憧れの人物
浜野英雄というのは俺にとって恩人ともいえる存在だ。
3年前、母を交通事故で亡くし塞ぎこんでいた俺は失意の底にいた。
妹の泣き声から逃げ、父の言葉も届かなかった。
家に居辛く、街を歩いていると女の子に声を掛けられた。その子に強引に誘われて見た映画こそが浜野英雄の『君の心臓』だった。
最初は冷めた目で見ていた俺だったが、その映画に圧倒されたのだ。そしてひとしきり涙を流すと女の子に礼を言い家に帰ると妹と父親に謝った。
あの時、映画を見なければ俺は今でも母親の死を引きずっていたかもしれない。人生で一番辛い時を救ってくれたのが浜野英雄なので俺は彼の大ファンになった。
「はっはっは。そこまで褒められると嬉しいじゃないか」
目の前では浜野監督がビールを片手に笑顔を浮かべている。
「ったく。日野ぐらいの誉め言葉なんて散々聞いてるだろうが」
「いやいや、どいつもこいつも俺をおだてる為に映画を見ているからな。裕二君みたいに率直な感想を言ってくれる者は中々いないぞ」
俺としては映画の素晴らしさを全く伝えられている気がしないのだが、浜野監督はそんな俺の言葉で喜んでくれる。
「ほら。もっと寿司を食いなさい。ピザだってまだある。若いんだから遠慮するんじゃないぞ」
「は、はい。ありがとうございます」
目の前には出前によって豪華な寿司とピザが並べられている。
憧れの人を前に胸が一杯なのだが、そう言われては食べないわけにはいかない。
浜野監督が俺の食べる様を機嫌よく見ていると。
「な? メリットあっただろ?」
浜野が話し掛けてきた。
「確かにあったけど……どうして俺が浜野監督のファンだってわかったんだ?」
この趣味については公言した覚えがない。
「街で初めてあった時お前が手に持ってた紙袋中身。あれ親父が手掛けたアニメ映画のイラスト集だろ? あの日あの店で入荷したのはそれだけだったからな、それである程度推測はした」
どうやら俺が店に入るか出るかの場面を見ていたらしい。
「にしたって、そんなの確証にならないだろ?」
「だから話し掛けてみたんだよ。ドラマや映画に音楽の話をしただろ? お前驚くほどに父さんが手掛けた作品関連ばかり挙げてたからな。それだけ聞けばもうわかる」
「確かにそうなんだが……」
俺は浜野監督の作品を追いかけているので、知る人が聞けばその推理に辿り着くのだろう。
「とにかく浜野には感謝しているよ」
色紙にサインをもらったばかりか、制作の裏話までしてもらったのだ。今日の手伝いを差し引いても大幅な黒字になる。
「俺も誠二も浜野なんだが?」
浜野監督が愉快そうに突込みを入れてきた。
「えっと、確かに……」
絡んでくる浜野監督に俺は何と答えるか悩んでいると、
「俺のことは誠二でいいぞ」
誠二が助け舟を出してくれた。
「わかった。なら俺のことも名前で呼んでくれ」
「おう、裕二」
そう言うと俺と誠二は笑いあうのだった。
「もう夜も遅い。泊って行ったらどうだ?」
浜野監督が酔って部屋へと引っ込んでしまい、誠二が俺に泊まりを提案してきた。
「いや、妹が家に1人だからな」
由美には友達の家に遊びに行くとしか言っておらず、父が仕事で家を空けているので帰らなければならない。
「そっか。じゃあ今度は泊まれるようにして来いよ。父さんの未公開映像見せてやるからさ」
浜野監督の未公開映像と言えばファンにとって垂涎のお宝だ。
「絶対だぞそれ!」
俺は再び浜野家を訪れる決意をする。
「そう言えば……」
浜野がドアを閉めたのでふと振り返る。
「あいつの妹を見かけなかったな?」
そんな疑問が浮かぶのだった。
「ねぇ、お兄い。明日って暇してる?」
ゴールデンウイークのさなか、俺はリビングでスマホを弄っていた。
「何? 暇だけど、買い物にでも付き合うのか?」
由美がこういう風に聞いてくるときは大抵俺を用事に付き合わせる時なので、先手を打って確認する。
「ううん。うちの学校の友達が遊びに来る予定だから、お兄いは家にいないで欲しいなと思って」
「それは酷いと思うぞ妹よ」
まるで日野家の汚点とでも言いたいのか、俺を追い出しにかかった。
「そこまで言われたら仕方ない。俺は明日このリビングから絶対に動かない」
由美が隠したがるなら望むところだ。俺はこの場にとどまり見事ホストとしての務めをまっとうしてみせるとしよう。
「馬鹿っ! お兄いの馬鹿っ!」
「何とでも言え。お前がそう言うつもりなら俺はお前が泣くまでこの家を出ない!」
既に涙目になっているのだが、有利を確信した俺に由美は「ううぅ」と情けない声を出すと。
「本当にお願い。どうしても会わせたくない子がいるんだよぉ」
由美は懇願すると俺の腕を揺らしてきた。こいつがこういう態度をとるときは本当に困っている時なのだ。
「はぁ……わかった。じゃあ明日は1日、図書館でレポートでもやってることにするよ」
「お兄い。ありがとうっ!」
翌日。俺は妹の友達が来る前に家を出た。
世間もゴールデンウイークなので、朝も早くから駅に向かう親子連れの姿が目に入る。
「そういえば、もうずっと家族旅行に行ってないな」
うちの父親は世間一般的に比べて高額所得者だ。
現在住んでいる実家も一括で購入しているし、毎月の所得も高く俺達は不自由のない生活を送っている。
だが、そのしわ寄せというべきか、労働拘束時間が長く滅多に家に帰ってこないのだ。
そんなわけで、由美と2人で旅行というのも考えられないので日野家では何年も家族で出かけることが無くなっていた。
父親と母親に挟まれ楽しそうに話しかけている子供を若干羨ましく思いつつ道を歩く。
目指すのは図書館なのだが、受験生やデスクワークを主体とする人間が結構いるようで空きスペースは限られている。
家を出た時間からまだ余裕があるとは思うが、少し急ごうかと考えていると。
「あれ? 日野君じゃない?」
背後から呼び止められ振り返った。
「えへへ。こんなところで会うなんて奇遇だね」
白のブラウスに赤いスカート。左腕にクリアケースを持った白石愛華が立っていた。
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