第一話 =邂逅=
班目一門によるラインデット家別荘襲撃事件から一夜明けた朝。
「ルシア様‼ もう限界です‼‼」
アストレア王国の中枢、レオヴォルフ城は穏やかでは無かった。
広大な部屋の最奥部に座るアストレア王国現王女、ルシア=レオヴォルフに対し、執事服を着た中年の男性、ルドルフ=ハヌマーンが悲痛な叫びをあげている。
きらびやかな金色の髪は地面すれすれにまで伸びており、端正な顔立ちから除く青い瞳は、その手に握られた一枚の紙に向けられていた。
それは今朝の新聞であった。堂々と一面を飾るのは、言わずもがな昨日起きた班目一門による事件だ。
「これ以上、あの盗賊めを野放しにしておくなど出来ませぬ‼ 早々に手を打つべきですぞ‼」
「あー……確かにな、うん。最近一段と騒がしいよな、この連中」
「そんな呑気な事を言っている場合ですか‼‼」
特に慌てず、淡々と言ってのけるルシアに、再びルドルフは声を荒げた。
自国で好き放題暴れられていると言うのに、今のルシアと来たらまるで朝食の時に朝刊片手に世間話をするお父さんの様だった。簡単に言えば、他人事のように振る舞っていたのだ。
「この盗賊団の頭領の名が割れているのはご存知でしょう!? 奴は班目演武。この字、この名。これは間違いなく檜木国の者に間違いありません‼」
「んーまぁ、こんな字……えーっと漢字とか言ったか? こんなオリジナリティ溢れる文字を使うのはあの国くらいだし、名前の響きも確かにあの国特有のものだが……偽名の可能性もあるだろ?」
「確かに偽名の可能性は大いにあるでしょう。
しかし‼ それが彼の国に調査を依頼しない理由にはなりませぬ‼」
相変わらず騒がしい男だ。口には出さないが、ルシアは思う。
この男は真面目だ。アストレア王国の定期会議でも的を射た発言をするし、何よりその発言の裏からは民への信頼と敬意も強くあるのが見て取れる。
だが、いかんせん真面目すぎるのだ。政治家として信頼は置いているが、一人間としてはどうも自分とは合わない。
「あーもう、分かったよ。あそこの国王とは顔なじみだし、今日中に手配書を出しておく。それで良いだろう?」
「……………………本当でしょうな?」
「あぁ、約束する。ほら、今日は衛兵の訓練日だろ? 早く行け」
「その言葉、信用しますぞ……では、これにて」
そう言うとルドルフはルシアに一礼し、部屋を出た。それを見届けるや否や、ルシアは盛大にため息を吐く。
「なーにが『本当でしょうな?』だよ全く…………自分とこの王女くらい信用しろっての」
確かに自分は、まだ二十歳そこそこにしかなっていないし、王女となって三年ほどしか経っていない若輩者だ。それは認める。
だが、自分が王女となって三年の間に様々な政策を行ってきたが、どれも失敗と呼べるものは無いし、民に行った人気投票でも、歴代の国王たちに引けを取らない支持率を維持している。むしろ着任当初は、こんな若い王女で大丈夫か? と不安に思う民が多かったが、今ではそんな事を言う者はいない。
こちとら若いなりに、必死で国を良くしようと頑張ってるんだ。勿論、臣下たちの協力あってこそだと言うのは承知しているし、せめてもの労いとして三ヶ月に一度は一週間ほど休みが取れる様に年間スケジュールも組んでいる。
こんなホワイト企業はそうそう無いと自負しているくらいだ。
「確かにルドルフの言う通り、班目一門の動きが活発化してるのは事実だが……しかしアイツ等は」
「悪名が広がる者、それも富豪や権力者のみをターゲットとしているのだから、現時点で国家にたてつく様な事をする可能性は低いだろう…………ですか?」
ルシアの独り言に答えたのは、先ほどから彼女の隣でニコニコと笑顔を浮かべている女性だった。
