刃夜―⑩―
午後8時32分 グランヴィル通り
イェール・タウン内のアパートメント
20階の高層住宅のベランダから見える紅。
季節を選ばず咲く薔薇か、春の陽気を待つ日除け傘か。
少なくとも、何れにも自分が括られることはない。
窓から自分を迎える、沼の様な眼の女は、よく分かっていた。
「今、このような場所に来られても困ります」
犬耳の黒兜を脱いだ、白の装甲の女。
口から出た拒絶の言葉とは裏腹に、室内光と夜の闇により、能面の様な顔から“笑顔“を浮かべる。
「お隣に見つかったらどうするのですか……?」
サロメに向け、悪戯を仕掛けた子供の様な顔を浮かべるカラスマ。
光の角度で変わる顔の眼に映る、赤い唾帽子と乳房の谷間が、胸に描かれたハートの窪みを描いたドレスを纏ったサロメ。
それが、紅いドレスの裾を靡かせながらベランダの手摺に立っていた。
「これから花火が上がり、街も踊り出す。それなのに……お仕事ですか?」
轟音と共に白煙が、コンドミニアムの森を超えた場所から上がる。
けたたましく警鐘音を鳴らした警察車両、救急車両に消防車両が、雨降る夜の静寂を切り裂いていった。
夜に合わない喧騒に、サロメは象牙眼を輝かせる笑みに満ちた顔を、カラスマに見せながら、
「サロメ……私の職業は、その対策を行う特等席に座ることですよ?」
カラスマの髪から洗髪料の匂いが、サロメの鼻を擽る。
薔薇ではなく、ラベンダーだった。
「それに、子持ちの私に。踊る時間はありません。見る方でも十分面白いですよ? それが仕事なら、猶更。享楽として、お酒が飲めないのが残念ですけどね」
見上げて言うカラスマの眼で、サロメは石榴色の唇を吊り上げた。
「特等席で仕事をしたいが為に、私と手を組む……刹那的ではありますが、中々面白い趣向です」
「刹那的ではないわ、サロメ。母親にとって子供は……自分の痛さで産んだものは掛け替えのないものなの。その子が安心して暮らせるなら、何でもするわ?」
カラスマの沼の眼の煌きが捉えたのは、サロメの同伴者。
四本足の“クァトロ“が、二体。
象牙眼の魔女の後ろに聳え立つ、コンドミニアムの塔の頂点で佇んでいた。
人類の敵を映すカラスマの眼に、恐怖による揺らぎは見当たらない。
「誰もがひれ伏す大いなる力を、子供の為に使う……。子供は未来の宝ですから」
「だから、”ブライトン・ロック社”、”ワールド・シェパード社”も争わせる。泥沼になれば、動員する戦士を組織は増やさざるを得ない。育成機関としての儲けも得られ、前線にも出られる」
サロメの石榴色の弧月の弧が、笑みで大きく広がる。
「それに、人が集まるなら土地も必要だわ。投資移民たちへ売ることも出来、産業も潤うわ。薬や売春に苦しみ、教養や言葉が分からない人たちも、”ウィッカー・マン”が掃除してくれ、教育水準も上がる」
サロメは、夜の気に当てられたカラスマと言う淑女を見る。
彼女がカラスマと出会ったのは、四年前のバンクーバー。
亭主の配偶者暴力から、子供と共に逃げていたのを見かけた。
彼女に惹かれるものを感じたサロメは、匿うことにした。
心に逡巡する何かを見定める為だったが、カラスマから語られる過去にサロメは興味を引いた。
日本の何処かの町で、物心がつき始めた時にカラスマの父親は失踪。
母子家庭相応の苦難が降りかかるが、彼女たちは乗り越えた。
乗り切ったカラスマから、サロメは根拠のない楽観論を感じた。
カラスマ曰く、母親譲りのモノらしい。
カラスマの母親から受け継いだ気質による向上心で、日本の義務教育を通して数値化されるものは、全て右肩上がり。
高等教育への切符も手にし、カラスマは海外にも当然、目を向けた。
母親が生みの親以前に、付き合っていた男性との思い出の場所と聞かされた地――バンクーバー。
労働休暇により、語学と労働の両立に成功したカラスマは、海外展開を視野に入れている日本企業への就職を目指した。
