読みやすさと正しさと
この辺りはとても難しい話であると思う。
まず「読みやすさ」だが、こちらは感覚的なものもあり、個人差も大きいだろう。
読みやすい
読み易い
読み易い
どれも「よみやすい」だが、読みやすいのはどれだろうか?
なんとなくどれでも良い気がする。
ただ、これがもう少し長い文章となった場合、その前後の漢字・ひらがなの割合によって読みやすさが変わってくるのではないだろうか。
文章においては、漢字が3割にひらがなが7割を目指すといい――などと言われたことがあります。
これより漢字を多く使うと硬い印象をあたえ、少ないと柔らかい印象をあたえるようです。
それを承知の上で、
漢字を多く使い硬い印象を与えたり、
ひらがなを多くしてやわらかい印象をあたえる
という風に書き分けるのも面白いと思います。読みやすさとは別になりそうですが。
そうして読みやすさを意識して漢字とひらがなの配分を考えようとした時に、同じ言葉で片方は漢字表記。もう一方はひらがな表記と入り混じったりするのを嫌う人もいるのではないだろうか。
さらに「正しさ」なんてことを求められると増々ややこしい。常用漢字表にある「易」の読み方は「エキ、イ、やさ-しい」であり、「やす-い」という読み方はみられない。
世の中には、常用外漢字の使用を気にする方もおられるように思う。
ただ常用外となる全ての漢字を使用禁止とされた場合、小説・物語などを書くのはかなり難しくなるだろう。
戦記物など特に難しそうだ。
槍、斧、槌、鎧、兜、砦などなど、常用漢字表にない漢字がたくさんある。
西洋系としてすべてランスだとかスピア、アックス、メイス、メイル、ヘルムと片仮名にするのも一つの手だとは思うが、やはり限界はあるだろう。
さらに戦国時代物とかになると絶望的だ。「一番槍」を「一番やり」と書くのは何か違う気がする。
「砦」を「とりで」とひらがなで書くのもどうかと思う。
「塞」の「とりで」読みは常用外だ。
これでは書き手・読み手とも疲れるだけのような気がする。
そんな風に考えていくと、読みやすさや正しさも大事ではあるが、こだわり過ぎるのも問題があり。
なにより、小説などは面白さの方が重要だと思う、そんな今日この頃である。