その笑顔をじとりと見つめるルシア。
「ハイネ…………お前いつからそこにいた?」
「あら心外。ずっと王女様の隣にいましたよ。
常に王女様に付き従い、牙を向けるものがいれば全力を以てへし折る。それがアナタ様の側近である私、ハイネ=スティングベルの勤めですから」
これはこれは。頼りになる側近を持ったものだ。
ハイネの長ったらしい口上を聞きながら、ルシアは一人思う。
「まぁ、お前の言う通りだよ。アイツ等の過去の犯罪記録を見てみたが、被害にあった者たちはどれも民からの評価が良くない。昨日のラインデットにしてもそうだ。
何でもあそこの家長である『女帝』は、金と権力に物を言わせて随分な狼藉を働いてたそうじゃないか」
「えぇ。私も噂程度ですが、耳にしています」
「ルドルフや他の臣下たちはその事にまで考えが及んでいないようだが……いや、違うか。考える必要が無い、だなこの場合は。それに今は、奴等の動きも気になるし……。
時にハイネ。前に頼んだ話だが…………」
「聞いて回りましたよ、民たちに。『班目一門について、どう思いますか?』と」
「流石仕事が早いな。どうだった?」
「王女様のお考えの通りかと」
「……そうか」
それ以上聞かず、再びルシアは新聞へと目を戻す。
そこに映っているのは、小島に浮かぶ巨大な城と、写真中央で青ざめている『女帝』の姿。
しばし見つめた後、ルシアは腰を上げ、更に奥にある扉へと向かう。
「自室に戻られるのですか?」
「あぁ。ルドルフにああ言ってしまったからには、手配書は檜木国に出しておかないとな。何かあったら呼ぶ」
「畏まりました」
頭を下げるハイネにひらひらと手を振り、ルシアは自室へと戻っていった。檜木国に贈る手配書を書くために。
「本当…………律儀なお方ですね、アナタは」
くすくすと可笑しそうに笑うハイネの声は、ルシアには届かなかった。
くどいようだが、此処は異世界だ。
文化も生活も、見知ったそれとはまったく違う。魔法なんてものが存在するのが、何よりの証拠だろう。
魔法師と呼ばれる魔法を扱う者も存在するし、それぞれ独自の思想を掲げる国も存在する。
――――――――――人間とはまた違った文明を発達させた存在もまた然り。
魔法と言う概念が存在する以上、自然界の在り方もまた異なっているのだ。
自分の世界では常識となっているものも、世界が変わればまた異なったものになる。当然と言えば当然の事だ。
そして自然の在り方が違うと言うことは、その世界に住まう者たちの生態もまた、こちらとは異なると言う事に繋がる。
その中の一つに、この世界の人間を脅かすものがいた。
それは、『人間を喰らう』と言う特性を持った生物だ。
魔法師と言う存在がいるからこそ、現在は互いが不可侵を貫く膠着状態が続いてはいるものの、それは『彼ら』の生態そのものを変える事にはならない。
彼らの特性。言い換えれば『欲』の一つに『人間を喰らう』と言うものがある以上、『彼ら』は人を襲う。魔法師とて無敵では無いし、その全てが実戦的な力と言うわけでも無い。
そんなものたちが、強大な力を持った『彼ら』に襲われればどうなるか。想像に難くないだろう。
この世界の人々は、その存在を『悪魔』と呼称する。
悪魔は人を喰らい、生きていく。悪魔にとって人とは餌。食料。弱者。
人も牛を食べ、豚を食べ、魚を食べて生きながらえる。
悪魔にとって、その存在が人にあたるのだ。
そして、此処に一人。
「はぁ……はぁ……」
その自然の摂理の餌食になろうとしている少女が一人。
人里離れた森の中で、その少女は懸命に走っていた。黒いセミロングの髪を揺らし、こちらの世界では見慣れない服は、所々切り刻まれてしまっていた。腕や腹、足などからは出血も見て取れる。
