表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白刃の女神  作者: 大吉
25/39

第六部 嫉妬 後編 第六部完

 「白鳥楓です」

 時として同じ声量でも聞こえなかったり、そうかと思った

ら、ふいに大音量となって鼓膜にぶつかってくることがある。

 顔を正面に向けると、今朝転入してくるかもしれないと聞

いていたばかりの、楓の姿がそこにあった。

 「初等部で同じだった人もいるかと思います。また、これ

から仲良く……」

 「おわぁっ!? 愁くん!愁くんだ!?」

 楓の元気な声に、担任の表情が思わず崩れた。

 「お、お知り合いだったのかな?」

 「あ、はい、依然同じクラブでバスットボールをしていま

した」

 「そ……そうですか、それは良い再会となりましたね」

 「はい!」

 「それでは、席ですが……」

 「あ、先生!私の隣、空いてます」

 爽香はそう言って手をあげた。爽香は僕と反対の廊下側に

座っていて、一番後ろの席だった。

 「そうですね、楓さん、あの子は桜爽香という子です。あ

の子の隣に座ってください」

 楓は丁寧にお辞儀をすると、爽香の隣に向かった。

 「あ、えっと……白鳥楓です。よろしくお願いします」

 「こちらこそ。兄さんがいろいろお世話になってたみたい

だし?」

 爽香はそう言って、意地の悪い視線を僕に送ってきた。

 「え? お兄さんて……愁くん? 愁くんの妹さんてこと

は、あれ? ってあれ?? もしかして……そうちゃん?」

 「ん、そうなの~、白ちゃん? よろしくね」

 「あぁ~やっぱりそうちゃんだ!久しぶり!」

 ふたりして盛り上がると、担任は素早く手をたたいた。

 「はいはい、つもる話はあとにしてくださいね。いまはホー

ムルームの時間ですよ」

 顔を見合わせて笑うふたりの姿に、僕はまた昔を思い返し

ていた。

 ホームルームが終わると僕はすぐさま彩香の教室へ向かっ

た。

 「彩香?」

 彼女はちょうど教室の真ん中くらいの席に座っていて、

 友達と話しているようだった。

 教室に入っていってもよかったのだが、それにしても、

どうしてこれほどまでに雰囲気が違うのだろう。同校同学

年でありながらも、クラスの数だけ独自の文化がそれぞれ

に息づいているように思える。何かの表彰式があるとすれ

ば、この学年でいえば、それは決まって彩香のいるクラス

だった。雰囲気も落ち着いていて、大きな話し声もあまり

聞いたことがない。

 それだからなのか、何気ない僕の声が教室に大きく響い

たように思えて、それを少し恥じた。

 「噂をすれば愛しの彼氏さんじゃん? ほら、行ってき

なよ、彩香」

 彩香は友達を少し睨むと、席を立ってこちらにやってき

てくれた。

 「そのまま抱きついちゃえ!」

 なるほど、どこの文化圏にも異邦人はいるものだ。あの

陽気な子ならきっと、柊のクラスが似合いそうだ。

 「……バカか、からかうな」

 僕は友達に振り返った彩香の手をしれっと握ると、広間

まで連れて歩いた。

 「まさか、今日の今日だとはな。しかも、クラスまで同

じか?」

 僕がそれを告げる前に、彩香はもうそれを知っていた。

 情報通に聞いたのか、それとも、僕のクラスにいる友達

にメールでもしてもらったのだろう。

 「あぁ、驚いたよ」

 苦笑いを浮かべながらも、僕は彩香の顔を見ないで答え

た。

 「……何か話したのか?」

 声の調子を聞いて、僕はますます目を背けたがった。

 「いや、全然。まだ、部活のこととかも聞けてないんだけ

どさ」

 「……そうか」

 肩を落とした彩香の姿を見て、僕はもっと別の部分を見て

欲しいと、切実に願った。

 「あんま、気にしないでくれな?」

 先ほどの友達の陽気さをかりて、僕は彩香の視点をずらそ

うとした。

 「だ、誰が気にするものか。私はおまえを信じているのだ

ぞ?」

 とろこで、僕は彼女の最後の言葉に息苦しくなった。信じ

ている。僕はこの手の言葉がとても苦手だった。

 こどものころに思ったんだ。信じるとは、相手の行為を勝

手に束縛する呪いのようなものだと。

 とはいえ、その裏に隠された彩香の気持ちがとてもこそば

ゆく思えて、僕はありがとう、と、お礼を言った。

 そのとき、時期を見計らったかのように、大きく鐘がなっ

た。

 「それ、言いたかっただけなんだ」

 「そうか、また、何かわかったら教えてくれ」

 「あぁ、そうするよ」

 彩香が授業に遅れないように、僕は急いで踵を返した。

 「あ……愁?」

 「ん?」

 「……その、わざわざ来てくれて、すまなかったな」

 「いいよ? そんなの」

 ちょっと拗ねたような彩香の表情に、僕は嬉しいようで悲

しいような、よくわからない気持ちを覚えた。

 3階と2階の狭間にある階段の折り返し地点で、僕の不透

明な姿が鏡にやけにくっきりと、そして、大きく浮かんで見

えた。


―――――――――――――――――――――――――――


 「あれ? 彩香、バッシュ替えた?」

 「あぁ、夏用に通気性の良いものを買ったのだ。シュー練

でちょっと慣らそうと思ってな」

 部活後に軽いシュート練習をしていると、静香が物珍しそ

うに私の履いている靴を見てきた。

 「とか、言っちゃってぇ~。本当はオソロが欲しかったん

でしょ? 愁君と」

 「な、ふざけるな!誰がだ。だいたい愁の奴がいまどんな

バッシュを履いているのかなんて知らない。前、見たときだっ

てそれどころじゃなかったのだ」

 でも……、これは今度聞いてやろう。

 「アハハハ、動揺しすぎだって、彩香。それよりも、あの

子うちに入るんかな?」

 話を振っておいて、なんだそれは。睨んでやっても静香は

そっぽを向いているので、私は仕方なく静香の視線の先を追

うと、体育館の入り口でこちらを見ている奴に気がついた。

 私はボールを静香に渡すと、そいつのところまで歩いて行っ

た。

 「ちょっと、彩香?」

 「話があるんだ。帰ってくるまで代わりに練習しといてく

れ」

 「アンタねぇ……」

 近づいてみても、やっぱりそうだ。入り口にいたのは楓だっ

た。

 「クーちゃん……だよね? 久しぶり!」

 「なんのつもりだ?」

 久しぶりの再会のはずなのに、私はまともに挨拶が返せな

かった。

 「……え?」

 懐かしい楓の人懐っこい笑顔が消えて、私はようやくそれ

に気がついたぐらいだ。

 「……別にいい。ただ、おまえに一言だけ言っておくぞ?

