シーン2:容赦無き希望
「やっほ」
「ん・・・?ああ、麻人か」
出掛けしなの憂鬱な気分はいずこへ行ったのか、通学の途中で僕は打って変わって軽い声で見慣れた後姿に声を掛けた。
振り向いたのはもうその歩き方だけで誰なのか分かる、親友とも言えるだろう山下 雄一。僕より一回り大きい体を持ちながら威圧感など無く、むしろ優しく明るい印象すら受ける彼と僕は、中学一年の頃に知り合った。
それは確か、部活に誘われた時のはずだ。中学に入る少し前に演劇に興味を持ち始めた雄一は、中学での部活はすぐに演劇部に決めていた。
だがしかし、中学で演劇部というものは珍しいし彼自身経験が無く、さすがに不安を覚える。
そこで同じクラスの誰かと一緒に入部出来たなら、という訳で片っ端からクラスメイトに声を掛けていたところ、僕にまで声が掛かったというわけだ。
僕は音楽に興味があったのだが軽音部は中学には無く、では部活はどうしようかと迷っていたところで誘われるがままに入部した・・・二年に上がると同時にやめちゃったんだけど。
だって、台詞を覚えるのが面倒だったから・・・とはいえ、雄一とは気が合ったために退部した後もよく一緒に行動をしていた、高校生になった今でも・・・一年の時は同じクラスで、二年で別々のクラスになってはしまったけれども、その繋がりは薄れることなく。
そして雄一は演劇にどんどんのめり込んでいき、高校でも迷うことなく演劇部に入部した。
入部と同時に将来を期待され、まだ三年生が引退していない今でもすでに主演クラスの役をもらっているほどだ。
本人もそれが嬉しくてたまらないのだろう、朝練に夕練に誰よりも打ち込んでいる。
それはちょっとだけ羨ましくも思えた。
「あれ、今日の朝練は?」
そういえば高校に入ってから、朝に雄一に会ったのは初めてではないだろうか。
それほど毎日朝から頑張っていたのだけど。
「ああ・・・昨日の話は聞いたろ?それで朝練は禁止されてさ」
「・・・そっか」
昨日の話とはあの事件だろう。
なるほど、それならば朝早くの学校への出入りは禁止されるのも納得できる。
「それにしても雄一、妙に沈んでない?」
「まあ、な」
ほとんど習慣化している朝練が出来ないから気持ちが沈むのも分からなくもないが、それにしてもそれが酷い気がした。
これは、ひょっとすると。
「まさか、亡くなったのは知り合い?」
「・・・さすが麻人、鋭いな」
「ホントに?」
「まだ、はっきりとは分からないけど」
それもそうか、今現在事件のことは一切伏せられている状況だ。
余程親しい間柄の人でもない限り知りえないだろう。
「そうかもしれない、と耳にしただけ・・・だからな」
「ふ~ん」
何故か、そう言った雄一の瞳の色が気になった。
少し言葉を濁してーーー『そうかもしれない』って、どういうことだ?
「・・・・・・なんであんな言い方で」
「え?」
「あ・・・いや、なんでもない」
「?」
ほとんど聞こえなかった雄一の呟き。
それは今にも消え入りそうな、雄一にしてはありえないほどに不安げな声だった。
「おはようっ!」
いつもと同じように、いやむしろいつも以上にかもしれないが、元気よく教室に入る僕。
だが、そんな僕とは裏腹に教室の中は異様とも言える静けさが支配していた。
無論、場違いだった僕の元気な挨拶は注目を浴びることになる。
「あ、あれ・・・?」
「おまえ、よくあんなの見て平気だな・・・」
クラスメイトが口にした『あんなの』とは、昨日の事件の瞬間のことだろう。
もちろん、平気なわけは無い。それどころか、僕はそれを二度も見たことになるのだから。
・・・だが、今朝のパンドラとの一件でどうしてか心が軽くなっていた気がしていて。
「ねぇ、麻人君・・・?」
鞄を降ろした僕に、楓が聞いても良いものか迷っているかのようにおずおずと声を掛けてきた。
彼女の用件は分かっていたが、それでも一応尋ねる。
「何、楓?」
「えっとね、昨日のことなんだけど・・・」
やはり。
それでも僕は自分からは言わずに、とぼけた。
「うん、何かな?」
長い付き合いなのにもかかわらず言いたいことを分かってくれていないかのような僕に、少しイラついたような口調になる楓。
「昨日のこと!事件が起こる直前の、休み時間のことよ・・・っ!」
思わず出てしまった大声に、はっとして口を押さえる。
しかしすでに教室中の視線が僕ら二人に注がれていた。
このままではどんな話もしづらい、だから僕は楓にまずは落ち着いてもらい、小さな声で会話を出来るようにしてもらおうとする。
「落ち着いて、楓」
「う、うん・・・」
僕に促された楓は、ゆっくりと深呼吸をすると再び話し出す。
今度は小声で、周りに聞こえないように。
「あのね・・・皆はあまりのことでパニックになって忘れているみたいだけど、あの時・・・麻人君、『人が落ちて行った』って・・・」
「うん、言った」
神妙な面持ちで続ける楓。
「でもその時は実際には何も無かったから、笑ったけど・・・」
「そう、約10分後に本当に起きた」
真剣そのもの。
僕も楓も、その瞳にからかいやおふざけの色は無い。
「・・・」
「しかも僕が言ったのと全く同じで」
「・・・どうして?」
楓は訳が分からないといった表情に変わる。
