神様の花嫁は短命です~あの時死ぬはずだった君に捨てられた僕、捨てた後に後悔するのはやめてくれ~
僕には大切な彼女がいる。名前は雪野遥。艶やかな黒髪に見ているだけで吸い込まれそうになるほどに澄んだ黒曜石のような瞳。
スっと通った鼻梁に染み一つない白い肌。肉付きも昔からは想像できない程に付いていてグラビアアイドルのような体系をしている。
学年どころか学校でも1番の美少女だ。そんな彼女と僕は小学生の頃から付き合い始めて高校2年生になった今でも変わらず付き合っている。
きっと、これから先の人生も彼女と共に歩むものなんだと、僕は疑っていなかった。
「どうしたの遥。僕に大事な話があるって」
そんな彼女である遥に放課後大事な話があると呼び出された僕は彼女に指定された場所に赴いた。
するとそこに彼女は立っていた。
「う、うん。ごめんね良君、急に呼び出したりして」
しかしそこに居たのは彼女だけはなかった。彼女の隣に男子生徒が立っていた。
その男子生徒の顏には見覚えがあった。3年生の先輩でたしか生徒会長だった男の人だ。
顔立ちは整っていて、クラスの女子生徒達が騒いでいた記憶がある。
そんな男が僕を視界に入れると小馬鹿にしたような表情を浮かべてニヤついていた。
「そ、それでね、話っていうのはね」
この時点で何を言われるのかは概ね分かっていたが僕は黙って耳を傾けた。
もしかしたら間違いなのかもしれないからだ。
「私と別れてほしいの!!」
だけど、間違いではなかった。
遥の声はやけに大きく聞こえた。
予想通りの言葉に、僕は予め考えていた言葉を伝えようと思ったが。
心臓が速く脈打つ、呼吸が上手くできなかった。
目の前が見えない。
「遥は僕と別れる事になって後悔はしないのかい?」
「……本当にごめんなさい。私の勝手で」
僕の言葉に遥は謝罪を持って答えた。
遥の決意を知った時点で、僕は自分でも驚く程冷静さを取り戻す事ができた。
遥の顔を見ると、泣きそうな表情を浮かべていた。
そんな顔も綺麗だな。なんて事を考える余裕すら僕にはあった。
「もういいだろ。そもそもお前じゃ、遥を幸せに出来ないんだよ。釣り合いが取れてないんだ。……分かるだろ?」
先輩は泣く遥を庇うように前に出ると、僕を威圧してきた。
そして先輩の言葉をよく吟味する。
先輩は遥と僕が釣り合いを取れていないと言った。
確かにその通りだと思う。遥は学校でも一番の美少女で、街中でもスカウトされる事がある程に容姿が整っている。
それに対して僕は、顔立ちも成績も運動神経も全てが中途半端でつり合いなんて取れている筈がなかった。
「先輩にはできるんですか?」
「ああ、少なくともお前みたいに泣かせたりはしないさ」
先輩はそう言うと泣きじゃくる遥を胸に抱き寄せた。
僕よりも男らしい体躯をしていて、それに身を寄せている遥を見て……僕も納得することができた。
「そっか、なら仕方ないね。今までありがとう、これから先、辛い事があると思うけど諦めちゃ駄目だよ」
「う``う``ん``良ぐん、ほんどうにごめんなざい」
先輩の胸板に抱かれながら遥はそう言って謝罪した。
僕はそれに振り返る事なく、その場を後にする。
「……さよなら。遥……今まで思い出をありがとう」
そして僕の恋は終わりを告げた。
だけど同時に
「絶対に後悔しないでくれよ」
僕はようやく彼女から解放された事に安堵すら覚えたのだ。
その日以降、遥から連絡が来ることはなかったし、僕の方からも連絡を取る事はなかった。
学校でも顔を合わせる事なく、一切の交流を断つ形になってしまっていた。
それから数日が経ったある日の事、遥が授業中に倒れて病院に搬送されたらしい。
原因は軽い立ち眩みのようなモノでおそらくストレスか何かだと診断されたそうだ。
しばらく検査入院をすればすぐに退院が出来ると医師の人も言っているらしく。
何人もの生徒が彼女の元に見舞いに訪れた。
