草の根―④―
4月12日 上万作学園 2年IX組 午前8時34分
河上サキは、あくびを盛大に吐き出す。
勉強する時間が確保できていなかったので、さっきまで自習と予習に充てていた。
それを終えた瞬間、突如として疲労感が襲い掛かる。
――首相に会ったなんて、無茶苦茶だよ……。
無論、緊張しないわけがなかった。
受像機越しに笑顔は保っていたが、サキの顔の中の筋肉は堪ったものではない。
全身の疲れが、首相とその関係者、マスメディアの集う総理官邸から離れた途端に、訪れた。
課題を片付けたサキは、疲れを取るために机に突っ伏す。
――そんなに、私……褒められるモノなのかな……?
サキの評価が劇的に変わったのは、カナダのバンクーバーから帰国した後のこと。
オラクル語学学校を中心とした事件――俗にいう、“バンクーバー・コネクション”――を“ワールド・シェパード”社の開催する労働休暇に参加したサキが巻き込まれた。
しかも、その当事者をサキが現行犯逮捕してしまったからである。
――他に取材されるべき人がいるんじゃないのかな……。
そう考えるのは、カナダのバンクーバーで出会った青年――ロック=ハイロウズ—―のことだ。
カナダの事件の解決の功労者は、サキというよりは、ロックとその周囲の人たちと言った方が正しい。
先日、広島県と島根県の県境で、彼との唐突な再会を果たした。
そんな彼の言葉で気がかりなのは、
「また後……って?」
無論、カナダの別れ際にSNSのアカウントを交換し、その真意を問い合わせたものの、
――未読って……。
返信は一切ない。
既読とならないのも、なお気がかりである。
サキは“情報携帯端末”をカバンにしまい、窓の外を見る。
上万作学園。
山を切り建てて作られた、是音台団地に設けられた教育施設である。
山林を開発して作られた是音台団地に立地している為か、瀬戸内海と上万作市内の街並みの眺望の良さが、サキの座る特等席の魅力だ。
広島県、上万作市。
広島市と世界遺産、“安芸の宮島”との中間に位置する郊外である。
上万作市には、海に面した伊那口工業団地も隣接。
家具や家電の大手フランチャイズが進出し、中国地方最大の大型商業施設へのアクセスがあるのも魅力だろう。
だが、上万作市を有名にしているのは、それだけではない。
上万作学園を更に北上した場所にある、“是音台高等科学研究所”。
ある事件をきっかけに作られた産業用地。
それを目当てに来る、目にしたくないモノ。
それが見えてしまうのが、窓際という特等席ゆえの泣き所であった。
“上万作の武装化は軍国主義の一歩”。
“上万作が国防の礎となる”。
校門の前の広々とした通学路。
通学路と住宅地の道路を隔てるかのように敷かれたガードレール。
ガードレールの裏を歩く学生の向こう側で、でかでかとした横断幕に書かれた文字を抱えた様々な世代の人々。
彼らの奏でる喧騒が、住宅地の道路の上で朝の風景の一部となっていた。
朝の風景の異なる喧噪。
二つを更に隔てるのが、警察と“ワールド・シェパード”社だった。
それぞれが、代表者というよりは仲介人として、今にも異なる主義による危険な混合物となるのを防ぐ群衆の防波堤となっている。
しかし、彼らの二項対立として持ち上げている声。
サキにとってのたった一つの転機にして悲劇となる出来事を呼び起こす。
――あれから、七年か……。
あの事件でいなくなった父と母。
悲劇を元に彼女を祀り上げようとする大人たち。
そんな彼らから、守ってくれた友達や大事な人たち。
――自分は、あの人たちに何が出来るだろうか?
