04 「目覚め」(気絶)
ふわふわとした夢の様な時間。暖かな日差しが差し、花咲き乱れる草原の真ん中で、3人の女の子に囲まれて、頭を撫でられながら髪を結われる。女の子の細く小さい手が、首筋、うなじ、後頭部へと頭を這う。その慣れない感覚にゾワゾワとしたものを感じながらも、どこか心地よく、妙に気分が落ち着く。
幸せな時の流れに身を任せていた矢先、突如として何処からともなく一体の化け物じみたイノシシがこちらに向かって突っ込んでくる。その存在を知らせようと周りにいる女の子達に向き直ると、そこには誰も居なかった。混乱しながらも、近づいてくるイノシシから逃げようと立ち上がろうとするが、何故か身体が動かない。何かに縛られているかのように手足がくっついたまま離れない。暴れもがき、必死に歩こうとするも、立ち上がる事すら出来ず、ついに眼前までたどり着いたイノシシによる、その全体重を乗せた体当たりを食らい…。
― 微笑む女神に包まれた・・・
「………」
何か暖かなものに包まれ、全てを預けてもいいと思える程の安心感の中、ゆっくりと瞼を持ち上げる。自分を包む迷彩柄の掛け布団に、揺り籠の様に揺れ動く視界。また別の夢なのか、と現実感を見出だせないでいると、視界の上から声が掛かる。
「おはよう」
ゆっくりと目線を上げると、そこには、夢に出てきた女神に良く似た女性が微笑んでいた。
「大丈夫?…どこか痛い所とかないかな?」
「あっ!お姉様っ!目が覚めたんですかっ!?私にも見せてくむぐっ!」
「…大声出さない。刺激しない。」
「むんぐー…ッ!」
突然後ろの方から大きめの声がかかりビクっとしてしまった俺に、また上から優しい声が掛かる。
「大丈夫よ。あの子はちょっと声が大きいだけだから。安心して。私達は味方よ。あのイノシシはもう居ないから心配しなくていいわ。大丈夫、大丈夫よ」
俺を安心させるために優しい声でゆっくりと、はっきりと、ここは安全だよ、と教えてくれる。
左耳から入ってくるその声が、頭の奥まで染み込んできて、身体の強張りが抜けていき、とても落ち着いてきた。ゆらゆらと揺れる視界に意識が行き、進行方向の右を見て、下を見て、上の女性を見て、やっと現状を把握し始める。
『 お姫様抱っこ 』
俺の現状はその状態だ。たぶん。
(…だが、俺の身長は180くらい。その俺をお姫様抱っこ出来るこの女性はどれだけ力が……)
そこまで考えた時、視界の左側に、先程俺の命を刈り取る手助けをした悪魔と同じような色が映り込む。俺を抱えている女性の胸を覆う様に付いている鈍い銀色の鉄板に、微かに映り込むその姿は、俺の動きに連動して動いている。鏡の様に綺麗に反射していないので、分かり難いが、男の自分の姿とはかけ離れており、例のピンク色の髪が映っている事は分かった。
"いただきます"の腕の体勢で迷彩柄の布に包まれていた両手を、胸元からひょこっと出し、てのひらを広げ、改めて手の大きさを確認する。その隙間から見えるはずの自分の胸は、いつのまにか結われていた後ろ髪の三つ編みで隠れている。前髪も摘み変わらずピンク色であることを確認し、女性に抱えられる大きさであること、反射してボヤケて見えた幼い少女の様な姿、この小ささでなら理解出来るかもしれないあのイノシシの大きさ…。この女性に落ち着かせてもらったおかげなのか、その事実が妙に理解でき、ストンと心の奥に入ってきた。
(やっぱり、これは夢じゃなかったのか…)
俺は幼女になった。
乗り移りとか性転換手術とか、どうやってかは知らないが、その事実だけが大きく頭の中に浮かぶ。そして、眼前まで迫りきていたイノシシをあの距離からどうやったのかは分からないが、この人の言葉を信用するのなら、俺は命を助けられたらしい。
