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夏の青亭  作者: 青波零也
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二〇〇二年七月二十一日

「よう、兄さん! 奇遇だな」

 奇遇、なんて言葉、そうそう現実に使うもんじゃないし、そもそも俺を「兄さん」なんて呼ぶ変わり者は、俺の知っている限り一人しかいない。

 声の方を見れば、想像通り、現実から相当かけ離れた見かけのガキが、歩道の真ん中で仁王立ちしていた。今のところ、俺の他に通行人がいないからいいものの、相当に邪魔くさい。

「また妙なところで会うねえ、コバヤシ」

「全く、兄さんも仕事熱心だよな。って、仕事じゃないんだっけか」

「……まあね」

 そう、こいつの顔を見ると、否応なく俺自身の現実を突きつけられる。

 こいつと顔を合わせるのも三回目。つまり、あの事件から、既に三年目ということだ。

 未だに俺は、あいつを忘れられずにいて、あの日の真実を探し求めている。現実とも夢ともつかない世界を、あてもなく彷徨い続けている。どれだけ求めたところで、誰かが真実を示してくれるわけでもなければ、あいつが生き返るわけでもないことくらい、理性じゃわかってるってのに。

 どうしても、自分を納得させられる答えが、欲しくてたまらないのだ。

 だから、件の事件の報があれば、ふらりとそちらに引き寄せられてしまう。何が得られるわけでもないと知りながら、仕事も何もかもを放り出して、電車を乗り継いで、ずっと南の、名前も知らなかった町に降り立って。

 そして、何故か、見覚えのある顔と出会ってしまったわけだ。

 小林巽。自称『元神様』。同じ事件を追いかけている、正体不明の金髪のガキ。

 一年前よりも更に背の伸びた小林は、一年前と何も変わらぬ青と緑の目を眼鏡の下で細め、苦笑を浮かべてみせた。

「悪ぃな、ろくに連絡もできねえで。どうにもいい報せがなくってさ」

「いや、気にしちゃいないよ」

 嘘だ。正直なことをいえば、こいつからの電話を待ち望んでいた。だからといって小林を責める気にもなれなかった。捜査に進展がなかったのは、こっちも同じことだから。

「折角知った顔に会えたんだ、立ち話もなんだしさ、どっかで飯食わねえ?」

「そうね。お前にも、まだ色々聞いてみたいことはあるし」

「兄さん、相変わらずなんか怖えよ。ま、俺様も同じだからいいけど」

 俺が、例の事件に関して、そう情報を得られる立場でもないって知ってるだろうに、物好きな奴。

 そんなことを思いながらも、俺たちはどちらともなく歩き出す。

 特にあてもなく道を歩いていって、最初に見つけたのは、小さなうどん屋だった。特にメニューにこだわりなんてないからと、すぐに店に入って席を確保。途端に、小林がテーブルの上に突っ伏した。

「はー、生き返るぜー」

 真っ白な肌をした小林に、この日差しは俺以上にきついかもしれない。事実、小林の頬はちょっと危ないくらいに赤かった。日の光が届かない、クーラーの効いた部屋というのは小林にとって天国に違いない。もちろん、それは程度こそ違えど俺にとっても同じことなわけだが。

 頼んだ二人分のざるうどんが席に運ばれてきたところで、小林が唐突に問うてきた。

「兄さん、また痩せた? っつかやつれた?」

 単刀直入に過ぎるガキんちょだ。ただ、変に顔色を伺ってくるような連中よりは数倍マシだと思うことにして、こちらも率直に答える。

「さあ。自分じゃよくわからないから」

「きちんと寝てんの? 隈、酷いぜ」

「まともに寝たことなんて、ここ数年ないな」

 割り箸を口で割って、うどんを啜ろうとしたところで、小林と目が合った。小林の目に映るのは、露骨な困惑。喋りすぎたのだ、とやっと気づいた。前もそうだったが、どうもこいつの前だと余計なことまで口走りがちだ。

「……兄さん、大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど、意外と動けるもんだよ」

 愛想笑いでも浮かべられればよかったんだが、作り笑顔が不気味だと言われてから、表情に気を使うのは止めている。だから、相当深刻に聞こえてしまったに違いない。小林の堅い表情が、それを嫌ってほど物語っていた。

