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そこにあったもの

その時までは、何の変哲も無い平凡な日々だった。

いつものように目が覚めて、寝ぼけたままで朝食を食べて学校へと向かい、今日も今日とて元気だけがとりえのクラスメイト達と馬鹿騒ぎをしては先生に怒られ。

僕は窓際の席から、受験のためだけの退屈な授業よりも、ボーっと青い空を流れる雲を眺めていた。


――こんな、何気ない日常。


卒業するまで、このありふれているけれどもどこか温かい日々が続くのだ、と。

何の保証も無く、ただ漠然と信じていた。


「いいかげん起きなって、麻人君」

「んにゅ?」


いつの間にか眠っていた僕は、耳に届いた聞き慣れた声によって夢の世界から引きずり出される。


「・・・おはよう、楓」


そう寝ぼけ眼で尋ねる僕の名前は、霧島きりしま 麻人あさと

この世に生を受けてまだ十七年、青春真っ盛りの青二才だ。

特に説明するような特徴は無い普通の高校生でいるはずなのだが、やたら童顔童顔だと言われることが多く、中には可愛いとまで言われることもある。

確かに幼い子供が嫌いであるような食べ物が苦手であったり、友人と組んで先生にいたずらをしでかしては怒られたりもしているのだけど、大人と見られたい思春期にそう言われるのはあまり好ましくない。

まあこれらのせいなのか、誰からも敬遠されるようなことは無く友達が多いのはありがたいことではあるけれど。


そしてため息混じりに寝ていた僕を起こし、上からその綺麗な長い髪を垂れ流して見下ろしているこの女の子は、鈴鳴すずなり かえで

長い髪を後ろで結ったり下ろしたり・・・一日の間だけでも気が付くとしょっちゅう髪型を変えていたりするちょっと変わった子だ、これだけで彼女の性格を憶測して欲しい。

僕達は昔っからの腐れ縁・・・言い方を変えれば幼馴染、というやつだ。

楓は見た目はまあ確かに可愛らしく、男子共から人気があって、そんな彼女と幼馴染である僕はよく他の男共から羨ましいだの何だの言われるのだが、そんなのは皆が楓の本性を知らないから言えるのだ。

この際、はっきりとさせておこう、楓は学校ではかなり猫をかぶっている。

彼女に散々足蹴にされてきた僕が言うのだから間違いない。


「はぁ、もうお昼。おはようじゃないよ・・・まったく、午前の授業中ず~っと寝てるんだから・・・って、その顔、何か失礼なこと考えてるわね?」


少々僕をにらみつけてそう言うと、楓は袖をまくって腕を振り上げる。

そして僕は悲しいかな、条件反射という奴で思わず謝ってしまうのだ。

 

「ご、ごめん!」

 

そう僕が咄嗟に謝ると彼女は、ふぅ・・・と小さくため息をついて言った。


「情けないなぁ。男だったらもう少し、しゃんとしなよ」

「わ、わかってるよ・・・!」

「なんか中途半端な答えだなあ。お母さんは、そんな情けない子に育てた覚えはありませんよ?」

 

そう冗談じみて言い、腰に手を当ててそんなに大きくない胸を張る楓。

 

げしっ!

 

「いったぁ!?」

 

殴るどころではなく、蹴られた。僕にそんな問答無用な暴力を奮ったのは、言うまでも無く楓。

素で痛い、何せ学校内ではスリッパを履いているのだが、これがまた結構分厚くて硬いんだ。


「い、いきなり何するのさ!」

「・・・誰の胸が小さいって?」

「ごめんなさいっ!」

 

あなた、エスパーですか。 

 

まあ、そんな馬鹿みたいなやりとりも、なんだかんだ言いつつ楽しいのは否定できない。

他のクラスメイト達も、見慣れた日常光景と化している僕らのやりとりを見て「これこれ、一日一回はこれを見ないとね」と大笑いしている。

当たり前すぎてつまらないとも思えるけれど、それでも大切にしたいと心から思える毎日。

それはまるで凪のように緩やかに、そして穏やかに当たり前の日々は流れ続ける――はずだった。


「・・・・・・・・っ!?」


何かが、見えた。


時間にして一瞬なのだろうけれど、永遠にも感じる長い時間。

景色がとても早く、かつスローモーションで流れゆく。

本来とは真逆の方向に零れた、悲しみに満ちた涙。

悲愴に満ちていながらも、微かな笑みをも浮かべて目を閉じる。

自分の想いはちゃんと伝わっていたのだ、と信じて。


・・・・・・さよなら。


一瞬後に消えるだろう意識の最後に、それだけを静かに口にした―――。



「どうしたの?」

 

いつもの苦笑いから急に血相を変えた僕に、多少驚きつつも笑顔のまま尋ねる楓。

対して僕は、あまりのことに凍り付いてしまったかのように窓の外を眺め佇んでいた・・・目を酷く見開いたまま、たった今見てしまったものを頭で正確に把握するのに戸惑いすら感じているほどの衝撃。


――はたして、この時の僕は傍からすると一体どんな顔をしていたのだろう?

