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 容赦なく照り付ける日差しの中、九重は手に持った用紙に目を遣りながら公道に抜ける道を歩いていた。正確には獣道と呼んだ方が正しいという程に荒れた森の切れ目。もっとマシな経路はいくらでもあるが、屋敷からの最短という観点から言えばここ以上の道はない為、九重は基本この道を常用していた。

 時折張りだした枝葉を鬱陶しそうに払い除けながら進む九重の足取りに躊躇の類は存在せず、だいぶ離れた場所で慌てながら追い掛けて来るアリシアだけが時々奇声を上げながら激しい音を立てていた。

「九重さーん、待って下さいよぅ!」

 すいすいと先へ進んで行ってしまう九重を恨めしそうに睨みながら、アリシアはスカートに付いた土埃を払って追跡を続行する。最初は一緒に街に行くことが目的だったというのに、今ではこの有り様。一緒どころか置いて行かれないように着いて行くだけで精一杯である。正直、ここで逸れてしまったら一人寂しく九重の帰りを待つか、遭難するかの二択しかない。

 それだけは勘弁と息を荒げて地面から浮き出た木の根を踏み台に、走るというよりは跳ぶように獣道を進み続ける。

 そうやって十分ほど追い掛けると、アスファルトの地面と何かの標識が目に付いた。よいしょ、と一メートル程の段差を飛び降りて標識を見ると書かれているのは“熊注意”の三文字。無事に森を出れたことに安堵しつつ、よくよく考えて諸悪の原因たる九重の存在を思い出し沸々と怒りが込み上げてきた。

 しかし辺りを見回すも九重の姿は在らず、行き場を失った怒りに地団駄を踏み気分転換を図る。なんとなく興味本位で試してみた地団駄だったが、意外と鬱憤は晴れたのでこれは新発見と感心しながら、アリシアは街のある方角へと歩き始める。

 俗に言う田舎町であるここ矢尻市は、その機能の殆んどが駅のある中央部に密集している。その外周を沿うようにして住宅街が存在し、さらにその外周に僅かながらの工業地帯(もっともあるのは寂れたボロ工場だったり放置されっ放しの廃工場ばかりと、名ばかりの工業地帯である)。そこを東に抜ければそのまま隣街、南は海、北に抜ければ川にぶつかり、そこに架かる大橋が見える。そして西に抜ければ巷で噂の魔女の棲む館が存在する郊外の森がある。

 ようするに今アリシアのいる西部の森から街に行くには、工場地帯と住宅街を抜けなければならないのだが、そこはさすがの田舎町。土地が余っているものだからその距離はとてつもなく遠く、歩いていては半日は掛かってしまう程である。

 屋敷の買い出しも担当する皐月は何やら特殊な方法で移動しているらしいが、含み笑いを漏らすだけでその方法を教えてはくれない。一方の九重ときたら、まず第一に屋敷から出ることが殆んどない。珍しく出掛けて行ったと思ったら僅か数十分足らずで帰って来たり、酷い時はものの数分で帰って来たりと、とにかく屋敷を出ない。とんだ引き篭もりであるが、部屋が部屋なので顔色はすこぶる健康そうなのが中途半端である。

 そんな九重がどういう手段で街に移動しているのか、残念ながらアリシアには想像も出来ない。こんな郊外では偶々タクシーが通ることもある筈がなく、結局は歩くしかないのだ。屋敷に戻りたくてもここがどこだかが分からないのでは戻りようがない。途中見たことのある場所に出ればそのまま屋敷へ、出なければ街に着いてからタクシーでも拾うしかない。

「せっかくデート出来たかも知れないのになぁ」

 諦めにも似た情けない声を出しながら、アリシアは偶に通り過ぎる大型のトラックを横目にとぼとぼと公道を歩き続けた。


 一方その頃、件の九重本人は絡まれていた。

 獣道を抜けた先の公道を北に向かって暫く歩くと、市内はおろか県内でも有名、東日本でも有数のお嬢様学校“銀聖女学院”(一応共学らしく、正式には銀聖学院女子部というらしいが、男子と女子は完全に隔離され、校舎のある敷地も離れている為地元では分けて数えられている)がある。

 九重は学院の院長と面識があり、きちんと整備された道がないため車などを乗り入れられない屋敷の現状を説明して敷地の一角に車やバイクを置かせてもらっていた。この場所にアリシアを連れてくると色々と問題がある為、先に一人で足を取って彼女が公道に出た頃には戻っているつもりだったが、そう上手く事は運ばなかった。

 無駄に厳めしい校門を潜って顔馴染みの警備員に頭を下げたところで、その“色々な問題”の原因がやって来てしまったのである。

「哉々! また私に挨拶もせずに出て行こうと考えていましたでしょう? お生憎様、今までの失態を教訓に手は打って置きましたの」

 九重は横目にチラッと今しがた挨拶を済ませた警備員を見て舌を打つ。当の本人はいやぁ、すみませんねぇ、と気まずそうに後頭部を掻いて目を泳がせていた。

「はぁ、面倒な」

 眼前に仁王立つ問題の少女には目もくれず、九重は気だるそうに携帯を取り出して登録してある番号を呼び出しコールする。その行為に少女は何やら御立腹のように騒いでいたが、それには全くの無反応で相手が出るのを待つ。