「ごめん、余計なこと言った。忘れて」

 どうせ、俺がどういう状態であろうと、捜査が進展するわけでもなければ、小林に影響が及ぶわけでもない。

 だというのに、小林は、堅い表情のまま、真っ直ぐにこちらを見つめて口を開くのだ。

「なあ、兄さん」

「ん?」

「もしよかったら、兄さんの事情、聞かせてもらえないかな」

「どうして?」

「兄さんは、どうして、この事件を追っかけてるのかなって。兄さんをそうまで突き動かしてるもんが何なのか、気になってたんだ」

 もちろん、言いたくなければいいけど、と言って小林は珍しく自分から視線を逸らす。

「興味本位、っていやその通りだし。本当に、知りたいだけ」

 正直、意外だった。

 心配している、とか。力になれればいい、とか。そんな余計な言葉を抜きにして、「知りたい」とだけ言われたのは、初めてだ。自分とこのガキの間に、鬱陶しい装飾を付け加えるだけの関係性がない、と言ってしまえばそれまでだが。

 それでも、久々に「面白い」と思った。無礼なまでに率直なこのガキの言葉を、悪くは思わなかった。

 だから。

「その正直さに免じて、教えようか」

 箸で、器の中の汁を意味もなくかき回しながら。黒い汁の中で踊る海苔を視界の中心に捉え、ただ、声を出す。

「単純に言うなら、恋人を殺された野郎の、ありふれた復讐なんだ」

 小林が、息を飲んだ気配が伝わってくるが、構わず言葉を続けることにする。

「二年前、目の前で恋人を殺されたのが納得できなくて、あいつを殺した犯人を探し続けてる。一体、何を追いかけてるのかも、わからないままね」

「目の前で、って、兄さんも事件現場に居合わせたのか」

「いや、犯人は見てない。俺は隣の部屋にいて、おかしいなって思った時にはもう、あいつは死んでた。その横に、ヒヤマが立ってたんだ。どっから入って来たのかもわからないし、何故か青い翼を生やしてるように見えた。単純に、俺の認識がどっか狂ってんのかもしれないけど」

「シロウが……?」

 小林が呆然とした様子で呟く。確かに、俺の話は今まで全くしていなかったから、俺が事件現場で檜山を見ていたことも、伝えてはいなかったはずだ。

 ついでに、だから檜山が犯人だって主張するつもりはない、ということだけは付け加えておく。檜山が見つかってからの事件は、大体奴にアリバイがあることは、俺も十二分に把握している。

「ま、仮にお前の言うとおり、犯人が悪魔か幽霊かっていうなら、俺にはどうしようもないんだけどさ」

 仮に、そうでなかったとしても、今の俺に何ができるだろうか。追いかけて、仮に、捜査してる連中よりも先にあいつを殺した奴を見つけたとして。俺は、そいつを、どうするつもりなのだろう。

 あいつを殺された怒りはある。あるけれど、ぼんやり霞みそうになっているのは、否定できない。幸せだったころの記憶だけが、激しい頭痛と共に脳裏に閃いては消える――そんな日々を送っていると、時間の経過すらも曖昧に溶けていく。

 そのまま、俺自身の正気すらも溶けてしまえばどれだけ楽だろう、と思いながらも、正気を失いきることも出来ないまま、今なお重たい頭を抱えている。自分で言うのもなんだが、つくづく面倒くさい奴だ。

 そんなことを思いながら目を上げると、小林と目が合った。涼やかな、澱みのないあおい目。こんな俺からも目を逸らすことなく、真っ直ぐに見つめてくる。

 こいつの目を見ていると、自分の中に渦巻いてるみっともない感情を、鏡映しにされている気がして、どうにもやり辛い。

 鏡のような目から逃れるべく、俯いて、残っていたうどんを啜っていると。

「……兄さん」

 不意に、小林が口を開いた。

「何よ」

「俺様は『もしも』の話は好きじゃねえ。それに、兄さんは冗談としか取っちゃくれねえだろう。けど、もし、もしもだ」

 小林は、視線を虚空に彷徨わせ、散々言い淀んだ挙句、言った。

「突然、目の前に本物の神様が現れて、さ。『時間を巻き戻す』、『死者を生き返す』以外の、どんな願いでも叶える代わりに、お前の記憶を全て奪う、って言われたら、アンタは乗る?」