愁のことは渡さない。絶対にだ」

 「……へ? な、なに言ってるの、クーちゃん?」

 「とぼけるな、おまえは私から愁を取りに来たのだろ?」

 「えっ!? 違うよ? だって、私の好きなひとは……クー

ちゃんだもん。知ってるでしょう?」

 「……なっ!?」

 楓の想定外の言葉を聞いて、思わず声が強張った。

 「バ、バカ言うな!私は女だぞ?」

 「……知ってるよ。やっぱり、クーちゃん……忘れてるん

だ」

 「な、なにをだ?」

 私の手が妙に汗ばんできた。

 「勝負の約束、だよ?」

 「……あ、あれは、もう昔の話だろ?」

 「そう、かもしれないね……クーちゃんにとってはそうか

もしれないけど、でも、私はいまも変わってないよ? 次の

日に怪我なんかしちゃって、結局、勝負はできなかったけど、

でも、私はあの日からもクーちゃんに勝てるようにずっとずっ

と自分なりに研究してきたつもりだもん」

 「おまえ……じゃぁ、橘に行ったのは?」

 「マネージャーになって研究するためだったの。凄い選手

がいてね……だからね、橘にいってその選手を見たいと思っ

たの。どういうふうに打っているのか、それを打つためには

どんな練習をしているのか、ノートにメモ書きしたりしなが

ら、運動はできないけど、頭のなかでいつか動ける日の自分

ができるようにって」

 ……なんてことなのだ。ずっと、冗談だと思っていたのに

楓はどう考えても、本気だ。

 「……愁くんとのことはね、実はこっちにくる前から知っ

ていたの。ここのお友達が付き合っていること知らせてくれ

たから。愁くん、優しいもんね……仕方ないと思うの。クー

ちゃんももうこどもじゃないし、男の子に興味ももっちゃう

だろうから。でもね? でも……私このまま終わりたくない

の。ちゃんと勝負して、けじめをつけたいの!お願い……クー

ちゃん」

 ちょっと声をかけるつもりが、それが大問題を引き起こす

引き金になってしまった。

 「……わかった」

 「えっ!? いいの!?」

 本当は良いわけなんてないんだ。そもそも私は愁の彼女だ。

でも……。

 「もともと私が受けた勝負だろ? 受けないわけいかない

だろ。……すまなかったな? ただ、おまえがどう思おうと

私は本気でやるからな?」

 「……うん、ありがとう」

 楓の顔に、少しあの懐っこさが戻ってきた。

 「それで? いつ勝負するのだ?」

 「一週間後の今日はどうかな?」

 話も話だが、日にちもずいぶんと急だ。

 「おまえ……病み上がりだろう? 上手かったことは認め

るが、ブランクがありすぎる」

 「私は!私は本当は……今日にでもしたいぐらいなの!」

 楓が語彙を強めるなんて、たぶん、私はこのとき初めて見

た。

 「どうしてだ?」

 「だって……これ以上、間が空いちゃったら、もうクーちゃ

ん本当に遠くに行っちゃいそうだもん。……お願い」

 私は愁がたまにそうするように、ゆっくりとため息をつい

た。

 「一週間後の今日でいいのだな?」

 「……うん」

 「わかった。ただ、楓? もう無理はするな。次は受けな

いからな?」

 「うん!」

 結局、シュート練習も中途半端に、私は門の前にやってき

てしまった。動機が激しい。……愁の奴、なんて言うだろう

な。

 「ふぁ~腹減った。愁、ラーメンでも食べにいかへんか?」

 ラッキーだった。ここに来て10分くらいで、柊の声が

聞こえてきた。きっと、愁も一緒に門を通ってくるだろう。

 「おぅ、行くか? でも、サッパリ系がいいなぁ」

 「せやったら、背油抜きの醤油薄めでええやん?」

 「なんかな~、抜くともったいねぇ気がしねぇ?」

 「ふふ、兄さんて貧乏性ぉ~。おネギでもたっぷり入れた

ら?」

 逆サイドで待っていた爽香が私を差し置いて愁に話しかけ

に行った。フライングだぞ、爽香。ちゃんと門を潜ってくる

まで待ったらどうなんだ。

 「おまえなぁ」

 「ふふ、お疲れ?」

 「おぅ。なんだよ、珍しく待ってたんか? 買い物?」

 「ちゃうちゃう。桜が待っとったのはホンマはおれやね

んな?」

 「……兄さん、バカがいる」

 「ひどっ!?」

 ……本当に酷い奴だ。爽香はそのまま門を潜って、3人で

帰ろうとしやがった。

 「レモンティーいる?」

 「お? あんがと」

 「なんや、自分、おれにはあらへんのか?」

 「わ~ん、兄さんこの人たかりぃ~」

 「なんでやねん!」

 「……ちょっと、待ったらどうなんだ!?」

 和んでそのまま帰っていく3人に向かって、たまらず私は

後ろから声をかけた。

 「なんや、国嶋、いたのか?」

 振り向くのは3人のなかで一番遅かったが、言葉を返した

のは柊が一番早かった。

 「うるさい!愁!? こっちこい」

 私がもう一度声をかけてやると、愁のやつもようやく言葉

を返してきた。

 「待っててくれたんだ?」

 せっかくの笑顔が台無しだ。なんともバツが悪そうに笑顔

がすり潰されている。

 「べ、別にそういうわけじゃ……」

 「じゃぁ、そんなところで立って何してたの?」

