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2017年/短編まとめ

茶話:近道

作者: 文崎 美生

台所の戸棚を覗き込んだ鬼童(キドウ) 真珠(マシロ)は、ふむ、と息を吐いた。

その細く華奢な背中へ「お嬢さん」と呼び掛けられれば、長く珍しい白銀の髪を揺らして振り返る。

そこには割烹着を着込んだ年配の女が一人、不思議そうな顔をして真珠を見ていた。


「ああ、田中(タナカ)さん」

「何かお探しですか?」

「茶菓子を少しばかり」


ちょ、と右手の親指と人差し指で隙間を作った真珠に、鬼童家のお手伝いさんである田中さんが、あら、と声を上げた。

そうして「ちょっとお嬢さん、失礼しますね」その言葉と共に、真珠同様に戸棚を覗き込む。

あちらの棚もこちらの棚も、と思い当たる場所全て見てみたが、収穫はゼロだ。


「何もない、みたいですね。……これ」


後ろ手を組んでいた真珠は、田中さんの小皺の目立つ目元に剣呑な色を乗せたことに目を瞬く。

心当たりでもあるのか、と問おうとしたところで、台所と廊下を区切る暖簾を潜ってやって来た男が一人。


「お嬢サンに田中サン、何してんスか?」

佐藤(サトウ)さん」


暖簾を潜ってやって来たのは黒いスーツ姿の若い男で、鬼童家では愛される真珠と双子の兄である鬼童(キドウ) 玄乃(クロノ)の護衛を行っている佐藤だ。

染められた明るい茶の髪に、耳には複数のピアスが並んでおり、到底正当な護衛とは思えないが、それでも真珠は気遣いと心遣いで目上の人間として『佐藤さん』と呼ぶ。


当の本人はそれに気付く様子もないのだが、剣呑な色を目に乗せたままの田中さんの顔を覗き込む。

その瞬間「さーとーうー!!」田中さんが、安っぽい茶髪の頭を乾いた良い音を立てて叩いた。

漫画やアニメなどでは星の見えそうな勢いに、見ていただけの真珠も華奢な肩を跳ねさせる。


「アンタはまた!お嬢さん達の茶菓子にまで手を付けたね!!」


スパンスパン、今度は二回続けて叩かれているが、聞き捨てならない言葉もあった。

真珠が「佐藤さん?」声を掛ければ、佐藤はまるで錆び付いたロボットのように、ぎこちなく時間を掛けて振り向く。


真珠の黒い瞳と目が合った瞬間、佐藤は「申し訳ありませんでしたぁぁ」流れるような動作で、残像すら見えるスピードでその場に座り込み頭を下げた。

それを見下ろす真珠は、やれやれ、と首を左右に振る。


実はこの状況、鬼童家では良くあるものだ。

といっても、佐藤が田中さんに頭を叩かれドヤされている光景を、真珠は初めて見たのだが。

鬼童家の茶菓子はしょっちゅう無くなるのだが、その犯人の八割が佐藤だった。

寧ろ佐藤ではなく、砂糖と改名すべきと思うレベルに、佐藤は甘いものが好きなのだ。


まあ、食べられたくなければ自室で管理するのが一番ということである。

今回はそれを怠った自分も悪いと判断した真珠は、その場にしゃがみ込み、未だ頭を下げ続けている佐藤の肩に触れた。


「自分は、最近出来たケーキ屋さんのチーズタルトが食べたいです」


顔を上げた佐藤が見たのは、それはそれは綺麗な笑顔だったと後に語る。

因みにそのケーキ屋は非常に評判が良く、常に行列が出来ている状態で、尚且つ、チーズタルトは店頭販売のみの一日限定五十個だった。


***


「別に良かったのに」


十数分後、質素な黒いワンピースに汚れ一つない白衣を羽織った真珠は、双子の兄である玄乃と共に外出していた。

あの台所の騒ぎを聞き付けた、他のお手伝いさんやら玄乃が駆け付けたのだ。

勿論全員が佐藤に冷ややかな目を向けていたが。

それもまた、割と日常茶飯事である。


話を聞いた玄乃がそれならば、と茶菓子を買いに行こうと言い、現状に至った。

真珠の隣を歩く玄乃はロングTシャツにサルエルパンツというかなり緩い格好だ。


「俺が真珠と出掛けたかっただけだから、良いんだよ」


年頃の兄妹にしては珍しく仲の良い兄妹である。

兄妹といっても双子であり、お互いがお互いを半身だと見ることもあるので、世間一般の兄妹感覚とは僅かに異なるのかも知れない。


「それより真珠」

「何、兄さん」

「出来れば普通の外出に白衣は止めて欲しい」


真珠が動く度に翻る長い裾。

脹ら脛下まである長い白衣は、街中ではやけに目立ち、浮き上がっている。

