刃夜―⑤―
午後8時17分 西ヘイスティング通り
『アメリカ政府が絡んでいるだと……全くあの国は、左右関係なく、物事をややこしくする』
エリザベスのぼやきが、ブルースの携帯通信端末の受話器から聞こえる。
ロックから数分前に送られた情報を見て、エリザベスからの着信がブルースの携帯通話端末に届いた。
「正確には、そこの軍産複合体が。”ワールド・シェパード社”や“ホステル“の対応にも追われているのに」
『使えるものは使うというが、“使った”後のことを全く考えないのがアイツ等らしい』
スピーカー越しからのエリザベスのオチに、ブルースは大きく笑った。
「使った後か、こっちも耳が痛いな……」
『耳よりも、今現在、頭の痛いことの対応を優先しろ。状況は?』
エリザベスに促されながら、頭痛の元凶を見つめる。
赤と青の光が、雨に覆われたビル街の一角で散乱。
二色の光の大本である、警察車両の警告灯はビルの中で一際突き出た、大槌の様な陰影を浮かべる。
ハーバーセンタービル。
円盤型の展望台は、360度回転するレストランで、西海岸の山々を楽しみながらの食事が出来、気象によっては、隣国も国境線なしで一望出来る場所だ。
90年代のITブームの象徴にして、地元の大学という二つの顔を持つ。
だが、それはあくまで、地表から見える一面に過ぎない。
目に見えない地下には、”ブライトン・ロック社”が資金援助をしている研究施設が人知れず存在していた。
企業で研究を行う場合、どうしても利益が優先となる。
必然的に、そう言った方向に舵が取られるので、”ウィッカー・マン”の解明というよりは、“殲滅“が主軸となり、殲滅方法を巡った営利競争が起きてしまう。
純粋に利害を超え、未来に向けた建設的な研究が出来る大学に”ブライトン・ロック社”は研究の許可を出しているのだ。
しかし、やることは”ウィッカー・マン”の残骸の分析やUNTOLD関係で亡くなった者の検視に限られていたが。
今回の出来事で命を落としたキャニス、首無し騎士に入っていた男も、その場所に保管されている。
ブルースが、仲間のキャニスの遺体の対応について、協議をしようと施設へ連絡したが通じなかった。
その後、ナオトから『ハーバーセンタービルで話したいことがある』という連絡を受ける。
ブルースは、警察の赤と青の警告灯で彩られた、ハーバーセンタービルの花祭を眺めるに至っていた。
「結論から言うと、何かあるか何もないかと言われれば、前者と考えた方が良い」
警察官との話を終えたナオトが、雨の下、ブルースに向かって来る。
右手の携帯通信端末を、銀色の鎧を纏う”ワールド・シェパード社”の専務に渡すと、
「そちらの研究員の親類が、連絡のつかないことを不審に思って、関係者同士の連絡を取り合ったら――」
ナオトが受話器越しに、エリザベスに状況を話し始めた。
短文投稿サイトの様なSNSなど媒体を問わず、職場の情報を公開してはいけないことは、情報管理として当然、徹底させている。
だが、人間関係まではそうはいかない。
労務管理がある以上、生活基盤は無視できないからだ。
ナオトから携帯通信端末を返され、
『人の口に戸は建てられない。結婚や交際の自由も……仕事に支障が無い限り、否定できんからな』
端末の向こうでエリザベスが鼻を鳴らすと、ブルースは端末を切る断りを入れた。
隣のナオトともに、警察官の集まる場所へ向かう。
背広の上に市警のマークの入ったジャケットを纏った男性が、ブルース達を出迎えた。
「ナオトさん、ブルース=バルトさん。レイナーズと言います。ミシェル=ジョアン=レイナーズ。警部です」
「ブルースで良い。レイナーズ警部」
右手で握手を交わし、レイナーズが戸惑いながら、
「ナオトさん。この方が……」
「鍵を開けてくれる人物だ」
ナオトに紹介されたブルースは警部に向かって、愛嬌の瞬きを見せた。
「多様性の範囲は、鍵の選択も例外ではありません」
レイナーズは、ブルース達を見て大きく笑う。
雨に濡れた焦げ茶色の髪が、ビルのネオンと警告灯の明かりで映えていた。
