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昼間だというのにカーテンは締め切られ、部屋には淀んだ空気が充満していた。
何度か立ち上がって換気しようにも、隣のソファに腰掛けたまま恨みがましい視線を向けるアリシアを前にしては行動を起こす気にならず、九重はただ黙々と自分に宛がわれたティカップに口を付けるだけだった。
この部屋の主はお茶だけ出すと「所用があるからちょっと待っててね」と茶目っ気たっぷりに言い放った後、もう一時間ほど帰って来ていない。そろそろ帰ろうかと内心タイミングを計ってはいたが、目的が目的の為自分の用事をすっぽかして帰るわけにもいかず、現在こうしてむくれたアリシアを横にしかめっ面をしている訳である。
することもないので何となしに部屋を眺めたりはしているものの、いかんせんこの部屋は雑多過ぎる上に置かれているものは大いに奇天烈な物ばかりでその用途さえ分からないのが大半である。片隅には何体かの作りかけの人形がほったらかしにされてはいるが、工房ではなくこの事務所に置いてあるということは恐らく完成させるつもりはないのだろう。
そのうちの一つは以前傑作の予感とかなんとか言われて、真夜中の工房まで見に行かされた記憶が新しいので少し意外だった。とは言っても似たようなことは多々あるので、最近では、と枕につけなくてはならないが。
どうにもあの人形師は飽きっぽい性質らしく、腕は一流どころか超一流だというのにその人形を買える人間は非常に少ない。完成品の絶対数が少ないのだからやむを得ないことなのだろうが、それ以上に本人が売り出そうとしないのだからしようがない。売りに出す前に飽きてしまった人形は廃棄するか、近所の子供やら爺様婆様にあげてしまうのだ。おかげで事務所は年中火の車だというのだから、格好も糞もない。
けれど。それでも彼女はいつまでもそうやって生きていくことを九重は知っている。知ってしまった。
何かに執着してしまえば身動きが取れなくなるから。
大事な時に、大切なものを取り落してしまうから。
結局、彼女は手ぶらでいろんなものを守り続け、自分は郊外の館で一人、ひとつのものを守り続けるのだろう。
傷つけて、傷つけられて。
最後には自身の手で、忘れないように楔を打つ。
並べられた人形の中に佇む、自分によく似た人形。
自分が殺めてしまった半身を弔うためにも、今回の事件にはこの手で片を付けなくてはならない。
そうして部屋を見渡していき、ちょうど壁に掛けられた年季の入った古時計に目が行ったところで扉に掛けられた鈴が主の帰還を高らかに告げた。
「たっだいまーって、なんだなんだぁ? まだアリシアちゃんと喧嘩しているのかな?」
ほれ茶菓子、と近くのスーパーで買ってきたのであろうお徳用煎餅の袋を無造作に応接机の上に放り出し、ここの主、天崎 朱音は盛大に胸を張り、ダメでしょ仲良くしなきゃ、なんてことを言い放つ。
「だってだって朱音さん、九重さんったら酷いんですよ! 私を一人あんな郊外の館から歩かせといて自分はすいーってバイクで街まで来て、『なんだアリス、遅いじゃないか』なんて言ったんですよこの人は!」
アリシアは感情の昂ぶりに合わせて段々と腰を浮かせていき、終いには朱音に掴み掛る勢いで声を上げる。
「だから、何度も説明しただろう。俺はちゃんと皐月に頼んだんだ。俺は瑞樹と話していて遅くなったから、てっきりおまえはもう着いてると思ってたんだよ」
「へぇ、私が必死に歩いている最中に、九重さんは幼女と楽しそうに戯れていたんですね?」「おまっ、それじゃあ俺が変態のように聞こえるだろう!」
「事実ですから。九重さんはどうせ幼女好みだから私には冷たく当たり、瑞樹ちゃんにはやっさしいんですよね」
もうどうにもこうにも無理だった。完全に臍を曲げてしまったアリシアを前になす術はなく、胸を張ったまま固まっている朱音に助け船を求めるも敢え無く終わり。結局、アリシアの機嫌を損ねたままでは仕事にならない為、彼女の機嫌取りに九重の財布からは諭吉が二人も消え去ってしまった。
本当に久しぶりで。今回はかなり短いですが、次回からやっと本筋に入ります。