 今度は酷い奴が声をかけてきた。

 「わかってるなら、声をかけたらどうなんだ、おまえは!?」

 「ふふ、自白~」

 ――こいつ……。

 「爽香、おまえ、知ってたのか?」

 「そりゃ~、すぐそばにいたもの。でも、兄さんを待って

るなんて知らなかったけど?」

 「おまえ!?」

 悪ノリが過ぎる爽香に向かって詰め寄ろうとしたら、愁に

止められてしまった。

 「ごめんな? 一緒に帰ろう」

 「あ、いや、その……ちょっと話があるの」

 「ん? そう……っか。あ、わりぃ、柊? 爽香、送って

くれねぇか?」

 愁はそう言うと、柊の方に振り返った。

 「えぇ、なんでよ?」でも、柊がそれに答える前に爽香が

悪態をついた。

 「わりぃ、頼むわ」

 愁も愁だ。柊に頼んでいたはずなのに、爽香に頭を下げだ

した。

 「もぉ……送り狼だったらどうするのよ?」

 「そんときゃ、迷うな」

 「ふふ、了解」

 爽香はそう言って、柊にラケットを担いでみせた。

 「とっとと、行くぞ小僧?なの~」

 「おいおい、待ってみぃ!おれはまだ!?……あぁ~もう!

わかったで!愁、覚えとけよ? カシやからな?」

 「あぁ、わりぃな?」

 そうこう言っている間にも、爽香はもうずいぶんと離れて

行った。

 「……ちょっと!? 早くしてよ? なにボサッとしてる

の?」

 「アホォー!ある程度離れとった方が、不審者発見しや

すいやろうが」

 「……柊が不審者みたい」

 「誰がやで!」

 「ハハハ……おれらも行くか?」

 愁はそう言って、私の手をとろうとしたのだが、私はそれ

を拒んだ。

 「すまない、愁」

 つなげるわけがないのだ。

 「……どうした?」

 「……その、楓のことなのだが」

 私は言葉を投げかけておいて、爽香たちとは反対方向に歩

き始めた。

 「あぁ……」

 そんな私に続いて愁も歩き出した。それにしても、なんと

もそっけない返事だ。あまり、楓の話題は好きではないらし

い。

 「てっきり、私はおまえのことが好きだとばかり思ってい

たのだが……そうじゃなかった。あいつ他に好きな奴がいた

んだ」

 「ホント? じゃぁ、これで解決だな」

 愁の微笑む笑顔が痛かった。

 「それが……そうもいかないのだ」

 「え? どうして?」

 「その好きな相手っていうのが……私なんだ」

 愁は爽香にもらったジュースを飲んでもいないのに、むせ

返った。

 「え……な、どういうこと!?」

 「だから、楓の好きな相手が私だって言っているのだ!」

 私は言っていて恥ずかしくなって、言葉をついつい荒げて

しまった。

 「……いや、まぁ、いろいろ聞きたいことはあるんだけど、

彩香、もしかして、告られた?」

 「……あぁ」

 私のその答えに、愁の足がいよいよ止まった。

 私も止まって、愁の言葉を待った。

 「それで……返事は出したん?」

 「いや、まだだ」

 「……えっ」

 愁の止まっていた身体が、今度は後ずさりをし始めた。

 「勘違いするな!私が好きなのは、愁、おまえ、ひとりだ」

 私はそんな愁に駆け寄って、服をつかんだ。逃げるな、愁。

 「仕方ないだろ!? ……ちょっと、込み入った告白で、

バスケで勝負して私が負けたら付き合ってくれっていうもの

なのだ。だから、勝たないと断れないだろ?」

 「受けた……んだ?」

 そんな悲しそうな顔をするな、愁。

 「だから、仕方ないじゃないか……告白されたのだって、

最初は初等部のときだったんだ。おまえと付き合う前だぞ?

……すまないとは思っている」

 愁はなぜだか少し笑って、私の身体を引き寄せた。おい、

よさないか、愁。ここは道端だぞ?

 「いいよ?」

 「……怒っていないのか?」

 「……たぶん」

 「愁っ!?」

 「ハハハ、冗談だよ? 別に怒る理由なんかないし」

 「……本当か?」

 「あぁ。でも、ちゃんと勝ってくれな?」

 「もちろんだ」

 愁はもう一度私の手をとると、また、いつものようにゆっ

くりと歩き始めた。私も今度はつながれてやった。

 「それで? なんの勝負でやんの? 楓と」

 他愛のない話をしながら家の前に着くと、愁が尋ねてきた。

 愁の顔色はもう随分良くなって見える。夕日に燃やされて

も、愁の顔は涼しげだった。

 「ブラックジャック、おまえが私に教えてくれた遊びだ」

 「……あぁ、あれか? シュート対決の? 懐かしいなぁ」

 愁はそう言いながらも、ポチ家の方を見た。残念だな、愁。

ポチなら今頃、母さんに連れられて散歩中だ。

 「……なぁ、愁? おまえはどうしたらいいと思う? 発

案者だろ? 裏技はないのか?」

 私はそんな愁の服を引っ張って、注意をこちらに向けさせ

た。

 「ん~ない」

 「なんだ、ないのか?」

 「いつも通りの彩香がいいと思う」

 ポチがいなくて拗ねたのか、愁はそんなテキトーなことを

言いやがった。拗ねてる場合じゃないだろ、愁。私が楓に取

られてしまうかもしれないのだぞ?……いいのか?