少女は人だ。人である以上、痛みには逆らえない。
だが、そんな事が気にならなくなるくらいには、彼女は必死だった。
逃げるために必死だった。生きるために必死だった。
しかし、身体はそんな彼女を嘲笑う。
「うぁ……っ‼」
彼女の足は遂に限界を迎え、少女はそのまま倒れ込む。
息は荒く、視界はぼやける。
だが、そのぼやけた視界にも確かに映る。
かさ……かさ……
獲物を狙う……。
かさ……かさ……
赤い瞳と、黒い体を携え、鋭い牙と爪で彼女を引き裂こうとする…………。
「ぐがぁぁぁぁぁ‼‼」
比喩でも何でもない、正真正銘の『悪魔』の顔が。
「うぐっ……」
逃げなきゃ。
少女は思う。だが、その思いだけで動かすには、彼女の身体は重すぎた。それでも何とか、腕だけで少しずつ進んでいくのは、彼女の強い意思の賜物だ。
地を這いずる少女の姿は、悪魔にはさぞ滑稽に見えているだろう。
だが、そんな事はどうでもいい。
少女にとっても―――――――悪魔にとっても。
「グオオォォォォォ‼‼」
ふらふらと地を這う少女に、悪魔はその鋭い牙に唾液を光らせ飛びかかった。
ガチンッ‼‼‼
金属がぶつかり合う様な音が、辺りに木霊する。
悪魔がその口を閉じた音だ。
だが――――――だとしたらおかしい。
肉を噛み切ったならば、そんな音はしないはずだ。
悪魔は目を見開き、辺りを見渡す。
だが、どれだけ探しても、先ほどの満身創痍の少女の姿は確認できなかった――――――。
「あっぶねぇ…………間一髪とは正にこの事だな」
その悪魔を除く瞳があった。それは『上』。
先ほどまで少女がいた近くに聳える大木の幹に彼は立っていた。その腕に少女の身体を抱えて。
天下の大盗賊、班目一門の頭領。班目演武である。
「買い物してりゃ妙な力を感じたんで来てみれば、悪魔が白昼堂々こんな人里近くまで来やがって……退治してやりたい所だが、あいにく俺はそんな手段持ってないし……」
うーん、と思考する演武。その視界の先には……彼の腕の中で眠る少女の姿。
「うん、逃げよ。無理無理、あんなの倒すなんて。そう言うのは俺じゃなくてアラドの仕事だしな」
とりあえず帰って、戦闘班のアラドにこの事を伝えよう。それに、少女の傷も深くは無いが場所は多い。すぐにでも手当をしなければ。
「善は急げだ。トンズラするかね」
そう言うと、演武は悪魔に気づかれる事無く、その場を後にした。
■ □ ■ □
アストレア王国中央市街の外れ、路地の裏にひっそりと看板を置くBARがある。
薄気味悪い印象と、穴場と呼ぶのもおこがましい様な立地条件も相まって、訪れる客など殆どいない。
だが、それがかえって好都合なのだ。
班目一門の様な、名の知れた盗賊団のアジトとするには。
「アラドさーん‼ 御飯出来ましたよー‼‼」
BARの裏に入ってすぐ右。キッチンから階段に向かって叫ぶ声があった。
班目一門の一人であり、天才的な魔法師、リリィ=ローレライのものだ。
「もう十時間は眠れたでしょー!? 冷める前にお昼食べてくださいよー‼」
………………返事は無い。
だが、それもいつも通り。満足げに息をつき、リリィはリビングの机に料理を並べ始める。
そうこうしていれば、直に――――
コツ……コツ……
やはり来た。
そんな事を考えていれば、階段とキッチンを仕切る暖簾がゆっくりとめくられた。
「あんまり大きな声を出すな……頭ぐらぐらするじゃねぇか」
頭を掻きながら、未だに眠気眼でこちらに歩み寄るのは、班目一門の一人アラドだ。
その声色と表情から、機嫌は治っていない様である。リリィは顔をしかめた。
「いい加減機嫌治したらどうです?」
「俺じゃなくて演武に言えよ。元凶はアイツだろ?」
