第一話 逃走したら捕まりました
「逃げたぞ! 屋根の上だ!」
私は茜色に染まる夕暮れの王都をとにかく走っていた。無理やり着せられたドレスが動きにくく、何度か転びそうになる。かかとの高い靴はとっくに脱ぎ捨ててしまったので、きっと足の裏は傷だらけだろう。
それでも私はかまわず走る。
「お待ちください、少尉!」
「待て、待つんだリア・ハローズ! 話せばわかる!!」
数人の軍人が追いかけてくる。
私の名前を呼んだのは、いちおう私の上官ということになっているギディオン・ブレイン大佐だ。今の私にとっては諸悪の根源、にっくきひげオヤジである。
「待てと言われて、待つやつなんていないっての」
普段は気をつけている言葉づかいも、今はあえて気にしない。もともと私は育ちが悪いんだからこれでいいのだ。
ひげオヤジは四十代後半のはずだけど、さすがに現役バリバリの軍人は足が速い。大佐という立場なら、すでに事務仕事が多いはずなのに、日々、体を鍛えるのをおこたらない。
わが上官ながら、まじめな中年には困ったものである。体を動かす仕事なんて若手に譲ればいいのに。
民家の屋根の上を疾走していた私は、一台の箱馬車を見つける。私が途中で細い路地や屋根の上に逃げたので、追っているひげオヤジ一行は、みんな馬には乗っていない。
あの馬車に飛び乗って、ちょっと距離をかせげば追っ手を巻けるはず。
しばらく馬車と併走していると馬車がかどをまがる。曲がりきって速度を落とした直後、わたしはその屋根にとび移った。
私が軽くて、裸足だとしても、さすがに衝撃なしというわけにはいかない。馭者のおじさんが驚いて振り返る。
「すみません、あやしい者ではありません。ちょっと追われているので、乗せ……わっ!」
がたん、と馬車の扉がひらく音がしたと思った次の瞬間、手が一本のびてきて私の足首をつかむ。まずいと思った時には空中に投げ出されていた。
私はそのままふっとび、地面にたたきつけられる。
「うぅっ」
身軽で受け身のとり方を心得ている私だから死なずにすんだのだ。もしこれが普通のか弱いご令嬢だったら、確実に死んでいる。
まぁ、か弱いご令嬢が馬車の上にとび乗るかどうかは、知ったことではないけれど。
それでも、腕と足がすり傷だらけで、ドレスはビリビリだった。
「賊め! ザカライア・カーライルと知っての狼藉かぁ!」
停止した馬車から出てきた人物は、私のよく知っている人物だった。先の紛争で武勲をたてて、晴れて名誉ある少将という地位に就かれたザカライア・カーライル様――――私の命の恩人で敬愛、いや崇拝しているお方だ。
「ザ、ザカラ……イア様。 これにはわけが……、も、うしわけ……」
身体の痛みでまだ起き上がれない状態の私は、みっともなく地面にはいつくばりながら、とりあえず謝罪をする。よりにもよって、ザカライア様の馬車に乗り移るなんて。私はなんて不敬なことをしてしまったんだろう。 ぐっと髪を引っ張られる感覚のあと、目の前にザカライア様の凜々しいお顔が見える。
黒い髪、太い眉、ちょっとくりくりとした目、存在感のある大きなお顔……普通に立てば頭二つ分くらいの身長差があるので、真正面からそのお顔を拝見したのは初めてだ。……それがなぜ、今なのか。
初めて間近で見たザカライア様は敵陣に突撃するときと同じくらい、鬼気迫る形相だった。
「賊め! なんの目的で馬車の襲撃などっ!? 我が首を取りたければ一個中隊、いや一個師団くらいよこさんかい……って、リ、リ、リア! リアではないか!」
ザカライア様は賊の正体が、よく知っている私だとわかったことで動揺し、あわててつかんでいた髪の毛を離す。受け身には絶対の自信がある私だけれど、今回は距離がみじかすぎて無理だった。思いっきり地面に鼻を強打する。
「……賊ではございません……。少し追われていまして……もうしわけ……」
「なにぃっ! ハーティアきっての女戦士を亡き者にしようとする賊は、この私が成敗してくれるわ!」
まずい。ザカライア様は勇猛果敢な武人の中の武人。ハーティア王国一の猛将だ。でも、少しだけ短気で思い込みが激しい、とてもかわいらしい方なのだ。もし、今ひげオヤジことブレイン大佐たちに追いつかれたら、非常にまずい。
「いたぞ!」
「リア! 待ちなさい」
ブレイン大佐は、とんでもなく運が悪い男だ。最悪なタイミングで現れる。私は、抜刀して大佐と対峙しようとしていたザカライア様の足にしがみついて、必死に止める。
「ザカライア様。……賊ではありません! ブレイン大佐です……」
「なにぃ! いや、相手が誰であろうと、リアを傷つけるものなど……」
「違います……、追いかけられていただけで、傷つけられてなど」
「では、誰が。誰がこのようにひどいことを!」
もちろんそれはザカライア様、あなたです。どうやらこの方の頭の中からは、私の足をつかんで投げとばした部分がすっぽり抜け落ちてしまったようだ。
黒い瞳がうるうるしているので、ザカライア様が傷つくことなど言えるわけがない。彼は平兵士まで気にかけてくださる、優しい将軍閣下なのだから。
「これは、逃げた時の事故で……。いわば自爆でございます」
「なにゆえ、追われているのだ」
「無理やり……」
私がその言葉を言った瞬間、ザカライア様は目を見開く。ブレイン大佐が無理やり私になにかをした、というのがすでにザカライア様には受け入れられないことのようだ。この方は女子供には無条件に優しい、紳士なのだから。
「その、殿方とお見合いをさせられそうになって、逃走しました……」
「ブレイン!! おぬし、リアの後見人ではなかったのかぁ!? なにゆえ、リアにそのような強要を! ゆるさん、ゆるさんぞぉっ!」
ダメだ。これは言っちゃダメなことだった。ザカライア様はとにかくお優しい方なので、顔見知りの私が見合いを強要されたということも許せないらしい。失敗を悔いてももう遅い。ザカライア様は一度収めていたはずの長剣を抜いて、私の親代わりにして、後見人で上官であるブレイン大佐に突撃した。
私は現実逃避したくて目を閉じたら、そのまま――――意識がだんだん遠くなっていった。