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序章

  ◆


伝奇、というのは初めてなのでちゃんと伝奇になっているか不安ですが、精一杯の力を込めて書きあげます。

 夜が深まればいいと、君は言った。 

 目に見えるものは希薄で、感覚さえ閉ざされて。

 そうして何も考えずに消えていければどれだけ楽だろう、と。

 君は言う。

「貴方に人は殺せない」と。

 僕は言う。

「彼女は僕が殺したよ」と。

 繰り返し、繰り返し。

 言い聞かせるように。

 赦しを乞う事さえ、僕は自分に許さない。

 けれど、君は僕を赦すと澄み切った瞳で僕を見つめる。

 そこに偽りはなく、あるのはただ、置いてけぼりを喰らって今にも泣き出しそうな、少年の姿だけだった。

 返り血に塗れた頬に、君は優しく手を伸ばす。

 渇ききった肌を撫でる温もりは、ただひたすらに優しくて。

 僕は、罪を忘れて涙した。

 これが最後。僕の、人らしい心の、走馬灯。

 右手に固く握られたナイフは、いつしか音を立てて地面を転がり血を流す。

 忘れないように。強く強く左腕を掴み握り締める。

 しばらくして頬を離れた優しさを最後に、僕は自分を殺した。


 夜が深まればいいと、君は言った。

 罪も、懺悔も後悔も、すべてを忘れて消えていければいいのにと、言葉を重ねる。

 なんて、優しさ。

 痛いくらいに、温かい言葉。

 突き刺すように、甘い誘惑。

 それでも僕は、夜明けを望んだ。

 たとえ夜の闇が世界を覆い尽くそうとも、僕は朝を望む。

 醜くても、汚くても。

 誰かを傷つけると知っていながらも、僕はこの、傷だらけの惨めな姿を晒すために朝を待つ。 明るい白日の下、永久に彼女を探し続ける。




 引き篭もり猟犬――


 


 覚醒を促す陽光に眉間を歪めながら、館の主はまどろみ続ける。

 夏も間近というのに相変わらず日の出は早く、一面を窓に仕切られた建築基準法も度外視の館の一室は朝から既に真昼のような明るさだった。

 どこのお姫様が寝ているんだと見ている者に疑問を持たせるような豪奢なベットも、備え付けられた天蓋も、その奥で寝続ける主とは滑稽なほどに不似合いだった。

 そもそも、朝が眩しいからと唐突に取り寄せた天蓋だってこの部屋ではまったく用を成さないというのは分かり切ったことだったのだ。主の趣味なのかもともとそうだったのかは知らないが、壁はおろか天井でさえガラス張りなのだ。布切れ一枚(正確にはレース状で幾重にもなっているものだが)でどうにかなる問題ではない。

 部屋に似合わないこのベットも、無駄にでかい木製の扉も、この館はあまりに混沌とし過ぎている。あのメイド兼執事のような大女もよく文句を言わないものだ。

 あらん限りの悪態を内心でつき怒りもひと段落したのか、客人であるアリシアは諦めたように天蓋に手を掛け、思い切り開け放った。

 本当に、溜息が出る。夜遅くに仕事があるから朝起こしに来いと迷惑な電話を寄こし、有無を言わさず話すだけ話して後は電源が入っていないか……である。

 普通そういうのは起きて待っているけど、万が一寝坊したら起こしてね、程度の意味合いで言う台詞だろう。常識的に考えて。

 だというのに当の本人は鬱陶しそうに顔を歪め、枕に埋めて寝なおすという体たらく。本当に、人を小馬鹿にした奴だとつくづく思う。

 傍目から見れば良いとこのお嬢様といった容姿で、腰にまで届く、漆に浸したような髪や切れ長の大きい目。血色のいいやたら色っぽい唇や筋の通った鼻筋と女のアリシアから見ても惚れ惚れするような美少女っぷりである。

 だというのに、この和洋折衷なんでもござれな節操無い館の主は、真実真に男であり、自分は図らずしも殿方の寝室で百面相の始末。こんな光景をあの大女に見られたらどんなに鬱陶しく言い寄られることやら。

 明確に浮かぶ近い将来のビジョンに辟易しながら、アリシアは覚悟を決めて真っ黒の寝巻に身を包んだ主の身体に手を掛けた。

九重ここのえさぁん、朝ですよぉ、起きてくださぁい」

 間延びした、やけに間抜けな猫なで声は本来の彼女の話し方ではなく、朝限定の目の前で寝続ける男、九重に対する為だけに開発した秘密兵器であった。

 案の定、男は揺すられていた身をビクッと震わせ、それっきりまるで動かなくなった。

 どうにもこの男はこういう猫なで声というものに思う所があるらしく、これだけに反応するもとい、これ以外にはまったくの反応を示さないのである。

「なんだ、アリスか」

 暫くしてさも残念そうな顔を上げてアリシアを一瞥すると、九重はぼふっと音を立てて再び枕に顔を埋める。

「こ、九重さん! 起きて下さい!」

 慌ててこれでもかというくらいに男の身体を揺すり始め、アリシアは鼻息荒くがなり立てる。

「分かってる、今起きるから。とりあえず皐月さつきを呼んで来てくれ」

 絶対起きて下さいよ、とアリシアは念を押してから膝を着いていたベットから立ち上がり、天蓋の外に出る。すると、件の女性が今来た所ですと言いたげな澄ました微笑を浮かべて入り口近くに立ち控えていた。