「言って治る様なら苦労しませんよ。今回の件、私だって計画の三十分前にお兄ちゃんから聞かされたんですよ? いつもの如く『良い事思いついたから協力してくれ』なんて言って」
「アイツとも長い付き合いだが、最近アイツの誘いに乗った事を後悔し始めてるよ」
「盗賊になった事をですか?」
「いや。そうじゃねぇ」
予想外の返答に、リリィは目を丸くする。
「盗賊になった事に後悔はねぇよ。退屈しないしな」
「じゃあ、お兄ちゃんと出会った事自体ですか?」
「もしそうなら、とうの昔にアイツの首掻っ切ってる」
「本気に聞こえて怖いです……」
「当然だ。本気で言ってるからな」
最もそれは。演武との出会いに後悔が無いと言う証拠でもあるのだが。
「俺が言ってんのはそうじゃねぇ。もっと前の、根本的な事だ」
「もっと前?」
リリィは演武とアラドからは、演武に『一緒に盗賊やろう』と言われ、それを受けた縁だと聞かされていた。
だから、その前の事などは知らない。そう、知らないのだ。
知らないからこそ、好奇心はかき立てられていく。
「もっと前って…………」
一体何があったのか。
そう問おうとした時だった。
「たっだいまー‼」
自分達の頭領の声が聞こえたのは。
「いやー色々あって疲れたよ‼ おっ! この匂いは……今日の昼飯はハンバーグだな?」
能天気な言葉に、アラドは眉をひそめた。
あ、ヤバい。
リリィは直感する。これだけ不機嫌な上に、その元凶が能天気にも帰って来たとなれば、アラドでなくともそうなるだろう。
簡単な話、大爆発だ。
リリィが宥めようとするも、時すでに遅し。アラドは声の主の方へと振り返った。大喧嘩が始まるかも知れない。リリィは反射的に目を逸らす。
―――――――だが、時が経てどそんな声は聞こえてこない。
にらみ合い? いや、二人の性格を考えてそんな筈は無いだろう。ならば一体どうしたのか。
そんなリリィの疑念に答えるかのように。
「…………何があった、演武」
落ち着いた、されど何処か怒気を含んだアラドの声が聞こえて来た。
それを受け、リリィもやっとこさ視線を二人の方へと戻す。そして、驚愕に目を見開いた。
「おぅ、アラド。いや、ちょっとハプニングがあってな」
そこにいたのは、傷だらけの見知らぬ少女を抱えた演武だった。
「ちょっとお兄ちゃん‼ その人どうしたの!? お兄ちゃんは怪我してない!?」
「あぁ、俺は大丈夫だ」
答える演武に、リリィとアラドは速足に寄って行った。
そして、その腕で眠る少女に目をやる。
「出血は酷くないみたいだし、命に別状はなさそうだね……でも、箇所は結構多いな」
「それにこの服…………演武、この娘……」
「あぁ、間違いないだろうな。それに、まだ来たばっかって感じだ」
演武の答えに、アラドは顔を顰めた。
「やはりそうか……それよりこの傷、どうも嫌な気が漂ってくるが………」
「流石だなアラド。お前さんの見込み通りだよ……この子は襲われてたんだ、『悪魔』にな」
「場所はどこだ」
「市街地にある八百屋の数百メートル後ろ、一本松の近くだ」
それだけ言えば、もう十分と言った様子でアラドは演武をすり抜け、出口へと向かっていく。途中、壁に立てかけていた己の愛剣を手に取って。
それを見て、演武は微笑む。さすがは自分が相棒に選んだ男だ。何も言わなくても、自分の役割をしっかりと理解し、行動してくれる。自分が盗賊として仕事を完遂できるのは、やはり仲間に恵まれたお陰だなと、再認識させられた。
「さて、向こうはアラドに任せて、こっちはこの子の治療だな。リリィ、手伝ってくれ」
「はい!」
もう一人の頼もしい仲間に声を掛け、演武はリビングにあるソファへと歩を進めていった。