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星喰みの巫女は方舟を降りる ~最優先婚約を破棄されたので、この世代宇宙船ごと本物の星へ連れて行きます。なお偽りの楽園に苦情は受け付けません~

作者: uta
掲載日:2026/09/12

「聖アルヴィス方舟の次期船長として、私はお前との《航路婚約》を破棄する」


大広間に響いた声を、私は伏し目がちに受け止めた。


シャンデリアの光が、金髪碧眼のユリアン王子を華やかに照らしている。彼の隣には、薔薇色の髪をした美しい令嬢——星読み聖女ミレーユが、勝ち誇った笑みを浮かべて寄り添っていた。


「星も読めぬ、辛気臭い巫女。お前のような女が、次期船長の隣に立つなど笑止だ」


貴族たちのざわめきと、押し殺した笑い声。侮蔑の視線が、地味な祈祷装束を着た私に集まる。


私は——ロゼリア・アステリオンは、静かに顔を上げた。


(星も読めぬ、ね)


心の中だけで、そっと呟く。


(あなたたちは、舷窓の外に本物の星がないことにすら、気づいていないのに)


そう。この『剣と魔法の異世界』の真実を知るのは、この場でただ一人、私だけだ。


前世の記憶——軌道エンジニアだった私の目には、この世界が『魔法』ではなく『機械』として映っている。


この聖アルヴィス方舟は、星々の海を渡る巨大な世代宇宙船。『聖なる結界樹』とは生命維持コアそのもの。そして代々の巫女が捧げる『祈祷』とは——迷信の皮を被った、船を制御する操船コマンドだ。


「何とか申したらどうだ。反論もできぬか」


ユリアンが嘲る。私は淡々と答えた。


「……いいえ。承知いたしました」


「なんだと?」


拍子抜けした顔。周囲がざわめく。喚くと思ったのだろう。縋ると思ったのだろう。


残念ですが、と私は内心で息をつく。


「巫女の座も剥奪する。これからは我が聖女ミレーユが、新式魔法で永遠の楽園航行を約束してくれる。お前の古臭い祈りなど、もう不要なのだ」


ミレーユが甘い声で微笑んだ。


「ロゼリア様、長い間お疲れさまでした。あとは私にお任せくださいませ」


私に向けられたその瞳の奥に、確かに嘲笑が光っている。


(新式魔法、ね)


私は静かに一礼した。


(結界樹はもう祈祷など要らない——ですって? ……あなた、あの炉に何をしているか、本当に分かっているの?)


「では、失礼いたします。……皆様、どうぞ楽園を、心ゆくまで」


私は踵を返す。


背後で、貴族たちの歓声が上がる。ミレーユの華やかさに酔いしれる、偽りの楽園の住人たち。


その夜。


祈祷役を解かれた私のもとに、炉心が——生命維持コアが、警告を発した。



自室に戻った私を待っていたのは、静かな警告音だった。


耳ではなく——巫女の血に刻まれた感覚が、それを拾う。炉心の異常震動。外殻の劣化。数百年前に目的地の星をとっくに通り過ぎ、ただ闇の中を漂い続ける方舟の、悲鳴のような軋み。


