閃刃―⑤―
午後9時2分 ヘイスティング通りとバラード通りの交差点
――全く、何で今日に限ってこうなんだよ!?
ヤコボは、車で敷き詰められた通りに辟易していた。
「おい、ヤコボ……どうにかなんねぇのか!?」
後ろの茶髪の男が、怒鳴り上げる。
「ジョンさん……後ろ、目を覚ましますから……」
遮光眼鏡をシャツの胸ポケットにおさめた男が、青ざめながら宥める。
「ジョンさん、キムさん……無茶言わないでくれよ。”ウィッカー・マン”が出てきて、それどころじゃねぇんだよ……」
茶髪のジョン、遮光眼鏡のキムの悩みの種が、バックミラーから見える。
三人が乗る、韓国製のSUVは、三列座席の七人乗り。
その背後にいるのは、二人の女性。
ヤコボたちは、日本人だと聞いている。
一人はジャケットに白いワンピースに身を包み、もう一人はカーディガンを羽織っていた。
何れも、外の喧騒などお構いなしの熟睡である。
少し前に、ヤコボ達三人は、夜の街に繰り出していた。
そしてクラブで、二人の日本人に話を掛けた。
話題を盛り上げる手段には事欠かない。
まず、極東自体は余りに閉鎖的だ。
外圧ばかりの国からの解放感は、警戒感を緩める。
だが、解放感と警戒感の落差は、生き辛さを発芽させる。
生き辛さが鬱屈と重なり、吐き場所を求めて、同じ心の持ち主を求める。
そこで、ヤコボのまとめた日本語手帳――手書きの悪口メモ――の出番だ。
手書きなのは、変換機能入りの起動素子に文字を入れるのが、面倒だからである。
何事も手を動かす方が、意外と手間は掛からない。
語学学校には、現地の英語や自分の興味を追及する手段を学ぶ為に入学する。
だが、それが叶わないこともある。
資本主義は選択だが、選択したものに対する不満のはけ口も否定しない。
自己認識と現実の違いに悩む時、無意識の内に手段と目的が入れ替わる。
その狭間に立つ彼女たちは、ヤコボたちの最高の獲物だった。
彼らはそう言った女性に、役割を演じて近づく。
一人は、強引に話す側のキム。
もう一人は、女の子の気持ちを汲むふりをして日本語の悪口で同意しつつ、距離感を縮めるヤコボ。
しかし、二人だけでは、確実に逃げられる。
そこで、三人目の男、ジョンだ。
体力があってガタイのいい男は、そのやり取りを見守る第三者だ。
カナダは性犯罪に厳格だ。
男たちが戸惑う女性に言い寄る姿を見て、用心棒か警察を呼びかねない。
その外部からの排除を担うのが、ジョンだった。
基本的に、彼も語学学校に通いながら、遊べる程度の金がある。
火遊びを嗜む過程で、荒事に発展すれば、殴るか騒げばいい。
無論、相手が不利になる様に演技をして、出るところへ出ることの威圧も忘れない。
ヤコボがある時観ていた、古典的日本映画の的屋の商売を真似たものだ。
勘のいい奴がいれば気付くだろうが、そもそもワーホリは“休暇制度“。
祖国の文化に疲れて、自国文化に関する教養も無いまま、海外に来たものが多い。
機智に溢れた制度利用者が、いる筈もない。
三人は宴が酣となった時に、こっそり用意した特性混合酒を忍ばせ、相手に呑ませる。
意識を朦朧とさせ、ヤコボの父の用意した家へ運べば良い。
だが、今回はそう上手くいかなかった。
「ヤコボ……”ウィッカー・マン”は、市内に出ないんじゃなかったのか!?」
その中の年長である、ジョンの怒号のトーンが上がる。
怒号を躱していると、ヤコボは端末の振動に注意が向いた。
――なんか、来ていたけど……。
日本の女性を口説くための悪口帳の作成で、英語の内容を理解するのに時間がかかる。
「ジョンさん、だから、目が覚めちまいます……ヤコボ、お前の職場、安全なルートは無いのか?」
キムが最年長の男を宥めて、ヤコボに聞く。
