を下に調べ直したことなんだけどな・・・」


 ふと思い出したかのような警部の言葉は、僕らにとってとても衝撃的だった。

 だから、僕は。




「お久しぶりですね、高坂先生・・・あれ、この呼び方じゃ変なのかな?」

「構わないさ、霧島にとって私は高坂昭典なのだろうからな」


 僕は今、高坂先生と面会している。

 刑務所なんて初めて入ったから最初は何かおっかなびっくりでいたのだが、こうして先生を前にすると不思議とそんな気持ちは消えた。やはりこの人は今でも僕の先生なのかもしれない。


「で、何の用だ?」


 先生は少しやつれたものの、妙にすっきりした様子だった。ひょっとすると、逮捕されてホッとしたのかもしれない・・・これは僕の想像に過ぎないのだけど。

 まあそれはともかくとして、先生にどうしても僕から伝えたいことがあったのだ。


「先生、朝倉先輩が身篭っていた事は知っていますよね?」


 唐突な僕の言葉に、先生は少しだけ険しい表情をした。


「もちろんだ。早紀の口から直接聞いたんだからな」


 少しだけ低い声になった先生。まさか僕が面会でこのことを言うとは思っていなかったのだろう、少し面を食らったようだった。

 しかし、高坂先生は僕の続けた言葉に尚一層驚くことになる。


「・・・実は、それは先輩の虚言だったんです」

「!?」


 初めてだった。いつも冷静な先生が、そんなに驚いた顔を見せたのは。


「なっ・・・・・・ど、どういうことだ!?」


 身を乗り出して尋ねる。

 僕はそれに対しゆっくりと、しかしはっきりと答えた。


「検死官に島崎警部が問い合わせたところ、先輩の子宮に胎児はいなかったそうです。それどころか、妊娠した形跡は微かにでさえも見当たらなかったそうです」

「・・・な、なら、どうして早紀は・・・?」


 目を見開いたままの先生は、半ば呆然としていた。全く分からない、そういった表情で。


「分かりませんか?」

「?」


 それはとても、とても単純なこと。


「先輩は、それだけ先生を愛していたんですよ。どんなずるい手を使ったとしても、どんな汚い嘘をついたとしても・・・それでも先生さえいてくれればそれで良かったんですよ。それが朝倉先輩の全てだったんです」

「!」


 何かに気付いたかのように、立ち上がる先生。

 わなわなと震えだす。

 見開いた目は、あっという間に涙で埋め尽くされて。


「分かりましたか?先輩がどんな気持ちで嘘をついたのか、が」

「どうして・・・どうして私はほかの全てを捨ててでも、早紀を選ばなかったんだ・・・・・・っ!」


 涙を流しながらそう噛みしめるように叫ぶ先生。

 しばらくは、嗚咽で会話にならなかった。

 その姿は、先生でもなく、水井財閥の御曹司でもなく。

 ただの、悲しみに明け暮れる一人の男だった。



 しばらくして面会時間が残り少なくなってきたので、僕はまだむせび泣いている先生にどうしても聞きたかったもう一つのことについて尋ねた。

 それは・・・・・・。




「祝・退院っ☆」


 そうVサインをする楓。なんとも元気な声で僕に向かって言う。


「今日は記念に豪華ディナーだね!」


 それはきっと僕に“奢れ”とのサインだろう。全く無茶苦茶な。


「あのね、楓。僕はほとんど毎日見舞いやらなんやらでここ一ヶ月ロクにバイト出来なかったんだよ?そんな無茶言わないでよ・・・」


 すると少しだけ睨みながら覗き込んでくる。


「へぇ・・・麻人君は可愛い幼馴染の退院が嬉しくないんだ?」

「そうかもね、入院しているうちは一応大人しかったからね」


 ゲシッ!