体は、自分とナオトの中間位の背であるが、現場を活動するに足るガタイの良さが、自分と知り合いの東洋人に比べて引き立っている。
「鍵の選択として、自分を認めてくれたことに感謝する。レイナーズ警部」
ブルースも、笑顔で返した。
警察が、得体も知れない海外の勢力と共に、”ウィッカー・マン”と戦うことに拒否感を示す者は多い。
だが、何人かは、”ワールド・シェパード社”との協力関係が欠かせないことも理解していた。
レイナーズ警部は、”ワールド・シェパード社”内の少数派であるナオトを選んだ様だが、ブルースの視線に気づいて、
「あくまで、街を守るための選択肢です。最善と言われるものを取るか、引き出すための」
「それで、十分だ。応援は――」
「必要なし。ナオトさんとブルースさんが、事態を確認してから、ですね」
そのあとに続く言葉をレイナーズに言われ、ブルースは面食らった。
「必要事項の確認はある程度済ませているよ、ブルース。問題は……」
「暗証番号を知っているか、だけです。知らなかったら、後ろに手を回して這いつかせ、取調室で行政機関ブレンドの珈琲責めに合わせます」
レイナーズの皮肉に、ブルースは肩を竦めて、ハーバーセンターの入口へ向かう。
ハーバーセンタービルのドアを開けると、大学内の図書館がブルース達三人を出迎えた。
「図書館ですか……?」
夜の帳が降りる午後5時に閉まる為か、教育機関に通う者達の醸し出す、独特の喧騒は無い。
「人の活動を律し、意思を決定づけるのは、何時だって言葉と文字と本だ」
ブルースは鍵を、胡乱な顔と神妙な顔もちをしているレイナーズとナオトの前で開けた。
扉を開けて、静寂に包まれた図書館を進み、ブルースはルネッサンス期の文学の本棚に止まる。
ブルースが取り出した本を見たナオトは、
「ダンテの“神曲”……ブルース、それ好きなんだ」
「家内が好きです。イタリア関係の文学……特に、ルネッサンス期は煩いですよ?」
ナオトは大学時代、レイナーズは新婚旅行という、それぞれのイタリア旅行の話を背に、ブルースは“神曲”のページを開く。
そのページは、地獄篇の“第三歌“。
憂いの国に行かんとするものはわれを潜れ
永劫の呵責に遭わんとするものはわれをくぐれ
破滅の人に伍せんとするものはわれをくぐれ
正義は高き主を動かし、
神威は、最上智は、
原初の愛は、われを作る。
我前に創られし物なし、
ただ無窮あり、われは無窮に続くものなり。
われを過ぎんとする物は、一切の望みをすてよ
ブルースが暗唱し終えると、機械音が響いた。
目の前の本棚が、振動し、左へ滑る。
本棚のあった場所には、鉄の扉。
ナオトとレイナーズが息を呑んでいるのを横目に、ブルースは鉄の扉を開けた。
奥には、更に同じ素材の扉がもう一つ佇む。
ブルースは、その隣にあった液晶受視機台の鍵盤を叩いて出た画面を一瞥して、
「レイナーズ警部。人が出入りをした場合、ここのコンピューターから記録が発信され、関係者に送られる。つまり俺たちに。しかし、俺たちは出た記録を受け取っていない」
ブルースの言葉に、口を開いて呆けていたレイナーズの顔に緊張が走った。
「わかりました。応援を呼び、外で待機させます」
携帯無線を掴んだ、焦げ茶髪の警部は、その場を後にする。
「死んでいるということか?」
「ああ、全員な」
ナオトの言葉に、ブルースは短く答える。
“UNTOLD“に目を付けられた者は生きられない。
先程のナオトとレイナーズの会話で出たテーマではないが、地獄巡りの入口のドアノブを、ブルースは握った。
「安心してくれ、ドアは普通に開けられる」
「安心していいのかな……そこ?」
ブルースの言葉に、背後のナオトは溜息と共に応える。
我ながら、ダンテにちなんで言うが、ナオトは愚か、ブルースの内心も笑っていない。
何故なら、二人を出迎えたのが白い冷気だったからだ。
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