少年の絶望
ミアは森から出た。
すると、村では大きな騒ぎが起きていた。
ケリー団長は、慌ててミアのもとへ駆けてきた。
そして、怒鳴った。
「おい!こんなに肝心な時にどこ行ってたんだ!」
ミアには、どうしてここまでケリー団長が怒っているのか、理解できなかった。
「ど、どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたもねぇ。狼が現れやがった」
「えっ!?」
「幸いにも死人は出てないが、このままじゃ危ない。だから、今日の夜。討伐を開始する」
非情な宣告が彼女の心をへし折った。
「ぐ、具体的には……?」
「森にいる奴らを一掃する。一部の村人の協力を得てな」
「えっ?村人の協力ですか?」
「そうだ。戦える奴は、武器を持って参加する」
ミアは疑問に思った。
自分たちでは対処できないから、調査団を呼んだというのに、急に参戦を決めるなんて。
「どうして急に……?」
ケリーは悔しげな態度で答えた。
「子どもが襲われたんだ」
「えっ?でも狼が来たのは夜ですよね?なんで家の中にいたのに襲われることがあるんですか?」
「分からん。だが、襲われたと言って怪我をしたという少女がいたんだ。その話を聞いた村の連中が、こうしちゃいられない、一刻も早く討伐しなくては……と思い至ったわけだ」
少女が襲われた原因は不明だが、村人たちの不安が高まっている今、調査団は嫌でも動かなくてはならない。
ミアは辟易した。
その日の夜。
調査団は討伐部隊と化した。
村人たちとともに、森の中を進んだ。
松明の明るさが、森の闇を照らし出していく。
ザク、ザクと森の中を踏みしめていく。
ミアは不安で仕方がなかった。
どうしてだか分からないが、嫌な予感がした。
少年は、彼女と別れたその日の夜。
森の中が違和感に溢れていることに気づいた。
大勢の足音が、森を打ち鳴らしているように思えた。
燃えるような光を纏った松明が、森を焼き払うかのように照らし出した。
異変を嗅ぎつけた狼たちの遠吠えが聞こえた。
ビリビリと森の木々が震えた。
それは、狩りの合図だった。
ある日、またしても僕は『獣』と出会った。
しかし彼らは、僕を襲うことはなかった。
不思議と、まるで仲間のように扱ってくれた。
イノシシの肉を分けてくれたこともあった。
だが、狼たちは揃いも揃って痩せていた。
彼らは飢えていたにも関わらず、僕に食糧を分け与えた。
少年は初めて、仲間意識を感じた。
それからというものの、少年は時々狼たちと行動を共にした。
そして、少年はある真実を知った。
狼の群れと行動を共にしていた、ある日の昼下りのことだった。
バン!と強い発砲音とともに、鹿が崩れ落ちた。
その鹿は、僕らが狙っていた獲物だというのに。
狼たちとともに、少年は不快感を顕にした。
そして、悟った。
あれほど裕福な生活の影には、こうやって住処も食事も奪われている者たちがいるのだ。
そして、狼たちが自分たちよりも数の少ない孤立した個体を狙うように、人々も自分たちよりも弱いものを狙ったいた。
ただ、それだけのことだった。
少年は、珍しく昔のことを思い出した。
いつも、思い出さないようにしていたものとは違い、ふと頭に過ぎったのだ。
少年は、多少満たされるものがあった。
だが、それでは……この『飢え』は完全には満たされなかった。
少年は、木々の影に隠れて機会を伺った。
猟銃を抱えた奴らが、森の中を我が物顔で歩いていた。
少年は、不快感を顕にした。
ついに、ここまでも荒らそうというのか。
あれだけ乱獲しておきながら、まだ飢えていると。
そう、言うつもりなのか……。
バン、と突然発砲音が轟いた。
音のした方角を慌てて見遣った彼は、絶句した。
あれほどまでに強く、気高く生きた『獣』は、既にその目に力を宿してはいなかった。
少年は無力感に苛まれた。
あの銃が、いとも容易く彼らの明日を掠め取った。
その事実を受け入れることは、出来なかった。
気付けば僕は、銃を持った男に掴みかかりに行くべく駆け出していた。
その間にも、銃で『獣』は撃たれていく。
一頭、また一頭とその大輪を散らしていった。
少年は、無我夢中で駆けた。
最初は、二足で駆けていたというのに、次第に四足で駆けるようになっていた。
発砲音が耳につく。
急がなければ、仲間を助けなければ。
その一心で駆けていった。
しかし、遅かった。
あれほどまでに、爛々と美しい金色の輝きを放っていた瞳は、もはや何も語らない。
真紅に濡れたその肢体は、あの力強さを失っていた。
僕は、無我夢中で吠えながら、一人の男に飛びかかった。
喉元に牙を立てようとしたその時、男は反撃に出た。
猟銃を剣のように刺突させようと試みた。
だが、僕はかわしてやった。
今、自分の視界に映る目の前の奴らの動きは鈍い。
これならば、仕留められる。
そう、確信した。
僕は、右へ左へ巧みに銃弾をかわしながら、奴らに噛み付いた。
痛みで銃を取り落したら、蹴飛ばして遥か彼方へと武器を追いやった。
そして僕は、ある男を見つけた。
パン屋のあの親父だ。
顔を見ただけで、怒りが込み上げてきた。
僕は気づけば、そいつの首元に噛み付いていた。
男は苦しそうに藻掻いていた。
正直なところ、勝ち誇った気分だった。
どうだ!見たか!これが、僕の力だ!
