Epilogue
これで喜んでくれることは無いだろう。
でも、仇を討ちたかったから。
あの人は私の好きな彼を奪った。
しかも、ほとんど無関係なのに。
私に出来ることはこれだけ。
怒られるかもしれないけれど、それでも。
彼は私の思いを知らないままだった。
そのまま、違う人と。
私は、髪を切った。
忘れようと。
でも、忘れられるはずも無く。
いつだって一生懸命な彼の姿は、ずっと私の瞳に焼き付いていて。
結局、彼はもういない。
あの世で、恋人と出会えたのだろうか?
きっと私は彼と同じところには行けないだろう・・・それでもいい。
仇が討てればそれで。
彼に怒られようとも、私がそれだけ好きだったと分かってくれれば。
私は、それだけで―――――
「暑いわぁ・・・」
「言わないで、楓。せっかく心頭滅却すれば火もまた涼しを実行しているんだから」
「何言ってるのよ・・・」
季節は初夏を通り過ぎて夏休みが迫る7月の半ば。クラスの仲間内で海に行く計画も固まりつつある今日この頃です。
「あぁもう、セミってうるさいなぁ・・・蹴り落としてこようかしら」
「お、落ち着いてよ楓・・・」
生きている証を見せ付けるとでも言うように、その声を降り注いでいるセミたち。それは季節の象徴とも言えるものではあるが、この暑さで耳にするとさらに暑さが増すような気がして楓がイライラするのも分かる。
しかも時間はお昼、一日で最も暑い時間まであと少しだ。購買で買った大好きな苺ミルクもすでに温くなっていて、飲む気が削がれることこの上ない。
女の子にしてはよく食べる(本当は“男を含めても”だが、そう言うともれなく蹴りが飛んでくるのでこう言いました)楓ですらも、お弁当を残してしまっている始末だ。
「あぁん、この机も最初は冷たかったのにぃ・・・」
「か、楓・・・女の子でしょ?」
僕がこう言うのも分かっていただけるだろう、楓は机に突っ伏して頬をくっつけていたのだ。確かにそうすると一時的に机が冷たくて気持ちいいのかもしれないが、君は女の子だっていうことをお忘れなく。
なんて、のほほん・・・と言うかだらけていた時。
不意に、何かを感じた。それはあくまでも悪い予感に過ぎずに。
――何も見えはしなかったけれど。
感謝する。
これで、私は。
なんて都合がいい男なのだろう?
君をはじめとしたどれだけの人に謝るべきなのだろう、しかし。
今、私の胸を去来するのは感謝。
何故なら、これで・・・これで私はあいつの元へいけるのだから。
自分の家、自分に課せられたこと、自分の望まぬ未来。
それら全てから解放され、やっと愛した人の元へ。
生きているうちに得られることの出来なかった本当の幸せを。
これで、全てから救われるのだ。
自身を苛んできたしがらみ、罪・・・そして悲しみから。
これほどありがたいことは無い。
感謝する。
そして、やっと再会できる。
これで、やっと私は誓いを果たせるのだろう。
この世ではなく、あの世で。
結ばれるのだ。
あいつなら許してくれるだろうか、こんな自分勝手でわがままで、謝る事すら出来ぬ男を。
この悲しみを、幸せへと変えてくれる人は。
最後に、私の最後の生徒になった者たちに伝えたい。
君たちは、自分の信じたように生き、望んだ幸せを生きて得ろ、と。
さあ、これで未練は無い。
すぐに行くぞ、待っていてくれるか・・・・・・早紀―――――。
「麻人君?」
「へっ!?」
急に黙り込んだからだろう、楓が机から顔を上げて尋ねてきた。
「どうか・・・したの?」
「あ、いや・・・なんでもない、と思う・・・」
「思う?」
「うん・・・なんか、変な感じがしただけ」
そう僕が答えると、楓は少しだけ顔をしかめた。
「まさか・・・また何か見えたの?」
「ううん、何も。ただ、嫌な感じがしただけ・・・だよ」
「?」
そう、エスペランサではない。ただ単に、俗に言う虫の知らせとでもいうような予感に過ぎない。
だから何も起きないだろう・・・そう軽く思っていたのだけど。
ピンポンパンポーン
「ほや?」
暑さでだれた教室に響いた音。それは、呼び出しの音。
はて、誰が呼び出されるのだろうと全員がにやつく。何故ならば基本的にこれで呼び出されるのは、何か悪さをして先生にお説教を受ける人だからだ。
しかし、それを告げる人もいつもと違えば、呼ばれる人も。
『お昼休みに失礼いたします』
「あれ、蓮理さんの声だ」
「ホント。いつもは放送委員なのに」
その声は紛れもなく蓮理さんのものだった。それも、やけに神妙な声。
『霧島麻人君、鈴鳴楓さん。大至急、生徒会室までいらっしゃってください』
「・・・・・はい?」
「・・・・・私たち?」
ざわっ!