当然だろう、仮にもここは理系のクラスだ。
にもかかわらずそんな非現実的なこと、たやすく信じられるはずも無い。
予知ともいえるあの休み時間の僕の言動に、戸惑いを覚えているのだ。
かく言う僕も、説明をしようにもパンドラとの一件はもっと非現実的で。
だから僕は、こう答えるしかなかった。
「・・・偶然だよ」
「え?」
「あの時、僕は冗談のつもりで言ったんだ」
その僕の言葉に、鳩が豆鉄砲でも受けたかのように驚いて目を丸くする楓。
「・・・!?」
「そうしたら皆、面白いくらい喰らいついて・・・その時は気分良かったんだけどね」
「・・・」
「まさか、それが実際に起こるなんて思いもしなかったけど、さ」
真っ直ぐに僕の瞳を見つめる、きっと僕の真意をうかがっているのだろう。
だけど、いくら楓だろうとも分かるはずはない。
「・・・本当に?」
「うん」
僕が即座に答えると、楓は少し目をつり上がらせて少し声のトーンを低くして言う。
「最低」
「うぐっ!」
鋭い言葉を呟くと、少しため息をつく。
そして今度はなんとも意外な言葉を。
「・・・嘘つき」
「は?何だって?」
「別にっ!」
そして吐き捨てるかのようにそう言い放ち、ぷいっと怒ったようにして自分の席に戻っていってしまった。
「何なんだ?」
残された僕は、ぽかんとしたまま頭を掻くことしか出来なくて。
女の子って、分からない。
「えー、ここはこうなるから・・・」
いつも以上に無機質な先生の声。
普段はこの先生のつまらない授業はほとんど聴かずに騒いでいるはずのクラスメイトたちも、今日は信じられないくらい静かにしている。
やはり、皆少なからず昨日のことにショックを受けているのだろうか。
無理も無い。
いくら知り合いではないとはいえ、目の前で人が亡くなる瞬間を見てしまったのだ。
実際、何人かショックで休んでいる。
そして僕はと言えば・・・やはりボーっとしていた。
―ーパンドラのことを考えながら。
「パンドラは変なことを言ってたな・・・まるで、これから不幸なことが立て続けに訪れるみたいな・・・」
僕にエスペランサを与えた、それは何故だろうか?
僅かな未来・・・それも不吉なものを見える力など意味があるのだろうか?
僕は悲しいかな、なんてことは無い普通の高校生だ。
そうそう不吉なことなど起こるはずも・・・・・・
ドクンッ!
「!?」
突然、胸がざわめいた。
「な、なんだ・・・?」
その時であった。
「えっ・・・!?」
目に映る光景。
赤く燃え滾る業火の中で泣き叫ぶ、知らない誰か。
どんなに叫んでも、必死で逃げようとしても、全て無駄。
信じられない勢いで広がる炎は、既に部屋からの逃げ道を奪っている。
焼け爛れていく自らの皮膚。
枯れ果てた涙と共に、存在が焼かれていく。
誰か、助けて・・・
届かない叫びと共に、その体は崩れ落ちていった――
「・・・!」
ガタッ、と僕は静寂を破らんとするように椅子から立ち上がる。
「ど、どうした!?」
見るからに血相を変えて立ち上がった僕に、驚きの声を掛ける先生、そしてみんなの視線が集まる。
しかし僕はそれらを無視して教室を飛び出した。
「こ、こら!」
すでに先生の声は僅かでさえも聞こえない。
僕は夢中で走り始めていた。
「・・・っ!」
楓も、慌てて僕を追いかけていた。
「あれは、どこだ・・・?」
見えた部屋は、学校のどこかであることは間違いない。
しかし、あまりに激しい炎であったために視界は揺らいでいて、特定が出来ないでいた。
このままでは、間に合わないーーーそんな時、耳に届いた声に驚く。
「はぁはぁ・・・麻人君、待ってよ・・・っ!」
「楓!?」
十字路でどちらに行くべきか判断付かずにキョロキョロしていた僕に、いつの間にか楓が追いついていた。
彼女は肩で息をつきながらも、僕に問いかける。
「急にどうしたの・・・?」
そうだ、楓なら何か分かるかもしれない。
僕一人では分からなくても、彼女ならば何か心当たりがあることも。
「楓、あのさ・・・」
何よりもまずその場所を特定することに必死だった僕は、見えてしまったことを楓に躊躇することなく言ってしまった。
「え・・・?」
楓は僕が何を言っているのか分からないようにきょとんとしている、それは当たり前だ。
しかし僕の至極必死な様子を見て、何とか答えようとしてくれる。
「火が激しく燃えるって事は・・・何か原因があるわよね?」
「原因?」
さすがは楓か、即座に僕の言葉から状況の分析を行い、その原因を論理的に探る。
「そう、火があっという間に燃え広がるなんてことは・・・」
「・・・ガスか何か?」
「他にも薬品とか、ね。何か他に気付いたことは無い?」
楓にそう尋ねられて、もう一度記憶から見えた光景を呼び覚ます。
全てを焼き尽くすように燃え盛っていた炎の隙間に、微かに。
「窓から運動場が見えたような・・・」
「って、ことは一階かしら?」
「家庭科室!!」
確証は無いが、全ての条件が当てはまるのはそこ以外考えられない。
火の勢いを強くする原因があり、一階である。
たったそれだけではあるけれど、今はそれを。
「わっ!?麻人君ってば、待ってよー!」
僕は、体の赴くままに家庭科室に向かって走り出していた。
そして『違和感』に気付く。
家庭科室?なんでだ?