それに対して僕の肩身は狭かった。どうやら遥に対して僕がストレスを与えてる原因だと思われているようで、軽い虐めのような感じになっていったのだ。
僕と遥が付き合っていたのは周知の事実で、そして別れた話もすぐに広まっていった。
元々僕に対していい印象を持ってる人間なんて殆ど皆無だったので、僕が孤立するのは意外と早かった。
「本当に雪野さん可哀想だよね。吉崎のせいで倒れたんだから」
「吉崎の奴が深夜に無言電話してたから寝不足だったって本当?」
「さあ?けどアイツなら本当にやりそうだよな」
「まじで雪野さんと吉崎が付き合ってたの謎だったし別れてスカっとした!生徒会長と付き合ったんでしょ?お似合いだって!」
「そうそう、生徒会長とか毎日雪野さんのお見舞いに行ってるらしいよ?凄い献身的でしょ!」
好き勝手言われる事には慣れている。
なので、僕は反応を返さない事にした。
反応しない玩具程、興味をそそらないモノはないのだから、僕は嫌がらせには無視と無反応で対応していった。
そしてそんな奴らも次第に僕を相手するのにも飽きたのか、直接何かをしてくることはなくなった。
遥が戻って来れば、すぐに忘れるのだろう。
だけど、遥は戻ってこなかった。
数日だけだった検査入院期間中、突如体調を崩しそれが戻らなくなったのだ。
原因は不明。重く見た医師が街で一番大きな総合病院に緊急搬送。
当然、そのニュースはクラスを騒がせた。
だがそれ以上にクラスを、いや、学校中を騒がせた事件が起きたのだ。
生徒会長が死んだらしい。原因は通学中にダンプに轢かれた事による轢死。
死体は原型を留めない程にグチャグチャになっていたそうだ。
これはメディアに取り上げられた。
TVのニュースに自分の通っている学校が映っているというのが不思議に思えてならなかった。
全校集会でも校長主催の下、生徒全員が生徒会長の為に黙祷をした。
その頃には遥が入院しているという話がクラスに出る事は滅多になくなった。
僕に対する嫌がらせもすっかりと風化してきて学校も大分過ごしやすくなったくらいの時期に僕の携帯にメールが入ったのだ。
送信者は遥で内容はシンプルだった。
『会いたいです』
その文面を見て少しだけ逡巡した僕は遥に会う事を決めた。
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彼女との出会いはこの街でもっとも大きな総合病院だった。
盲腸で入院していた僕は病院を探索していると、少しだけ扉が開いている病室を発見した。
まるで何かに導かれるかのように隙間から中を覗くと苦しそうに呻く同い年くらいの女の子を見つけたのだ。
「──ひぃ」
だけど僕はその時に彼女を見て……恐怖した。いや、より精確に言えば彼女にではない。彼女に憑りついている存在に対して恐怖したのだ。
産まれつき、僕の目には他の人には見えないモノが見えていた。
そしてその中には見たくないモノや見えてはいけないモノも当然存在していた。
そんな僕が恐怖した。一目見て分かった。
彼女がどれだけ危機的状況に陥っているのか、どれだけ厄介な存在に魅入られているのか。
「……だれ?」
擦れた声だった。そして同時に不安や寂しさを滲ませていた。
僕はその体質のお蔭か感受性が極端に高い子供だった。
だから、そんな彼女の不安を感じ取った僕は意を決して、逃げ出したい気持ちを抑えながら扉を開いて中に入った。
病室に一歩足を踏み入れた瞬間。異界に足を踏み入れたかのような錯覚を覚えた。
少なくとも彼女に憑りついている存在からは歓迎されていない事が分かった。
ベッドから身体を起こした彼女は警戒しているのか胡乱な目で部外者である僕を見つめていた。
しかし痩せ衰えた身体、細い枯れ木のような腕に足、点滴に繋がれている姿は見ているだけで哀愁が漂っている。
末期患者のようなその姿は彼女の命がそう遠くない内に終える事を明確に告げていた。