途端に教室をどよめきが支配し、クラスメイト全員の視線が僕と楓に注がれる。しかし当の僕らは顔を見合わせる・・・当然だ、いくら相手が蓮理さんだからっていきなり呼び出されるようなことをした覚えは無い。しかも蓮理さんは用件を告げること無く放送を切ってしまったのだ。すぐに僕らは囲まれて何をしたのか、とみんなに問いただされるが分かるはずも無い。
「と、とにかく行こうよ、麻人君」
「そうだね、呼び出されたのは事実なんだから行かないと」
そうやって生徒会室に向かう僕ら。
その途中も、嫌な予感は消えることは無かった。
ガラ・・・
「失礼します・・・」
そう恐る恐る生徒会室の扉を開いた。
そこには残った生徒会の面々・・・そして、島崎警部。
「え、警部?どうして?」
「それに、生徒会の人も全員集まって・・・・・・」
「今日のお昼に生徒会があったのですわ」
「ああ、だから皆さん・・・って、じゃあ今日休んじゃった篠塚さんは大変だ」
そう、今日彼女は休みだった。生徒会のある日に休むと、それは大変だろう。自身が色々後から仕事が大変なだけではなく、役員同士の打ち合わせだってあるのだから。
「でも・・・そんな日に休むなんて珍しいわよね?」
「だね。篠塚さんはただでさえ休むことが少ない人だったから」
僕らがそんな風に話していると、城ヶ崎が怒ったように言った。
「あのな、霧島。ここに警部がいる時点である程度気付け。おまえは頭がいいんだか悪いんだか分からん奴だな」
「へ?」
そんな風に言われては少々イラつきもするが、確かに何故警部がいるのか。
そして篠塚さんの不可解な欠席。
「警部、まさか!?」
「・・・ああ、篠塚雫は亡くなったよ」
「・・・・・・っ!?」
心臓が止まりそうなほど驚いた。
気が付くと、僕の体は楓に支えられていた・・・倒れそうになるほどショックを受けていたのだろう。
「い・・・一体、誰に殺されたんです!?」
「おまえ、その言い方だと俺以外の刑事には疑われるぞ?」
「え?」
どういうことだろう?僕も楓も、また殺人事件だと思っていたからポカンと口を開けたままになる。すると、蓮理さんが警部の代わりに答えた。
「正確には、自殺ですわ」
「じさ・・・・・・つ?」
意外な言葉だった。そもそも、彼女が自殺をする理由が分からない。いくらそれほど親しい間柄ではなかったとはいえ、一年の時からのクラスメイトだ、それほどの事情を抱えていたのならば感じ取れていただろう。しかし、そんな兆候は見えずに。
「しかも、ただの自殺ではない」
「ただの・・・って?」
「水井・・・・・・いや、高坂昭典を殺害した直後、だ」
「はぁっ!?」
一瞬、警部の言葉の意味が理解できなかった。
だって、それはあまりにも。
「ど、どういうことですかっ!?」
「すまん、俺たち警察のミスだ」
「?」
ミス?