 「そうはいかないだろ?……どうしても、負けられない試

合なのだ。

 「……なんか、サッカーみたいだな」

 愁はそう言って、笑いやがった。

 「何がサッカーだ!いまはバスケの話だろ?」

 私は語尾を強めて、ヘラヘラしている愁を睨んでやった。

 さっきからなんか上の空だ。

 「ごめんごめん。楓ってさ、確か弾道の低いバンクショッ

ト打つタイプだったよな?」

 「……あ、あぁ。少なくともあのころはそうだった」

 「だよな? それに対して、彩香は頂点の高い綺麗な弧を

描くタイプじゃん? バンクなしの。見た目は派手だけど、

バンクショットに比べたら確実性は落ちる。正確性を狙うな

らやっぱり、バンクを使った方が有利だろうなぁ、とは思う

よ。けど……」

 愁はここで言葉を切って、私を見据えた。

 「これって個人的な勝負だろ?」

 「……あぁ」

 「楓の好きな彩香はきっと綺麗な弧を描く、バンクなしの

シューターだよ? 仮に彩香がバンクショットで勝ったとし

ても、楓はそれでスッとしないんじゃないかな?まぁ……ブ

ラックジャックじゃわかんないだろうけど。でも……なんか

さ、楓の好きな彩香で勝負しないと、そもそもする意味がな

くなっちまう気がするんだ、おれはね」

 くだらないことを聞いてしまったと思う。確かにそうだ。

勝つことだけ考えたって仕方がない。楓の気持ちをくみとっ

てやらないと。そうだ、ブラックジャックだって元々……そ

んな煩雑なゲームだったんだ。

 「……そうだな、すまない、愁」

 「いいって。おれも本当はどんなことしてでも彩香に勝っ

てほしいから」

 「なんだ、それは。さっきと言ってることが違うじゃない

か」

 「自分だけのこと考えると、さ。彩香は誰にも渡したくな

いから」

 愁はそう言って、遠くを見た。見る相手が違うだろ。こっ

ちを向け、愁。

 「でも、今回の勝負はほんと、何も考えずにただ自然体の

ままの彩香で勝負してほしい……かもしれん?」

 「どっちなんだ、おまえは」

 ところで、実際に愁に見られると今度は私の方で目を逸ら

してしまう。

 シーソーみたいに中々同じ目線になるのは難しいものだ。

 「……ごめん、最後に一つだけ確認したいことがあるので

すが?」

 私が門を開けようとしたところで、愁が私を呼び止めた。

家に戻る時間よりも家の前にいる時間の方が既に長くなって

いた。

 「ん? なんだ? 急に改まって」

 私はもう少しだけ、付き合ってやることにした。

 「ごめん、ちょっと気になっててさ……」

 とはいえ、どうせポチのことだろう。私は門に背をもたせ

かけると、腕を組んだ。

 「彩香が勝ったら、……どうなるんだ?」

 愁は大真面目な顔をしてそんなことを聞いてきた。私はすっ

かり肩透かしを食らってしまった。

 「楓が彩香の彼女になる、なんてことは……ないよな?」

 まさか、ここに来てずっと上の空だった原因ってこれなの

か。まだ勝ってもいないのに、コイツは。私はそんな愁が可

笑しくて笑い出してしまった。

 「そんなわけないだろう? 安心しろ」

 「そっか……、それなら、よかった」

 愁はよほどそのことが気になっていたのか、崩れ落ちるよ

うにして膝を折った。

 「え、でも、じゃぁ、彩香が勝ったら楓に何してもらう予

定だったんだ?」

 「……あぁ、確か、爆弾アイス(22)を買ってもらう約

束だったはずだ」

 私が記憶をたどってそう言い終えると、朗らかな愁の表情

が一瞬にして固まった。

 「……どうしたのだ?」

 心配して顔を覗き込んでやると、しゃがんだままの愁はさ

らに縮こまった。

 「……やっぱちょっと怒ったかもしれん」

 「なっ、どうしてだ!? さっきは怒る理由などないって

言ったじゃないか? 嘘つきなのか? おまえという奴は!?」

 「いや、まさか、ボンボンと天秤にかけられてるとは思わ

んかったもん」

 もんって……なにこどもみたいに拗ねてるんだ、コイツは。

「バ、バカ! いまだったら、ボンボンと天秤にかけたりは

しない。あのころは一番それが欲しかったのだ。あ、あれはと

ても美味しいのだぞ?」

 「知ってるよ? 爽香がいつも半分くらいで爆発させてた」

 「そ、そうなのか?」

 「……あぁ」

 ――なんなのだ、この気まずい空気は。だいたい、爽香の

話はいま関係ないだろう。

 「……その、すまない」

 「いいよ? ボンボンは確かに美味しいから」

 愁はわざとらしく拗ねながら、立ち上がって背伸びをした。

 「おまえ……意地悪だ!」

 「ハハハ、冗談だよ? ごめんな」

 「別に、おまえが怒ってないなら、いい」

 「ん、怒ってない」

 愁はそう言いつつも、空を見上げてため息なんかつきやがっ

た。

 「一週間後か……」

 まるで、さっきの私みたいだ。

 「愁……」

 「ん?」

 「その、見に来てくれないか? 当日」

 「あぁ、必ず行くよ? ちゃんと見届けたいし」

 「……そうか。でも、心配するな? 私は負けやしないぞ」

 愁は笑って、大きく頷いた。でも、まだちょっと足りない。

 「愁……おまえ、私が勝ったら嬉しいか?」

 「あぁ、もちろん。てか、勝ってくれなきゃ、地球から出

てってやるからな?」

 今度こそ、満足だ。心配はしていないにしても、私が勝っ

たら愁は嬉しいらしい。愁のこのこどもじみた冗談が、私に

はちょっと眩しかった。

 「爽香です。兄弟すらも信じられない世の中ですが、ここ

はひとつ、ガヴッといきましょう。あきたらなければ……(

23)」

 自宅に戻ってリビングに入ると、CMがすぐに始まった。

爽香は最近テレビCMを真似ることにハマっていた。

 「……なにやってんの、爽香?」

 「アイス食べてる」

 「なにスレてんだよ?」

 「スレてないし。たとえ、待っていた妹を置き去りにして

どっかに行くようなバカのすけが兄さんでも、スレてないし」

 言葉に反して、わざとコーンの砕ける音をさせているあた

り、随分とご立腹のようだった。それもそうだ。待っていて

くれたんだ、本当は寄りたいところでもあったのだろう。

 「……ふん」

 「悪かったよ、爽香? ほんと、ごめんな? それと……

ジュースありがとう」

 僕はそう言って、空になったペットボトルを机の上に置い

た。

 「……もぉ。ずるい、兄さん」

 「……ごめん。ちゃんと、送ってもらったか?」

 「ん、まぁ……ていうより、そこにまだいるし」

 「……へ?」

 「ほら、後ろに?」

 今度はベタなホラー映画の真似かと思った。ところが、突

然。

 「わぁっ!」

 「おぉわぁつ!?? な、なにしてんだてめぇー!?」

 後ろから柊が現れた。

 「何してるんやちゃうやろ! 自分、人送らせといて。て

か、いつまで待たせるんや。早う、ラーメン行こうや?」

 僕はすっかりそのことを忘れていた。ところが、部活後に

さらに長距離を歩いたものだから、僕の身体はずいぶんと億

劫になっていた。床に寝そべって愚図る柊を尻目に僕はソファー

に腰を下ろした。

 ところで、僕はすぐさま柊の言葉に従って、早々に玄関に