窓辺に、白髪の老家令が佇んでいた。


「お嬢様」


セルウィン・ノックス。私が幼い頃から仕えてくれた、忠臣。


「巫女の座を追われても、あなた様が動じぬことは分かっておりました。ですが……その顔は、何かをお決めになった顔でございますね」


私は微笑んだ。


「セルウィン。あなたが毎晩、意味も分からず記録し続けてくれた、あの『落書き』を」


「はい。すべて保管しております。一枚残らず」


炉心に刻み続けた、無数の文様。社交界の誰もが『無駄な祈りの落書き』と嗤ったそれ。


「あれは落書きではないの。数十年がかりで組んだ、緊急航路プログラム。この方舟を救うために刻み続けた、私の……執念よ」


前世の記憶を持つ私が、この方舟を救うために刻み続けた執念の結晶。


「もういい」


私は静かに言った。窓の外には、貴族たちが信じる偽りの星空が瞬いている。虚像投影の、まやかしの光。


「この偽りの楽園に忠誠を尽くすのは、今日で終わり」


セルウィンの目が、わずかに見開かれた。


「私、方舟を降ります。本物の星を、この手で見つけるために」


沈黙が落ちる。


そして老家令は、深く頭を垂れた。


「……では、荷造りを」


「理由も問わないの?」


「私には星のことは分かりませぬ。ですが、あなた様が無駄なことをなさる方でないことだけは、この老骨が保証いたします」


私は祈祷装束の袖に指を滑らせ、巫女の紋章に触れた。


代々の巫女に受け継がれてきた、真の権限。誰も意味を理解しないまま迷信化していた、その正体を私だけが知っている。


「……ありがとう。それでは——真の巫女権限、管理者コード、起動」


指先が淡く光る。


瞬間、部屋の空気が変わった。壁が、床が、天井が。石造りに見えていたそれらの奥から、無数の光の線が浮かび上がる。船の全システムが、私の前に開かれていく。


(さあ、久しぶりね。……ずっと待っていたわ)


前世で見慣れた、機械の言語。


私は闇の中を漂う一隻の船の、真の姿と向き合った。



下層区画は、暗かった。


上層の貴族たちが酔いしれる楽園の光は、ここには届かない。劣化した外殻の隙間から冷気が漏れ、住民たちは寄り添うように暮らしている。


その暗がりに、隻眼の巨躯が立っていた。


「巫女殿」


ガレス・ヴォルグレイヴ。船団警備隊長にして竜甲騎士。左目を縦断する古い傷跡。社交界では『冷酷な竜殺し』と恐れられる男。


彼の傍らには、金属の鱗を持つ巨大な獣——『竜』が身を伏せている。私の目には、それが外殻補修用の自律機械獣であることが分かる。ガレスの無骨な手が、その頭を撫でていた。まるで子どものような、柔らかい仕草で。


「隊長。あなたに、お話があります」


「知っている」


彼は短く言った。


「あんたが巫女を解かれた夜から、炉の音が変わった。あんたの祈りが……本物だったと、俺は前から気づいていた」


私は少し驚いた。


「気づいていた?」


「言葉にするのは、苦手だ」


彼は視線を逸らす。無愛想に。だが私は知っている。この男が、隊長報酬を切り崩してまで、この下層区画の住民を密かに支え続けていたことを。一言も語らないまま。


住民の子が、彼の腰にしがみついていた。その手には、手製の木彫りの人形。


「ガレス様は、いつもおいらたちを守ってくれる!」


子どもが無邪気に笑う。ガレスは気まずそうに咳払いした。


(……ああ、なるほど。『冷酷な竜殺し』。とんだ誤解だ)


私は淡々と、しかし確かに告げた。


「この方舟は、とっくに星を通り過ぎています。ミレーユの新式魔法は、炉心の安全装置を切って出力を偽装するインチキ。楽園の光は、劣化を隠す虚像。……このままでは、遠からず炉が暴走する」


ガレスの隻眼が、鋭く光った。


「証拠は」


「私が管理者権限で読み取りました。そして——本当に近くに、居住可能な惑星があります。数千年、誰も外を見ようとしなかっただけ」


私は手を差し出した。


「私は方舟を降ります。本物の星へ、この船ごと連れて行くために。……力を貸してくれますか」


沈黙。竜の機械音だけが低く響く。


やがてガレスは、腰の小さなお守りを握った。竜の鱗を削って作ったもの。それを、ゆっくりと握りしめて。


「巫女殿。俺は星の読み方は知らん」


無骨な、けれど揺るがぬ声で。


「だが、あんたの読む星なら、信じられる」


彼の大きな手が、私の手を包んだ。


こうして、静かな反逆が始まった。



破綻は、あっけなく訪れた。


大広間。ミレーユの『新式魔法』の披露の最中に、それは起きた。


虚像投影の楽園の光が、突如として明滅する。まやかしの星空が歪み、剥がれ落ちていく。その裏側から現れたのは——ひび割れた外殻、警告色に染まる炉心の映像、そして闇。ただ果てしなく続く、星のない虚無の海。