これまたよく意味が分からない、頭は混乱を増すばかりだ。
「差し入れ・・・だったそうです」
蓮理さんが静かに語り始める。
「高坂先生への面会と同時に差し入れにクッキーを持っていかれたのです。もちろん警察も中に凶器などが入っていないかは確認したそうですけれど、篠塚さんは高坂先生の生徒であり生徒会の役員です、まさかその中に毒が入っていたなどとは誰もが夢にも思わなかったでしょう」
「毒・・・?」
「ストリキニーネという猛毒だ。摂取した30分後くらいから痙攣が起き、死に至る」
悪夢としかいえない事実。
言葉を失った僕らの代わりに、城ヶ崎が尋ねた。
「何、ストリキニーネだと?馬鹿な、クッキーに仕込まれていたとはいえ、口にした瞬間にその苦味に気付くだろうが」
「普通はな」
城ヶ崎は驚いたことにこの毒のことを知っていたようだった。
そうやって言うも、警部はそれについて次のように述べる。
「目の前で篠塚雫も同様に口にしたんだそうだ、“ちょっと焦がしてしまった“と言いつつ」
「はじめから自分も死ぬつもりだった、と?」
「そうだろう」
どうしてなのだろう?どうして篠塚さんが先生を殺害し、そのまま自殺を?それが分からない。
「遺書が見つかったそうですわ」
僕らの表情から何を思っているのか察したのだろう、蓮理さんはそう言って封筒を取り出した。ゆっくり、そして寂しげにその内容を口にする。
「篠塚さんは、山下君に好意を抱いていたようです」
「え、雄一に?」
「ええ。彼のひたむきな姿をいつの間にか追う様になっていた、とあります」
篠塚さんは僕らと一年から同じクラスだった。つまりそれは、一年の時は雄一とも同じクラスだった、ということになる。その時に、誰よりも演劇に情熱を燃やし頑張っていた雄一を見て。
「じゃあ、ひょっとして篠塚さんが髪を切ったのは・・・っ!?」
楓が息を呑む。きっと、篠塚さんは雄一が相川先輩と付き合い始めたことを知ったのだろう・・・その理由は、他の人たちと同じ。その視線の先や行動、それらから。だから失恋したと分かり、髪を切った。そういえば、髪を切った直後の彼女は晴れ晴れとしていたけれど、どこか切ない表情で。
今更気付いても、それはもう遅いのだけど。
「それでも、やはり想いは捨て切れなかった。けれど、彼が幸せでいてくれるなら・・・ずっとそう思っていらしたそうです」
「だが、突如その想いの相手はこの世からいなくなる」
「・・・敵討ち、ですか」
好きな人を殺された、その復讐をする。純粋だからこそ、起こしてしまう過ち・・・いや、彼女も分かっていただろう。だけど、好きな人を失ってしまった悲しみから逃れられなくて。自分でもどうしようもないほど悲しくて。
「僕は、篠塚さんが自分を殺そうとしていることに先生は気付いていたと思います。そしてその事を篠塚さんも、また」
「・・・え?」
僕が突然言った言葉。みなの視線が向けられる・・・当然なのかもしれない、あまりにそれは。だけど、何故か僕にはそれが真実であると思えたから。
「高坂先生は、きっと救いを求めていたんだと思います。それが死ぬことだなんていうのは誉められたものではないでしょうけれど・・・でも、きっと。先生は気付いたんです、何よりも大切だったのは朝倉先輩だった、と。だから彼女を自分で殺してしまう結果になってしまった苦しみから逃れたかった・・・いや、彼女のいるところに行きたかった。そうだったんじゃないかと思います」
誰も一言も口にせず聞いている。
それをどう思っているのかは知りえないけれど、僕は続けた。
「高坂先生が、篠塚さんは雄一が好きだったということに気付いていてもおかしくはありません。でしたら、その雄一を殺害した自分へ対し彼女は殺意を抱くと、きっと薄々感じていたでしょう。また、篠塚さんも高坂先生がそこまで分かっていることに気付いていたと思います。けれど、それでもせざるを得なかった・・・それほど、彼女の想いは強かった」
未だ、誰もが口を閉じている。
そして、楓と蓮理さんは少し目頭を押さえたようにも見えた。
「そして、同時に高坂先生は篠塚さんが自殺を図ることにも気付いていたでしょう。でも、愛する人の元へ行きたい気持ちは痛いほどよく分かったから、教師としてではなく、同じ痛みを持つ人間として止められなかった・・・彼女に、苦しみから救ってくれることを感謝しながら、毒入りクッキーを喜んで口にした。向こうで最愛の人の笑顔に会えるのを・・・・・・待ちわびながら―――――」
死ぬ事が救いだとは、認められるものではないだろう。
だけど、それを心底望み、渇望した人がいたことを否定しきることも出来ない―――少なくとも、それが彼等にとっての幸せだったのだから。
