第一部 告白 6/15
愁は驚いて横に転げた。その姿が意外にも可愛くて笑ってし
まった。いまの愁でも驚くことがあるのだな。
「……って、おまえ、どうしたんだよ!? 熱!?」
「違います。ちょっと、だるかったから休ませてもらってい
たの」
「そうか、それなら良かったけど」
「ふん、お世話さまでした」
「おまえなぁ……」
「ふふ、かわってなかったのだな?そういうとこ」
「え? なにがだよ?」
私はこの二人に申し訳なくなくなって、私のこれまでの勝
手な無礼を謝ろうと決めた。
「気を悪くしないでほしいのだが……その」 「噂のことか?」
愁は言葉を待たずに私の言いたいことを言い当てた。
「それもあるが、愁が……変わってしまったように思えた
から。それで、なんとなく話せなかったのだ。すまない」
「別に、おれもそうだし。でも、噂とは関係ねぇよ」
「そうか。でも、私はそれを信じてしまっていたようだ……
本当にすまない」
「だから、いいって。じゃ、俺、保険医呼んでくるから」
愁はそう言って綺麗に包帯を巻いてくれると部屋を出て行っ
た。私はその手慣れた処置を見て、このとき初めて、私の足
のそばに愁の顔があったことを理解した。
「国嶋さん?」
「な、なんだ!?」私はすっかり気が動転していた。
「え、な、なに?」爽香は私の驚きように目を丸くしてい
た。
「あ、いや、なんでもない。ちょっと足が痛んで、それで、
声が……」
「そう?」
「あ、あぁ。で、どうしたのだ?」
「……どうして、兄さんとまた話すようになったの?」
爽香は横になったまま私の方に顔を向けた。非難めいた顔
に、あぁ、私はまた攻撃の的に晒されているのだと思った。
せっかくいい気分に浸っていたのに、嫌な記憶も戻ってきた。
「べ、別にそんなの勝手だろ? だいたいあいつがただ傘を
よこしてきただけだ。私から話しかけたわけじゃない」
「……そう」爽香は目を閉じた。
その姿に私は虫唾が走った。
「なんなのだ、おまえは!? おまえはまだ私が愁と話すの
が気に入らないのか?」
爽香は目をあけたが、私を見なかった。ずっと敷き布団を見
ている。
「嫌よ?……でも、悔しいけどちょっと嬉しかったの。兄
さん、昨日喜んでいたみたいだから」爽香はそう言うと、すっ
かり私に背を向けてしまった。これは私にとって、好都合だっ
た。愁が喜んでいたという事実を知らされてちょっと固まっ
てしまっていたのだ。
「そういえば、おまえ、口はあのときのままだけど、ずい
ぶんと可愛くなったものだな」
私はポロシャツをつかむ爽香の姿を思い出していた。
「……あきれた。そういうとこ、変わってないんだ。嫌味
のつもり?」
「そうではない。おまえ、現にモテるだろ? 愁がいるか
らよりつかないだけだ」
「兄さんのせいにしないで」
「あ……、あぁ、悪い」
そうだった。爽香は愁のことを悪く言う奴が大嫌いだった
のだ。あいつと暮らし始めた頃はあんなに無関心だったのに。
「……困ったひとね。国嶋さんこそ、人気あるくせに」
「別にそんなもの興味などない。だいたい、そういうのって
煩わしいだけだろ? こっちにあがってから、誰が好きだとか、
どうだとか、そんなことばかりだ。仲良くしてた奴らも急に目
の色変えやがって、……まったく気味が悪い。私は友達でいた
かったのだ。それなのに、なんで、みんな急に恋愛視しだした
のだ?」
「しょうがないでしょ。国嶋さん、男受け良いみたいだし」
「そんなのおまえだって」
「……ホント、子供ね。兄さんとそういうとこおんなじ。
本当は分け隔てなく、みんなで仲良しでいたいんでしょ?誰
と誰がどうとうかじゃなくて」
私は意外なことを聞いた。
「あいつもそうなのか?」
「えぇ、そうよ。国嶋さんも知ってるでしょ? 暴れん坊
だったけど、でも、初等部で兄さん結構人気あったの。でも、
こっちにあがってから、そういう傾向ばかり強くなっちゃっ
て、兄さんは誰とも喋んなくなったの。昨日までお友達だと
思っていたのに、そういう風にいきなり言われて、断ったら、
もぉそれっきり。会話もない。そういうのがきっと嫌になっ
ちゃったんでしょうね」
「……そうだったのか?」
「そう、それでご存知の通り、問題起こしたら今度は男の
子まで近寄らなくなっちゃったってわけ。でも、国嶋さんは
嘘つきね」
「な? どうしてだ?」
「だって、兄さんのこと……友達だなんて思ったことある
の?」
「っ!? あ、あるに決まってるじゃないか!? 初等部
では仲が良かったと思ってる。あいつは知らないが。でも、
一緒にバスケをしていたのだ。そもそも、おまえも一緒にやっ
ていたではないか」
「そうね。それで、いまでもそう思っているの?」
「べ、別に関係ないだろう。昨日、久しぶりに話したばか
りだ。いまのあいつのこと、なにも知らないし」
「……そう」
まったく、感じの悪い女だ。性格が顔に出るなら、こいつ
はきっと悪魔だ。
結局、その後、途切れた会話はもう繋がらなかった。