そう主張している気分だった。
だが、その気持ちはあっという間に四散した。
虚しい。
僕は満たされなかった。
男の首元から牙を外し、辺りを見渡した。
そこには、見知った顔もあった。
ミアだ!
僕は、思わず駆け出した。
もう二度と会えないと思っていたのだ。
だが、現に僕の目の前にいる。
僕は、ミアを手に入れたくて、その手を伸ばした。
だが、彼女は目を大きく見開き、後ろへ大きく吹き飛んだ。
……なぜ。
そこで、僕はようやく自分の腕を見た。
そこには、人の面影などなく、ただひたすらに『怪物』だった。
まるで狼と人間の腕を足して二で割ったかのような、形容しがたいものだった。
ついに、『人間』にも、『獣』にもなりそこねてしまったのか。
僕は、絶望した。
だが、その絶望よりも、彼女のことが心配になった。
大きく吹き飛ばされた彼女は、今どこに……。
そこで、僕は、ある可能性に思い至った。
ここは山の斜面だ。
大きく吹き飛ばされた彼女は、この斜面を転げ落ちたのではないだろうか。
そう思った直後、考えるよりも早く足は動いた。
『人間』でも『獣』でも、何なら『怪物』でも、もはや何でも良かった。
自らが吹き飛ばしてしまった彼女が無事であれば、その一心で僕は森を駆け抜けた。
彼女は見つかった。
斜面の下で、足を押さえて蹲っていた。
きっと、転げ落ちた時に足を捻ったのだろう。
僕のせいだ。
少年は、自らの失態を酷く反省した。
彼女に恐れられないように、ゆったりと歩み寄った。
彼女は、僕を見てまた大きく目を見開いた。
きっと、怪物がここまで追いかけて来たのだと思っているのではないか、と僕は考えた。
だが、彼女は―ミアは違っていた。
「助けに……来てくれたの?」
静かに、だが温かい声だった。
少年は、「そうだ」と答えたかった。
が、口を開いて出てきたのは、ウォーンという悲しげな鳴き声ばかり。
ついに、言葉も伝えられない。
少年は、『獣』どころか、『怪物』になったことを心の底から後悔した。
全ては、あの日がキッカケだった。
古小屋を焼き払い、森へ入って、狼たちに迎えられてから二週間ほどたったある日。
僕は、耐え難い空腹に支配されていた。
木々に齧りついた。
食べられたものではなかった。
土を食らった。
食べられたものではなかった。
花を貪った。
食べられたものではなかった。
そうして、僕は人里へ下りた。
そして小さくウォーンと、吠えた。
仲間に居場所を伝えるためではない。
それでいて、連携をするためでもなかった。
ただ、虚しかったから吠えた。
それだけだった。
明かりのついた家々から漂う良い匂いが、空腹を刺激した。
だが、結局その日は、食事にはありつけなかった。
突然、人々が猟銃を持って出てきたものだから、慌てて逃げた。
その日は結局、小川の水を啜り続けた。
それから数日後のことだった。
空腹も限界に来ていた。
グルルァ、と呻き声を出しながら森をふらついた。
だが、不自然なまでに鹿も、イノシシも、急激にその数を減らし始めていた。
森で食糧を探すことを諦めて、人里に下りた。
残飯を漁るつもりだった。
そう、そのはずだった。
真っ暗闇のなかに、一人の小さな人影が見えた。
足音を立てないように、忍び足で近づいた。
そして……襲いかかった。
「た、助けて!嫌だ!だ、誰か!」
少年は抵抗した。
だが、僕の力は既に彼を上回っていた。
食らった。
それは呆気なく、儚いものだった。
空腹が多少だけ満たされた頃、はたと我に返った。
返って……しまったのだ。
僕は、胃の中のものを吐き出した。
最悪の気分だった。
人を殺めてしまった。
その深く思い罪が背中にのしかかった。
彼に恨みなんてない。
彼はおそらく、帰る家なんてなかったのだ。
だから、外にいた。
そして、運悪く……この『獣』に襲われたのだ。
そう、現実逃避した。
この思い罪が逃れたい一心だった。
慌てて森の中へと逃げ出した。
今思えば、あの時には既に『怪物』に成り果てていたのかもしれない。
それが未練がましく、『人間』になろうと足掻いただけだったのだ。
ついに、『獣』からも外れた哀れなヤツだ。
僕は自嘲した。
もはや、『人間』になど戻れないことを悟っていた。
そんな過去の回想をよそに、彼女は痛めた足を引きずるようにして、僕に歩み寄った。
そして、僕の肌に触れた。
彼女は、傷だらけの肌を優しく撫でた。
僕は、かつてないほどに嬉しく思った。
こんな『怪物』に成り果てていても、彼女は態度を変えなかった。
ただそれだけの事実が、彼を満たした。
例え、この身が怪物に堕ちようとも、彼女への気持ちが変わることはなかった。
それは、断言できる。
僕は、宵闇の中に晒された月に向かって、大きく吠えた。
なぜだか、誇らしく感じた。
失われた尊厳が、今、取り戻されていくような気分だった。
宵闇の空に浮かぶ朧気な満月には、確かに誇り高い『獣』の姿があった。