「御苦労様です、アリシア様。主様に手荒なことをすることに掛けては貴方に比肩する者はいませんから、非常に助かります」

 メイド兼執事のような者、もとい皐月は厭味ったらしく口角を上げてアリシアに頭を下げる。 どうにもこの大女は自身の主が得体の知れない女に気を許しているのが気に食わないらしく、アリシアに対しては妙に突っかかって来るのだ。

 聞いた所によると、どうやらこの大女は九重の古い知人から奉公に出されているらしく、その忠誠心は本来その知人に向けられているモノらしい。要するに、私の主の知人である九重様も忠誠に値する方です、ということだ。

 とは言われても皐月の異常なまでの忠誠心は、ひょっとして九重さんが、とアリシアが勘ぐってしまうのも仕方ない程のもので、これがその古い知人が相手だったらどうなるのやらとアリシアは密かに危惧していた。

「お、早いじゃないか皐月」

 大きな欠伸を欠きながら天蓋の奥から九重が姿を現す。先程までは割とボサボサだった長髪も短い間で綺麗に直されており、きっと馬鹿高い寝ぐせ直しを使っているに違いないとアリシアはどこか外れた感銘を受ける。

「いいえ主様。アリシア様がお急ぎでお呼びに来られたものですから」

 ふん、と皐月は横目でアリシアに視線を向ける。白々しい嘘の上にこれかよと内心舌を打つアリシア。どう足掻いても相容れない、犬猿の仲であることを再確認する。

「あぁ、やめろやめろ。朝っぱらから醜い喧嘩すんなよな」

 失礼しましたと恭しく頭を下げる皐月を横目に、アリシアは怒られてやんのと嘲笑する。

「おまえもだっつーの。まったくうちの女どもは」

「うちの女扱いしないで下さい!」

 アリシアが間髪入れず反応する。形式上客人扱いとされてはいるが、まるで自分の女とも言わんとする九重の対応には敏感なのだった。

「はいはい。そんな瑣末なことより、今日は仕事だ。気は乗らないが、おまえの主人の依頼とあっては断れん」

 そう言って九重は皐月に目配らせして、部屋の片隅に置かれたデスクの上から一枚の紙を取ってアリシアに投げ渡す。

「マスターからですか? それは珍しいですね」

 皐月は覗き込むようにしてアリシアの手元にある書面に目を通し、懐かしそうに目を細める。

「綺麗な字。今時手紙って珍しいね」

「マスターは古風な人ですから」

 内容はさておき、文面は非常に丁寧な字で書き連ねられており、携帯世代であるアリシアは物珍しそうに手紙を眺める。

「なに言ってんだ、それは俺の走り書きだよ。あいつからは直接電話が来たんだ。一応一語一句逃さず書き取っておいた」

 九重さんの字かい、と盛大に突っ込んで思わず放り投げられた走り書きを皐月がすかさずキャッチする。

「内容は、楽しいものではありませんね。殺人鬼の保護或いは制圧、場合によっては殺害もやむなし。個人に対して制圧とは、物々しいです」

「どうにも一度拘束されたらしいが三日前に逃亡したと思われてる。ニュースでやってなかったか?」

 今朝部屋で見たニュースで再び犠牲者が出たとアナウンサーが神妙な顔で話していたのを思い出す。

「確か、死因は首筋を刃物でバッサリ、でしたよね?」

「はい。今のところ被害者に共通性がないことから行きずりの愉快犯ということになっていますが」

 アリシアの言葉に皐月が素早く続く。どうやら自分は知らないと思われるのは心外だと言いたいようだった。

「白か黒かは半々と言ったところだが、俺の勘では黒だな。この殺戮行動は、行き過ぎている」

「また、鬼憑きですか?」

「またとはなんです? 御自分のことを棚に上げて」

 皐月は今にも飛びかかりそうな勢いでアリシアを睨みつけ、それに応じるように彼女も臨戦態勢を取る。

 本当に、仲の悪い。九重は重々しい溜息をついて、デスクの横にあるこじんまりとした洋服箪笥に手を掛けた。これに付き合っていては日が暮れる。今日中に事を済ませたいという想いに駆られながらも、ゆっくりとした手付きで着替えを始めた。


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