草の根―①―
4月11日 午後2:35 広島県 広島市内 メイプルリーフホテル 会議室
尾咲 一郎の心の中、嬉しさと恐ろしさが同居していた。
並列された机――スクール型――の会議室の真ん前に座っているからか。
周囲にいるものたちが、尾咲にとって馴染みのない者ばかりなのか。
どちらも正しいが、彼の目の前にいる人物の存在が大きいだろう。
薄い茶色の着流しに、同色の羽織を覆う老紳士。
好々爺に見えるが、目の奥には鋭い煌きを帯びている。
その輝きは、緊張を隠し切れない小太りの尾咲を綺麗に映していた。
「とうとう彼がこの地に現れました、皆さん」
暗がりの会議室に響く、好々爺の穏やかな声。
彼の声を合図に、尾咲の周りで静かな歓声が広がる。
尾咲の前には、大きく広がる映写幕に紅い外套の少年が映っていた。
紅き外套の守護者。
カナダでのウィッカー・マンの絡んだ事件――俗にいう、“バンクーバー・コネクション”――を解決に導いたとされる少年。
「彼の力こそ、混沌に満ちた国際情勢の中で我が国が発展するために必要なのです!」
凛とした女性の声が響く。
「反日勢力に渡してはならない!!」
「天之御中主神の使いを我が手に!!」
怒号が響く中、尾咲は委縮していった。
暗がりの視線が彼に集中していたために。
――どうしろってんだよ!?
額から流れる汗を、尾咲は寒椿柄のハンカチで拭きながら、
「まあ、そんなにビビりなさんな、大将?」
尾咲は、背中に衝撃を覚える。
左手で叩かれた感覚に咽ながら、尾咲は右隣りに顔を向ける。
椅子に背を預け、深く座りながらふんぞり返る男。
白人で筋骨隆々。
背は180cmくらいだろうか。
赤毛と同色の髭に包まれた顎と、首を覆うほどのガウンに覆われたジャケットを羽織っていた。
名前は、ダグラス=スコット=クレイ。
それが、男の名で声には自信と余裕が満ちていたが、
「ダグ、それは、そうですけど……あなたの弟さんと、もう一人が――」
左隣りから金属が木製机を叩き割らんとする音が、尾咲の声を遮る。
彼の目の前には、白い金属性の細い造形物。
造形物――尾咲は、それが足の形と判断できる――の鏡面に映る尾咲を無骨に乱反射させていた。
「だから、あいつ等に倍返しするために、オーツが今向かってんでしょ?」
尾咲の左隣に座っていた白人の女が答える。
彼女の名をエヴァンスと、尾咲は聞いていた。
顔の凹凸がしっかり美貌の証として刻まれている。
白い帽子と衣服に身を包まれたエヴァンスの顔は、おろか身体にも無駄な脂肪がない。
しかし、尾咲の目を一際引いたのは、彼女の両脚が銀色なところだろう。
「いっちゃん、私たち、“スコット決死隊”が付いているから、大丈夫よ~」
場違いな声色の二人に、周りがどよめきつつあるが、
「その通りです。尾咲さん、あなたには味方がいるし、将来も約束されています。そのために、我々も全面的にサポートします」
茶色に覆われた老紳士が、笑顔で尾咲の懸念を払う。
暗がりの講堂にいつの間にか光が宿り、茶色の老紳士以外の人物も照らした。
細い鷲鼻の老人と恰幅の良い背広の男性の二人と目が合い、会釈を軽く交わす。
鷲鼻は洞田貫 剛介。
元広島県議会議員にして、“大和保存会”の資金援助者である。
恰幅の良い方は、その息子の洞田貫 剛一。
父の地盤と看板とカバンを得た、広島県議会議員で右寄りだった。
また、親子は日本の選挙において必要な票田である、医師団体にも顔の利く男だ。
「その通りです。微力ながら、広島県知事選の立候補のサポートをさせていただきます」
その声に、尾咲は安心感と同様に恐怖も覚えていた。
「広島県の保守は、あなたの味方です」
「“政治をまともにしたい市民の会”、我々“大和保存会”もあなたの悲願の達成を願っていますよ」
親と子が口々に言うが、
――どの口が言うか!!
日本最大の右翼団体、“大和保存会”。
その目的は、憲法改正と自衛隊を軍隊と定義したい現首相との距離が一番近い。
しかし、尾咲は彼らの態度が不安だった。
「菅原さんに加え、胴田貫さんまで……我々にとって、そこまでの支援を得られるのは身にあまり、大変光栄です……」
菅原と言われた茶色の着流しの好々爺に、内外の震えを隠しながら、小さく頭を垂れる尾咲。
元々、尾咲の団体も右寄りだった。
しかし、移民反対を訴え、自国のアイデンティティを主張し過ぎるがあまり、外国人への憎悪表現や人権否定の酷さに現首相から明確に拒絶された。
加えて、訴訟に次ぐ訴訟で、講演で借りる貸しオフィスへ払う資金にも首が回らない。
しかも、現首相を支持する“大和保存会”からも距離を置かれている始末だった。
蛇蝎のごとく嫌われていたが、
「そのための力もあります。どうか、不安に思われないでください」
菅原の笑顔に呼応するように、演台に上る20代の男女。
特筆した魅力はないが、それぞれ羊の頭蓋骨を纏う銀の円環が男女の両腕に一対ずつつけられていた。
着流しの老人――菅原――は笑顔で、
「武器もあります、あちらも備えているので、こちらも備えなければなりません」
その言葉に、尾咲は身が縮こまる思いをした。
資金、講演場所や資料の提供など枚挙に暇がない。
それに加えて、
「反日勢力も力を付けています。クレイさんたちに加え、洞田貫さんたちのサポートも得られれば鬼に金棒ですよ、会長!!」
そう言って、若い女性に声をかけられた。
歳は20代終盤だろうか。
両肩にかかるほどの髪は黒色。
若干、吊り上がった扁桃型の眼が凛とした空気を醸し出す。
鍛冶 美幸。
“政治をまともにしたい市民の会”の広島支部長の女性である。
尾咲としては鍛冶に言われた通り“会長”だが、外から見ると鍛冶の方をそうと受け取りかねない印象がある。
彼女の勢いに、尾咲は言葉を失った。
広島県のフィクサーとして知られている洞田貫親子の派閥は、民自党はおろか“大和保存会”の支援者だ。
しかも、中国地方の大都市である広島は、瀬戸内海と中国山地という自然に囲まれている。
世界史でのシチリアと同様、豊富な自然に囲まれた場所は、東京都と同様の重要な政治の重要拠点でもあった。
しかし、彼らはロハで支援をするわけではない。
「承知しています。紅き外套の守護者と交渉し、それと同時に蜂須賀氏の確保も確約します!」
そのために、尾咲は“政治をまともにしたい市民の会”を動員しなければならない。
そう、彼らを“反日勢力”に渡されてはならない。
特に電脳左翼どもには!!
「あなたたちの正義が正当に評価されるために、努力は惜しみません。広島市長選、いえ、県知事選も支援いたしましょう!!」
正しいことを訴えても、自分たちは蔑ろにされる。
その評価を覆せる自分たちの未来を考えれば、二の句は野暮と結論付けた。
「そうですね、戦っていきましょう!!」
尾咲の声が昂る。
大合唱が包み込んだ。
しかし、昂る感覚と反面、何かが堕落していく感覚を覚える。
それに加えて、
――パセリ、セージ、ローズマリーにタイム?
誰かの香水か、消臭剤の臭いが鼻に入ってきた。
尾咲は気のせいと考えて、その場の雰囲気に委ねた。
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