サキがそう考えていると、
「サーキちゃん」
背後からの猫なで声と共に、両胸に感じる違和感。
その正体の追究に時間は掛からない。
サキはため息を出しつつ、
「私はおっぱいじゃありません」
振り向きざまに、胸に触れてきた知人の額を優しくたたく。
サキの目の前には、自分と同じ紺のブレザーを纏う少女。
運動をしているのか、健康的に日に焼けた薄い褐色の肌をしている。
八重歯をのぞかせながら、悪戯がバレた子供の様な笑みを浮かべ、
「サキが浮かない顔をしているから、このキョウコちゃんが少しばかり触診を……げへげへ」
「人前で、しかも無許可で下心ありでするのを、触診と言いません」
サキが下卑た顔で言い訳するキョウコをバッサリ切り捨てると、
「アカリ――。私たちのサキちゃんが反抗期だよ――」
仰々しく、どこかふざけながら、キョウコが隣の少女に泣きついた。
無論、ウソ泣きではあるが、
「キョウコ、サキは年頃ですから、色々あるのですよ」
キョウコの首筋より少し上まで切った髪を撫でながら、アカリという少女が諭す。
サキと同じ長髪ではあるが、アカリの黒髪とは違う雰囲気が帯びていた。
サキの黒髪が目も合わせて黒曜石という明確な美なら、アカリの黒髪は夜に行う神事を覆う夜の帳を思わせる神聖さ。
だが、それでもキョウコからも感じる包容力をサキは感じていた。
金城 キョウコと六星 アカリ。
二人とも、今までの同情と口実に満ちた世界を生きるサキにとって、日常に帰れる存在だった。
二人の中で、どこまで芝居が入っているかはわからないが、
「アカリ……私は、山田洋二監督の映画で描かれたような家庭を思い描いていたんだよ~」
「少なくとも、山田洋二監督作品で、自分の娘の胸を揉むことを正当化した描写はありません。そんなことしたら、どっかのフーテンさんが更に生々しくなっちゃうよ……」
サキが呆れながら、笑顔で指摘すると、
「そして、キョウコ、私の胸も揉まない」
アカリの胸の方にも手を伸ばしていた、キョウコを彼女が優しく叩く。
叩かれて舌を出しながら、アカリと抱き合うキョウコ。
「なあ、俺って、山田洋二監督作品だったらどの位置に入るんだろうな……」
そう言って、サキの隣で話しかけるのは、一人の少年。
ブレザーとネクタイをはだけて、髪の真ん中がオレンジに染まっている。
「お隣の工場の社長さん」
「キョウコ……それ、いつも一言多くて叩かれる役じゃねぇか!?」
ツッコミのふりをする少年。
「一平は、どちらかと言うと、妹さんのお婿さんの気はしますね」
一平と言われた少年は、アカリの指摘に、
「お兄さんと言いながらいつもお酒飲んでいる人か……」
サキの前で腕を組みながら一平は悩むが、
「一平の場合、フーテンさんの映画というよりは、釣り好きの方な気がするけど?」
サキはそう言うと、
「あ、そっちの方が好きかも」
一平は飛び上がらんばかりに喜ぶが、
「それで、その釣り映画の社長さんだけど……」
キョウコはアカリを制しながら言うと、
一平の顔が少し曇る。
「龍之助は、相変わらず」
一平の眼は、クラスの入り口に注がれる。
一平の出した少年の名前に、サキは少し前に見かけた龍之助を思い出す。
斎藤 一平。
彼もまた、龍之助やキョウコやアカリと同じく、サキの日常を構成する替えの利かない、サキの中のパズルの一片とも言えた。
サキの日常は、キョウコ、アカリ、一平と龍之助がいて成り立っている。
その象徴に唐突に表れたひびに、キョウコとアカリの顔にも影が帯びる。
サキたちが各々考え始めると、スライド式のドアを開く音が思考を中断させた。
担任の教師に席に座る様に促され、サキたちは各々の席に戻る。
教師――和泉守 杏菜。
髪は短く、ベリーショートにして快活な雰囲気に溢れている。
竹を割った性格もあって、30代半ばという実年齢の割に若く見えた。
教師の後に続く様に、龍之助も教室に入ってきた。
サキと目が合うが、バツが悪そうに龍之助が会釈。
眼鏡の奥の視線を向けると、一平、キョウコとアカリに廊下側の席に座る。
しかし、龍之助と目の合う一平の噛み締める口から無力感が漏れているようだった。
「今日は転校生がいる。副担任もいるので紹介する」
担任の一言で、クラスがざわめく。
和泉守に促されて入ってきた二人に、サキは驚いた。
二人の男性。
一人は、上質な狐の毛皮を思わせる茶色の髪を持つ男性。
その特徴に、サキは思わず目を見開いた。
「副担任でALTのブルース=バルト先生。あとは、転校生の――」
「ロック!?」
二人目の名前に、サキは素っ頓狂な声をクラスに響かせた。
ロックと言われた方の少年は眉間にしわを寄せ、口元はどこか歪んでいる。
しかも、ブレザーにネクタイという男子の制服を着ていて、シャツも開けていない。
日本の同年代の男子よりも整ったシルエットを更に映えさせて、女子の注目を集めていた。
二人ともカナダのバンクーバーで出会っている。
しかも、彼らが日本にいる。
極めつけが、自分のクラスに入ってきた。
隣でキョウコとアカリが色々聞いてくる。
キョウコの視線は好奇心で、アカリのそれは戸惑い。
残念ながら、何を言っているのかは聞こえない。
いや、あまりの情報量の多さで、サキの耳は親友からの問いかけを全て雑音として拒否してしまっていた。
「河上、驚いているところ悪いけど、お前は後で来い。残りは自習」
そんな中で不思議と聞こえるのが、担任の声である。
実を言えば、サキは”ワールド・シェパード”社の契約社員として二足の草鞋を履いていることについて、担任はおろかクラスメートも知っている。
だから、会社の仕事が入れば、早退や公欠が認められる。
だが、
「ブルース先生、ロックもサキと一緒に来てくれ」
二人と同伴というのが告げられると、クラスの中で爆弾を放り込んだように騒ぎが大きくなった。
サキは更なる混乱に言葉を失う。
だが、喧噪に対してなすすべなく、サキは担任に促され、教室を後にした。
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