狂宴ー⑮ー
「アンタも“リア・ファイル“を使っているなら……」
ライラの眼に煌きが戻った。
その眼に作為は無いが、サキを守るための殺意が宿っている。
ロックの周囲で巻き上がった瓦礫の中で、スパンコールのような煌きが混じった。
――まさか、フォトニック結晶を極小のレベルで砕いていたのか!?
息を呑んだロックの視線に、ガレアの女戦士の眼光がぶつかる。
「ヴァージニア……!!」
声を出した時には、サキの周囲に光が煌き始める。
無数の粒子からの光の刃が、ロックの背後を抉った。
灼熱が体幹から続けて全身を蝕み、脳から激痛が全身に伝わる。
激痛は痛覚を麻痺させ、ロックの脳は重力に落ちる感覚しか感じえなかった。
重力の軛から解放され、足が頭と反転。
頭から海に落ちていく。
その上には、サキを守る二体の守護者。
彼女たちは、落ちていくロックを見下ろす。
「サキに危害を加えないとか言いながら、殴りまくってバカみたい!」
「でも……あの人の力。何かが……」
別々の反応を示す二人の守護者が、グランヴィル・アイランドのヨット乗り場に降り立つのが、ロックに見えた。
ライラの敵意は、ロックという命に係わる、お節介焼きを退けた優越感で作った蔑みの眼差しに染まっている。
眼差しに映るロックは自分を、天から落ちてきた天使の姿へ不意に重ねた。
しかし、ヴァージニアは現状に疑問を持ちながらも、ロックのことは既にないかのように話している。
二人の対話が遠ざかるにつれ、ロックの内で、
『貴方は常に手が届かない。今もこれからも。そして、未来永劫ね!!』
サロメの呪詛が、パイプオルガンの演奏の様に響きあう。
雨の音が聞こえなくなるほど、その声が大きくなり、力が入らなくなった。
手の力が失われたまま、“ブラック・クイーン“が離れようとした時、二体の守護者に引き連れられたサキの姿が映る。
ロックが苦し紛れに見たサキの横顔。
何も分からず、寝ているかのようで、その均整な横顔は先の行事のために作られたものを思わせる。
だが、そこに似合わないものがロックの心を掴んだ。
彼女の頬を伝う雨粒。
それが、涙の様に見えた。
それに気づかない幻の守護者。
虚像を滴る雨粒が、その体に波紋と小さな花火を作りながら地に還っている。
ただ、サキは見ず、ロックに目を据える。
ロックの視線が、二対のそれと交錯し、目の裏に光が宿る。
光は像を作り、人を描き世界の断片を描き出した。
断片の中にいるのは、三人。
一人は、光と血に染まりながらもロックを抱きしめる少女。
一人の少女の背後には、二つの影。
影には、象牙色の星が二つと紅い石榴の三日月が一つ。
そして、もう一人の顔も、影の上半分が割れ、吊り上げた笑みを浮かべていた。
海面を打ち破り、水が弾けるが、その音はロックの耳に届かない。
水の冷たさも感じなかった。
ただ、大きな律動が、彼に伝わる全ての感覚を消し飛ばす。
彼の中を流れるのは、高炉で溶かされた銑鉄か、地脈を巡る溶岩か。
はたまた、自らの血の脈動そのものか。
目の前を雨と共に落ちる、“ブラック・クイーン“を見て、一際大きくなった鼓動が思考を遮断。
紅黒い光が、ロックの体から一斉に噴き出た。
ロックの頭の中の思考は、血色に染まり、激痛がのたうち回る。
――止めろ……!?
彼の頭に、かつて赤黒く膨れ上がった自分自身が過る。
ダンディーで、失った悲しみと共に上げた咆哮で、血に染め上げた路地。
ただ、破壊を行う自分の為に涙を流した少女。
――あの時……とは、違う!!