「な……なぜ……っ、楽園が、剥がれて——」


ミレーユの顔から、甘い笑みが消えた。


私は、大広間の入口に立っていた。ガレスとセルウィンを従えて。


「あなたの新式魔法の正体を、暴かせていただきました」


私は淡々と告げる。


「炉心の安全装置を切り、出力を偽装する。楽園の光景はすべて虚像。……あなたは、船の民全員の命を賭け金にして、称賛を買っていたのです」


貴族たちがどよめく。ミレーユを取り囲んでいた者たちが、じりじりと後退していく。


「ちがう、私は……っ、こんなの、知らな——」


その時。


地の底から突き上げるような震動。炉心が、暴走を始めた。安全装置を切られ、長年放置された機関炉が、限界を超えたのだ。


悲鳴。パニック。崩れ落ちる調度品。


「ロゼリア!」


血相を変えて駆け寄ってきたのは、ユリアンだった。金髪碧眼の次期船長。その顔から、傲慢さは跡形もなく消えていた。


「巫女を戻せ、お前しか炉を鎮められない! 頼む、祈ってくれ、いや祈祷を——なんでもいい、この船を救ってくれ!」


私の腕に縋りつく手を、私は静かに見下ろした。


溜めていた息を、ゆっくりと吐く。


「あなたは私を、辛気臭いと切り捨てた」


静かに。怒鳴らず。淡々と。


「星も読めぬと、嘲笑った」


ユリアンの顔が凍りつく。


「ではどうぞ——聖女様の新式魔法で、楽園を続けてくださいませ」


「そ、それは……できない、できないんだ……!」


私は彼の手を、そっと外した。


「……できないなら。頭を下げる相手を、間違えましたね」


ユリアンが崩れ落ちる。ミレーユは既に、支持していた貴族たちに見捨てられ、床に座り込んで震えていた。


静寂の中、私は歩き出す。


暴走する炉心へ向かって。誰にも止められない、確かな足取りで。


「セルウィン。落書きを」


「はっ。全て、ここに」


老家令が、恭しく古びた記録の束を差し出す。数十年分の、緊急航路プログラム。


「ガレス。炉室までの道を」


「任せろ」


隻眼の騎士が、竜を呼ぶ。


偽りの楽園が崩れゆく中、本物の巫女が、船の運命を握り直した。



炉室は、灼熱と轟音に満ちていた。


暴走する機関炉——結界樹が、赤黒い光を放って唸っている。近づくだけで肌が焦げるような熱。だが私は、迷わず中枢へと歩を進めた。


「巫女殿、無茶を——!」


ガレスの声。だが私は前世の知識で、この光景を冷静に読み解いていた。


(安全装置の切断箇所は三つ。出力の暴走曲線はこう。減速に必要な推力は……計算通り)