静かな声だが威圧感を感じた。
「キムさん。安全なルートはそれこそ、”ワールド・シェパード社”と警察がいるんだよ」
ヤコボは嘆いた。
彼は留学用の査証で、オラクル語学学校に通っている。
“ハティ“内の連絡員としての職種を専攻しているので、前線に出ることは無い。
キムの言う様にそのルートを使えば、渋滞は緩和されるだろう。
しかし、それには問題がある。
「それに、そのルートは”ワールド・シェパード社”と警察の拠点に通じるから、こんな目的の為に使ったと言われたら――」
”ワールド・シェパード社”の中で車を使う社員は、もちろんいる。
作戦行動及び隊員の車両が、拠点に移動する為の道路が必要となる。
その為、作戦行動の範囲に指定された路地を走る一般車両を強制的に道路の脇に止めさせ、運転者を降車させることが出来る。
そうして交通規制された道路に、正当な理由もなく民間人を入れることは語学学校だけでなく、”ワールド・シェパード社”からも疑いを向けられるだろう。
事がバレれば、最悪、母国にいる財閥の父にも連絡が行き、大目玉を食らうことは必至だ。
それに加えて、
「俺たち、徴兵から逃れる為にカナダへ来ているから、このことが本国に知れたら――」
当然、電脳空間だけでなく公共空間でも、晒し物にされるだろう。
富裕層の徴兵制度逃れへの厳罰化は、世論の声として反映されつつある。
「喚くな! ヤコボ、キム……俺の親父がどうにかするから」
ジョンが後の席で怒鳴った。
ジョンは政治家を父に持つ。
ジョンの父の関わった財閥との黒い繋がりや、彼自身の起こした暴力事件への追及と徴兵義務から逃れる為にカナダに来た。
遮光眼鏡のキムの父は、経済振興に携わる高級官僚。
ヤコボの父も車の製造で知られる大手財閥で系列下の企業の長として、キムとジョンの父とも関わりを持っている。
当然、ヤコボとキムも徴兵義務だけはご免だった。
特に名家出身者に醜聞がある場合、格好の玩具にされ精神が壊れてしまうだろう。
そうならないために、“盗人にも三分の理“として三人は同士となる筈だった。
だが、親の力関係は相続されるらしく、ヤコボは二人の息子の汚れ役を負わされている。
――この車も、市場に回っていない奴なんだぞ。
ヤコボの父の会社が作ったSUVで、最高傑作の試作品と言われている。
韓国だけでなく、カナダも関わっているらしい。
採用された暁には、”ワールド・シェパード社”とも繋がりを築けるだろう。
その試験運転と祝いも兼ねて、ヤコボは、父から海の様に青いSUVを与えてくれた。
だが、二人に何時も享楽を提供しなければならない。
――ここで頑張っているのも俺。車を提供しているのも俺。それなのに、俺は何時もアイツらの“後“しか、女どもを楽しめない!!
ヤコボが、不満をぶちまけても、力関係を思い知らされるだけだろう。
しかも、本国の二年の軍の義務から逃れる為に、市民権を得られず、留学査証を延長するばかりだ。
もっとも、三十歳まで粘れれば良いが最近は厳しくなっているので、ヘマをすれば最悪の結末となる。
ヤコボの父にとって、仕事と私事は一列上にあるらしく、何かが起きれば勘当しかない。
――毒を食らわば皿までだ!
車が動き出したので、アクセルを踏もうとしたが出来なかった。
「ヤコボ、どうした!?」
「吹かせろよ、車を!」
ジョンとキムに急かされるが、ヤコボは答えられなかった。
「君たち、車を貸してくれ!」
銀色の装甲を纏った、長髪の日本人が、前に飛び出して来たからだ。
「ハシモト隊長……」
ヤコボの言葉に、ジョンとキムの息を呑む声が聞こえた。
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