それを見て僕は哀れみを感じてしまったのだ。
だから僕は彼女と友達になろうと思った。
「えっと、僕の名前は吉崎良って言うんだ。君の名前は?」
「そうなんだ。私の名前は……」
それが僕と遥の出会いだった。
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それから僕と遥は交流を重ねた。
といっても遥はあまり身動きできないので、基本的に僕が出向く形になっていたけれど、日に日に遥は笑うようになった。
遥は産まれつき身体が弱く、物心ついた時から病院に居たらしい。
両親もあまり見舞いに来てくれなくて寂しかったようだ。
年齢が同じだという事もあり、僕と遥はすぐに打ち解けて仲良くなっていった。
遥と過ごしていくうちに、僕は遥に憑りついているモノの正体がなんとなく理解できるようになっていった。
同時にどう対処をすればいいのかも分かってきた。
だけどこれは特別な人にしか使えない力なのだというのが分かった。
近い内に遥は花嫁として連れ去られてしまうのだろう。
盲腸の手術が終わり、経過も順調だった僕は近々退院する頃になって、意を決して遥ちゃんに訊ねた。
「ねぇ遥ちゃん……遥ちゃんは生きたい?」
「え?」
遥ちゃんは僕の突然の言葉に驚いたようだ。
無理もない。そう思って僕は更に言葉を続けていく。
「実は、遥ちゃんに隠してた事があるんだ」
僕は遥ちゃんに僕の秘密を話した。
遥ちゃんはとても純粋で僕の言葉を疑う事なく信じてくれた。
それが僕には堪らなく嬉しかった。
だから僕は見たまま、感じたままに遥ちゃんに真実を伝えた。
「遥ちゃんがずっと病院に居るのは神様の花嫁だからなんだよ」
「そうなの?」
「うん、たぶん遥ちゃんのお母さんの繋がりだと思うんだけどね。お婆ちゃんのお婆ちゃんが家が豊かになるように家族から花嫁を出す事を約束したんだよ」
遥ちゃんのお母さんのお母さん。そしてそのお母さんのお母さんが祠にお祈りしているのが分かった。
これはきっと遥ちゃんに憑りついている神様の視点なのだと理解できた。
そして神様は願いを叶えた。娘を捧げ続ける間は神様がご利益を与える事を約束したのだ。
そして当代の花嫁こそが遥ちゃんなのだと理解したから。
「……私、嫌だな。神様の花嫁になるの」
それは遥ちゃんの本音だった。
「そっか、なら僕のお嫁さんになる?」
「え?良くんのお嫁さんに?」
「僕なら遥ちゃんを神様から遠ざける事が出来るよ。……だけどこの力は誰にでも使える訳じゃなくて、特別な人にしか使えないんだ」
「それがお嫁さん?」
「うん」
「私、こんな身体だよ?なのにお嫁さんなんてなれるの?」
自嘲するように、困惑するように遥ちゃんは尋ねてくる。
「なれるよ。だって、僕のお嫁さんになれば神様から遠ざかるんだよ?身体だってすぐに良くなるさ」
遥ちゃんに憑りついている神様は力が相当強い。本体が遠く離れているのにも関わらずこれだけの影響力があるのだ。
だけどその神様の影響が無くなれば彼女はすぐにでも退院できるに違いない。
僕はそう思っていた。
「そっか、うん、だったら、私、良くんのお嫁さんになりたいな」
「分かった。それじゃ遥ちゃん。君は今日から神様ではなく、僕のお嫁さんだ。君が僕の傍に居る限り、どんな災禍からも守ると約束するよ」
ここに契りは結ばれた。
この時、この瞬間を以て遥ちゃんは僕の特別になったのだ。
伴侶となり親縁となった。それにより神様から遥の存在を隠す事に成功した。
神様の影響が無くなった遥ちゃんは病弱っぷりが嘘のように健康になった。
すぐに退院をして、一緒の学校に通う事ができたし。
身体付きだって肉が付いてかつての状態が嘘のように健康的になっていった。両親の仲も改善され。
元々明るく、そして聡明だった彼女は友達だってすぐに出来て、彼女の人生は正しく順風満帆だった。