向かうべきだった。爽香の半目に捉えられる前に。

 「兄さん?」

 「ん?」

 キッチンの方へ振り返ると、ダイニングテーブルで爽香が

座っていた。

 「そこに座って?」

 爽香は前の席を指差して僕を手招いた。気づくのが遅かっ

た。僕は結局、爽香に捕まってしまって、帰り道で彩香と話

した内容を根掘り葉掘り尋問された。というのも、どうやら、

爽香も楓が交わした約束を当時から知っていたらしく、それ

が、ちょっと気にかかっていたらしいのだ。そのようななか、

今日、門前にいた彩香の様子が少し変だったから、もしかし

たらと感づいたそうだった。


―――――――――――――――――――――――――――


 一週間が経った。昼休みの時間、僕は体育館の入り口に座っ

て、今まさに始まろうとしている彩香と楓の試合を見守ろう

としていた。

 「……で、なんでおまえらもいんの?」

 「え? だって、兄さんの一大事でしょ? 妹としてもちゃ

んと見届けないと」

 「ほう、そないに一大事か?」

 「一大事なの」

 僕の両側には爽香と柊がいた。彩香も楓も見ていてくれて

かまわない、とのことだったが、僕は出来ることならひとり

で見たかった。

 「おまえら、こういうときだけ仲良いな」

 「そんなことないよね?」

 「せや、おれらも同じクラブやったやんか。……で、これ

どないな勝負するんや?」

 どうやらふたりとも戻るつもりはないらしい。僕はため息

混じりに答えた。

 「ブラックジャックだよ。おまえが転入してくる前に、ク

ラブで流行ってたんだ」

 「ブラックジャックって……あの、トランプかいな?」

 「そう、兄さんあれめちゃくちゃ弱いの」

 僕は爽香の頬を軽くつねった。

 「言らんこというな」

 「はひふんほほぉ~?」

 僕は爽香にかまわず、柊に説明した。

 「ただの呼び方で、内容は違ぇよ。プレイヤーは2人。一

対一の勝負。まず、それぞれボールを持ってセンターライン

の中央にお互い背を向けて並ぶんだ。それから、ジャッジの

合図を聞いて、自分がいるハーフコート内でシュートを打ち

たい場所に真っ直ぐ歩いていって手をあげるんだ」

 「なんや、どこで打ってもええのか?」

 「あぁ、基本は自由だよ。ただ、その時、相手がどこから

打とうとしてるのかは一切見ちゃだめなんだ。用はハーフコー

トに並んでからシュートを打ち終わるまで一切振り返れない」

 「ふ~ん、点数はどないなるんや? やっぱ、遠くから打っ

たほうがええのか?」

 「試合のルールとおんなじだよ。ライン内なら2ポイント。

外ならスリーポイント」

 「ほぉ、なるほど。ほんで?」

 「ジャッジは2人の選手が手をあげるのを確認したら、合

図をしてシュートをかまえさせるんだ。んで、笛が鳴ったら

同時に打つ。打ち終わったら、お互い振り返る」

 「ほぉ、そこで初めて相手がどっから打ったのかわかるん

やな?」

 「そういうこと、んで、ジャッジのとこにある電光掲示板

で相手が入ったかどうかも確認できるんだ。後はその繰り返

し」

 僕は説明しながら、自分でも思い出していた。そう、確か

こんな感じだ。

 「……で、何本勝負なんや?」

 「どっちかが21点以上取るまでだよ」

 「あぁ、それやから、ブラックジャック言うんやな?」

 「まぁ、トランプと違って21越えたら、即負けるってこ

とはないんだけどな。ただ、スリー7本の21点が勝つため

の最小値になるから、結局越えん方がいいよな」

 「せやけど、どっちみち、完璧に決めたらの話や。なんぼ

カベがのうても、7本ノーミスなんてそうそう打てるものちゃ

う。確実にゴール下で2点ずつ取った方が得策やんけ?」

 もちろん、これが流行った当初もそんなことを言う奴がい

た。でも、それについては爽香が説明してくれた。

 「わかってないな~、柊は」

 「なんやねん? 他に得策でもあるのか?」

 「そうじゃなくて。そもそも、この勝負はね? 元々スリー

ポイントシューターで流行った遊びってとこがキーポイント

なの。わかるでしょ?」

 「なんや、まさか、スリーポイントシューターがゴール下

で打ったらカッコワル!とかそんなん言うんちゃうやろうな?」

 「ところが、その通りなの」

 「暗黙のルールってやつだよ?」

 「うわ、じゃまくさ」

 「遊びにはつきもんだろ? 結局、勝ち方にもこだわんねぇ

と本当の意味では勝てねぇんだよ」

 「打ち終わって振り向いたときにハーフラインにより近い

方が好まれるんだよね?」

 「そう。ま、それで外しても、見栄っぱりとか言われて、

バカにされっけどな」

 「ふふ、そうだったね」

 「だいたいわかってきたわ。白鳥もスリーポイントシュー

ターやったっけ?」

 「いまはどうかは知らないけど、少なくとも、昔はそうだっ

たな」

 「ふーん、あんまり覚えてへんけど、どないなタイプやっ

た?」

 「弾道の低い、バンクショット打つタイプだよ。おまえの

好きなタイプ」

 「嫌味かアホゥ……」

 「でも、国嶋さんとちょうど別タイプだから、見てて面白

そうかも」

 「爽香……」

 「なによ? 他意はないもの。でも、白ちゃんブランクが

あるのに、大丈夫なのかな?」

 「せやせや、一週間やそこらで国嶋とあたるのはきついや

ろ?」

 「……さぁな。初めの一本見るまではなんとも言えねぇだ

ろ?」

 小声で呟き合っていると、奥のコートではちょうど勝負が

始まろうとしていた。

 「中央へ」

 「あ、始まるみたいよ?」

 彩香と楓はセンターラインまで歩いていくとお互いに背を

合わせて、彩香はゴールを見据え、楓はボールに祈るように

目を閉じて伏せた。

 「シュート位置へ」

 始まりの合図とともに、まずは彩香が真っ直ぐに迷わず歩

き出した。

 「ほぉ~、なんや、やっぱ、スリーかいな」

 彩香のいつものラインだ。スリーポイントラインより、少

し遠目の位置に止まって手をあげた。

 「楓の奴……なんや? まだ動いてへんぞ? まさか、あ

そこから打つんちゃうやろうな」

 楓はゆっくりと目を開けると、足早に歩き出した。

 「お、動き出した……って、え!?」

 僕は柊の口を慌てて手で塞いだ。

 「バカ、静かにしてろ」

 「す、すまん……せやけど、どうなっとるんや。話と全然

ちゃうやんけ」

 「嘘、兄さん……、あの位置って」

 「思いっきりゴール下だな」

 僕も思わず目を逸らしたかった。人一倍努力家で、呆れる

ほど遠くから打つ練習をしていた楓が、ゴールの手前で立ち

止まり、手をあげた。

 「……どうして? 白ちゃんも知ってるはず。あんな位置

で打ったって……」

 「それだけ勝ちてぇってことだろ」

 「……でも?」

 「おれだって同じ立場だったら、あぁするよ? あんなこ

とやったら、プライドなんてあったもんじゃないし、正直、

打つ本人も良い気分じゃないだろ。でも、楓はそれでもゴー

ル下に行ったってことは、いま天秤に賭けてるもんがそれだ

けでけぇんだろ?」

 「……なんや、冗談か思ったら、これホンマに遊びやなかっ

たんやな」

 「……みたいだな」

 「セット」

 ――ピッ!