ただでさえ、日本では珍しい白銀の髪なのだから、と玄乃は思う。

勿論玄乃にとっては何があっても愛おしい妹であり、髪の色が少し人と違う程度でどうこう思わない、が、周りは違うということだ。


ちらちらと感じる視線に、付いて来て良かった、と思っている玄乃の心中を汲み取らない真珠は、うーん、と唸る。

首を左右に傾けた後には「考えておくね」と保留の答えを寄越した。

即答でイエスがなければ、それはつまりノーだと思う玄乃はそっと肩を落とす。


そうこうしていると、真珠は真っ直ぐ前に進もうとした玄乃の袖を掴む。

控えめながらに確かな意思表示だ。

男にしては長い睫毛が生え揃った瞼を動かし、その目を開いたり閉じたり、玄乃は足を止めた。


「兄さん、雅堂は此方から行った方が近道になる」


雅堂とは真珠が愛して止まない老舗和菓子店である。

あそこの何々が美味しい、と良く口にするので玄乃も時折足を向けていた。


そしてそこへ向かう道の途中、くい、と小枝のような指が指し示したのは細い小道だ。

雑居ビルの間ということもあり、薄暗い。

それを見た玄乃は、形の良い眉をあからさまに歪めてみせる。


「……真珠、知ってるか?」


しかし直ぐに眉の位置を戻した玄乃は、諭すような声音でそう言った。


***


抜け道、近道、普段と違う道は目新しく楽しいものがあるだろう。

しかし、外れ道というものは危険が多い。

山道獣道の怖さは良く知られるところだが、現代社会の街中にも怖い近道は存在する。


少しだけ前の話だ。

ある商店街の近くに暗く細い小道があった。

雑居ビルの間の道は駅と大通りを繋ぐのに便利な場所にあり、昔は盛んに行き来があったらしい。

しかし、大通りが明るくなるにつれて、小道の暗闇は色濃くなり、今では寂れてしまったのだ。


電車に間に合いそうにない時などに、ちょくちょくこの道を使う人はいた。

また近所に住む子供達なんかは、好んでその小道を使っていた。

どこか不気味な、それこそ不可思議で非日常的な雰囲気が、寧ろ逆に好奇心をそそったのだろう。


一人なら怖くても、他の子供がいれば互いに騒ぎ、茶化してしまうということは珍しくない。

所謂、赤信号、皆で渡れば怖くない、というやつだろうか。


さて、そんなある年のことだ。

商店街で祭りがあって、子供達が沢山、夜にも関わらず外を出歩いていた。

その日は月のない夜で、大通りのネオンも見えない暗さだ。

それでも、慣れた道とあって子供達は次から次へと小道へ入っていき、そして、それっきり帰って来ることはなかった。


他の子供達から聞いて小道へ探しに行った大人達が見付けたのは、割れた懐中電灯だけ。

世間では集団誘拐と呼ばれ、騒がれたが犯人から連絡があるわけでもなく、そのままだ。

物騒な世の中、ここも怖いところになったね、と人々は噂をした。


ただ近所のお年寄りなどは、元々その場所は昔から『神隠し』の話が絶えない山を切り拓いた場所だと知っていたので、大して驚くことはなかったという。

街の近く、人の近くからは怪異が消えたように見えても、そんなことはない。

――寧ろ近くにこそ、大きな落とし穴のように恐ろしいものが口を開けているのだ。


***


「有難う御座いました」


花が香るような薄らとした、しかし、存在感のある笑みを浮かべた雅堂の若女将が、 緩やかな動作で頭を下げ、真珠と玄乃を見送った。

真珠がぎこちなく頭を下げる横で、玄乃は女性顔負けとも言える中性的な顔を緩める。


そんな二人の寄り添うような背中を見送り、その姿を確認出来なくなった頃、若女将は、白魚のような指先を頬に当てた。

ほう、溢れたのはうっとりとした感嘆の息。


「相変わらず、綺麗な兄妹ねぇ」


実はこの若女将、二人が個別で来る日も顔にも態度にも出さないが、心中穏やかではなく、ただひたすらに嬉しく喜ばしい。

二人揃って来た日は、それはそれは天にも登る気持ち、というやつだ。


そうして若女将の心中を知らない真珠と玄乃は帰路の途中、真珠が近道になるという小道を横目に玄乃が問う。

「良いのか?」と。

白衣の裾とワンピースの裾を揃って翻す真珠は、黒い瞳を細め、緩やかにその丸く小さな頭を左右に振った。

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