これから先の未来もきっと光に満ち溢れていた。その筈だったのに……。
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病院に辿りついた僕はどこか懐かしさを感じながら、彼女が暮らしている病室に向かって行った。
「久しぶりだね。遥」
「……来てくれたんだ。良くん」
久しぶりに出会った彼女はずいぶんと窶れた顔をしていた。
肌に張りはなく、頬と腕の肉は痩せ衰えている。
あれだけ魅力にあふれていた学校一の美少女の姿はそこには無かった。
そこに居たのは初めて会った時と同様の死をただ待つだけの重篤患者だ。
そしてそれ以上に目を引いたのは彼女を取り巻く、黒い渦のような靄だった。
昔、視た時よりも遥かに強力で凶悪で粘着質に変貌しており、思わず後ずさりしてしまったほどだ。
「どうしたんだい?急に会いたいだなんて」
なるべく態度に出さないように平常心を装いながらも僕は備え付きのパイプ椅子に座りながら本題を切り出した。
本音を言えば、今すぐにでも逃げ出したい。だけどそれをなんとか抑えて我慢する。
「……あのね。良くん、私ね、入院している時に夢を見たの。昔の、懐かしい夢」
遥がポツポツと静かに言葉を紡いでいく。
「私と良くんが出会ったのもこの病院だったよね。たしか良くんが盲腸の手術で入院して、私の部屋に入ってきて」
僕は遥の言葉に黙って耳を傾けた。
「それから私と良くんは仲良くなって……昔の私は学校に行った事がなかったから、良くんの話を聞くのが凄く楽しみだったの」
「友達の話、授業の話。先生の話。良くんがしてくれた話は私にとってはどれも凄く眩しくて、羨ましいものだった」
遥は何が言いたいんだろうか?
「昔話がしたいんだったら、わざわざ呼ばなくても、電話してくれたらよかったのに」
気が付くと僕はそう口に出していた。
だけどすぐに後悔した。僕がそう口にした途端、遥の表情が今にでも泣き出しそうになっていたから。
「ごめんなさい。やっぱり怒ってるよね?」
「いや、怒ってないよ。ただ本当に不思議なんだ。君は僕を振って生徒会長に乗り換えた訳だろう?なのになんで君は僕を呼んだんだ?」
そしてこれも言ってから後悔した。あまりにも直接言い過ぎたのか。遥は涙ぐんでいた。
そもそも生徒会長は死んだ。その事実は当然遥も知っていて、その寂しさから僕を呼び出したのではないだろうか?
だとすれば、あまり触らない方がいいのかもしれない。
「ああ、ごめん。別に辛く当たるつもりはないんだ。えっと、本当にごめん、気をつけるよ」
「う、うん、ぜんぜん、いいの、良くんが言ってる事は全部ほんとうの事だから」
僕が宥めるように必死に謝ると遥は少しずつ嗚咽を抑えて呼吸を整えていく。
「それでね、私、思い出したんだ。病弱だった私が退院する切っ掛けの事」
どこか遠い目をして遥は続ける。僕はそれを黙って聞いていた。
「あの日、良くんは私の事を神様の花嫁って言ったよね?それが原因で私が病弱なんだって」
「うん、確かにそう言ったね」
僕は遥の言葉を肯定する。
「それで良くんのお嫁さんになったら神様の花嫁じゃなくなるから私の身体が健康になるって」
「うん」
僕は遥の言葉に頷いた。
遥は少しだけ深呼吸をして、そして僕の目を真っ直ぐに見据えて、ずっと知りたかったのであろう疑問を口に出した。
「それじゃあ、私がまた病気になったのって、もしかして……私が良くんと別れたからなの?」
今更だと思った。遥は当然それも承知の上で僕と別れて生徒会長と一緒になりたいのだと僕は思っていたから。
もっとも、どちらにせよ僕が口に出来る事は真実だけだ。
「うん、そうだよ。僕のお嫁さんじゃなくなったから、もう遥を守る事ができなくなった」
「──ッ……そっか」
遥が項垂れる。髪に覆われて表情が見えないが、まさか後悔してるのだろうか?