改めて彼女の顔を見上げる。すごい美人だ。つり目気味の凛々しい大きな黒い瞳、スっと通った鼻筋にぷっくりとした上品な唇。美人の特権の様な綺麗な肌には特に化粧をしている様相は伺えないが、頬から耳にかけて赤いパウダーを振っている様だ。そういえばそんな化粧が流行ってたっけ…。 前髪は目上で切り揃えられ、後ろのポニーテールが揺れている。その髪は黒ではなくグレーで、時折当たる光を反射し、銀色の様な輝きを放っていた。
「あ、そういえば自己紹介がまだだったわね。初めまして。私の名前は、リザイアベル・ノルアーノ。聖教会騎士団の副団長なんかをしているわ」
「っ!あっ!ちょっとユティ…!」
「お姉様!私にも挨拶させてください! 初めまして!私はユティ・ララクスト!ユティお姉ちゃんって呼んで欲しいなっ!」
「あー!ずるいです!私達にも挨拶させてくださーい!」
「あっ、こらみんな!一斉に喋り始めたらビックリさせちゃうでしょ!」
ユティという、さっき騒いでいたであろう子の顔が視界に写り、自己紹介をしたのを皮切りに、気づかなかったが数名の男女が自己紹介をしてきた。その名前の全てが、外国で聞く様なものであり、髪も金髪だったり、青っぽかったりで、顔は日本人風ではあるがやはりハーフっぽい作りをしており、ここにいる全員の容姿が、アイドルグループか何かかと思ってしまう様な美男美女であった。
(ここは外国なのか?でも完璧な日本語だしハーフ?あの服装はなんだ?教会?騎士団?コスプレか?軍事系のサークルとか?それにしては全員顔のレベル高すぎだろ…。全員役者って言われたほうがしっくりくるな…)
「大丈夫?びっくりさせちゃってごめんね? …よければ、あなたの名前を教えてくれないかしら?」
「………」
そういえばまだお礼を言ってないし、ここまで一言も喋っていなかった事を思い出しながら、どうしようかと悩む。俺の本名は、花園幸之助。実家はちょっとだけ金持ちだし、背も180くらいあったが、普通の顔に普通の才能。小学校以来モテた事は無く、やりたいことも見つからないまま定職に就かず、バイトを転々とするフリーター…。クソみたいな生活を送っていた矢先、この幼女体だ…。
(どうする!?この身体で本名は不味いだろ!どんな技術使ったのかは知らんが、俺は今完全につるぺた幼女だ!女の子の可愛い名前ってどんなんだ?周りに合わせて外国風にしたほうがいいのか?…そんな急に名前決めろって言われても思いつかねぇよ!)
黙ったままの俺を、心配そうに覗き込む、なんとかベルさん達に見守られながら、ポっと、一つだけ名前が浮かんでくる。
小さな手、ピンク色、幼い女の子。 …何故この連想ゲームでこんな名前が出てきたのかは分からなかったが、とにかくこれ以上時間を使うと、眉を八の字にして心配そうに伺っているなんとかベルさんに変な誤解を与えてしまいかねないので、じっと両目を見やり、慣れない可愛い声に乗せて、その思いついた名前を呟く。
「………みゅう」
***
羽の様に軽く柔らかい気絶している女の子をお姫様抱っこで、馬車へ向けて来た道を逆走するように戻る最中。先程まで可愛い顔ですやすや寝ていたのに、悪い夢でも見ているのか、んーんーと微かにうなされながら身を捩りだした。布一枚しか隔てていない少女の身体の柔らかさが更に持ち手に伝わってくる。子供の力なんて大したことがないと思い軽く抑えようとするが、どこにそんな力があるのかと驚く程の力で手足を動かそうとするので、ギュっと落ちないようにしっかりと支える。苦しそうな表情で身悶えている少女を心配しながら見ていると、急に穏やかな表情になり次の瞬間、瞼がピクピクと動き、ゆっくりと開いていく。
「………」
まだ夢の中と勘違いしているのか、目を開けても何も喋らない少女に、覚悟を決めてこちらから優しく声をかける。
「おはよう」
そう挨拶すると、眠そうな瞼の奥に覗く巨大な宝石の如く真っ赤に輝く瞳で、こちらをジっと見つめ返してきた。初めて見る少女の瞳と、初めて見る瞳の色に、少しドキっとしながら言葉を続ける。