 そして数回のコールの後、自宅で待機中の皐月が電話に応答した。

「あぁ、もしもし? 俺だけど、残念なことに瑞樹に捕まった。よって、アリシアを頼む。具体的に言うと、街の駅前広場辺りまで」

『了解しました。主様は?』

「おまえと瑞樹じゃ相性が悪いから、この場は俺一人で乗り切る。それじゃよろしく」

 用件を簡潔に済ませ、皐月の返事も待たず携帯を切りポケットに仕舞う。通話代も馬鹿にならないのだ。基本的に九重家は貧乏なので、節約は欠かさない。

「それで瑞樹、俺は忙しいんだ。ちびっ子に構ってる暇はない」

 未だ文句を漏らし続ける少女、瑞樹の頭をポンポンと叩き、僅かに屈んで目線を合わせてやる。

「本当におまえは失礼極まりないな。年頃の女性にちびっ子とは何事だ!」

 瑞樹は自分の矮躯を少しでも大きく見せようと胸を張って見せるが、それがますます子供っぽい。

「だいたいな、宗家の跡取りである私に大して分家のおまえがそんな態度、どう考えてもおかしいだろう!」

「はいはいお嬢様。残念ながら俺はその宗家やら分家やらといったことは三年前に初めて知ったんだ。そういう立場的な意識は皆無なんだから、今更改まったりは出来ねぇよ」

「む、それは分かってはいる。そもそもおまえの父哉人かなひとが死んだ時点で私と哉々の関係は途絶えたようなものだ。しかし哉々、それとこれとは関係なしにおまえの態度は酷過ぎる。いや、鬼畜過ぎる。それが元婚約者への態度なのか!?」

 瑞樹は人目憚らずそう怒鳴り付け、しまったと思った時には周囲からいい所のお嬢様方がひそひそと何やら良からぬ妄想の話に花を咲かせてしまっていた。

 仕方なく九重は場所を移すことにして、瑞樹の手を取って件の駐車場まで引っ張って行き手近なベンチに腰を下ろした。

「あんまり大声で叫ぶようなことじゃないぞ、瑞樹。おまえももう高校生なんだから、大人になれよ」

「高校も出てないような奴に言われたくはないわ」

 もっともである。九重は中学卒業後進学はせず、家族の死を機にもと住んでいた家を売り払い今の屋敷に移った。それからというものの、とある目的の片手間に“仕事”をこなし、それ以外は自室で寝ているのが殆んどである。正確に言うならば、寝ているしかない。

 それは、なんてことはない、事故の後遺症だった。

 自分の興味本位で巻き込まれた事件に家族を巻き込み、最愛の妹さえも失ってしまった。それきり、九重は一日の大半を悪夢に苛まれている。そして、その長い髪さえも代償行為。なくなってしまったものを忘れない為の、自身への戒め。

「ごめんなさい、少し言い過ぎたわ」

 さっきまでとは打って変わって大人しくなった瑞樹が、済まなそうな表情で九重を見つめる。「謝ることはない、事実は事実だ。瑞樹が気にすることはない」

「それでも、ごめんなさい。九重の血が、哉々を苦しめる。本来私が背負うべきものを、哉々に背負わせてしまっている」

 これだから、瑞樹に会うのは嫌だった。

 割と歳の近い親戚。それが最初の出会い。

 九重の血は旧家の血。九重の業は鬼の業。

 起源は未知。未だ知らぬを源流とする九重の家系は、知ることに特化した家系である。

 故にその責は知識の収集・貯蔵であり、その膨大な知は時折邪なものを惹き寄せた。

 本来関係性が薄れた分家は邪から狙われることはまずないが、唯一の例外が存在する。それが宗家の跡取りとの婚約。血の薄れを防ぐ為、宗家は幾つかの分家から配偶者を選ぶ。要するに、宗家との関係性が強まる為、分家までが狙いの対象にされてしまう事がある。

 そして運悪く、今代選ばれたのが九重 哉々――

 結果は悲惨なものだった。中学卒業を控えた二月の寒空の下、九重の家族は原形を留めぬほどに殺し尽くされ、当の本人も瀕死の重傷を負い丸々一ヶ月目を覚ますことはなかった。

 結局、目覚めた九重に残されていたのは悲劇の傷跡と、その渦中にいた人物、天崎 朱音。そして己が巻き込まれたものの原因と、己が巻き込んだ結果だけだった。

 だから、瑞樹は苦手だった。自分と同じ場所に立つ彼女もまた、同じような目に合うことがないとも言い切れない。そんな脆さ。傷だらけの自分たちは、どちらかを支えようとすればどちらかが崩れてしまうのは明白だった。

「俺が背負いたくて背負ってるんだ、おまえには関係ない。それに、どう抗ったところで俺の本質は変わらないみたいでな。猫どころか人まで殺しそうだよ」

「物騒なことは言わないの」

 こちらを気遣ってか、少しばかり調子を取り戻した瑞樹が呆れながら肩をすくめる。

「諺だよ、諺。とにかく、今の俺は九重とは関係なしに動いているんだ。おまえは気にするな」

 ベンチから立ち上がり、通り際に瑞樹の頭を撫でてから止めてあるバイクに跨る。盗まれることもないので鍵は付けっ放しだった。

「ねぇ哉々」

 鍵を回し、エンジンの調子を確かめている九重に向かって瑞樹が小さな紙切れを投げ渡す。

「私は今でも、あなたのことが好きよ」

 それだけ言って、瑞樹は九重に背を向けて学院の校舎に向かって歩き出す。そろそろ休憩時間も終るのだろうか、同じように校舎へ歩く生徒の姿がちらほら見えた。

「まぁ、暇があったら屋敷に遊びにでも来い。自慢のメイドがもてなすから」

 本格的にエンジンを掛け、勢い良くスタンドを蹴り学院の校門へ向かってバイクを走らせる。ヘルメットは先程の警備員に預けてあるので、そこまではこのまま行くしかない。学院の先生方に見つかることがないよう祈りながら、九重は振り返りもせず駐車場を飛び出した。

「どうか、怪我をしないように気を付けて」

 そう呟き、瑞樹は鐘のなる校舎へと掛け足で戻って行った。

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