歯車は嚙み合う―⑩―
ダグラスの心身の熱さは冷めなかった。
むしろ、留まることを知らなかった。
“スパイニー”に出し抜かれたからではない。
深手を負ったからでもない。
かといって、炎に囲まれたガレージの熱を帯びているからでもない。
ただ、中途半端な政声隊との戦いに見舞われた日々。
退屈していたこと。
ロック=“スパイニー・ノーマン”=ハイロウズに、その心の内を見抜いてくれたこと。
それが、ダグラス=スコット=クレイが歓喜していた理由だ。
――足りない、足りない、足りない!!
退屈に殺されそうだったダグラスを満たしてくれる戦いが。
しかし、“スパイニー”という獲物との楽しみを目の前の牛男に奪われた。
その怒りはある。
しかし、彼と味わうはずだった熱い戦いの時間。
それと同じ質をもたらしてくれるなら、牛男だろうが誰だろうが構わなかった。
「おいおい、前菜を逃して、肌晒す粗相をしてんじゃねぇよ?」
ダグラスの渇望が、不思議とその声によって徐々に静まっていく。
目の前の“牛男”の擬獣も、視線を声の主に目を向けた。
声の主は、ポンチョを纏った細い男。
ぞんざいな口調の割に、仮面舞踏会を思わせる笑顔をしていた。
その男の名を、ダグラスは口に出した。
「……“コロンバ”」
その名前は、牛男の目に映る“別の戦い”――エヴァンスと狼男――をも中断させた。
「お前の言う『血が滾るような戦いが欲しい』というのは、獣のごとく節操なく這いずり回ることか?」
今度は低い声が、エヴァンスと“狼男”の間を割る。
一糸まとわぬエヴァンスと狼男の間に立つのは、禿頭の男。
彼の顔は“コロンバ”と違い、罪人を震え上がらせる、地獄の入り口にそびえたつ怒り顔の石像を思わせる。
「テメェ、“ケンティガン”!! あの時の借りを返してやる!!」
エヴァンスと向かい合っていた人狼が、怒りを彫り込んだ禿頭の男に反応した。
今にも爪と牙を剥いて、飛び掛かろうとするが、
「ライト、バイス、下がれ」
声と共に、狼男と牛男の二人が声の主に反応。
声の主の両側に、並ぶ。
狼男と牛男の間に立つのは、深秋を彩る広葉樹の様な赤毛の男。
「“パトリキウス”……ペットの躾の良さには、恐れ入るぜ……その秘訣を教えてもらいたいものだ」
“コロンバ”がポンチョを揺らしながら笑う。
しかし、研がれ切った刀剣を思わせる眼が、赤毛の男――“パトリキウス”――からダグラスに向かった。
口で語るまでもなく、ダグラスはコロンバの横に素早く並ぶ。
それから、“コロンバ”からタオルを渡された。
バスタオルは胴を覆うには十分な大きさで、
「粗相したお嬢ちゃんにも、な」
コロンバに促されたダグラスは、肌を晒したエヴァンスにバスタオルを放り投げる。
エヴァンスは羞恥を覚えながら、バスタオルを受け取った。
彼女はタオルで胴を覆うと、“ケンティガン”の後ろに隠れる。
「……さて、どうするべきかな?」
貼り付けたような笑顔で“コロンバ”が言うが、
「去れ」
“パトリキウス”は二の句を継がずに言う。
その口調と視線に、会話を楽しもうとする意志はない。
「お前ら“ホステル”が、ここがどういう場所か分かっていて聞くなら――」
「わかってますよ、わかってますよ……上万作と伊那口の境界なんでしょ……“B.L.A.D.E.”地区で」
ダグラスの前の“コロンバ”はおどけながら、諳んじる。
「同時に言うと、“パトリキウス”君の率いる“ソカル”の縄張りで」
“パトリキウス”の隣の人狼――ライト――がコロンバに爪を向けるが、彼に制される。
“ソカル”。
スコットランド・ゲール語で、“凪”を意味する言葉だ。
同時に、“パトリキウス”を代表とする組織の名前である。
そんな、“赤毛の男”は“コロンバ”に鋭い視線を送った。
言葉次第では、剣を振れると言わんばかりの。
「そういえば、“ブリジット”は元気? 最近見てないから――」
「ほざけ、その理由はお前らが良く理解していることだろう?」
“パトリキウス”は、“コロンバ”の一言を切り捨てる。
「そうだよね……そっちでも、昏睡している人いるから大変だもんね」
“コロンバ”が言うと、“パトリキウス”は逃がさない。
「話を逸らすな。お前たち……何を起こそうとしている?」
“パトリキウス”の一言で、“コロンバ”と“ケンティガン”との間の空気の温度が下がる。
“ケンティガン”の背後にいる、エヴァンスもそれを感じ、震え上がっていた。
「昏睡者が目覚め始めている……封印が解かれ始めている。それで、お前ら“ホステル”による覚醒した昏睡者の殺害だ。何を狙っている?」
「……そりゃ、静かな日常を……」
「認めるか。それなら“政市会”は愚か“政声隊”も一掃すれば良いじゃないか……回りくどいのは、お前らしくない」
“パトリキウス”がコロンバを畳みかける。
そして、呼吸を入れ、
「俺の知っているお前なら、その愚連隊くずれもそのついでに掃除してるはずだ」
“パトリキウス”の視線が、ダグラスに向けられる。
ダグラスは、蛇に睨まれた蛙を、身を以て体感した。
隣のエヴァンスにいたっては、寒気と吐き気を覚えたのか蒼白になっている。
「まあ……あれだ、鋏と同じように、バカと約束は使いようがあるんだよ?」
“コロンバ”の人好きのする笑みで、“パトリキウス”は要領を得たのか、
「……ああ、“七聖人”への挑戦権。あの遊びを未だに興じているか」
ダグラスは心の内を晒されたように、身体から熱気の放出を覚えた。
「……“ホステル”の中で、お前や“サロメ”は興味がないから……大方、応じたのは“ケンティガン”で、挑んだのは、そこの“愚連隊崩れ“といったところか?」
“パトリキウス”の冷笑が、素肌に突き刺さる。
「断る理由がない」
「受ける理由もないだろう……こいつらが、ご執心する“ロック=ハイロウズ”の“首”辺りで引き受けたんだろう?」
“ケンティガン”は、鼻を鳴らし沈黙を守る。
“パトリキウス”は、禿頭の男の沈黙にため息を吐いて、
「どんな児戯を興じても良いが、ここで大騒ぎするのは止めてもらいたいものだ……静かに過ごしたいなら、な」
「分かってるよ……こっちも、地元の皆様のご協力を得ている身だからね……静かな方がちょうどいい」
“パトリキウス”は踵を返し、炎の壁に向けて歩く。
彼に従う、人狼のライト、人牛のバイスは彼に続いた。
ライトは、“ケンティガン”に前にやられたことを思い出したのか、彼への怨嗟を送って主の後を歩く。
「……おい、ぼさっと突っ立ってんじゃねぇよ?」
コロンバに言われて我に返る、ダグラス。
“ケンティガン”の後ろのエヴァンスも、コロンバに向く。
「こっちも宮仕えの身だ……次の準備をしないとな」
炎に包まれたガレージで輝く、コロンバの笑顔。
ダグラスは、彼の仮面舞踏会の笑顔から、地獄の悪魔のそれを連想した。
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