 短い笛の音とともに、時間差を置いて2つのネットを揺ら

す音が聞こえた。僕はその瞬間、できれば彩香に振り返らな

いで欲しいと願った。楓もすぐにコートを出て欲しいと思っ

た。

 「……なっ!? 楓!? どういうことだ!?」

 ボールの落ちる音とともに、彩香の怒声が激しく響き渡っ

た。

 「……ごめんね、負けられないの」

 「……楓っ」

 「彩香? 勝負中でしょ? 私語、厳禁」

 彩香は審判役の子を睨んで、とても歯がゆそうにしていた。

 「やっぱり、国嶋さん怒ってるね?」

 「この勝負中だけだろ? たぶん。いまはきっとこの勝負

のことしか頭にないんだ、彩香は」

 「……せやけど、どないするんや? 国嶋、2ポイントに切

り替えるんかいな」

 「切り替えねぇよ、彩香は」

 「なんでや? 一本決めたんや。このままゴール下で勝負し

た方が確実やろ?」

 「国嶋さんも兄さんといっしょで、不器用なの。自分の思っ

たこと、曲げないひとだから。最初にスリー打ったってことは、

たぶん」

 「……おれもこなふっかけちまったしな」

 他のボールをもらって、それを弾ませている彩香の姿を僕は

じっと見つめた。

 「なんか言うたのか?」

 「あぁ。いつも通りシュート打ってほしいって」

 でも、爽香がそれの影響をすぐに否定した。

 「それは、関係ないと思うよ?」

 「……そう、か?」

 「ん、だって、国嶋さんもあの勝負、いままでで1本も2

ポイント打っていないから」

 「もってなんや。もって。まさか……」

 「ふふ、兄さんも打ったことないの」

 「不器用すぎるやろ、自分」

 「るせぇ、遊びぐらい、いいだろ」

 僕はそう言いながらも、柊の声が一瞬、自分の声に聞こえ

た。そして、それから、その僕の問いかけに答えるように、

誰のものとも分からない声が頭のなかに響いた。

 ――合理的にやるんだったら、そんなもんコンピューター

に全部やらせりゃいいんだよ。ところが、こっちは人間でね、

色んな感情抱えて生きてんだ。

 そんな言葉を僕に言ったのは誰だっけ……。

 「よっしゃ!これで並んだで!」

 「エイティーンラヴ!」

 こんな大事なときに僕の意識はぼんやりとしていて、ふた

りの声にようやく我に帰った。ただ、詳細な経過だけはちゃ

んと知っている。彩香がスリーポイントを9本打って、うち

6本が入った。楓は2ポイントを9本打って、うち全てがゴー

ルに入っていた。

 「これで次、国嶋さんが入れたら勝負が終わっちゃう?」

 「せや、いま18やから、白鳥が次決めても……いけるで!

愁」

 「シュート位置へ!」

 僕は柊の言葉とは裏腹に素直に喜べなかった。何かがおかし

い。楓の次の行動に僕はまたしても目を背けたくなった。

 「……ってなんやそれ!? ちょっと遠すぎないか?」

 「兄さん……」

 「あぁ。おまえも覚えてるか? あそこが、楓の居場所だ」

 「なんや、居場所って? あそこ女子にしたら遠いやろ?」

 「セット!」

 ――ピッ!

