シーン29:瞳の先(6)
「何か言った、蓮理?」
「ううん、なんもー? それより兄様、もうちょっと優しくしてや。染みる……」
「ああ、ごめんごめん」
聞こえなかったから顔を上げた時に見えた彼女の顔は一瞬だけ表情が違った気がしたけど、気のせいだろう。
間違いなく彼女の表情は、未だ幼い少女のものだ。
「よし。消毒もしたし、薬も塗った……あはは、包帯は巻き慣れていないからちょっと不恰好だけど、許して」
「えへへ、兄様に手当てしてもらっちゃった」
蓮理は何故かそう言って少し自慢げに包帯の上から傷を撫でた。
それから、少し上目遣いで。
「兄様……うち、痛いの我慢したで? 誉めて、な?」
「あはは。偉いぞ、蓮理」
なんか幼いにも程がある気がするが、こんなに無邪気な瞳で見つめられてそれに抗える人がいるだろうか……いや、いない。
「ふふ、撫でて撫でて♪」
「はいはい」
言うと同時に差し出してきた頭を優しくわしゃわしゃと撫でた。
わしゃわしゃ、が優しいのかどうかは知らないが、蓮理がくすぐったそうに……それでいてこの上なく嬉しそうな笑顔を見せていたのでよしとしよう。
「もっと」
「はいはい、蓮理は甘えん坊だね」
「だって~、兄様が甘えていいって言うから……やっぱり本当は迷惑やったん?」
「まさか。そんなこと思うわけないだろ?」
「じゃあ、嬉しい?」
「もちろん」
「……えへへ、良かった」
本当に嬉しそう――だけどそれだけじゃなくほかにも何かあるような――けれど、やはり幸せそうな笑顔だった。
それだけ、蓮理はずっと家族に甘えるという当たり前のことを、我慢し続けてきていたのだろう。
だから今の彼女はそれらから解放され、さらにその反動なのか、底抜けに甘えん坊になっていた。
「もっと!」
「は~いはい」
もうすでに彼女のふわふわで綺麗な髪は、まるで今起きたばかりのようにぐしゃぐしゃになってしまっていたけれど。
「もーっとっ!」
「は~いはいはい」
蓮理の要求は止まらない。
そして僕も、それで彼女がまぶしい笑顔を向けてくれるのが嬉しくてたまらなかった。
「ちっ、しくじったわ」
「……?」
ところが、急に背後から第三者の声が聞こえた。
それが誰の声なのかはすぐに思いあたるものがあって、僕は慌ててバッ、と振り返る。
「お、お姉ちゃん!?」
「おまたせ、麻人。それにしても……」
まだ頭を撫でたままの格好になっている僕らを怪しげな瞳で、じっと見つめるお姉ちゃん。
「さすがに、妹の扱いの方が慣れてるわね。私も姉じゃなくて妹にしてもらった方が良かったかしら?」
いや、さすがにそれは無理でしょ。
「失礼ね、麻人。私はまだ若いわよ?」
「ご、ごめんなさい」
心が読まれていたことはともかく、やはりこの、もの言わせぬ様は姉だろう。僕に本当の姉はいないけれどそれは分かる。
なんて思っていると、お姉ちゃんは蓮理に話しかける。
「それから……蓮理、どう?動けそう?」
「ええ。もう大丈夫ですわ」
すっく、と何事も無かったように立ち上がる“蓮理さん”……っと、あれ?
「どうなさいましたの、霧島君?」
「え、あれ? 蓮理さん? さっきまでの……夢、じゃないですよね?」
「何のことですの?」
蓮理さんは何事も無かったかのように、しれっとしたご様子。
対照的にお姉ちゃんは、何故かクスクス笑っていたのだけど。
「いやあの、蓮理さんが幼くなってて関西弁で……」
「霧島君」
「はい?」
「少々あちらを向いていてくださるかしら?」
「は?」
「駄目ですか?」
そう小首を傾げて尋ねてくる蓮理さん。
なんか、それはやたらにいたずらっぽい笑顔で。
「こ、こうですか?」
いつもキツイ蓮理さんの、やたらと可愛らしい表情と瞳を見ていられずに、言われた通り彼女に背を向けた。
……何か背筋を冷たいものが伝う気がしたけれど。
「……兄様、ごめんな?」
「え?」
ゴガンッ!
「っっ!?」
後頭部を襲う激しい衝撃と共に、僕の意識はフェードアウトする。
景色が消え行く間際、“100t”と書かれた大きなハンマーが視界に入ったような気がした。