巫女の紋章が輝く。管理者権限の光が、炉の全システムを私の指先に繋ぐ。


私は祈りを捧げた。


——いや、正確には。操船コマンドを、詠唱した。


代々の巫女が意味も知らず唱え続けてきた、迷信化した祈祷文。その一言一句が、船を制御する命令だと知るのは、私だけ。


「還れ、静まれ、我が声を聞け——」


暴走の唸りが、少しずつ収まっていく。


そして私は、セルウィンが守り続けてくれた記録の束を、炉心のコンソールに接続した。数十年がかりで刻んだ、緊急航路プログラム。前世エンジニアの執念の結晶。


「航路再設定。近傍居住可能惑星への、減速・着陸コース。……応えなさい」


炉が、応えた。


赤黒い光が、やがて穏やかな青へと変わっていく。船全体が、進むべき方向へと、静かに舵を切った。


どれほどの時間が過ぎただろう。


震動が、止んだ。


私は炉室を出て、大広間の巨大な舷窓へと向かった。ガレスが、セルウィンが、そして生き残った船の民が、後に続く。


舷窓の覆いが、ゆっくりと開く。


——そこに、星があった。


虚像ではない。投影でもない。本物の恒星の光を浴びて、青く輝く惑星が、ゆっくりと近づいてくる。緑の大陸、白い雲、きらめく海。


数千年、誰も外を見ようとしなかった方舟が、初めて本物の星の光を、その舷窓に映した。


「……星だ。本物の、星……!」


誰かが呟いた。


ざわめきが、歓喜に変わっていく。


座り込んだユリアンが、呆然と舷窓を見上げていた。船長継承権を失った彼は、自分が捨てたものの本当の価値を、今ようやく知る。失ってから気づく、遅すぎる後悔に沈みながら。


ミレーユは、もうどこにもいなかった。


船の民が、一人、また一人と、私の前に膝をつく。


「巫女様——いいえ、我らが新たな導き手よ」


真の船長として、新天地の導き手として。彼らは私を迎え入れた。


私は、静かに舷窓の外を見つめた。


(着いたわ。……本物の星に)


前世からの、長い長い旅路の果てに。



着陸は、成功した。


方舟の巨体が、新惑星の大地にゆっくりと降り立つ。数千年ぶりに触れる、本物の地面。舷窓の外には、二つの月と、見たこともない植物の生い茂る草原が広がっていた。


空気は澄み、風は優しかった。


船の民たちが、恐る恐る、けれど歓喜に震えながら、大地に降り立っていく。子どもたちが草原を駆け回り、老人たちが涙ぐんで空を見上げる。偽りの楽園ではない、本物の世界がそこにあった。


私は、丘の上に立っていた。


風が、銀灰色の髪を揺らす。深い藍色の瞳が、初めて本物の地平線を映していた。


「お嬢様」


セルウィンが、静かに歩み寄る。


「あなた様の『落書き』は、この地に我らを導きました。無駄なことをなさる方でない——やはり、私の見立ては正しゅうございました」


「あなたが記録してくれなければ、何もできなかったわ。ありがとう、セルウィン」


老家令は、深々と頭を垂れた。その目に、静かな誇りが滲んでいた。


その時。


偵察に出ていた竜甲騎士の一団が、丘を駆け上がってきた。先頭にはガレス。彼の隻眼が、いつになく緊張していた。


「巫女殿。……妙なものを見つけた」


「妙なもの?」


「あそこだ。地平線の向こう。……船の、残骸だ」


彼が指し示した先。遠い地平線に——


金属の残骸が、風化した姿で横たわっていた。それは紛れもなく、船。私たちの方舟とは別の、しかしよく似た構造の。


「もう一隻の……方舟。私たちより前に、故郷を捨て、闇の海を渡り、ここへ辿り着いた者たちがいた……」


私は息を呑んだ。


(彼らは、どこへ行ったの……? 生きているの? それとも——)


新たな謎が、地平線の彼方で待っている。


物語は、まだ終わらない。むしろ、ここから始まるのだ。


風が吹いた。


ガレスが、私の隣に立つ。無骨な巨躯。竜の鱗のお守りを握った、大きな手。


彼は、しばらく黙っていた。感情を言葉にするのが、致命的に下手な男。


そして——告白の代わりに、いつものように。


ゆっくりと、私に手を差し出した。


「巫女殿」


隻眼が、まっすぐに私を見つめる。夕陽が、二つの月が、その傷跡を柔らかく照らしていた。


「次の星も——あなたと読みたい」


私は、その手を見つめた。


偽りの楽園を降り、本物の星を見つけた私の、次の航路。


私は、そっと微笑んだ。生まれて初めて、心から。


「ええ。喜んで」


彼の手に、私の手を重ねる。


遠い地平線に眠る、もう一隻の方舟。まだ見ぬ星々の海。


新世界での、第二の物語が——今、静かに幕を開けた。

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