シーン26:瞳の先(3)
一瞬、僕の中で時間が止まった。
いや、その気持ちはお分かりだろう。
「今、なんて?」
僕はきっと笑ってしまうほど間の抜けた顔をしていただろう。
そして尋ねても無駄なのは一目瞭然であるのに、自然と問うてしまった。
それだけ届いた言葉は彼女にそぐわないものだったのだ。
だが僕の驚きはよそに、蓮理さんは泣き叫び続ける。
「なんでこない目に会わなあかんの~!? うちが何か悪いことしたん~っ!?」
やっと分かった。如月さんが言ったのはこういうことだったんだ。
彼女と同じ関西弁、今の蓮理さんの言葉遣いはまさにそれなのだ。
「れ、蓮理さん?」
だがその驚きは次の瞬間、違う驚きに変わる。
それは僕にとって心臓が口から飛び出そうなほどの。
「ちょっ!?」
声を掛けるや否や、いきなり僕に抱きつき胸元にぐいぐいと顔を押し付けてきたのだ。
え、ちょっと?
もう何度か説明しているからご存知だろうが、蓮理さんはスタイルがものすごくいい、出るトコは出て引っ込むトコは引っ込んでいる。
そして学校でファンクラブが出来るほど美人で、ちょっと親しい事をひけらかそうものならばあっという間に数え切れないくらい敵が出来る事は間違いないだろう。
その蓮理さんの柔らかい体が今現在、僕の体に押し付けられている。
ふわふわの髪が鼻をくすぐり、理性を奪わんとする甘い香りが脳を直撃する。
最初に知り合った時は、怖いくらいの強気な先輩だなぁと思ったけど、本当はとても優しくてちょっといたずら好きなトコがあったり、こうしてお化けが苦手だなんて、まさにツンデレお嬢様全開じゃないかって思える蓮理さんだ。
確かにお姉ちゃんが言った通り、普段とのここまでのギャップに驚きはするけれど可愛いと思ってしまうのも仕方が無いだろう。
そんな彼女にこんな風に抱きつかれたら、いくらなんでもやばいって。
「な、なにを……」
「兄様のアホっ! うちを一人にしてどこに行っとったん!?」
「へ?」
だけど、蓮理さんは確かに僕を“兄様”と呼んだ。
ひょっとして、混乱のあまり訳が分からなくなって間違えているのだろうか。
「アホ、馬鹿、間抜け、甲斐性なしっ!」
すごい言われようだ。
けれどそんな罵声にも似た言葉とは裏腹に、僕にしがみつく蓮理さんはカタカタと震えていた。
それは先ほどまでのような震えとは違い、本当にかすかだけれども辛そうに、そして耐え難い恐怖のように。
「兄様は絶対にいなくならへんって……うちを独りにせえへんって、約束してくれたやんかぁっ!」
「……?」
“約束”の意味はすぐには分からなかった。
けれどその直後に、この上なく痛いほど、分かってしまう。
「父様が死んじゃったあの日、うちと指切りしたやんか!」
◇
聞いた覚えがある。
それはこの間の父さんの誕生日。夕方、母さんにお使いを頼まれた。
正直もう僕は高校生だし面倒くさかったけれど、お父さんの誕生日なのだから何かお父さんにプレゼントしてあげなさい、と言われてしまってはさすがに断ることも出来ずに。
買い物より先に、父さんへの贈り物を見て回った。
高校生にもなって父さんの誕生日のプレゼントを買うなど恥ずかしかったというものもあるのだが、何よりもありきたりなものでは間に合わせのように思えてすぐには決められず、何軒も店を回ることに。
確か六軒目の店に入ろうとした時だった。
その店のショーウィンドウを物憂げに、そして切なげに眺めている蓮理さんの姿に気付いた。
そこで僕は閃く。
その閃きは、なんとも人のことを考えない自分勝手なものだったのだけど。
完全無欠な蓮理さんなら、きっといいアドバイスをくれるだろうという。
だけど、彼女の答えは――
「分かりません」
――そして少しうつむいてつぶやいた。
「もう、送る相手がいませんから」