「……願いを叶える代わりに、記憶を」

 反芻してみて、気づく。記憶を奪われる、という言葉に、引っかかるものがあった。ごくごく、身近な例として。

 例の事件と同時に消えて、記憶を失って発見された檜山志郎。事件に関わったことと記憶を失ったこと、その二つに、心理的要因以上の因果関係があるとは思えない。思えなかったが、小林の真剣な顔を見ていると、それこそ、神様のような、不条理で理解不能な存在が関わっていると、信じさせられそうになる。

 もちろん、神様なんているわけがない。現実には存在し得ないものであって、存在し得ないものを仮定することだって、本来あってはならない。

 だが、小林は『もしも』と言った。ひとつの、荒唐無稽な仮定。その仮定の上で、俺はどう考えるか、と問うているのだ。その『もしも』が、現実の事件と関係しているかどうかは完全に横に置くとしても、小林の提示した『もしも』それ自体を否定するのは、ナンセンスというものだろう。

 だから、考えてみる。俺の望み。叶えたい願い。

 真っ先に考えてしまう『時間を巻き戻す』、『死者を生き返す』という願いが叶わないのなら。答えはたった一つ、実のところ、考えるまでもない。それさえ叶ってしまえば、もはや何も惜しくはない、けれど。

「――俺は、乗らない。丁重にお帰り願うな」

「乗らねえの? 兄さんの一番の願いは叶わねえかもしれねえけど、どんな願いでも叶える、って言ってるんだぜ」

「信じられないね。胡散臭いにもほどがある」

 それに――。

 本当の思いは、言葉にはならない。

 結局、起こってしまったことをなかったことにできない以上、俺の願いはどこまでも俺の自己満足で。それが「自己満足」である以上、その、神様の誘いには乗れない。乗れないだけの理由がある。

 小林は、ずるりと音を立ててうどんをすすって、ちぐはぐな色の目で、こちらを睨む。

「そうは言うけどさ、『記憶を失う』って条件でなかったら、乗ったんじゃねえかな」

 心臓の鼓動の速度が、突然跳ね上がった。最初の条件を聞いた時には、何も感じなかったというのに。

「失うもんが、例えば『命』であったなら、あんたはイエスって言った。違うか」

 そう、そうだ。もし、失うものが『記憶』でなければ、全く違う話になる。ただ、何故このガキに、そこまで見透かされなきゃならんのか。思いながら、箸を片手に小林を睨み返す。

「何を根拠に?」

「根拠なんてねえけど。でも、兄さんは、例えば復讐を果たしたとして、その重さを背負わなきゃ意味がない、って思うタイプかなって」

「わあ超図星ぃー」

「自分で言ってちゃ世話ねえよ?」

「よく言われる」

「兄さん、変な奴だよな、つくづく」

「見るからに変なお前には言われたくないよ」

 変な奴であることを、否定する気はないけれど。

 小林は、苦笑で俺の言葉を受け止めて、それから、すぐに真顔になって言葉を続ける。

「……でも、仮に同じ『もしも』を問われたら、俺様も、兄さんと同じ答えを出す。願った理由を忘れちまっちゃ、願いの結果を受け止められなくちゃ意味がねえ、って思っちまう。だから」

 小林の喉から漏れるのは、搾り出すような声。

「俺様は、いつだって後手に回っちまう。何を捨て去ってでも叶えたい願いがある奴を、理解はできねえんだ。いつも、いつもな」

 己の記憶を放棄して、その結果を見届けることもできず、それでも叶えたいと思える願い。ちらり、と脳裏を横切るのは、青い翼を背負って、枯れ枝みたいになっちまったあいつを見下ろしていた、とある男の悲壮な横顔。

「それが、ヒヤマ・シロウだとでも?」

「そう。そして、ノブ……タチバナ・ノブヒコでもある」

 橘信彦。かの町で発見された檜山と、入れ違うように消えた高校生。

 小林にとっての「最初の友達」。

「あいつらは、事件の犯人じゃねえ。定義するなら被害者なんだよ。本当の犯人に、大切なものを奪われて、それを取り戻すことはできなくても、自分にできることをするために、手を出しちゃいけねえもんに手を出した。その結果、奴らは俺たちの前から消えて」