「付け加えて言えば、効力を失ったっていうのが正しい。だから遥は神様の花嫁に戻ったんだ」
「……先輩が死んだのはどうしてなの?」
「死体を見た訳でもないし、事故現場を見た訳でもないから予想なんだけど、たぶん神様は嫉妬深いから、自分の花嫁に異性が近づいてきたから排除しようとしたんだと思う」
僕の言葉を聞いた途端、遥は涙を流していた。
「ううう、先輩、ごめんなさい、私のせいでぇ」
もし此処に居たのが僕ではなくて死んだ生徒会長ならば、遥を抱きしめて慰めていたのだろうか?なんて事を考えながら遥が泣きやむのを僕は静かに見つめていた。
時計を見ると、面会終了の時間が刻々と近づいている事に気が付いた僕は、そろそろ帰ろうと思い、俯いたまま何も喋らない遥に声を掛けた。
「遥、そろそろ時間だから僕はもう帰るよ」
「待って、良くん。私、どうなるの?」
腕を掴まれる。少し前の彼女と比べると遥かに細く頼りない見た目なのにも関わらず掴む力は大分強い。
少なくとも男である僕でも容易く振り払う事ができない程の力だった。
遥の目を見ると泣き腫らした両目は真っ赤に染まっており、萎んだ頬と相合わさってまるで悪鬼のような表情に見えてしまい、僕は心底震えた。
この場を取り繕う事も考えたが、それだと誠意に欠けると思い。僕はパイプ椅子に座りなおして遥に真実を伝えた。
「正直に言うよ。このままだと遥はおそらく年を越す事はできずに神様に連れて行かれる」
「連れていかれたらどうなるの?」
「……本当に知りたいかい?後悔はしない?」
「……」
僕の言葉に遥は何も答えなかった。
ただ唇の端を小さく噛み締めていた。
ある程度予測はしているのだろう。
しばらくの間、無言の時が流れるが、やがて遥がポツりと言葉を口にした。
「──良くんなら、なんとか出来るの?」
「……できるよ」
僕の言葉に遥の瞳に光が戻った。
確かに遥をまた助ける事は出来るだろう。
しかし、それでは何も変わらないし解決もしない。
遥はただ自分の命惜しさに僕と婚姻を結ぶ事に他ならないのだ。
異形の神に娶られて死ぬか、僕に嫁いで生きるか。
ようはその2択でしかない。
たしかに僕と一緒になれば遥は安寧に生きる事が出来るだろう。
だけど、それは心に蓋をして生きる事だ。
自分の気持ちを偽って、これから先の長い人生を生きると言う事に他ならない。
「だけど、それは、おすすめしない」
「……え?」
だから自然と僕は拒絶した。
遥が困惑したような表情を浮かべている。
「遥は生徒会長と一緒に生きていきたかったんだろう?その気持ちは嘘じゃなかった筈だ。だから自分を偽って、自分の心に蓋をして生きていくのはおすすめしない」
「そっか、うん、そうだよね……良くんのことを裏切ったの私だから、また助けてなんて図々しい事できないよね」
裏切られたなんて僕は思っていない。そう口に出したかったけれど、言葉に出す事ができない。
胸が締め付けられそうになる。
気が付くと面会の時間はもう終了間近だった。
「──それじゃ、僕は帰るよ」
「あ、うん……良くん、また来てくれる?」
「いいよ。会いたくなったら連絡して。そしたら行くから……ばいばい」
「うん、さよなら、良くん、気を付けて帰ってね」
それから数ヶ月が経った。
その間、遥からの連絡は一切ない。
クラスメイト達も遥の話題を出す事は無くなっていた。
まるで最初から雪野遥なんて生徒は存在していなかったかのような、そんな空気になっていた。
それを見て僕は心の奥底で薄情だな。なんて思っていたけれど、クラスメイト達を非難する資格なんて自分には最初から存在なんてしていないのだろう。