ロックは、過去を振り払う様に、右腕を突き出した。
海中を漂うブラック・クイーンを手に取り、血の色の光に包まれる。
ロックの周囲を、血色の光が水の壁を築いた。
壁はブラック・クイーンの籠状護拳を中心に、水の渦を巻きあげている。
中心に力を感じ、熱と電気がロックの全身を駆け巡る。
彼の体から電子が励起、ブラック・クイーンを左から右へ振り上げた。
水飛沫と電流の奔流が、フォルス川で紅と黒の爆発を打ち上げる。
ライラとヴァージニアは、その爆心地にいるロックに茫然とした。
ロックは、茫然とする彼女たちの二対の目に焼き付けた、自らの会心の笑みを見る。
二人の守護者の目に映るのは、紅黒い竜巻とその中にいるロックと、彼を囲む沸騰し切った水だった。
水の沸点は摂氏百度だが、海水の沸点は、それよりも高い。
ライデンフロスト現象の様に破裂せず、熱力を長く維持し、その形を保つことを可能にするのだ。
熱力量は、ロックの体を浮かせる推進力を与える。
荒れ狂う海がロックを守る様に覆い、聖書の海獣の様な咆哮を上げながら、赤黒い竜巻が突き進んだ。
巻き上げられた波が、サキの守護者の眼の中で、赤黒い龍の体を作る。
ヴァージニアの鏃が、ロックのいる赤黒龍の咢めがけて放たれた。
だが、届く前に、灼熱の波風に遮られる。
ライラの剣が、ヴァージニアの前に出て、ロックを突き刺さんと伸ばした。
しかし、光の刃が海の熱力によって消える。
だが、サキに近づけさせんと、体全てを張ってロックに突っ込んできた。
刹那、ロックは、渦の中で一回転。
その海の渦が、大きくなるや否や、赤黒い胴体をのたうたせる。
グランヴィル・アイランドの近くで停泊しているヨットを壊しながら、サキの”命熱波”の守護者に迫った。
紅黒い龍の胴体の鞭を、ヴァージニアが受ける。
攻撃を防ぐ為に出したフォトニック結晶が、光を散らして砕かれた。
ライラも加勢するが、その身を削られていく。
ロックはそれを見て、力を加える。
渦が三人を巻き込みながら、グランヴィル・アイランドのパブリック・マーケットを進んでいく。
赤黒い竜巻が、魚をまき散らし、美術館の絵画や彫刻もそのあとに続いた。
ロックを纏う海水が、剣を覆う。
そして、紅黒い海竜の尾の一撃として、守護者たちに放たれる。
力が可視化され、電気熱量が血の様に四散した。
ライラはジャケットと剣、ヴァージニアはガレアと胸部装甲を剥がされ、力の奔流による爆発に巻き込まれる。
光に変わり、ロックの前に広がった。
光の中で力を失い、生まれたままの姿を晒しながら消えていく二人の守護者。
その中の一人、ヴァージニアと目が合う。
「まさか……あなた。いや、これは――!」
鎧が弾け飛び肌を露わにした、弓使いの守護者の叫びが消える。
ヴァージニアが消え、サキの前に現れる光。
光がロックの前で爆発し、視界と言葉が閃光に覆われた。
※※※
雨天からの雫に頬を打たれて、ロックは目覚めた。
そう気づいた時、彼の背中に激痛が走る。
微かに鼻腔を擽る鉄と肉の焦げた匂いに、顔を顰めながら目を開ける。
だが、全身を駆け抜ける激痛で、瞼は半開きに終わった。
その代わり、右の頬と腹が濡れていることに気付く。
雨音と共に駆け付ける、ブルースの足音が響く。
彼の眼に映る、俯せて居る紅い外套を纏ったロック自身。
何かを言っているようだが、聞こえない。
激痛が感覚の全てを支配されている間に、ブルースに仰向けにさせられた。
転がる視点の先に、サキがいた。
彼女はエリザベスによって、抱えられている。
制服が雨に濡れ、肌が浮いてきたので、エリザベスはジャケットを被せていた。
だがロックは、そんな二人に目を見開いた。
エリザベスがサキを抱えている背後にいる、一人の女の存在。
二人を見下ろした彼女の顔が、弧を浮かべる。
つまり、笑顔。
まるで、雨と夜の帳に浮かぶ下弦の月。
弧月が、サキの体に向けて近づくと消える。
ロックは、光の中でヴァージニアの途切れた言葉の先が、頭の中で反響した。
『これは、彼女の罠よ!!』
弧なる嘲笑を浮かべた女の影に、ロックの意識が暗転する。
雨に冷えた体に伝う冷気と、頬に伝う涙の温かさを感じながら。
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