 その短い笛の音は今までのどんな音とも違って、恐らくは、

僕ら3人の視線を一挙に楓に向けさせた。

 ネットを揺らす音は、楓の方が早かった。一直線に放たれ

たボールはそのまま激しく壁にぶつかって、勢いよくゴール

に放り出された。

 僕はなぜだかその光景に泣きたくなった。やがて、穏やか

にネットを揺らす音が彩香の方からも聞こえてきた。

 「入ったで!?」

 「白ちゃん凄い!」

 「おまえ……やっぱり」

 「へへ、勝てなかった……ゴール下で打ったのに」

 ふたりは振り返ると、そこには険悪な雰囲気がもはやなかっ

た。

 「ごめんね? 本当は全部ちゃんと打ちたかったんだけど

1本がやっとだった。練習でも、どうしても2本目が打てな

くて」

 「……もう、良い」

 「……え?」

 「無理するなと言っただろ? それに、楓? おまえの勝

ちだ」

 「……クーちゃん」

 彩香の言葉に僕は、というよりも、僕の横にいるふたりが

言葉を失った。ふたりして、あからさまに僕から顔を背けた。

 「そんな顔をするな。私はあれからもずっとバスケをして

いたのだ。それでも楓を負かすことができなかった。結果は

引き分けだが、おまえの……」

 「でも、私!ゴール下で……」

 「関係ないだろ? 私はどんな相手だろうと、スリーで勝

つ。おまえもいまだせる力で勝負したのだろう?」

 「クーちゃん……」

 僕はこの光景になぜだか妙に居心地が悪い気がしてきた。

 「最後のスリー……今度は私のそばで見せてくれ」

 「クーちゃん!?」

 「……お帰り、楓」

 その言葉が引き金になったのか、楓は彩香の元へ走り寄っ

た。

 「な、おい? なんかようわからへんけど、これ、雲行き

が怪しなってへんか?」

 「そ、そだね。白チャン思いっきり抱きついちゃってるし」

 僕は素早く立ち上がると、体育館をあとにした。

 「……おい、愁!?」

 「あ、あれ、兄さんどこいくの?」

 「は、早まらんといてや!? まだ、付き合うって決まった

わけちゃうで」

 「バカ、そんなんじゃねぇーよ。なんか、水差すみたいで嫌

だろ? 帰ろうぜ」

 「おまえ、このままでええのか? 彼女さん抱きつかれてる

んやぞ」

 「彩香が嫌な顔してねぇもん。問題ないだろ?」

 「ふふ、兄さん痩せ我慢~」

 僕は足早に戻ると、爽香の頬にまた悪戯をした。


―――――――――――――――――――――――――――


 良い気分だからといって、それで、たくさんの課題が解け

るわけじゃない。積もり積もったプリントの山に早くも真っ

白な雲がかかりそうだった。

 「兄さん?」

 「……ん?なんだ?」

 学校から戻って自室にこもっていると 爽香が声をかけて

きた。とはいえ、困ったことに、僕は一度登山をやめてしま

うと再開するのが容易ではなくなる。

 「宿題やってんだ、あとでいい?」

 爽香は何かを言い残していったが、消しゴムのすれる音と

プリントの破れる音でそれはかき消されてしまった。

 「……兄さん?」

 爽香がまた声をかけてきた。今度は部屋に入ってきていた

らしく、僕の横にいた。

 「ん? なんだよ? ってか、聞いてくれよ。同素体と同

位体ってなんだよ? 親戚か? 名前似すぎだろ」

 「ぜぇ~んぜん、違うわよ? 同素体って親戚少ないし。

スコップ?」

 「……それはわかんだけど。どっちがどっちだかたまにわ

かんなくなんだ。爽香、どう覚えてんだ?」

 「サ行」

 「作業?」

 「ん、同素体のソ、スコップのス、どっちもサ行」

 「お!? なるほど。それいいな!?」

 僕は爽香にお礼を言って、メモ書きすると、また登山を始

めた。ところが、爽香が僕の腕をすぐに引っ張った。

 「もぉ~、兄さん!? そんなことよりちょっと!」

 「……へ? なんだよ? おれ、まだプリントが」

 僕の言葉がよほど可笑しかったのか、爽香は、不審者がい

るの、お家の前に、と言いながらも、含み笑いをしていた。

 「不審者?」

 「ん。ほら、見てみて? お家の前」

 爽香はそう言って、僕の部屋のカーテンを開けると僕をそ

こに誘った。僕は仕方なく、机に鉛筆を放ると爽香のところ

まで歩いて行った。

 外を何気なく見下ろすと、門の前で彩香がこちらを見上げ

て立っているのがわかった。

 「えっ!? 彩香!? いつからいたんだ!?」

 「兄さんがそのプリントし始めるくらいよ」

 「え!? バ、早く言えよ!」

 「言ったし。兄さんが聞いてくれなかったの。宿題がどう

のって……」

 爽香はまたそう言い出して、含み笑いをした。

