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躊躇い傷

 私が彼女と出会ったのは高校受験の控えた、吐く息が白く染まる真冬の駅だった。

 その日は連日続いていた寒気も和らぎ、小春日和と称される程に温かく晴れた日で、普段のように着こんで家を出た私には少々暑いくらいの天気。

 そんな中を平時と変わらぬ心持で駅に着いた私は通勤途中の大人たちに紛れて改札をくぐり、ホームの端、一番後ろの車両が止まるであろう定位置で電車が来るのを待とうと人混みを掻き分ける。

 なんの変哲もない、平凡な一日の始まり。毎日のように立ち尽くすスペース。この三年間変わらず向かうそこに、普段なら人の姿はなく、それ故にその日は珍しいものだと見かけない少女の姿に心が揺らいだ。

 自分がいつも立っている場所で、さも当然とした風で電車を待つ少女。それはそうだ。別にそこが私専用と言う訳でもない。単に今日はそこが私ではなく彼女の場所だっただけの話。

 仕方なく私は彼女の後ろに位置取り、電車を待つことにする。 

 ホーム内には二番ホームに電車が来るとか、終日禁煙だとか、私にはなんの関係もないアナウンスが流れ続ける。それが、僅かに鬱陶しい。煩わしいと思う。

 自分には関係の無い情報が、この世界には溢れ返っていることが逆に、私が築き上げたものの矮小さを物語っているようで、毎日のこの時間が嫌いだった。

 だからこうやってその音から少しでも離れようと、わざわざ人気のないホームの端を陣取ることにしたというのに。彼女は平然と、私の世界に踏み込んできたような気がして苛立った。 だからと言って因縁をつける気も勇気もない。ただただ彼女の後姿を睨みつけ、観察することで、彼女を私の世界に取り込もうとするばかり。

 肩口で切り揃えられた、綺麗な黒髪。今の時代珍しく、後姿からはまるで化粧っ気を感じられない。きっと、この綺麗な黒髪も染めた事など一度もないのだろう。

 生憎私は世情に流されやすく、大人に媚を売り、友人の顔色を窺い、一人除け者にされぬように色んな事に手を染めていた。

 ふと気になって、自分の赤茶けた髪に手を伸ばす。手入れは欠かさないが、それ以上に痛めつけ、傷んでしまった自分。腰まで届くかのように伸ばした自慢のそれも、今では目の前の少女と同様に肩口までしかない。

 だというのに、この敗北感。いや、敗北ではない。恐らくこれはきっと、虚無感。毎日が充実しているようで、てんで空っぽな私は、彼女を見てそれに気付いてしまった。

 外っ面は同じでも、中身は正反対。そこまで思って、私はようやく分かった。私は、彼女が羨ましい。

 何故かは分からない。今までだって化粧なんかと縁のないボサボサした子は幾らでも見てきた。中にはそれでも可愛いと思える人もいたし、気持ち悪いと貶した人もいる。

 けれど、羨ましいと思えたのはこれが初めてだった。

 顔も知らない人。知っているのは後姿だけ。私は、その後姿さえも羨ましいと感じてしまっている。

 分からない。こんな感情は、知らない。知識はあっても、心は知らない。

 そうして時間が経ち、私の立つホームに電車が来ることを知らせるアナウンスが流れる。

 その頃には、私の中を渦巻く様々な感情は一様にして、目の前の少女に対する敵意として収束していた。

 このまま、軽く背中を押してみようか。

 間もなく訪れる電車の急ブレーキの音。騒ぎ立てる大人たち。そうして終わりを告げる私の平凡な一生。

 それでも構わない。このまま死んだように生きるよりは、よっぽどマシだ。最初は刑務所とはどんなものだろうか、世間はどう見るのだろうか、なんてことを考えていたが、それさえもどうでもよくなってしまった。

 このまま、倒れこむようにして線路へと飛び込み、その道連れとして彼女の手を引こう。

 一時の気の迷いだったかもしれない。それでもその時の私はどこか追い詰められていて、もう引くことは出来なかった。 

 何度も逡巡して決心を固めた私は、そっと手を伸ばし、そしてそこで動きを止めた。

 ホームの中に木霊する警報音。何事かとあたりを見渡す大人たち。

 黄色い線の内側の私と、外側の彼女。

 そこが、私たちの境界線。

 普段は気にも留めないような電車が通過する風圧が、この空っぽの身体が吹き飛んでしまいそうな程に強く感じた。

 生きている。

 わからない。

 茫然と立ち尽くす私は、こちらを振り向いて微笑む少女の顔に意識を取り戻し、自分の手を見る。

 強く、強く少女の腕を握りしめた自分の手。

 反射的なものだったのかもしれない。迫りくる死に引け腰になってしまったのかもしれない。けれど、私はこう思いたかった。

 私は、自分の意思で境界を超えたのだと。

 自ら、生きることに執着したのだと。

「……危ないよ、そんなとこにいたら」

 振り絞るようにして、渇いた声を空気と共に吐きだす。それが、精一杯。

 そんな私を見て彼女はこの世の物とは思えないほどの、綺麗な微笑みを向けてきた。

「ありがとう」

 ただそれだけ。

 私は力なく握りしめていた手を離し、彼女から目を離さぬまま一歩後ずさる。

 彼女はそれを見て小さく笑うと、まるでその騒動がなかったかのように電車のドアをくぐり、窓越しにこちらを見つめたまま去っていた。

 それから私はというと、事情を聞きに来た警備か何かの人たちに事の顛末を細かく説明し、十分程の時間を無為にしただけですべては済んでしまった。

 次に電車が来るにはまだ時間がある。学校も、今からでは確実に間に合わないだろう。

 仕方なく駅員さんに事情を話し、気分が悪くなったので帰ることにしたからと切符を払い戻してもらい、大人しく家に帰ることにした。

 あの、少女の顔が頭から離れなかったのだ。

 それは、あんなことがあったのだから無理もないかもしれない。それでも、それだけで済まない程に私は自分がおかしいことが分かっていた。

 彼女の色が薄れない。黒い、玄い、あの美しい彼女。

 それが忘れられなくて、私はその後も駅で彼女の姿を捜し続けたが、あの黒が見つかることはなかった。

 それだけが、壊れてしまった今となっての、最後の心残りだった。





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