本当に薄情なのは僕なのだから。
あの日病室から出てから僕の心の奥底でずっと不快感が燻っていた。
それから更に月日が経って……連絡は突然だった。
深夜に突然電話が来た。
『良くん!!お願い、助けて!!もう嫌なの!ずっと、ずっと、夢を見るの!!私、ああなっちゃうの!?叔母さんみたいに、大叔母さんみたいに!ああなっちゃうの!?嫌だよ、嫌!良くん、お願い!!助けてよぉ!!』
寝ぼけたまま電話に出た僕は余りの剣幕に跳び起きた。
「ど、どうした?落ち着けよ遥」
『ごめんなさいごめんなさい。良くんごめんなさい。お願い、助けて。私死にたくない。死にたくないの。最近、ずっと眠ってるの。身体中が痛くて、頭も痛くて薬も効かないの。なのにずっと傍にアイツが居るの』
遥が何を言っているのか俺には分からなかった。
ただ、彼女がとてつもなく追い込まれている危機的状況に陥っているという事だけは分かった。
「分かった。今日、学校を休んで病院に行くよ。」
『すぐ来て!!助けて!!もう嫌なの!!ずっとアイツがベッドの傍で這ってるの!!私、嫌!良くん!!助けて!!』
「大丈夫!大丈夫だから!!僕がなんとかするから!遥!しっかりするんだ!」
半狂乱に陥った彼女に僕の言葉がきちんと届いているのかは分からない。
ただ僕がそう伝えると通話はプツリと切れた。
朝、僕は学校を休んで病院に向かった。
しかし遥の容態が想像以上に悪いらしく受付で面会謝絶だと断られてしまった。
だが、遥と約束した手前、会わずに帰るのだけは出来ないので、他の客や患者に紛れて遥の病室にまで向かって行った。
病室は重篤患者が住まう棟に移動になっていたが、憑いているモノの気配を辿れば遥の病室はすぐに見つかった。
扉を開く、部屋の中心にベッドが置かれ、それを囲うように機材が並べられている。
そのベッドの上に遥が居た。様々な機器に繋がれて。
遥の顔には生気が無かった。
覗く腕からは肉は極限まで削ぎ落とされ骨と皮だけしか残っていない。
隣にある心電図を見て、辛うじて生きているのが分かる。
命の灯火がすぐにでも消えそうだ。もう残された時間は少ないのだとハッキリと分かった。
そして、その周囲を蠢くのは黒い影だった。
ずりずりと這いまわるその影は遥の周囲をグルグルと回っている。
「……遥。来たよ」
僕は眠っている遥の手を握って呼び掛けた。
彼女の指は枯れ枝のように骨ばっていて、柔らかさも何も感じない。
ただほんの少しだけ温かみがあり、それが彼女が生きてる事を証明していた。
「……」
遥は目を覚まさない。
「電話には驚いたけど、遥も必死だったんだね」
それでも僕は語りかける。
出会った当初、僕は遥に対して憐憫の感情を抱いていた。
今の僕の心にあるこの感情の正体はなんなのだろうか?ずっと考えていた。
そして今、遥を見てようやく理解できた。
「だけど、もう大丈夫。ちゃんと遥の思いは僕に届いたから」
どうやら思った以上に僕は遥の事が好きらしい。
頭がいいとか、綺麗でスタイルがいいとか、そんな事は度外視して、僕は雪野遥という女性が好きなのだ。
そう理解してしまえば、もう後は単純な話だ。
いつの間にか周囲を這っていた黒い異形は姿を消していた。
いや、認識できなくなっていた。
「──ぁ、良くん?」
それと同時に遥が目を覚ます。
未だに意識が朦朧としているのか、ボーっと僕の顔を見つめている。
「遥、気分はどうだい?」
「今、私、すごく、温かいの。ずっと暗くて寒かったのに、良くんが傍にいるとこんなに温かい」
遥が拙い言葉遣いで言葉を紡いでいく。