 「さっきから何笑ってんだよ、おまえは」

 「ふふ、そんなの知らないの~」

 「そうかよ、わり、とにかくちょっと行ってくるわ」

 「ん、いいの?……宿題?」

 僕はいいかげん頭に来て、膨らんだ爽香の頬をつついた。

 僕は急いで階段を駆け下りると、玄関から飛び出した。

 「彩香!? どうしたんだ? ごめん、いま気がついて……。

 「そうか……私はてっきり三日三晩、おまえが出てきてく

れないのかと思ったぞ?」

 「ごめん、そういうわけじゃ……」

 僕は謝るようにして、彩香をリビングへ誘った。

 「今日、惜しかったな? 勝負」

 アイスティーを差し出すと、僕は彩香の横に座った(僕は

どうも、彼女と対面で座るのが好きになれなかった)。

 「やっぱ、楓は強敵だな?」

 「愁……」

 彩香はコップを手にしたまま、僕の方を見た。

 「おまえ、怒ってないのか? 勝てなかったのだぞ……私

は。それに、おまえの前であんな……」

 彩香はそう言いかけてうつむいてしまった。彩香のしょげ

る姿は珍しい。困ったことに、僕はもう少しだけその姿を見

ていたくて、冗談っぽく彩香を責めた。

 「あぁ、本当はめっちゃ怒ってるよ? 頭で湯が沸かせそ

う」

 「……やっぱり、そうなのか!? すまない、本当にすま

ないと思ってる。どうしたらいいのだ?」

 しゅんとしょげる姿が可愛く映るなんて、なんてやっかい

なレンズなんだろう。そうは思っても、そのレンズを破壊す

るにはもう少し暇がかかった。

 「そうだな、試合はまだしも、女の子とはいえ、目の前で

抱き合ってたわけだ」

 「べ、別に抱き合ってなど!?」

 僕は否定しにかかった彩香の瞳をじっと見つめた。

 「……すまない」

 「やーだよ?ずぇったいに許さない」

 「なっ!? どうしたら、許してくれるのだ? 愁」

 彩香が眉をひそめだしたところで、僕はようやくそのやっ

かいなレンズを壊すことが出来た。

 「ごめんごめん、本当は怒ってないんだ」

 「……なんだ、おまえ、もう興味なくしたのか?」

 「全然違います。勝負のことは、あれだけ真剣にやってく

れたし、抱きしめられて抵抗しなかったのも、別に恋愛感情

からじゃないだろ?」

 「そんなの当たり前だ。ただ、楓とまた一緒にバスケがで

きるかと思ったら嬉しくなって……つい」

 その言葉を聞いて僕も嬉しくてたまらなくなった。

 「いいよ。許すよ」

 「……本当か?」

 「あぁ、条件付きだけどな」

 「なんだ、その条件ってのは?」

 「今日みたいな賭事は今後一切しないこと。女の子同士で

も、楓とはあんまりあーゆーことしないこと。それと……」

 「なんだ? それと、なんだ?」

 「ボンボン、ボンボンを買って欲しい」

 「おまえ……あてつけじゃないか」

 彩香はそっぽを向いて、悔しそうにアイスティーを飲んだ。

 「化学やってたらさ、サボってたせいか、熱が上がっちまっ

たんだ。あれ、ホント美味しいしさ……頼むよ?」

 「……わかった。本当にそれで許してくれるのだな?」

 グラスを机に置くと、彩香が不満たっぷりに僕の顔を見た。

 「あぁ」

 彩香は僕が答えると、僕の右腕をつかんで小指を絡ませた。

 「約束だ」

 ところで、リビングは開けっ放しになっていて、いままさ

に爽香が入ってこようとしていた。僕らはちょうど具合の悪

いところを爽香に見られてしまったわけだ。

 それでも、慌てて指を離せばまだ言い訳ができたのだが、

困ったことに、僕らはお互いにそのまま固まってしまった。

 「ちょっと!何してるのよぉ~? こんのメルヘン猫ぉ!?」

 「誰がだ!」

 「なによ!? 結婚の約束でもしてたつもり?」

 僕は爽香の思わぬ言葉に目のやり場に困った。彩香も僕か

ら視線を逸らした。

 「いったい、おいくつなの? バカ猫ぉ~!」

 「うるさい!おまえと同い年だろ!?」

 「そんなわけないのぉ~幼稚園児ぃ」

 「誰がだ!」

 おかしかった。僕らは視線を逸らしはしたが、指は机の下

で絡み合ったままだった。今となってはこれがいったい何の

約束を意味しているのか、わからなくなった。

 ただ、お互いに……指を伸ばすことができなかった。



(22)株式会社シャトレーゼが販売するラクトアイス、

    「ボンボン」の通称。

(23)クラシエフーズ株式会社が販売する「ヨーロピアン

    シュガーコーン」のテレビCMをもじったもの。

    ※女優、佐藤真弓が出演していたCM。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