 

「・・・ねぇ、麻人君?大丈夫?気分悪いの?」

 

そう本気で心配し始めた楓の声に、やっと我に帰る。

そしてゆっくりと、見てしまったものを伝えるために、震えた言葉を紡いだ。

 

「今、人が・・・!」

 

そう、それは紛れもなく人だった。

 

「人が、どうかした?」

 

僕の言いたい事がわからないのだろう、楓は首をかしげる。

僕は、震えながらも自分の見たものを彼女にだけでなく周りで同じように心配そうな顔を向けている友人たちにも、精一杯聞こえるように。

 

「人が、落ちていった・・・」

 

そう、やっと告げると窓の外を指差す。

 

「・・・え?」

 

さすがにこれは予想してなかったのだろう、楓が素っ頓狂な声を上げる。

そして僅かに解するのに時間を要した後、僕の言葉を否定したいからだろうか、彼女だけでなくクラスメイト達ほとんど全員が窓へと駆け寄った。


―――しかし。

 

「なんともないわよ?」

「えっ!?」

 

僕を振り返りそう言った楓の言葉に、今度は僕が素っ頓狂な声を出した。

 

「そんな馬鹿な!」

 

慌てて窓際に駆け寄り、皆と同じように下を見る。

その時の僕は、自身の見たものを否定したいのか肯定したいのかも分からずに。

 

「・・・あれ?」

 

何も無い。

人が落ちた形跡など、全く無かった。

それどころか、窓の真下には掃除が行き届いているのか木の葉一枚さえも無く。

目をパチクリさせては擦って、何度も何度も確認する。


「麻人君、疲れてるんだよ。鳥でも飛んでただけよ、きっと」

 

そんな僕を見ていた楓はそう言い、少しだけ優しく笑った。

皆も同じように、普通に笑った。

でも僕は・・・笑えなかった。強張った表情のままで。

 

――見間違いなんかではない、あれは背筋の凍るようなリアル。

 

幻でもない、それは確かだと断言できる。

だがしかし、窓の下から覗いた地面には何も無かった。


そしてそれからすぐ、何事も無かったかのように先生が教室にやってきて、いつものように午後の授業が始まった。

僕の心は、もやが掛かった様ではあったけれど。

淡々と公式を口にする先生の声が頭を素通りしていく、集中できるはずも無い。

あれは、ただの白昼夢に過ぎなかったのか、それともーーー


授業が始まって少し、時間にして『あれから大体10分くらい経過』した頃。

ほとんどみんなが集中し始め、教室は完全に静寂に支配されつつある。

 

――その時だった。

 

「きゃあああぁぁぁっっ!」

 

突然の耳を張り裂かんばかりの悲鳴が、僕の三つ前の窓際の席の女の子から上げられた。

 

「ど、どうしたっ!?」

 

黒板にチョークを走らせ、生徒に背中を向けていた先生は当然驚いて振り向き、生徒たちも、どよめきと同時に叫びを上げた女子生徒の方を即座に振り向く。

そして、当の叫び声を上げた女の子は窓の方を指差して泣きながら、かつ、歯をガチガチと鳴らしながら呟いた。

 

「ひ、人が・・・お、落ち・・・・・・・」

 

それ以上、言葉は言葉にならない。

だが、それで十分だったのだろう、先生は血相を変えて窓に駆け寄る。

他の生徒達も慌てて彼に続いた。

 

「・・・・・・・・っ!」

 

誰も彼も、一人残らず声を失い、息を呑む。

窓の下には、横たわる人影らしきもの。

広がる真っ赤な・・・いや、どちらかといえばドス黒く見える血は、すでに池とも呼べて。

目を凝らしてしまうと見えてしまった、衝撃によってつぶれ飛び散った肉片。

次々と上がる叫び声と泣き声、それは僕らの教室だけではなく。

嘔吐の音、腰が抜けて転倒した音、ガチガチと歯が鳴る音。

意識を失う者、目を強くつぶり頭を振って現実を否定しようとする者、泣くことすら出来ぬ者。

そんな、凄惨で異常としかいえない非日常的な光景により生まれたパニックが場を埋め尽くしていた、いつもと同じ場所であるはずの教室。

だが、何より僕が驚いたのは。

 

――間違いない、ということ。

 

さっき僕が見た人は、あの人だ。

顔なんて見えていない。しかし、特徴・・・髪型、体つき、雰囲気。

本当に同一人物か、と尋ねられたら肯定しかねるが、どうしてかそうであると確信が出来てしまって・・・どうして?

僕には、今起こった・・・この血も凍るような光景が間違いなくこれより先に見えてしまっていた。

人が落ちていくのが『あらかじめ見えてしまった』

 

―――どうなっている!?


授業は、当然自習になった。教室中はたった今起きたことで大騒ぎのままである。

そんな中、僕はただ一人、呆然としたまま自分のことを考えていた。

どうして、これから起こることが寸分違わず事前に見えてしまったのか。

分からない、考えたってこんなこと分かる筈も無い。

そして、そうやって考え悩み続けている僕を見つめる人がいた。

 

楓。

 

彼女は、僕がさっき見えてしまっていたことを覚えていたのか、僕と同じような戸惑いの表情を浮かべていた。いつもの笑顔ではなく、驚きと困惑の表情で。


 

結局、この日は何も分からないまま家に帰された。本当に、何も。

一体、何が起きているのか。

そして自分はどうしてしまったのか。

今はまだ、これから何が起こるのか知る由も無かった――。 


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