 僕の素っ気無いかつ素直な言葉に早速、退院して一発目の蹴りが入る。


「・・・威力落ちてるね?」

「くっ!」


 本当に悔しそうな楓だった、いやだって本当に痛くない。

 仕方無しに僕は、少しため息をついて彼女の機嫌を取るために言う。


「まあまあ、僕と楓の両親がきっとなんかパーティーでもやるって。どっちもお祭り好きだからさ」


 そうなんだ。ホント、どっちの親も子供みたいにお祭り騒ぎが好きなんだから。それに振り回される子供の気持ちになってみろ。


「でも、私はやっぱり・・・」


 そう言うと、ちらりと僕の方を見て、それからすぐそっぽを向いた。

 ホント、しょうがないな。だから僕は、ポケットに隠していた小さな袋を取り出す。


「はい、どうぞ」

「え、何?」


 突然渡されたそれの中身は、当然楓に分かるはずも無く。


「退院祝い。ちゃんと考えてたんだからね?」


 まあ、腐れ縁だ。それくらいは用意しているってものさ。


「・・・あ、開けていい?」

「もちろん」


 そう僕が答えると、楓は慌てて袋を開け始めた。そんなに慌てなくても、誰も取ったりしないのに。

 そして中身を取り出すと、感慨深い声で言った。


「あ、リボン・・・」

「前に着けていたのは洗っても血が取れないでしょ?だからさ、やっぱり必要かなって・・・」


 その自分の長い髪をリボンで様々な形に結ったりするのが楽しいのか、気がつくと髪型を変えている楓。

 しかし事件の最中で殴られた時、頭部の出血のためにそのリボンも血で染まってしまっていた。したがって入院中はずっと髪を下ろしていたのだ。だから退院したら・・・・・・と、結構前から考えてたんだよ、感謝したまえ楓君。

 だけど、少し不思議だ。どうして入院中に新しいリボンを持ってきてもらったりしなかったのだろう?何か、前のリボンに思い入れでもあったのだろうか?

 いやでも、僕のあげた退院祝いはこんなにも嬉しそうに。


「・・・ありがとう、嬉しい・・・・・・・・・」


 本当に、心から嬉しそうな楓の笑顔。まさかそこまで喜ばれるとは思ってなかったので、逆に僕の方が驚いてしまったほどだ。

 だからなのか、なんとなく僕は彼女に何を言っていいのか分からなくて・・・高坂先生から聞いた、雄一が何故殺されたのかを唐突に説明することにしたんだ。


「雄一、さ・・・」

「山下君?」

「うん。あいつさ、相川先輩と付き合ってたんだって」

「え!?」


 楓の驚きも当然だろう、それは雄一と親友であった僕でさえ知らなかったんだから。


「なんかさ、文化祭でやる演劇部の催しについての打ち合わせで派遣されたのが相川先輩だったんだって」


 そこから恋に落ちるのは時間の問題だった。

 あれほど打ち込んでいたのだ、雄一は誰よりも早くに舞台に現れて、誰よりも熱心に練習していたことだろう。2年にして部の中心を担っていたと言っても過言ではない。

 そんな、ひたすら演劇の練習に没頭している姿を見た相川先輩が、雄一に淡い恋心を抱いたんだそうだ。


「それで、いつしか二人は付き合うことになったんだって」

「で、でも山下君、そんなそぶりは・・・」


 そう、はっきり言って僕までも気付かなかったのだ。

 でもそれはとてもあいつらしくて。


「あいつは純粋だったから。本気で恋愛したならそれを表に出しはしなかったんだろうね」


 普段はふざけて、美人の先輩と仲良くなった、とか言う雄一も、本気で付き合う時にはそれを自慢気に言うことは無いだろう・・・何故か、そう確信できた。

 それは雄一と唯一無二の親友の僕だからこそ、そう思うと信じたい。


「それで、雄一が相川先輩と付き合っていることに先生は気付いてしまったんだ。だから、ひょっとしたら自分が犯人であることを雄一に告げているかも・・・そう思ったんだろうね、少しでも自分が犯人であることを知っている可能性のある者を全て排除しようとしたんだそうだ」

「そんな・・・」


 また、可能性だ。

 100も無ければ、0も無い。

 そんな曖昧なもののために、雄一の命の灯は消されてしまった。

 無限の可能性。

 それは希望なのかそれとも絶望なのか?

 それを知る事が出来る日は来るのだろうか?


「雄一だけじゃない。芹沢さんもそう」

「え?」

「芹沢さんがどうして先生を説得しようとしたか・・・分かる?」

「・・・芹沢さんも、誰かの事が?」

「うん」


 だからこそ、先生を説得しようとした。

 でも、ほかの説得しようとした人とはその理由は違う。


「芹沢さんは、先生の事が好きだったんだって」

「・・・っ!」


 そう、そしてそれは同時に先生が誰と交際があったのかも知ることになる。

 事件が起きた後、かなり迷いはしたそうだが自分の想いを告げ、自首して欲しい、と。そこまで話した後、日を改めて話そうと言って殺害したんだそうだ。


「結局、先生は自分を説得しようとした人から何から、みんな殺すことで全てを終わらせようとしたんだ。間違っていることは分かっていたのに」

「・・・後味悪い、事件だね」


 そう楓は悲しそうに呟く。

 それは今にも溶けてしまいそうに。

 だけど、消えはしない。

 それを確信しているかのように僕は力強く言った。


「うん・・・だからこそ、僕らはアイツ等の分も必死で生きなければならない」


 そう、それが残された者に出来ることだから。


「うん、そうだね・・・それは分かってるんだけど・・・」


 複雑そうに言う楓。

 何故なら、彼女の将来の夢は“教師”だからだ。なのにそう夢に抱くようになったきっかけ・・・その高坂先生が殺人なんていう最も重い罪を犯してしまった。そのショックは計り知れないだろう。