「こんな状態の君に告げるのは卑怯かもしれないけど聞いてくれるかい?」
「……うん」
「率直に言う。僕のモノになってくれ。遥はもうすぐ死ぬ。だけど僕は君に生きて欲しい。僕の傍で生きてて欲しい、笑ってほしい。誰にも渡したくない」
そうだ。僕は遥に死んでほしくない。この気持ちだけは嘘偽りのない本音だ。
「だけど、僕にはそれを強制する事はできない。だから遥に選んでほしい。当時は子供だったから言霊の意味をキチンと理解できていなかったけれど。今なら理解できている筈だ。いいかい、遥、これは本当に大事な事だ。そしてとても卑怯な物言いかもしれないけれど、言わせて貰う」
木乃伊のような遥の手を強く握って告げる。
「神様なんかの花嫁になって死ぬな、君を愛する。幸せにしたい。だから……僕と一緒に生きてほしい」
そんな卑怯な僕の言葉に遥は僅かに微笑んだ。
「──」
いつのまにか異形の影は遥の周囲から視えなくなっていた。
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これで僕と遥の話はおしまいだ。
その後、遥の容態は回復していき、すぐに復学した。
するとクラスメイト達は現金なもので一様に遥の復学を喜んだ。
僕と遥が寄りを戻した事は2人で話し合った結果、学校では秘密にしようという結論に至ったので学校ではなるべく接点を持たないように務めた。
そして高校を卒業したと同時に僕と遥は籍を入れた。
遥の両親は優秀な娘が進学もせずに籍を入れるのが不服なようだったが。
最終的には認めてくれた。
僕の両親は言うにも及ばず、そもそも僕に関心があるのかすらも分からない。
結婚に対しても一切口を挟まなかった。そんな存在だ。
ただ、結婚資金やその他諸々を負担してくれた事には大きく感謝したい。
「良くん、どうしたの?」
「え、いや、ごめん、ちょっと考え事してた」
「ふふ、もうすぐパパになるんだから、しっかりしてよね」
膨らんだ腹部を優しく撫でながら遥は微笑んだ。
自らの腹部を見つめるその眼差しはとても慈悲深く、慈愛に満ち溢れた母親のモノだった。
「そうだね。もうすぐ、僕も父親になるんだね。ちゃんとした父親になれるのか不安があるよ」
「大丈夫だよ。良くんなら、優しいお父さんになれるよ」
不安がる僕の手をそっと握って遥が優しく囁いてくれる。
それだけで僕の胸が温かくなるのを感じる。
「だから、ずっと私とこの子の傍に居てね。どこにも行かないでね?」
「うん、どこにも行かないよ。約束する。僕はずっと遥と共にあるよ」
どこか危うい雰囲気を漂わせる遥を安心させる為に僕は彼女の肩を抱いて約束する。
僕に抱かれる事で安心している彼女を見ると愛おしいという思いが胸の奥からとめどなく溢れてくる。
それと同時にドス黒い感情も浮かび上がってくるのだ。
そうだ。僕は遥が好きだ。大好きだ。
僕に依存しなければ生きてはいけない遥が愛おしい。
文字通り死んでしまうからこれから先も離れる事はない。
僕から離れるということは死ぬという事だから。
あの時、僕は死の寸前の遥を見て、僕だけが彼女を救えるという優越感に満たされた。
遥の心という器を僕が満たしていく事に悦楽を見出してしまった。
遥には僕が必要で、そして僕にも遥が必要だ。遥だけが僕を見てくれる。
遥だけが僕を認識してくれる。
「大好きだよ。遥」
遥は僕のモノだ。誰にも渡さない。
渡すくらいなら……死んでしまえばいい。
本当は遥をもっとグチャグチャのドロドロにして惨めな最後を迎えさせたかったんですが、僕の中の良心が待ったをかけたのでハッピーエンドです