母親の背を見ていたが、彼女が海外で暮らすことは出来ないことを、よく分からないがカラスマは理解していた。
母親が生きている時に、その答えを得ることは叶わなかったが、カラスマが高等教育の時で得た知識を活かすことが出来、海外展開を行っている日本企業を探した。
その甲斐あって、ある日本商社のバンクーバー支店に就職が決まる。
しかし、異国での日本人との関わりが、カラスマの運命を狂わせた。
“欲求不満が服を着飾った“とも言える、駐在員の妻の面倒に追われ、知ったかぶりの日本語英語を扱う本社の社員に挟まれながらも、商取引の慣習の違いをすり合わせる日々。
英語圏に来た日本人の傍若無人さに、カラスマは消耗していった。
仕事ではなく、むしろ「大きい子供たち」のお守り。
それに耐えられなくなったカラスマは、学生時代に制限していたバンクーバーでの活動範囲を広げて“自分を探した”。
留学時代なら避けていた、“夜遊び“や“黒に近い灰色”の行為にも染め始める。
自分探しの一環で、現地人しか行かない酒場で見つけたのが、夫となる人物だった。
彼は聞き役に徹し、彼女は精一杯吐き出した。
だが、受容と寛容の違いが分からなかったのが、彼女の人生の汚点となる。
その果ての“一夜限り“が、一生背負うものも決定づけた。
商社の仕事も寿退社とは程遠く、本社の指摘した自分の素行の悪さと彼女の雇用主への責任転嫁の水掛け論に終わる。
会社から離れ、享楽に耽る生活を通し、夫となった人物の刹那的で浪費家である一面が日を追うごとに明らかになってきた。
浪費家の間に生まれた子供との時間も、カラスマの精神を蝕んでいく。
また、夫の育児への責任感が大きく問われる気質持ちで、接し方の落差も激しい。
季節労働者で建築業界とは聞いていたが、絵に描いたような駄目男だとは思いもしなかった。
勢いのツケは、夫の刹那的な生き方によって膨れる債務と、育ちゆく子供に表れ始める。
サロメと出会ったのは、彼女の亭主の暴力が、カラスマだけでなく子供にも、牙を剥き始めた時だった。
サロメは、カラスマの商社時代の経歴に注目した。
語学に関しては、英語を第二外国語と教える教員資格、TESOL(Teaching English to Speakers of Other Language)を保有。
カラスマによると、日本の大学を休学し、初めてのカナダ留学で取ったらしい。
企業も投資をするのは、商品ばかりでなく人にも行う。
教育を通して、更に戦力となる人材を育み、売り上げに貢献させる必要があるからだ。
彼女の背景を活かす為に、サロメはカラスマを助けることにした。
カラスマの中に潜むものを見極めたいという好奇心も、大きかった。
浪費壁を持つ男は、カネにモノは愚か、女も同じように扱う。
サロメは色目を使い、カラスマの夫を油断させたところで殺した。
死体を隠したが、未だに見つかっていない。
それから、カラスマを語学学校校長に仕立て上げる。
語学学校に天啓と付けたのは、サロメでなくカラスマだった。
“ワールド・シェパード社”の教育も担当することで、同社の活動を支援と共に、戦力も把握できる。
土地は、その”ウィッカー・マン”対策で投資移民たちの機関投資家の管理する実態のない会社や協賛する団体に買い取らせれば良い。
その一つが“ベターデイズ”である。
”ウィッカー・マン”の襲来を受けた住居と土地の情報を取得。
高所得移民の管理する住居を建て、留学生とホストファミリーを滞在させ、金を循環させる経済圏。
”ウィッカー・マン”を倒そうが、それに倒されようが、金が途切れることは無い。
TPTP加盟国の、外資系企業を守ることで”ワールド・シェパード社”も活動範囲を広げることも可能だ。
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