 でも、それは少し間違っている。僕は彼女にそれを気づかせるために言った。


「・・・楓が憧れたのは、高坂先生本人じゃないだろ?」

「え?」


 僕の言葉に、驚いて顔を上げる。今の僕の表情はどんなものだろう?

 ただ彼女に悲しい顔をしていて欲しくない。

 ただ彼女に夢を捨てて欲しくない。

 ただ彼女に笑っていて欲しい・・・そんな気持ちの僕は。


「楓がどうして教師になりたいと思ったか・・・それは、高坂先生に憧れたんじゃなくて、先生のように・・・本気で、心の底から生徒のために一生懸命になれる姿に憧れたからでしょ?」

「麻人君・・・・・・」


 楓も、僕の言わんとしている事が分かったのだろう、徐々にその表情は笑顔に変わっていく。


「だから、さ・・・楓は迷うこと無いよ。自分の信じるままに生きていけばいい。たとえ他の誰かが・・・いや、皆がそれは間違いだと言っても、僕だけはずっと味方だからさ」


 何故か、素直にそう言うことが出来た。

 それだけで、楓は満面の笑みを浮かべる。


「うん・・・・・・うん、そうだね。ありがとう、麻人君」


 少しだけその瞳に煌くものが見えたのは、気のせいだったのか―――。




 こうして、事件は幕を閉じた。

 得たもの・・・そして失ったもの。

 それは一言では語りつくせないけれど。

 かつてとは少し違った日常が再び訪れる。

 心に空いた穴を塞ぐのは容易ではないだろう。

 だけど、彼等が残したものは無駄ではない。

 確実に僕らの心に残り、また新しい日々が始まるんだ。


「・・・ていっ!」


 ガスッ!


「痛っ!?」


 不意に、楓に蹴られた。先ほどのものはある程度予測していたからなんとも無かったが、全く予想だにしていなかった今回のものはいくら威力が落ちているとはいえ痛い。

 もちろん僕は抗議する、だって蹴られた理由が全くもって不明だから。


「な、何するんだよ、楓!?」

「べ~っつにぃ~?なんか、麻人君がそんなカッコいい事を言うのがしゃくだっただけ~」

「はぁ?」


 突然の、楓の根拠の無い意味の分からないお言葉。

 すると彼女は続いて人様を指差して笑う。


「あはは!そうそう、そういう顔!その方が麻人君には似合ってるよ!」


 なかなかに、失礼なことをのたもうてくれるね。


「こ、この~、楓!」

「あはは!こっちだよ~!」


 そう言って楓はひらりと追いかける僕の手をかわす。


「こ、こら待て~っ!」

「あっははは!」


 そんな、日々。

 それこそが、僕らにとっては日常で。

 どこか愛しささえも感じて。


「待てってば!」

「うわっ、本気!?」


 ちょっと本気で追いかける僕。

 それに慌てる楓。

 遠いようで近く、やっぱり少し遠い二人。

 複雑だけど単純な、そんな二人。

 それでも、少し近付いたような気がして。


 ――どこか、嬉しかった。




「良かった・・・麻人が笑顔でいてくれて」


 少女はそう呟いた。


「でも、これだけで終わらないの。あなたには、まだいくつもの苦痛が訪れる。それを上手く乗り切れるかは分からないけれど・・・願わくは、麻人の苦しみが少しでも小さいものでありますように・・・」


 少女は続ける。

 それはとても重く、悲しく。


「・・・ごめんね、麻人。少しの間だけエスペランサを返してもらうわ。何故なら、この未来は変えてほしくないから。それはきっと正しくない・・・・・・いえ、絶対に間違っているのだろうけど。でも、それでも、この未来はきっとあの子達にとって一番の救いだと思うから。あなたは辛い思いをするだろうし、私を怒るかもしれないけれど。本当にごめん。それでも、私はあの子達の心を救いたいから―――」


 そう呟くと、少女は身を翻し、暗闇にその姿を消した。

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