「大丈夫?…どこか痛い所とかないかな?」
こちらの不手際で気絶させてしまった罪悪感を感じながら、倒れる時に何処か痛まなかったかと心配して聞いてみていると、ユティが急にいつも通りの大きめの声で喋りかけ、それにビックリしたのか、腕の中の少女の身体が一回跳ねる。今、彼女は不安で一杯だろう。その彼女にビックリするような刺激を与えてしまうと、泣いてしまうかもしれない。そう思い、焦り気味になる声を自分で落ち着かせながら、混乱中の子供にも分かるようにゆっくりと、丁寧に、安全を伝える。
私の言葉で落ち着いたのか、少し緊張気味だった身体の強張りが解けていき、寝ていた時と同じくらいの柔らかさに戻る。
すると、ふらふらと首を振りながら、辺りを見渡したり、自分の手を見たり、胸当てに反射する自分の顔を見たりしている。目が覚めて落ち着いたら、親の名前を叫んだりしながら泣き喚くだろうという予想が外れて、妙に大人しい事に疑問を持つ。
(…まさかとは思うけど…記憶喪失なんてしてないわよね…)
背中に嫌な汗が流れる。この子がそんな事になってしまったら、私はどうすればいいのだろうか。この子に記憶が無いとなると、親族を探す手段が無くなってしまう。服も何も身につけていない為に身分を調べる方法が無く、近隣の村などを総当りして親族を探し当てたとしても、その親族が本当にこの子の親族かどうかが確認しようがないのだ。別の村のまったく血の繋がりのない老夫婦に「その子は私等の孫だ」と言われても、この子に記憶がない以上、老夫婦の言が虚偽かどうか判断出来ない。
最悪の事態を想定して、一人絶望していると、腕の中の少女がこちらの顔をジっと見つめてくる。その宝石の様な赤い瞳に吸い込まれるように目を合わせると、何故かドキドキと鼓動が早まり、耳まで熱くなっていく。先程まで一人で絶望していた事などどこかに吹き飛んでしまい、いつもの思考に戻る
(こんな小さな子が落ち着いてるのに、私はダメね…。さっきユティとの会話で学び直したばかりなのに…)
そう反省しながらも、まだ親の事には触れない方がいいという判断を下し、とりあえず自己紹介から始めようとすると、周りのみんなも集まってきて自己紹介の嵐となってしまう。これにはまたビックリさせてしまったかもと顔を伺ってみるが、今度は何も反応せず、みんなの顔や服などをジっと見つめている。
ビックリはしていないのだろうけど、表情に出ていないだけかもしれないのでその事について謝りながら、次のステップ。彼女の自己紹介。だが、これで、名前が出てこなかったら完全にアウトだ。そう思うと、声が震えそうになる。遅かれ早かれ、そうなっていれば避けられない事だと覚悟し、一つ間を起き、彼女に尋ねる。
「………」
彼女の口は開かない。言葉まで忘れてしまって、こちらの質問すらわかっていないのかもしれない。そう思うと泣きそうになってしまう。周りのみんなは単純に心配そうに伺っているが、私は、とんでもない事をしてしまったと責任を感じながら泣きそうになる目を必死に堪える。ここで泣いてはダメだ。みんなに心配をかけてしまうし、この子にも不安を与えてしまう。これ以上の不幸を彼女に与えてはいけない。これからは、私の人生の全てを彼女に捧げよう、と将来設計を見直す覚悟を決め始めた時。
彼女の赤い目がこちらをジっと見つめ返し、可愛らしい小さな口が少しだけ開き、幼さは残るが、まるでハーブの音色の様な聞き惚れる声で、小さく呟いた。
「ミュウ」と。
筆が重いです。短かったり長かったりバラバラで申し訳ないです。
どういう展開になるのかは大体思い描けているのに、小さな言い回しなどの組み合わせが難しくて、まったく前へと進めません。早く進めたいと思う自分と、ゆっくり行こうよと諭す自分。悩ましいです。
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