それは決してハッピーエンドでは無いけれど。
でも、きっと。
「ただいまー」
「おかえり、麻人」
洗濯物を取り込んでいる母さんのそんな普通の言葉が、とても幸せなものだなと思う。こんな普通の、何気ない日常が。
「リビングにおやつ置いてあるわよ」
「やった」
ここのところ事件に巻き込まれていたことを知っているからだろう、最近の母さんは前にもまして優しい・・・というか、甘い。こうやっておやつを買っておいてくれることも増えた。
留学中の妹への電話もよくしている・・・どうやら、僕に甘いというよりも子供が元気でいてくれることの幸せを再認識したようだ、って僕がこんな風に言うのも変だけど。まあ、自分の子供の通っている学校の生徒が立て続けに、なんて聞いたらそうもなるね。
ピッ。
リビングでおやつを頬張りながらテレビのスイッチを入れる。
『水井家は長男を失っただけでなく、彼の起こした事件によりその社会的地位が・・・』
いきなり耳に飛び込んできたニュース。それは高坂先生の家のことだった。
『記者会見場で何度も謝罪するも、関連会社の株が暴落しておりこのままでは・・・』
淡々と、いやむしろビッグニュースを喜んでいるようにも聞こえるキャスターの声。彼等からしたら完全に他人事だからだろう・・・だけど僕らには。少し前まではテレビの向こうのこんな事件も同じように他人事だったけれど、そんなニュースの裏に計り知れないほどの悲しみと涙があると知った。それを痛感した今回の事件。
何が、歯車を狂わせたのだろう?滞りなく流れる当たり前の時間が、悲劇の連鎖となっていった。たった一組の恋人たちが、その望みを果たすことさえ出来ずに。そこから、恋と言う名の下に殺害された人たち。悲しいまでに切ない。
そんな心を締め付ける思いに、すでにおやつの味も感じなくなっていた時だった。
「・・・ん?」
テレビが停止している。
母さんが洗濯物を取り込んでいる音も聞こえない。
しかし僕は動じない・・・そう、この感覚には覚えがあったからだ。
「・・・麻人」
「やっぱり、パンドラ」
声のした方を振り返ると、パンドラがいた。
しっかり靴を脱いでいるところがお茶目だ。
「・・・ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
いきなり頭を下げて、今にも泣きそうに謝ったパンドラ。
その様は見た目相応としか思えない。
「あなたに希望を与えるなんて言っておいて、結局余計に苦しませただけだった。しかも最後は断り無く勝手に返してもらって辛い思いさせて・・・こんなの、箱の底に残った希望なんかじゃなかった!苦しみを大きくするだけの、単なる災いだった!本当にごめんなさい・・・・・・っ」
ついに涙をポロポロこぼしながら謝る。
その様は以前の大人びた余裕あるものとはまったく異なっていた。
まるで親に怒られる子供のような――。
「パンドラ」
「?」
だから僕は、思わず妹にするように。
名を呼ばれて顔を上げたパンドラを。
「!?」
「ありがとう、パンドラ」
そっと引き寄せ、抱きしめた。そしてそのまま、優しく頭を撫でる。
彼女はとてもびっくりしていたけれど、振り払うことなく僕に身を任せていた。
僕は、言葉を続ける。
「君のおかげで、楓をはじめとして救うことが出来た人もいる。それに、高坂先生達だって・・・・・・」
「でも私は、あの子達を死なせることを良しとした!あなたに未来を変えることをさせず、私の勝手な判断であの子達を死へと・・・っ!」
泣き叫ぶように言い続けるパンドラを、もっと強く抱きしめた。
何故か、そうしなくてはいけない気がしたからだ。
これ以上、自分を責めさせてはいけない・・・そんな、気が。
「それは正しいことではないかもしれない。間違っていることかもしれない。でも、確かに・・・確かに、救われた人がいる。君の判断に感謝している人がいる。それもまた間違いないよ」
「・・・」
「未来は無限の可能性に満ちている。同じように、人の心も無限の思いに溢れているんだ。だから、どれが正しくてどれが間違っているのかなんて決められるわけが無い」
「・・・・・・」
「でもパンドラはそれが正しいと信じて、そして相手もそれで救われたと思っている。だったら、それでいいんじゃないかな?」
「麻人・・・」
パンドラは、涙でグシャグシャになった顔で僕を見上げる。
僕は、笑った。
「だから、この言葉は僕だけのものじゃない。みんなの分も一緒に・・・ありがとう、パンドラ」
やっとパンドラは涙を止めて―――はにかんだ笑顔を見せた。
トゥルルルルルルルルッ!
「うわぁっ!?」
跳ね起きた。あれ、僕はいつの間に眠っていたのだろう?