授業の時以外は鍵が掛けられているはずだけど・・・
生徒が一人で入れて、鍵も開いていた。どういうことだ?
いや、今はそんなことより急ぐしかない!!
「はあはあ・・・っ」
次の角を曲がれば家庭科室。
間に合ったーーーそう思った矢先。
ドォンッッ!
「うわあぁっ!」
激しい、耳をつんざくような爆音が轟いた。
そして強い地震でも起きたかのような激しい揺れと同時に、辺りの窓ガラスがものすごい勢いで砕け散る。
「つぅっ!?」
そのいくつかが僕に向かって飛んできて肌に突き刺さった。
「くっそう!」
もちろん痛いけれど、そんなことに構っていられない。
流れ出る血と痛みを振り払い、角を曲がる。
その先は、目が痛いほどにまぶしい炎が世界を支配していた。
ジリリリリリリリリ!
火事を告げるベルがけたたましく鳴り響く。
「麻人君!?何があったの!?」
楓が悲鳴とも取れるような叫びを上げ、僕の元へ走ってきた。
「何、これ・・・?」
目の前に広がる、もうどうしようもないことが明らかな火の海に言葉を失う。
あまりのことに、パニックを越えてただ呆然と立ちすくんでいた。
「間に、合わなかった・・・」
「え?」
僕の消え入りそうな呟きに、困惑する楓。
しかし僕はそんな彼女のことなど今は全く頭に無い。
ただ、心から『希望』の文字は消えかけていて。
「・・・いや、まだだ!」
まだ、終わっていない。
中にいる人はまだ生きているかもしれない。
すぐに火を消せれば、きっと。
そして僕は自らを奮い立たせ、一番近くにあった消火器を手に取りすぐに栓を抜いて粉を振りまく。
はたから見たらなんて冷静なのだろうと思えるかもしれないが、僕は死ぬほど必死だった。
「わ、私も!」
立ち尽くしていた楓も、僕の行動に触発されたのかすぐに消火活動を始める。
時折、異常とも言える僕の形相を横目で心配そうに見つめながら。
「うわあああぁぁぁぁぁ!」
半狂乱したかのように夢中で火を消そうとする僕。
火の勢いは消火器程度ではどうしようもないことくらい、誰にでも明らかであった。
それでも、止める訳にはいかない。
微かな希望でも、捨ててはいけないんだ。
「くそっ、くそっ!」
それでも無常としか言いようの無いほど強く残酷な炎に、自分の無力を感じ始め諦め掛けた時
―――聞こえた
「助けて・・・・・まだ、死にたくない・・・・・・・・・・・・」
火が消えるには、時間がかなり経過し消防車が駆けつけて、そこからさらに二時間ほど掛かった。
家庭科室だけでなく、両隣と上の教室をも巻き込んで。
ちょうど他の部屋には誰もいなく、被害者の数は、1人―――助けを求めていた、家庭科室の中にいた1人。
答えられなかった。
僕には、助けることは出来なかった。
「麻人君・・・血、出てるよ・・・」
「・・・・・・」
僕には、そう心配そうに顔を覗き込んで言った楓に答える気力は無かった。
自分の体の痛みなど、全く感じない。
悔しさが今の僕の全てを支配している。
未来を、変えられなかった。
みすみす一人の人間を死なせてしまった。
・・・なんて、無力。
朝は自分が普通の人間を超越したかのようで、すこしばかり浮かれていた。
しかし、やはり僕は無力な子供でしかない。
何も出来なかったことに、僕は拳を握り締めることしか出来なかった。
震えながら、涙を滲ませながら。
「・・・・・・」
そっと、そんな僕の手を握ってくれた楓。
それだけで不思議と心が安らいだ。
「・・・大丈夫だから」
何が大丈夫なのか、たぶん言った本人も分かってはいないだろう。
しかし、本当にそれだけで僕の心は救われた気がした。
だが、これで終わりではなかった。
不吉な未来は、これから立て続けに襲ってくる。
―――エスペランサは、僕に容赦をしない。