落とし前―⑩―
悪意のこもった声が、駅前広場のどこから来たのかはわからない。
堀川にとって、それは些末なことだった。
「若いよね……あんたら、だから抜けたとか……じゃないの?」
今度の声は女だった。
年配の声なのはわかる。
羨望の一言だが、その中に含まれる蔑みの毒が堀川の心を巡った。
「“政声隊”のお嬢ちゃんも、大層なことを言うけど……好みはフツーなんだな」
若い男の声が聞こえた。
“政市会”側としての一言だろう。
しかし、その内容は反論すら馬鹿らしくなる程、下卑たものだった。
「“政市会”のお坊ちゃんも……愛国とか色々言うから、『黒髪清楚な大和撫子が好きです!!』とか言うかと思ったら、割と地味な芋顔よね……」
“政声隊”からの声も聞こえる。
その悪意は、堀川に向けたものだろう。
だが、悪意の刃の光は胸元で涙を濡らす少女も晒していた。
「まあ、年頃だから、彼女もヤってるってことは、意外と積極的なんだな!!」
「失礼なこと言わないでよ……まだ、してることも言ってないでしょ!!」
周りから聞こえた言葉に堀川は、秋津に目を向ける。
彼女は彼の胸に顔を埋めたまま、何も言わない。
しかし、彼女から伝わる温もり。
その温度が下がっていくのが、わかった。
「でも、抱き合ってるってことは、することはしてんじゃね!?」
政治の信条による違いは関係なかった。
ただ、堀川と秋津に注がれる、下世話というよりは、破廉恥な視線。
それが、大きな悪意の渦として、駅前広場を包み込んだ。
「これでわかったよ……女の子を頭に据えて、要求を通す“政声隊”の甘ったれた魂胆がな!!」
堀川は自分たちを囲う、活動家集団からの一言に耳を疑った。
「何言ってんだよ……こんな、純朴な男の子を排外主義に染めた“政市会”が、ヌかしてんじゃねぇよ!!」
――何を言っているんだ……コイツラ……。
堀川の中で、声を発したのが何処の誰かは知る由もない。
いや、出所を割り出すことすら馬鹿らしい。
秋津の身体から伝わる冷える感覚。
それを感じるたびに、堀川の心の溶鉱炉は爆発せん勢いで、その温度を上昇させていた。
「……それ以前に、こいつら分かってねぇんだよな……“平和”ってのが」
「レイシストや排外主義は染まったら、変えることは出来ないんだよ!!」
「だから、戦うしかねぇんだよ!!」
“政声隊”と思しき者たちの怒号が響き渡る。
「そういうお前らも、お花畑なんだよ!!」
「日本のことや文化を全く考えない、自分勝手に言うから、この国が危機なんだよ!!」
「つうか、テメェ等が外国の工作員を招いてるから立ち上がるんだよ!!」
“政市会”も“正義”と言う名の罵倒で迎え撃つ。
自分たちを囲いながら、正義の押し付け合い。
堀川は今すぐにでも、自分たちを舐め回す様に見つめる者たちを、手当たり次第に殴りつけたい衝動に駆られていた。
しかし、堀川はそれを敢えてしない。
ただ、自分の両腕で抱きしめる少女。
彼女がその様なことを望まない。
それが、分かっているから。
再び、眼から流れる熱いもの。
それに従うままに、堀川は秋津 澄香と言う少女を強く抱きしめた。
「おいおい、こいつら泣いてんじゃん?」
「こんなシンプルな事実の前に泣くか、フツー?」
言い争いをしていた両陣営。
彼らが、再び堀川たちに目を向けた。
「子どもは、何も考えずに大人に従ってりゃ良いんだよ!!」
集団の罵声の一つが、堀川の心を抉る。
その返し刃が秋津に達したのか、声にならない泣き声が聞こえた。
「正しくないのは、“政市会”なんだよ!! ヘイトスピーチをして、移民や少数派を追い回すような真似をしているから、敵なんだよ!!」
「この国を危機に陥れる外国と手を結び、税金をチューチューして、日本を危機に陥れようとするのが“政声隊”!! 敵は奴らだ!!」
周りの分断を煽る一言。
大きくなるたびに、秋津を包む腕の力を強くした。
ふと、堀川の胴が優しく包まれる。
堀川の力に応えるように、秋津も両腕で囲んだ。
ただ、離れないように。
互いが、悪意の渦に飲まれないように。
「こいつら、聞いてねぇな」
男の声が聞こえた。
悪意の渦から出てきた男は、どちらの陣営かはわからない。
そして、出て来たのは一人でもなかった。
「ガキは大人の言葉を聞いて頷きゃいいんだよ」
「俺が身体で叩き込んでやらな――」
堀川たちを未熟と見做す声が、唐突に途切れた。
一発の銃声が轟き、悪意の渦がざわつく。
やがて、悪意の渦の言葉は、二発の銃声に奪われた。
舌の根すらも、ぶち抜きかねない衝撃が、堀川たちを揺らし、迫る二人の男たちを吹っ飛ばした。
話す言葉はおろか、飲む息すらも奪われた悪意の渦。
その視線は、もはや堀川たちに向いていなかった。
「……あとは、任せろ」
風が吹くと共に、堀川と秋津に紡がれた一言。
“紅き外套の守護者”という二つ名を持つ少年――ロック=ハイロウズが、硝煙の途切れない、半自動装填式拳銃を右手に、堀川達の前に立つ。
彼が、革帯の束に引っ掛けた鞄から何かを取り出した。
それと、半自動装填式拳銃を重ねると、紅黒の剣が彼の手元に現れる。
翼を思わせる造形が、夜の闇に輝いていた。
「ありがとうな……こいつらの居場所の為に立ち上がってくれて」
苔色の外套を纏ったブルースという男。
彼の柔和な笑みを浮かべる眼に、泣きはらした堀川と秋津の顔が映っていた。
どこか、気の抜けたような顔と思っていると、ブルースはロックの向ける視線に合わせて、二丁の機関銃を取り出す。
それぞれの機関銃から、三日月を思わせる反った刃が出た。
「サミュエル、“政市会”と“政声隊”を散らせろ」
力強く、不純物の無い鉄のように響く声。
堀川の隣には、飴色のジャケットを着てポニーテールをした青年が応えるように立った。
「シャロンは飛び越えて、おっきく固まったやつらを引っ掻き回せ」
桃色の少女が、苔色の外套の青年に応えるように、前に躍り出た。
「スミちゃん……あいつら、泣かしてくるから!!」
シャロンが笑顔で、右腕で力こぶを作る。
「龍之助は、正面」
眼鏡を掛けた原田 龍之助が堀川の右隣を歩き、ブルースよりも前に出る。
強靭とも言える彼の背と同じくらいの矛槍を手に、頷いた。
「ロックとサキと一平は……」
ブルースが周囲を見渡すと、前髪を炎色に染めパーカーを着た斎藤 一平が、
「右だろうが左だろうが…」
炎の燻る手甲の両拳を叩きながら、
「掛ってくる奴を……」
翼剣とも言える武器を逆手に持ったロックが継ぎ、
「ぶっ飛ばす!!」
河上 サキが、機関銃と大きな片刃が一体となった武器を右手に、声高に宣言する。
そんなロック達の背を見る堀川。
彼らを背に、一陣の風が吹く。
旋毛風が、彼らを覆う悪意に満ちた渦を大きく乱した。
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