僕がそうぼやっとしていると、母さんの声が届く。
「麻人、ちょっと出てくれる?」
「あ、はーい」
はて、なんか変わった夢を見たような。
ともかく、けたたましく鳴り響く電話に出ることにする。
「はい、霧島で・・・・・・」
『やっほーーー、お兄ちゃんっ!』
きーん・・・・・・
受話器の向こうからこうも大きな声で叫ばれては、一瞬耳鳴りが起こる。元気なのはいいことなのだが、これではこちらの身がもたない。
その電話の主は霧島 さぎり、似ていないということで評判の僕の妹だ。ちなみに現在留学中。
「さ、さぎり・・・・・・おまえ、もう少し・・・」
『なーによー。可愛い妹からの久しぶりの電話に感動とか無いの?』
そう言われてみれば、僕がさぎりの声を聞くのは久しぶりかもしれない。それも致し方ないだろう、向こうとこちらでは時差がある。母さんが電話している、というのは向こうの時間に合わせて、だから僕が代われるはずもなく。
「・・・あれ、久しぶりだっけ?」
『何、そっちではまだ夕方のはずなのに寝ぼけてるの、お兄ちゃん?』
「いや、まあ実際に昼寝していたみたいだし・・・」
『はぁ・・・相変わらずだね。私がいないと、だらしないったらありゃしない・・・』
なんとも失礼な妹だ。
「それにしても、こんな時間にどうしたの?そっちは真夜中でしょ?」
『あ、うん。変な時間に目が覚めちゃって、眠くなくなっちゃったから。お兄ちゃんのボーっとした声でも聞けば眠くなるかなって』
「・・・・・・切るよ?」
『あーん、冗談だってばぁ』
慌てて謝るさぎり。
まあ、相手くらいはしてやろう。
「・・・そういえば不思議だ。なんか夢でおまえに会った気がする」
『やーん、お兄ちゃんってば、シ・ス・コ・ン♪』
「おっと電池切れだ」
『家の電話にそれは無いでしょっ!?』
どっちかっていうとそっちがブラコンだろうが、という突っ込みはやめておく。
だけど、先の言葉は嘘ではない。どうしてか、さぎりによくしていたように夢の中で誰かを慰めていた気がして。
『ふぅん・・・予知夢みたいだね。お兄ちゃん、ついに超能力者かなっ?』
「あ、まあ似たようなことは・・・」
『ふへ?』
「おっと、こほこほ」
危ない危ない、思わずエスペランサのことを話しそうになった。もしその事を口にしようものなら、頭の病気に掛かったのかと本気で心配されるだろう。何せ、さぎりは科学の道の天才なのだから。
・・・・・・って、そうだよ。
「あ、パンドラか」
『は?』
「いや、なんでもない」
『・・・どうしよう、お兄ちゃんがちょっとおかしい』
本当に失礼な妹だ。
それはともかく。そうだ、ついさっきまでパンドラがいたのではなかったか?いつの間にか僕は眠っていて、彼女との邂逅は夢であったかのようにぼやけているけれど。
「撫でた髪の感触。これは、幻なんかじゃないよなあ・・・」
『帰って来ーい、我が兄ー』
ノリがいいんだか微妙なことを言ってくれるさぎり。
その彼女のものによく似た、パンドラの温もり。それは間違いなく現実だった。
「あはは」
『はい!?』
「そうだよ、あれは夢なんかじゃない」
『どど、どうしよう・・・私のお兄ちゃんが壊れた・・・っ』
ブラコン全開の言葉を発してくださった我が妹君。あなたのおかげでどれだけ恥ずかしい目にあったとお思いか?何せさぎりは日本に帰ってきて僕と出掛ける時、それはもう大変だ。向こうの感覚で家族愛を発揮するものだから、日本ではすごいことになる。まあ、はたからは微笑ましい光景なのだろうけど。
「本当・・・ありがとう、パンドラ・・・・・・」
『Brother, Come backーーーーーっっっ!』
電話の向こうでナイスな発音の元に叫びを上げるさぎりは置いておいて。
これで本当の意味で事件は幕を閉じたわけだ。いいことも悪いこともあったけれど。
帰らざる思いもあれば、うつろわぬ思いのままで亡くなった人も。
別れの足跡は、静かに。
また、いつもと変わらぬ当たり前で・・・新しい日々が始まるのだろう。
苦しいかもしれない。辛いかもしれない。
でも、きっと。
きっと、それでも必ず希望は―――――。
『え、えっと・・・脳医学で権威ある人の電話番号は・・・』
「・・・さぎり、僕は至って平常だってば」
本気で慌てふためいている妹に笑いながら・・・
こんな風に、何気ない日常を僕らはずっと生きていくのだろう。
「やっぱり、あなたは優しいのね。だから私はあなたに頼ってしまう。自身の手では誰も救う事の出来ない私は、あなたに頼る。それが辛い思いをさせることであろうと、悲しませることになろうと。あなたが、優しいから・・・・・・あなたが、私にとっての希望だから――――――」
パンドラは、僕とさぎりの電話のやりとりを微笑みながら聞いて、そう呟く。
強く、儚く。
それは、静かな水面を揺らすさざ波のように。
そして音も無く、その姿は闇に溶けて行った。