「記憶を奪われた、とでも?」

「俺様はそう認識してる。兄さんは、どうせ、信じねえだろうけどさ」

「そうね」

 そう、俺は信じない。神様の存在も、檜山が被害者であることも。そして、檜山が加害者であることも、信じてはいない。

 俺は目の前に突きつけられた事象を疑い続ける。疑うことを止めるのは、真実が明らかになった時だけでいい。

 思いながら、ふと、本筋とはあまり関係のない考えに至る。

「なあ、『元神様』」

「何だよ」

「お前が元々『神様』で、でかい図体してたのは知ってるけど、実は願いを叶えたりする力とか、あったりするわけ?」

「何一つねえよ。からっきしだよ。だから、地道にノブのこと追ってんじゃねえか」

 まあ、それはそうか。もし、そんな便利な力があれば、とっくに俺の知らない場所で何もかも解決しているに違いない。

 だが、そうなるともう一つ、今度は根本的な疑問が生まれる。

「……お前、何をもって『神様』なの?」

「うるっせえな! 人の形貰うときに、能力ほとんど捨てちまったって言っただろ! 願いを叶えるなんて都合のいい力はねえけど、元々は因果律を司っちゃう、超神様っぽい神様だったんだぜ!」

 超神様っぽい神様って何だよ。だが、自分が神様らしくないことには自覚的だったらしい。これで自覚してなかったら、ちょっと空気読めないにもほどがある。

 俺の沈黙をどう捉えたのか、小林は妙にむきになって、俺に箸を突きつける。人に箸を向けるなと習わなかったんだろうか、嘆かわしい。

「そんなに言うなら、ちょっとだけ残った神様力、見せてやってもいいんだぜ!」

「別に見たいとは言ってないけど」

「うおおお兄さんのその無関心っぷりが腹立つううう」

 案の定小林は頭を抱えてじたばたする。いや、本当は相当気になってはいるけど、多分こう切り返したほうが面白い反応が見られるかなと、つい。

 そんな下らないやり取りを交わしていた時、不意に、背筋に何か冷たいものが走った。悪寒。こういう虫の報せっぽいものは、信じたくはないが、遺憾ながらよく当たる。

 思わず顔を上げると、小林がほとんど椅子を蹴るようにして立ち上がり、何の断りもせず店の外に駆け出していった。

 俺は、一瞬何が起こったのかわからず、呆然と小林の背中を見送ってしまったが、一拍置いて我に返り、慌てて小林の後を――追おうとして店員に引き止められたので、金を払ってから外に出た。

 刹那、風が吹いた。真夏の熱を吹き払う、薄荷の香りを運ぶ涼風。

 どこかで覚えた感覚に、どきりとして小林を見れば、小林は、歯を食いしばって、空のある一点を見据えていた。

 その背中から、ほとんど空気に溶け込みそうな色で青い翅が伸びているのが、見えた。透き通った中に複雑な青く輝く筋が通っている、蜻蛉の翅。思わず目を擦るが、それは一時の幻ではなかったらしく、なおも小林の背中に背負われている。

 だが、俺の驚きなど意にも介さず、小林は、空を見据えていた。

 その時、不意に何かが俺たちの頭上を横切った。目に映るそれが何なのかは、目の悪さもあってすぐにはわからなかった。だが、二、三度瞬きして、それがものすごい速度で空の向こうに消えていった頃には、そいつが「何」であったのかを嫌ってほど理解していた。

 そして、小林は、ぎりと歯を鳴らして、そいつの消失点を睨み付ける。

「畜生、ノブ……!」

「おい、コバヤシ!」

 呼びかけは、きっと、届かなかったのだろう。俺よりもずっと足の速い金髪のガキは、すぐに、空を横切った影を追って、道の向こうに消えていく。

 取り残される形になった俺は、ただただ、唖然とするしかなかった。

 だが、ひとつだけ、はっきりしていることがある。

 俺の頭上を飛んでいったものは、

 

 ――青い鳥の翼を生やした、人の姿をしていた。

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